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『逝く夏に 』
尾神・七重2557)&城ヶ崎・由代(2839)&デリク・オーロフ(3432)

 カナカナカナ、とヒグラシが鳴く。
 昼日中からこの蝉が鳴く程に、魔術師の隠れ家を抱いた森は鬱蒼と茂る。あたかも、ごみごみした世俗から一線を画するように。
 もっとも、中に佇むのは洋風の屋敷。それにしては、やや和風情緒が漂いすぎている感もあるが、ここは東京郊外、れっきとした日本なのだから仕方あるまい。
 そんな城ヶ崎邸の電話が鳴ったのは、この屋敷の主人、城ヶ崎由代が先日手に入れたばかりの古書を手に取った、ちょうどその時だった。
 実にタイミング良くかかってきたものだ。由代は軽く苦笑して受話器に手を伸ばした。あと数分遅ければ、読書に夢中になった由代は、それに気付かず黙殺してしまっていたことだろう。
「こんにちは。尾神七重です。今、少しよろしいでしょうか」
 電話の声は、由代のよく知る人物のものだった。
 尾神七重。
 いまだ中学生であるが、その身に流れる血から、強大な力とそれの代償を受けたかのような虚弱な身体、重い宿命を負った少年であり、由代が魔術を教えている相手でもある。
 元々、とかくもの静かで真面目な少年ではあるが、今聞こえてくる電話の声には、どこか焦りのような思い詰めた響きが感じられる。
「こんにちは、尾神君。もちろん構わないよ。どうしたんだい?」
 穏やかに問えば、七重も少しは安堵したのだろう、軽く息を吐くのが聞き取れる。
「実は先日、悪意の書という――人に敵意を持つ人を持ち主に選んでその悪意を増幅し、対象者を呪殺して、持ち主の魂を喰うという書なのですが――、その呪われた魔術書の回収に関わったのです」
「呪われた魔術書?」
 魔術書と聞けばほとんど条件反射的に反応してしまう。思わず「もっと詳しく」と口から出かけたのを、由代はどうにか押しとどめた。どうやら七重の話の要点はそこにはない。危うくいつもの癖が出るところだった、と由代は密かに胸をなで下ろした。
「ええ、最終的には回収に成功したのですが……」
 しばしの間の後にそう続いた七重の声は、溜息まじりのものだった。
「よかったじゃないか。おめでとう」
 そう返してみても、七重の声色は晴れない。
「僕は呪殺対象者の保護に当たったのです。でも、防護結界を張るのに手間取ってしまって……」
 そう言うと、ぽつりぽつりと経緯を説明し始めた。
「今の僕では……、もっと勉強しないと……」
 悔しげな声でそう結ぶ。受話器の向こうで、唇を噛んで俯く銀髪の少年の姿が見えるようだ。
「うーん……」
 由代は電話口で小さく唸る。第三者的な視点で見る限り、七重は立派に自分の役割を果たしている。けれどそれを口にしたところで、七重本人は納得しないだろう。
「とにかく焦るのはよくないね。とりあえずこちらへ来ないかい? そうだ、まだ夏休み中だろう? 何なら泊まり込んでいってくれてもいいよ」
 どちらにせよじっくりと付き合った方がよさそうだ、と由代は七重に声をかけた。広い屋敷に住人は由代1人。空いている部屋はいくらでもある。書物で埋まっていない部屋も、おそらく1つくらいはあるだろう。
「いいんですか?」
 初めて電話の声が明るくなった。
「もちろん、歓迎するよ」
 にこやかに応え、由代は受話器を置いた。

