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『花便り 』
千住・瞳子5242)&槻島・綾(2226)

 ――今日は、約束の日。
『朝顔のつぼみが、明後日の朝くらいに咲きそうです。宜しかったら――ええと、本当に都合が良かったらで良いのですが、見に来ませんか』
 そんな電話が槻島綾から届いた時、
『はいもちろん伺いますっ』
 相手が次の言葉を言う前に、千住瞳子は即答していた。ちからいっぱい。自分でも力強すぎたかなと思って顔が赤くなるのを覚えながら、綾の言葉をしっかり聞こうと受話器を耳に押し当てた。
『あ、そ、それでは…部屋を片付けておきますので、お昼頃いらしてください。近くでお昼でも一緒に食べましょう』
 自分から誘った割りには何故だか慌てている様子の綾に、瞳子がくすっと小さく笑い、
『はい、分かりました』
 こくんと頷いて、おおまかな時間を決めて――そして今、その時間に間に合わせるために急ぎ家を出る所。
 約束の時間に遅刻しないように考えていたのだが、それでもぎりぎりまで家に居たのは、昨夜の寝つきの悪さのせいか起きた時ちょっと頭が重かったのと、綾の家を訪ねるのに良さそうな服が決まらなかったからで。
 ただ訪問するだけなのに、と自分に言い聞かせてみても、それでもどれが良いか迷いに迷って、結局選んだ夏向けのワンピースで妥協した時には、急がないと間に合わないかもしれない時刻になっていた。
「行って来ます」
 奥に声を掛けて、ハンドバック片手にぱたぱたと玄関を出る。
 ――さあっと眩しい光が瞳子の身体に降り注ぎ、その急な熱さのためか、
「?」
 瞳子はほんの少し、ぞくりとした悪寒に身を震わせた。
 尤もそれもすぐに収まったし、目指す先が綾の家とあって、瞳子は自然とほころんでしまう口元を押さえるのに精一杯だったりしたのだが。
 そして、すれ違う人が何人か思わず振り返ってしまう程、瞳子は幸せいっぱいの表情を浮かべて、綾の家へと向かっていた。

*****

「いらっしゃい、瞳子さん。さて、早速ですがお出かけしましょう。何か食べたいもののリクエストはありますか?」
「ええと…そう言えば、考えていませんでした」
 綾の家に来るのにいっぱいになっていて、素直にそう告げた瞳子に綾が微笑む。
「それでは、パスタなんかどうでしょう。近くにちょっとしたお店が出来たんですよ」
「ええ、ではそこでお願いします。ごめんなさい、お任せみたいにしてしまって」
「構いません。そこまで恐縮されるような事でもありませんし」
 身体を小さくする瞳子に、綾が目を細めて微笑む。
「それに、行けば分かりますが凄く気さくなお店でしてね」
 瞳子さんも気にいっていただけるといいんですが…そう言って、綾が瞳子を促した。
 お店はこぢんまりとした感のある、木造りの雰囲気の良い店だった。綾はもう何度かここを訪れているのか、店の者も笑顔で応対し、その連れの瞳子にもにっこりと笑いかけてくる。
「美味しかったです」
 …暫く経ってその店を出た第一声が、余韻を味わうように口元を押さえた瞳子の言葉だった。
「でしょう?その割には気取り過ぎないし、気に入っているんです。でも――今日は冷房が随分強かったみたいですよ」
「ああ、そうだったんですか。いつもこんなに寒いのかと思って、びっくりしていました」
「多分、厨房が暑いからそれに合わせているんでしょうね。大丈夫でしたか?」
「はい。温かい食事でしたから、大丈夫ですよ」
 そんな事を話しながら家路に着く2人。そして、綾の家に着いた2人が何だか緊張の面持ちで扉を開いた。
「あ…っ。わあ、綺麗に手入れされていますね」
 朝顔市で見た時よりも葉もつやつやとして、今までに2つ3つ花開いた跡がある鉢をまっさきに眺めた瞳子が嬉しそうに言った。
「それはそうですよ。瞳子さんに選んでもらった鉢ですから。色々調べましたし」
 ちょっと胸を張った綾の様子にくすりと笑いながら、ひとつ大きく膨らんだつぼみに顔を寄せる。
「これですね?ああ、本当。もうすぐお花が咲きそうです」
「一応他の花が咲く様子を観察したので、明日で間違いないと思いますが、咲かなかったらどうしましょうか」
 キッチンで飲み物を用意していたらしい綾が、からん、と涼しげな音を立てたグラスをお盆に載せて持って来た。流石にそれは心配らしく、語尾のあたりは困ったような響きが残っている。
「それじゃあ、咲くまで泊めていただきます。ふふっ」
「えっ!?」
 びっくりして、何故だか急に顔を赤くした綾が、こほこほと咳払いをしながらお盆をテーブルの上に置いた。
「冗談ですよ…でも、朝顔は何度か繰り返し花が閉じるお花だと聞きましたけど、一度開いたお花では駄目だったんですか?」
 最初ちょっぴりからかった後で、今度は不思議そうに綾に訪ねる。
「う、い、いえ、確かに最初はそうも思ったんですけれども」
 すると、先程よりもまた薄らと赤くなった綾がグラスを瞳子に差し出して、
「その――出来れば、一番最初に開く様子を一緒に見たかったんです」
 ぼそぼそとそう言うと、照れ隠しに自分のグラスの麦茶をくいくいと飲んだ。
「まあっ」
 その言葉を聞いて、瞳子が笑う。楽しげに、そしてとても幸せそうに。

