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『『林檎夜曲』 』
ナーディル・K2606


「祖母は外出していますが、すぐに戻ると思います。こちらで暫くお待ちください。今、お茶をお持ちします」
 十歳を少し過ぎたと見える少女が、背伸びした口調で告げた。ナーディル・K(ケイ)は、頷いて、ソファに腰を降ろした。ローブとも僧侶の袈裟とも見える黒い衣服が、ゆるやかな波のように揺れて膝の形に垂れた。
 抱えていた竪琴を、隣に静かに降ろす。これは、ナーディルの大切な相棒だ。彼女は吟遊詩人だが、エルザードが気に入って、少しの間留まっていた。ハーフエルフであるナーディルにとって、この街はいい意味で人に無関心で楽に息ができたのだ。

 閑静な住宅街のはずれに、その魔法使いの家がある。魔法書以外に、伝説・伝承の書を多く所有していると聞き、早速訪れたナーディルであった。

 昨夜、酒場で受けたリクエスト曲に、応えることができなかった。
「“ヨートゥンヘイム夜曲”、ですか?」
 聞いたことのないタイトルだ。その旨を正直に告げると、女は、「そうですか・・・。そうでしょうね」と肩を落とした。故郷の流行り歌だそうが、十年以上前に故郷は飢饉で廃村になったと言う。
 商売女だろうか。派手な赤に爪を塗ってはいるが、所々が剥げて、女の疲労を代弁しているようだ。羽織るショールも金糸の華やかなものだが、ほつれた糸が女の傷んだブロンドに絡みつく。
「すみません、私の勉強不足です。どんな曲なのですか?」
「メロディは・・・“エルザード夜曲”と同じです。この街ではよく聞くので、懐かしかったわ。替え歌なのかしらね。ただ、歌詞を覚えていないので・・・」
 その曲なら、旋律は知っていた。竪琴を弾き、「MMM・・・」とハミングで歌ってみせる。
 澱んだ女の瞳が閉じた。頷いたのだ。マスカラもアイラインも滲んで、目の輪郭を汚した。
「歌詞は、調べれば何とかなるかもしれません。少しお時間をいただけますか?」
 ナーディルの誠意に、女は苦笑した。酒場のテーブルに、グラスから水滴が垂れた。
「いえ、お気持ちだけで。あたしは、明日の夜、深夜の乗合馬車でこの街を出ますから」
 もし歌詞を知ることができたら。明日、歌ってあげられるだろうか。流れて行く者の想いに、ナーディルの胸の奥の何かが突き動かされたのだった。

「ええと。紅茶をティースプーンに2杯、と。お茶菓子はあったっけな?」
 少女は、台所でガサゴソと捜し物だ。お茶は無事に煎れた。ビスケットや果実の砂糖漬けを探してみるが、前に自分がつまみ食いして缶も瓶も空っぽだった。
 籠に林檎がたくさん乗っていた。これでもいかと思う。キッチンテーブルの引出しを覗き、果物ナイフを取り出す。
「赤いケースに入って、柄に薔薇が彫ってあるのが“魔の地のペティナイフ”。黒いケースの、柄に鳥の模様が、普通のペティナイフ」
 わざわざ声に出して復唱する。“魔の地の”は魔法のナイフだ、間違って使ってしまったら大変。それで剥いた林檎を食べると、性別が転換してしまう。
「あ、こっち!」と、黒い鞘のナイフを掴み、危うい手つきで林檎を剥き始めた。柄に描かれたのが薔薇であることに、少女は気付かない。

 ナーディルの前に置かれた白いカップ。波打つ紅茶の色は珈琲かと思うほど濃かった。花柄の皿に盛られた八等分の林檎も、表面がいびつに歪んでいた。だが、ナーディルはそれがかえって微笑ましく思えた。
「ありがとうございます」
 少女相手にも丁寧に礼を述べた。長いまっすぐな髪が食べるのに邪魔にならぬよう、耳にかける。エルフの特徴を残す少し尖った先端が覗いた。
 フォークを一切れに突き刺す。手を添えて口許へ運ぶ。シャリリという爽快な歯触りの直後、口の中に甘酸っぱさが広がる。

 紅茶をすすり、カップをソーサーに返した時に、その違和感に気付いた。把手から指を抜く時、引っかかって、カチャリと音が出た。指。楽器を奏でると優雅に動くナーデイルの細い指が、腫れ上がっている。
「・・・?」
 いや、痛みもないし、『腫れ』とは違う。太く変化していた。手も横に広くなって、大きくなって。着物の袖から覗く手首が、見覚えのない男のものに見えた。
「あーっ!」
 驚愕の叫びで立ち上がったのは、少女の方だった。慌てて台所へ飛び込み、再び悲鳴を上げた。

