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『晩夏の怪談 』
架月・静耶4365

 それは一通のメールから始まった。
 もう夏も終わる。そんな日の、だがまだ燦々と太陽光の降り注ぐ、うだるように暑い午後。
 架月静耶は、どこかぼんやりと高校時代の後輩からきたメールを読んでいた。少しぼんやりしていたのは、暑さのせいかもしれない。
 クーラーは効いているはずなのに、こんなに室内が暑いのなら……外はいかほどのものだろうかと、静耶は頭のどこかでメールの内容とは関係ないことを考えていた。9月の頭なんて、真夏と何が変わるだろう。静耶は暑さが特別に苦手なわけでもなかったし、クーラーに弱いわけでもなかったが、普段なら十分な温度設定でそうだったということだ。
 これだけ暑いのなら、まだこんな話もあるかもしれない。静耶はそこまで思って、自分の考えの奇妙さにすぐさま気付いて苦笑を浮かべた。
 その話と暑さとは、直接は関係がないだろう。
 メールには、こんなことが記されていた。

 お元気ですか、先輩。
 今日はちょっと相談があってメールしました。
 実は最近、部屋で夜に怪奇現象が起こってんです。おかげで夜も眠れません。
 なんとかしてくれませんかね?
 先輩、こういうの得意でしょ?
 可愛い後輩を助けると思って、お願いしますよ。

 可愛い……というところで、静耶の目は止まった。留まった、ではない。読むのを目が拒否したからだ。
 可愛いとか、自分で書くか? そんなことを思いつつ、続きは流し見て静耶はメールを閉じた。
 傍らのサイドテーブルに置いてあったコーヒーを口に運びつつ、後輩が棲んでいる寮の部屋を思い出す。夏に部屋替えをすることはないから、静耶の知っている部屋と変わってはいないだろう。
 あの部屋に、何が。
 首を傾げ、コーヒーをポットからもう一杯カップに注ぐ。
 続けて、その部屋の住人のことを思い出す。幽霊に怯えるような性分だったろうか。
 ならば、これはむしろ何かの罠では……?
 そんなことも、脳裏に浮かぶ。
 だが、二杯目のコーヒーを飲み干した後、静耶はスケジュール帳を開いた。一番近くで、予定の詰まっていない日を選ぶ。
 奇妙な気も、微妙な気もしても、静耶は自分に助けを求めて伸ばされた手を拒めない。仮に共々に堕ちてしまうと思ってもだ。
 もちろんそうならないように努力はする、努力はするけれど。
 それから、携帯電話を手に取った。事務所に有給の連絡をいれて……