「おや、デリク」
「こんにちハ、ユシロさん。どうやら待ち人は私じゃなかったヨウですネ」
 あの電話の数十分後。玄関の前に立っていたのは、ダークブロンドの髪に、群青色の瞳を持った青年だった。一見人が好さそうに見える笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には相手の一挙手一動足を逃さない鋭さがある。隙を見せたら一気に噛み付かれそうな獰猛な野心と出世欲も。
 見るからにうさんくさそうでもあるデリクだが、由代はこの青年が嫌いではない。それは、かつてある魔術教団で、共に研鑽を積んできた間柄だからというだけでもあるまい。
 てっきり七重が来たものと思っていた由代が一瞬目を瞬いたのを見逃さなかったらしい。デリクは、丸眼鏡の奥の瞳を細め、くつくつと笑う。
「まあね。で、どうしたんだい? まさかちょっと立ち寄っただけじゃないだろう?」
 別に言い逃れをするようなことでもない。由代がいつもの笑みを浮かべると、デリクも唇の端を軽く持ち上げた。
「さすがはユシロさんですネ。エエ、ちょっと蔵書を拝借できレバ、と思いましてネ」
「まあ、とりあえず上がりたまえよ」
 そう由代が促した時。
「……こんにちは」
 デリクの背後から、今度こそ七重の声が聞こえた。

「ええ、医療機器のコードがどうしても魔法陣からはみ出してしまって……」
 研究室へと2人を通して腰を落ち着けると、七重が経緯を話し始めた。ついで、とばかりにデリクもその場に加わっている。
「ふうむ、そりゃなかなかの難題だね」
 由代が相づちを打つと。
「床に描く……。まあ基本ですネ。いかに術式を簡略化するか、方法は人によりますガ」
 傍らのデリクが口を開いた。
 確かにデリクの言う通り、魔法陣は床に描くのが基本だが、手間がかかるし、今回七重が遭遇したように、周囲の状況によっては不便を被る場合も多々ある。なので、修練を重ねていくうちに個々の独自の方法を身につけていくことが多いのだ。
 由代なら、虚空に描く。デリクは手のひらに痣として定着させた魔法陣を使う。七重もそろそろその工夫を始めても良いかもしれない。
 一片も聞き逃すまいとばかりに、デリクを食い入るように見つめる七重の姿に、由代は軽い微笑みを浮かべ、彼のために何冊かの魔導書を見繕いに席を立った。