「す、すみませんっ!ナイフを間違えました!」
 少女から説明を受け、何度も平謝りされて。だが、ナーディルは半信半疑で自分の掌を見つめる。確かに、ごつくなってはいるが・・・。
「鏡です」
 手鏡を渡されて、初めて「うわっ!」と叫びを発し、そしてその声にさらにぎょっとした。高くてなめらかだった自分の声が、落ち着きのある青年の声に変わっていた。
「うそっ。待って。だって、私、歌えなくなります!それに、だって、なに、この顔!」
 すっきりしていた顎はごつく前に迫り出し、エラも張っていた。鼻も高くなり、前より彫りが深くなっている。顔立ち自体は見苦しいものではないが、陶器のように白くてなめらかだった肌、その顎の回りに点在するこの黒い・・・。
 恐る恐る、顎に手を触れてみる。ざらりとしたその感触。
「きゃーっ!ヒゲ!・・・ヒゲがっ。ヒゲが生えていますーーーっ!」
 手鏡に映る人物が、泣きべそ女のように顔を歪めた。が、悲鳴も男の声、ベソ顔も、28歳という立派に大人の男性の顔であった。慌てる気持ちの中で、2割残った冷静さで『気持ち悪いから、その顔で泣くな』となだめる。

 祖母である魔法使いも帰宅し、当初の目的だった、各地に伝わる歌の歌詞を集めた本も見つかった。“ヨートゥンヘイム夜曲”の歌詞は知ることができたが・・・。この声では、もう、歌えない。
「この効果は夜明けで消えるから、明日の朝からは普通に美しい声が出るよ」と、老婆はなぐさめてくれるのだが。
 深夜に、あの婦人は行ってしまうのだ。
 事情を話すと、老婆は「その声で歌えばいいじゃないか」と提案する。
「この・・・男の声で?」
 首に触れると、指に喉仏が触れた。唾を飲み込むとゆっくりと動いた。その不気味さに鳥肌が立った。
 少女も、すまなそうに上目使いになりつつも言う。
「おねえさん、と言うか、おにいさん。今でも、すごくすてきな声だよ。歌ってもすてきだと思うよ?
 それに、その人は、男性の声でも女性の声でも関係ないのでしょ?その歌が聞きたいだけなのだから」

『キィを取る』とか、『竪琴のコードが変わる』とか、少女に説明しようと口を開きかけたが・・・やめた。『歌が聞きたいだけ』、その言葉が胸に滲みていく。にがい笑みが洩れた。今の自分のキィに合わせて、少し練習すれば済むことだと気付いた。数回の練習でうまくいくほど簡単ではないが、きっと自分にならできる。声が変わったと言っても、歌ごころを失ったわけではないのだから。
「そうですね。・・・少しの時間、ここで、歌と竪琴を合わせる練習をさせていただいていいでしょうか?」
 もちろん!と、祖母も少女も頷く。

 肩幅も首も太くなっているのだろうが、着物がゆったりしたデザインのせいか圧迫感は無かった。唯一、足袋が窮屈で、「失礼して」と断って裸足になった。
 気持ちが張っていたのが、ふっと楽になった。・・・と、濃い紅茶をいただいたせいか、用を足したくなった。
「お手洗いをお借りします。あちらですね?」と、立ち上がる。
 祖母と少女は眉毛を飛び上がらせ、顔を見合わせた。ナーディルがトイレの扉に消え・・・そしてまた「うっぎゃぁっ!」と派手な悲鳴が聞こえて。二人はぷぷっと吹き出した。

* *
 完璧と言えるほどには練習できなかったが、深夜馬車の時間を思い出し、ナーディルは魔法使いの家を飛び出した。三日月の位置が、夜の深さを知らせる。間に合うだろうか。心がはやり、走り出した。草履がきつくて邪魔なので、脱ぎ捨てて裸足になる。背が伸びたのだろう、着物の裾が短くて走りやすかった。膝が覗くのも厭わず、ナーディルは夜の通りを走った。女性だった時の自分は、こんなに行動的ではなかったろう。男性の特権、かもしれない。腕力もついたのか、抱える竪琴が軽く感じられた。

 エルザード城門前の馬車ターミナル。既に馬車が停まり、乗客が乗り込んでいる。ナーディルは、通りの端で立ち止まった。ここから歌えば耳に届くだろう。面と向かって歌う必要はない。聞こえればいいのだから。
 走って来たが、すぐに息は元に戻った。心肺能力も男性の方が高い。
『ええと、歌い出しは3つ音を下げて・・・』
 ぽろんと、いつもより太い指が弦を弾いた。ナーディルは息を吸い込む。歌が・・・想いがこぼれだす。

 尖った月が震えた。馬車の手摺りに一旦手をかけた女が、動作を止めて耳を澄まし、辺りを見回した。ナーディルの黒い影は闇に紛れて見つけられないようだったが、次には月を振り仰いだ。月からのダンスの申し込みでも受けるように、ゆっくりともう片方の手を伸ばし手摺りを握る。そしてステップに靴を乗せた。

 馬車は動き出す。馬の嘶きと蹄の音。ガタゴトとうるさい車輪。だが、よく通るナーディルの声を掻き消しはしなかった。
 馬車の背を、林檎の一片のような月が見送っていた。


< END >

PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年08月29日

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