*****

「あ…この場所も素敵ですね」
「気にいった場所を見境無く写していますけれど、なかなか満足の行く出来にならないんですよね。プロのカメラマンではないですが少々悔しいです」
「そんな事ありませんよ。綾さんらしい写真になっています」
「僕らしい、ですか…」
「はい」
 テーブルいっぱいに綾の旅先の写真を並べながら、2人で寄り添うようにして眺めている。瞳子の質問にひとつひとつ綾が答えるといった形で。
 外はいつの間にか、夕方を過ぎてすっかり夜へと変貌していた。
「もうこんな時間ですか。瞳子さん、お腹空きませんか?」
「……えっ、もうですか?あ、でも…そんなに空いていませんから、気付かなかったのかもしれません」
 時計を確認して、びっくりしたような顔をする瞳子に綾が微笑んで、
「それじゃあ、写真はまた後にして、軽く作りましょうか」
 立ち上がって、写真を一枚一枚封筒に仕舞い始めた。
「あの、何かお手伝いすることはありますか?」
「瞳子さんはお客様なんですから、そう言う事は気にしないでいいんですよ」
「でも、でも…」
 綾ひとりに任せっきリにしてしまうのも、気になって仕方が無いらしい。そうですね、と綾が考え、
「それじゃあ、お皿を出していただけますか」
 にっこりと笑って言った。
「はいっ」
 いそいそと嬉しそうに瞳子がキッチンに入って来る。何だかほんのりと顔が赤い様子も微笑ましそうに見ていた綾が、食事に使う皿をこれとこれと、と指定し、瞳子はそれをテーブルへと運んでいった。
「あっ。あの、食事の後片付けは私も洗ったり拭いたりしますので、お手伝いさせてくださいね」
「はいはい」
 くすくすと笑う綾に、言葉に力を込めすぎた事に気付いたか、瞳子が照れ笑いを浮かべて綾を見た。