「部屋が変わったんですか?」
「いや、前のままですよ」
 寮の玄関まで後輩が迎えに出てきた。彼に連れられて、寮に踏み込む。かつて在校生であった頃には何度も踏み込んだ場所でもあるので、案内はなくても大丈夫ではあったが。
「……何も変わりはなさそうですね」
 戸を開けて、静耶は部屋の主と共に部屋の中に入った。
 部屋自体は以前のまま、それは静耶の記憶に残るままだった。
 だとしたら。
「何が起こるんだって?」
「ポルターガイストってヤツっすね」
 後輩はさらりと答えた。
「ラップ音くらいなら、耐えられるんですけどねー」
 うんうんと自分でうなずきながら、そう続ける。音は無視して眠れるが、本の角や目覚ましが顔面に当たると寝ていられないということだった。「ほら」と後輩が前髪をかき上げて見せると、こぶが出来ているのがわかる。打ち所が悪ければ、ちょっと危険かもしれない。
 よほど念入りに静耶を引っ掛けようとしているのでない限り、これは本物だろう。
「あと、すっごく寒くなるんで」
「寒く?」
「ええ。クーラー要らずで便利なんですが。今は良いけど、冬になったら凍死しそうなんで」
 それで今のうちに解決したい、ということらしい。
 ヒントは『ラップ音』と『ポルターガイスト』、そして『寒くなる』。ラップ音とポルターガイストは心霊現象としてはポピュラーなものだ。大体、理由もはっきりしている。自分に注目を集めたいのだ。自分の存在に気づいてもらいたい。だから、寝ている後輩に物をぶつけて叩き起こすのだろう。
 ともあれ、特殊なものがあるとしたなら、寒くなる、だろうか。普通は、寒気を感じる、だろう。霊的に感じる寒さは、物理的な寒さとは違う。
「では、最近なにか変わったことが身辺でありませんでしたか?」
「何か……?」
 後輩は考え込んでいる。
「こういうことが始まる前に」
 静耶はそう付け足した。当たり前なことだが、時系列が逆転していることはないだろう。原因は結果よりも先に存在しているはずだ。
「前……前……特にはなにも。ただ、山に行きましたね」
「山?」
 山から連れてきたということかもしれない。
「山で何かありませんでしたか」
「夕立に遭って、横穴で雨宿りをしたくらいですね。後は普通に山歩きして、戻ってきました。雨宿りの分だけ帰りが遅くなりましたが、それだけっすよ」
 本当にそれしか日常から外れた行動がなかったなら、原因は特定できたような気がした。ただまだ、解決には直接は結びつかない。
 最終的に、その山には行かないといけないかもしれないが、とりあえずは今ここで出来ることから始めるべきだろう。
「その穴、寒かったですか?」
「雨に降られて濡れてたもんで、普通に寒かったですよ。……でも、確かに普通より寒かったかな」
 真夏の最中だと思ったなら、と後輩は付け足した。
「そのとき持っていた荷物は?」
 後輩がこれだと出してきたリュックと荷物を確認したが、そこからは何も見つからなかった。物に由来するのではないのか……あるいは、荷物から零れ落ちてしまったか。
「……いつごろ起こるんでしょう?」
 後、一番手早いのは、現場に立ち会うことだろう。
「いつでも起こりますけど、夜が多いですね。寝てると起こります」
「寝てると……」
 現場に立会いたいという言葉を、静耶は一回飲み込んだ。
「寝てないと起こらないんですか……?」
「寝てるときが一番多いですね」
 考え込みながら、それ以外に手早い方法はなさそうだと静耶も思う。
「……じゃあ、寝てくれますか?」
 そう言うのには、少し抵抗があったが。なんだか微妙な響きだ。
「いいですけど、先輩は?」
「どこかに隠れていようかと……」
「どこにです?」
「…………」
 狭い学生寮の部屋に、隠れて様子を窺う場所はない。
「一緒に寝ますか?」
「…………」
 他に選択肢はなさそうだったが……
 これで何も起こらなかったら、やっぱり罠だったのかもしれない。そう思いながらも、静耶はうなずいた。

 幸いと言うべきなのか、それは程なく起こった。「変なところ触らないでくださいよ」「当たっただけだよ!」なんて囁きがおさまったかおさまらないかというところで、がたがたと本棚が揺れだした。
 飛んできた本を叩き落として、静耶は飛び起きた。
 毛布を撥ね退けると、室内が酷く寒くなっていることに気がついた。水の底のような、そんな寒さだ。
 起こっている最中なら、原因は追えるだろう。呪符を打ち、ヒトガタをふわりと宙に舞わせる。形のないものが、何かを訴えたがっているのなら、形を与えてあげればいい。
 ヒトガタは机の隙間に入りこむと……
 そこから水が人の形を取ったような影が立ち上がった。
「君は……?」
 ――見つけてあげて……
「誰を?」
 ――水底のあの人を……
「水底?」
「行った山、湖畔なんですよ。結構標高の高いとこに湖があって」
 湖。横穴との関係はすぐにはわからなかったが、静耶はうなずいて見せた。
「わかりました、手配しますよ。それで、君は満足するんですね?」
 水底に沈む者と、この影は別の物。水底の者を想うものだ。
 影はうなずいて……そして消えた。
 ベッドから降りて、静耶はヒトガタの入り込んだ机の隙間に手を伸ばした。
 ヒトガタの紙が覆いかぶさった下に、亀の亡骸が……あった。

 湖の水底からは、男性の遺体があがった。自殺であったらしいが、生前には亀を飼っていたという話だ。
 自殺の際に亀を湖に放したのだろうが、そこから湖を離れ、おそらく雨宿りにとどまっていた時に後輩の荷物にもぐりこんだのだろう。亀が息絶えたのは、多分、後輩が寮に帰ってきてからだ。
 亀はしばらく食べなくても、普通は死にはしないので……その死因はわからなかった。存在を超えて、伝えるための力を求めたせいなのかもしれない。
「それほど、見つけて欲しかったのかな……」
 亀の願いを叶えても、静耶はどこか空虚な気持ちを抱えていた。
 ただ、見つけただけで、何も出来たわけではないのだ。誰も救えていない。
「でも、見つけて欲しかったんですよ」
 寂しく死んだ主人が、いつまでも寂しいままでいないように。そのために小さな命も捧げたのなら。
「そうなんでしょうか」
「そうなんでしょう」
 ならば、小さな亀の小さな願いだけは叶えられたなら、良かったのだろうかと……
 静耶は亀の亡骸を主の墓の隣に埋めて、そうであることを、そっと願った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
黒金かるかん クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月08日

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