「で、デリクさん」
 ふと由代の後ろ姿を目で追ったデリクだったが、すぐに七重の声に引き戻された。
「術式の簡略化とおっしゃいましたが……」
 今まで何度か会った時には、決して暖かくはなかった暗赤色の瞳が、今は鋭いくらいの熱を帯びて、まっすぐにデリクに向けられている。
「七重クン、今日はとっても友好的ですネ。私は嬉しいですヨ」
 軽くおどけてみても、七重は笑わない。呆れもしない。本当に真剣なのだ、この少年は。
 かないませんネ、と胸中呟いて、デリクはやれやれと肩をすくめてみせた。
「そうですネ。それぞれの術者によって相性の良い方法というのがありますノデ、言い切れない部分が多いのですガ……。例えバ、手順を圧縮スル、面ではなく線や点で空間を区切る……。基本理念をしっかりと理解することは必要デスが、マア、最後は実践あるのみですネ。実践を重ねて行く中からヒントを見つけるものデス」
 そう続けた言葉を一言も漏らすまいとばかり、七重は瞬きひとつせずに聞いたかと思うと、今度は口の中で反芻を始めた。
「熱心だね、尾神君」
 いつの間にか数冊の書物を手に戻って来ていた由代が小さく笑う。デリクは小さく息をついて椅子に腰掛け直すと、由代に七重の相手を譲った。
「いや、いつだってキミは熱心なんだけど、今日はまた一段と身が入っているね。何かあったのかい?」
 昔から変わらない、耳に心地よいバリトンで由代が尋ねる。そうでなくとも、つい答えたくなってしまう声だ。
「魔術師見習いの子がいて。悪意の書の管理と解呪をしているそうなんですけれど、その子の力になれたらと……」
 うつむいて答えた七重を見つめる由代の目が、ゆっくりと穏やかに細められる。
「それは良い友人を見つけたね」
「知り合い程度ですよ」
 由代の言葉に戸惑ったように七重は答えた。
「ああ、いや、魔術を学ぶ者はみんな友人だよ」
 由代が少し困惑したように言い繕った。側で聞いていたデリクは、密やかに唇の端を持ち上げる。
 昔からそうだ。由代は上下関係を好まない。由代にとっては、自分も、そしてこの少年も「友人」なのだ。探求すべき真理の深遠さに比べれば、経験や年齢の差がいかほどのものか、ということなのだろうが。
 けれども、その考えを持てることこそが、他者と自分を比べる必要もないくらいに才能に恵まれていることの証でもあるということに、果たして由代は気付いているのか。
「尾神君を見ていると、きみの少年時代を思い出すな」
 不意に、耳元に流暢なクイーンズイングリッシュがささやかれた。ふと視線を戻すと、七重は今度は分厚い魔導書へと格闘の相手を変えていた。
「私はもっと要領良いです」
 デリクは少し憮然とした表情を作りながら、同じく滑らかな英語で返す。
「ああ、余裕のある振りをするのはずっと上手だったね」
 くつくつと笑い声と共に、返事が返ってくる。デリクはそれに答えずに、じっと七重を見つめた。
 ただ純粋に、それでいて貪欲に。ただ自分の知識欲を満たすためだけに、そして自らの血肉にするためだけにひたすら知を求めるその姿勢。それは、年若い少年だからこそできることなのかもしれない。
「ユシロさんと魔導書を研究した時は、楽しかった。メモと本の中、倒れるまで徹夜しましたね」
 ふと、デリクの胸に昔日の思いがよぎる。それは自分には似つかわしくない程に、どことなく甘酸っぱい。
 書の解読と論議に力つき、床に崩れた2人の様子は、まさに「眠る」というより「倒れる」という言葉が相応しかったらしい。あたかも睡魔に敗れる無念さを貼付けたかのような姿で眠る2人を、今は亡き由代の恋人が、殺人現場よろしく白いチョークで囲う悪戯をしたことさえあった。
 それくらい、ただ純粋に知を追った日が、自分たちにもあった。けれど、それも遠い日の話。今や由代は教団を去り、デリクはそこでの発言力を高めるべく、水面下で画策している。
「ああ、そんなこともあったかな」
 由代は遠くを見遣るかのように目を細めた。
「我々も年をとったのかもしれないね」
 そう言って、軽く笑う。
「ユシロさん」
 デリクは短く声をかけた。
「ん?」
 由代がにこりと笑って振り返る。
 ――私がどれほどあなたの才能に嫉妬しているか。
 そう続けたかった言葉を、デリクは飲み込んだ。この人はそういった世俗的な感情にはほど遠いところに住んでいる。言ったところで冗談で終わるのがオチだろう。
「用事がありますノデ、失礼しますネ。――ああ、見送りは不要ですヨ」
 おもむろに日本語に戻し、デリクはにっこりと微笑んだ。
「七重クンも頑張って下さいネ」
 未だ書に没頭している少年にも言いおいて、デリクは城ヶ崎邸を辞した。
 ひやりとした涼気の漂う森を抜ければ、途端に強い陽射しとむっとする熱気がデリクを包む。「暑いですネ」
 デリクは小さく呟いて、軽く空を見上げた。辺りを取り巻く空気は、人の欲望渦巻く、世俗の匂いがした。

「あの、由代さん、ここなんですけど……」
 いつの間にか七重のページを繰る手が止まっていた。どうやらわかりにくいところにぶつかったらしい。
「うん? ここはね……」
 横から由代が助言をすると、七重は礼を述べて再び書に没頭してしまった。
 由代は軽く苦笑する。このままでは食事の時間も忘れてしまいそうだ。逝く夏を惜しむかの地で、研究に、そして議論に没頭していたかつての自分たちと同じように。
 デリクの先ほどの言葉のせいだろうか、ふとあの時を懐かしく思い出す。あの場所には未練はない。けれど、あそこで過ごした時間には、愛着がある。
 もうあれから幾度の夏が去っただろうか。由代はふと窓の外へと目を遣った。
 カナカナカナ、とヒグラシが鳴く。
 この声が聞こえなくなれば、また1つ夏が逝く。

<了>
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
沙月亜衣 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月29日

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