*****

 ―――沈黙が、少し痛い。
 食事を済ませ、片付けを終えた後の部屋はとても静かで、そして時間が過ぎて行く度に次第に落ち着かなくなってくる2人。
「――ぁ」
 最初に声を上げたのは瞳子。こほ、と咳払いをして、
「あの。寝る場所なんですけれど、ここを仮眠に使わせていただいていいですか?」
「え―――あ、あああ、はい」
 瞳子が言ったのは、2人がいる居間。つとめて平静を装いながら、毛布を貸していただけると嬉しいです、と…声が裏返らないように必死になって、必要以上に顔が赤くっていないか気にしながら言う。
「分かりました。持って来ましょう」
「あ、お手伝い…」
「いえいえ。量は無いですから、瞳子さんは気になさらず待っていて下さい」
 まるで気のない様子を見せる瞳子に、ほんのちょっぴり引きつった笑みを浮かべた綾が別室へと移動し――そして、同時に2人がふうーーーーっと溜息を付いた。
 瞳子は居間のテーブルの上にことんと顔を置いて。
 綾は寝室でベッドに顔を埋めて。
「…まだ、早いよね、間違ってないよね…ああ、でも綾さんを怒らせたりしていないかなぁ。それともそれって自信過剰過ぎるかなぁ…綾さんが一言言って…ってううん、考えちゃ駄目、駄目よ」
 冷たいテーブルが火照った顔に気持ち良いと思いつつ、瞳子が力なく呟く、それと同時に、替えの毛布を何枚かずるずると引き出しながら、
「来てくれたのは朝顔のためだけとかそういう事なんでしょうかねえ…うぅぅ。期待しすぎていたって事でしょうか」
 それでも。
 綾が瞳子の元へ戻る頃には、2人ともまたにこにことした顔になっていたり。
「――そういえば。良く外泊の許可が出ましたね」
 恐縮する瞳子の前で毛布を広げて重ねる綾に、ええ、と瞳子が頷いて、
「友達の家に泊まると言って来たので、大丈夫です」
「『友達』ですか…」
 やっぱりそうだったのかと思いうな垂れようとした綾だったが、そこで、瞳子の様子に気付いて顔を向けた。
「――瞳子さん?」
「…はい、なんでしょうか?」
 やや反応が遅い瞳子の声は少し上ずっていて、その顔は赤く染まっており、目元も何故だか潤んでいる。
「あの…すみません。ちょっと失礼します」
 そんな瞳子の姿にどきどきしながらも、綾はちょっと真剣な顔で瞳子の額に手を当て、そしてみるみる顔色を曇らせる。
「瞳子さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、何がでしょうか?」
 奇妙なまでに色っぽい様子を見せる瞳子は、自分自身の身体の変調に気付いていないのだろうか。
「熱、凄く高いですよ――気付いていなかったんですか」
「熱?…」
 自分で自分の額に手を当てて、びっくりしたように綾の顔を見る。
「そう言えば、出て来る時にちょっと寒かったり、頭が重かったり…あのお店でもぞくぞくしたりはしていましたけど、気のせいだろうって思っていましたから…」
「そうですか」
 今日はいつもに増して顔を赤くする頻度が高いなとは思っていたが、それが熱のせいだったとは微塵も気付かなかった綾が唇を噛んで、
「失礼します」
「え――あっ、い、いいですよ、ここで」
「駄目です」
 後ろから座っていた瞳子を抱え上げると、綾の寝室へ一直線に運び。そおっと横にしてから毛布を掛けた。
「枕、固くありませんか」
「いえ…丁度良いです、ってそうじゃなくて、悪いですよ、綾さんの…寝るお部屋なのに」
 身体を起こそうとする瞳子の肩を押さえつける綾。
「駄目ですよ、瞳子さん。――具合が悪いのに気付かなかった瞳子さんが悪いんですから、これは罰です。いいですか、動かないで下さいね」
「……はい」
 そしてすぐさま綾が部屋を出て行った後で、瞳子が潤んだ目のままぼんやりと室内を眺める。
 初めて訪れた綾の部屋は、あまり飾り気の無い、男らしい部屋だった。
 奥のクロゼットが開いているのは、先程の毛布を出した跡だろうか。――そして。
「……」
 枕にも毛布にも、さっき抱き上げられたのと同じ、綾の匂いがあって。
 熱を出していたと気付いた時よりも、顔が赤くなっている気がする…。
「体温計と氷枕です。薬と水も持って来ましたが…瞳子さん、薬アレルギーは大丈夫ですか?」
「あ、はい。…薬は何を?」
 体温計をごそごそと当てながら、瞳子がこくりと頷く。
「市販の熱さましで、名前は――」
 有名な頭痛薬の名を読み上げる綾に、
「それでしたら何度も飲んでいますから大丈夫です。家にあるものもそれと同じなんですよ」
「そうですか、それは良かった」
 ほっとした綾と瞳子の耳に、熱を測り終えた電子音が響き、瞳子が体温計を持ち上げる。
「…あら…38度8分ですね」
「9度近いじゃないですか」
 用意した薬を飲ませ、その後も水を多めに飲ませてから、大丈夫ですか?と瞳子の顔に手を当てて、火照った頬を冷やす綾。瞳子が目を閉じて、
「綾さんの手が冷たくて気持ち良いです…」
 自分の、やはり熱く火照った手を綾の手に重ねて嬉しそうに呟いた。

*****

 ――瞳子は夢を見ていた。小さな頃の夢を。
 同じように熱を出して寝ている瞳子の頭を、ゆっくりゆっくり撫でている誰かがいて。それが誰なのかは、影になって見えないけれど。

 このおおきなては、おとうさん?
 ううん…おとうさんは、もっとごつごつした、あったかいて。
 このひとのては、やわらかくって、いいにおいがして――そして、とてもあったかい。
 だいすきな、て――。

 ふっ、と、目が覚める。
 夢から覚めてもまだ頭を撫でてくれる手の動きは止まらず、もぞもぞと寝返りを打った瞳子の目に映ったのは、ボタン――そしてボタンが付いたシャツ――最後に、こうして見るとやっぱり男性だな、と思うようなちょっぴり逞しい胸。
 ――え?
 一瞬パニックになった瞳子だったが、そこから昨日綾の家を訪ねた事、夜になって熱を出してしまった事、までを思い出す。
 すると、これは…。
 恐る恐る顔を上げれば、そこには、くすぐったそうな綾の笑顔が。そして、ようやく頭を撫でていた手の動きが止む。
「おはようございます」
 頭の下にある枕ではない感触のものが綾の腕と分かり、そして瞳子の目が覚めた事に気付いた綾が微笑みかけるのを、
「おっ、おはっ…」
 ようございます、を言う前に、毛布で目の下までを覆って、次第にかああっと赤くなるのを見えないように隠していた。綾にはとうにそのくらいお見通しだっただろうが…と、そこで瞳子が毛布を少し下げて、じいっ、と綾の顔を見る。
「どうしたんですか、そんな顔をして…僕の顔に何か付いていますか?」
「あの――少し、逃げないで下さいね」
 そう言って、ベッドの上で身体を伸ばし、顔を寄せる。綾がびっくりしたような顔をしたが、逃げないで、と言った瞳子の言葉に僅かに頷いて身体を硬くした。
 ――こつん。
 そんな綾の額に、瞳子の額が当たる。
 ちょっと位置を動かせば、唇が届いてしまいそうな、そんな距離。
「やっぱり」
 だが、瞳子はそうした意識も無かったのか、すぐに額を外して、昨夜枕元に置いた体温計を綾に手渡した。
「計って下さい。綾さん、熱がありますよ」
「え?僕がですか…」
「だって、ほら」
 きゅ、っと瞳子が綾の手のひらを握る。
「湿っぽいし、変に暖かいです。…私は大丈夫ですから、綾さんが今度は真ん中に移動して下さい」
「ええ、でも瞳子さんだって昨夜熱を出したばかりで、今だってどのくらいか」
「私は後で計りなおしますから。いいから、計って下さい」
 押し切られる形でベッドを移動し、降りた瞳子が部屋を出て行くのを見守りながら体温計を当てる。
 やがて、音が鳴って、見てみると――9度1分。
「うわ…」
 熱が出ていると数字で実感した途端、急に具合が悪くなった気がして、ベッドの中で溜息を付いた。
 それから少しして、昨夜の綾のように氷枕を作ってきた瞳子が体温計の結果を見てまあ、と言い、枕元に置いてある薬と持って来た水をたくさん飲ませて寝かせなおす。
「もう少ししたら、何かお腹に入れるものを作ってきますね。おかゆでいいでしょうか。それともおうどんの方が食べやすいですか?」
「あ――おかゆが食べたいです」
 はい、と瞳子が微笑んで、毛布をかけてぽんぽん、と綾の身体を毛布の上から叩く。
「すみません。まさか僕まで熱を出すなんて」
「…私のが伝染ってしまったんですよ。謝らなければいけないのは私の方です。昨夜、一晩中看病して下さったんですよね」
「それはもう、心を込めて」
 そう言って、綾がくすりと笑う。
「駄目ですよ…こんな風に伝染してしまったら、私が申し訳ないじゃないですか。綾さんのベッドを独占してしまったり――」
 言いかけて、綾が腕枕をして一晩添い寝してくれた事を思い出して、ほんのりと瞳子の顔が赤らんだ。それに綾が不審そうな顔を向ける前に、
「それでは作ってきます。食べたら綾さんは少し休んで下さいね。――私、出来るだけ看病しますから」
 ひょこんと立ち上がって、ちょっとだけ急ぎ足で部屋を出た。
 そんな瞳子の様子をきょとんとした顔で綾が見送って、それからゆっくりと微笑み。
 ぱたぱたと、熱はすっかり下がったらしい瞳子がキッチンで食事を作っている音が聞こえて来て、綾はその音を聞きながら嬉しさを隠し切れない顔で目を閉じる。


 ベランダでは、そんな2人の様子を意に介さず、しっかりと綾の予想通りに開花した朝顔が、見事な紺色と白のコントラストを日の光に向け、朝の光と風を気持ち良さそうに受けていた。


-END-
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
間垣久実 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月01日

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