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『比翼の契り 』
ジュダ2086)&ユンナ(2083)

 足元に、ルベリアの花が咲いている。
 青い月の光を浴びて、この世界の想いを浴びて、ゆっくりと吹く風に揺られながら。
「………」
 ジュダは、ソーンの中でも特に見事に咲き誇るルベリアの園となったこの場所で、静かに佇んでいた。その目は花を映しながら、見ている『もの』は更に深く遠い位置にあるようで、その表情からは何を考えているのか読み取る事が出来ない。
 ――ルベリア。
 向こうの世界でも根づいたそれは、種とその想いと共にこの世界へと流れ着いた。
 まるで自分の後を追っているかのような――そんな事をふと考えたジュダが、ふ、と小さく苦笑してようやく顔を上げる。
 どのくらいその場に佇んでいたのか、うつむいて花を眺めていたせいで少々首が痛い。首筋とうなじに手を当ててそっと撫でると、遥か遠い過去に自分が身を置いていた世界の事を、ゆっくりと思い返していた――。

*****

 嘗て――ジュダにも、互いに深く相手を想い、結びついた相手がいた。
 今でも覚えている――いや、忘れられないでいる思い出のひとつに、この、月光を浴びて冴え冴えと輝いているルベリアの花がある。
 それは、ジュダの記憶の中でも特別な部類に入るもの。
 ……今はもう誰1人として知る者のない、大切な思い出。
『ジュダ』
 艶々と輝く漆黒の髪に、宝石の煌きを持つ瞳。そして容姿よりなにより、『彼女』が見せる極上の笑み。
 幸せだった、と思う。
 最高の幸せだったと――思う。
 2人がいて、2人の間に生まれた子どもがいて、どうして最高と言えない訳があるだろうか。
『…私、幸せよ。ジュダは?』
 けれど、その言葉はもう、記憶の中にしかない。
 2人の『想い』――それによっていつの間にか花開いたルベリアは、昔を思い出すきっかけになりこそすれ、その中に『彼女』の存在は、無い。
 それでも、ジュダにとってこの花はこの世界とジュダを繋ぐ細い糸のひとつであり、大切なもののひとつには間違いなかった。

 ――――――、――――――。

「…?」
 ふと。
 耳に触れた声に、ジュダの意識が引き戻される。
 それは、夜の空気の中、穏やかに流れる歌声。
 何よりも懐かしい、声。
「―――」
 歌う事がとても好きだった『彼女』。その声、朗々と歌い上げる響き、どれをとっても同じものなのに、その名を呼ぶ事がどうしても出来なかった。
 何故なら、
「…誰か、そこにいるの?」
 不意に止んだ歌と、かさりと草を踏む音。
「あ―――――」
 月明かりが、2人の男女を浮かび上がらせている。
 月の光を反射して、ほのかに輝きを見せるルベリアが、2人の視線が重なった途端にふわりと発光を始める。
 それはまるで、2人の想いを受け止めて反映しているかのように。
「…珍しいわね。こんな所にいるなんて」
 夜の風に誘われてここまで来たものなのか、露出の多い普段の服にゆったりとした上着を羽織っただけの姿のユンナが呟く。
「……そうだな」
 ユンナがゆっくりと、ルベリアの花を踏まないように気を付けながらジュダへと近寄った。が、数歩の距離を残してぴたりと足を止める。
「いつ?」
 不意にそんな言葉が彼女の口から漏れた。
「…いつから、この世界に来ていたの」
 ずっと、ずっと昔。もう1人の友人を交えて暮らしていたあの頃、心を通い合わせた事もあった。結局は様々な事情から結婚には至らなかったものの、婚約していた事もある。
 それなのに。
 ――今の2人の間には、もう、こころの繋がりはほとんど無い。
「恐らく――もう、ずっと前に」
 その答えは、ある程度予期していたものだったのかもしれないが、それでもユンナは溜息を付かずにはいられなかった。
「本当、つれないのね。分かっていた筈だったのに、ほんの少しだけ期待していたわ」
 この世界にユンナがやって来た時、ジュダには分かっていた筈だ。…けれど、その時にジュダがユンナの前に現れる事は無かった。
 何か言いかけようとして、ジュダが口を開き――そして、後ろへと視線を向ける。

 ざ、ざざざ、と。
 いつの間にか2人を囲むように現れたのは、訓練された動きを見せつつ無言のまま近づいて来る一団。
「…公国の者か」
 ぽつりと、誰何なのか呟きなのか分からないジュダの言葉にも返す者は無く、無言のまま次々に短剣が抜き放たれた。

*****

 円を描くように何人もの人間が陣形を作り、近くにいる者が剣をひらめかせると共に、後方から液状の飛沫が噴射される。
「…っ!?」
 地面に触れた途端じゅうっと嫌な音と共に、液が触れた部分に白煙が上がり、喉が焼けるような匂いが辺り一帯に広がって行く。
「生体に影響を与えるものか。…ユンナは下がっていた方がいい」
「嫌よ」
 けほっ、と1回咳き込んだユンナが顔にくるくると具現させた布を巻きつけ、その手に幾つもの小ぶりの短剣を生み出して、それらを放射状に投げ出した。
 夜闇に紛れるように黒い衣に身を包んだ者たちの顔が切り裂かれると、包まれた布の奥から奇妙な形のマスクをした顔が次々に現れた。
「…何、あれ」
「性能はどうか知らないが、ガスマスクのようだな…」
 ジュダはこの中にいても平気なのか、そうした防護用の動きはまるで取らず、襲い掛かってくる者たちに素手で対峙している。
 ユンナもその手に可能な限りの飛び道具を生み出しては、多対一の形にならないよう牽制を続けていた。
 ――が。
 能力的には未知数なものがあるとは言え、ユンナは元々指導者よりの性質であり、実戦闘にはあまり向いていない。
 それが故に戦闘においての経験が絶対的に不足していた事は事実で、それを補うために全方位に視界を張り巡らせ、確実に相手の動きを止めようと自分では制御ぎりぎりの範囲まで武具を具現化させ続けたユンナの身体は、彼女自身が把握しているよりもずっと危機的状況にあった。
 おまけに、彼女自身は気付いていないが、顔を覆っただけの布では防ぎきれなかった細かな空気が、ユンナの呼吸に合わせ体内へと入り込んでいく。
「――ユンナ。もういい、下がるんだ」
「駄目、…私はまだやれるわ。何より、今離れたらジュダが1人になってしまうじゃない!」
 半分以上が地を這っているとは言え、まだ何人もの精鋭が隙を窺っている事は間違い無く、その点はジュダも認めている。
 だが、ジュダの目に映るのは彼らよりも、寧ろ少し前から体の動きがおかしくなっているユンナの方だった。
 何故か知らないが、明らかに無茶な動きを繰り返しているユンナの体が、警告を発し続けていると言うのに、ユンナ自身はそれにまるで気付く様子が無い。
 いや、気付いているのに気付かないふりをしているとしか思えないのだ。
 加えて彼女自身には、その生まれが故に禁忌よりも強い制約がある。こうした乱闘はなるべくなら避けなければならないのだが――。
「――あ、あれ…っ」
 後2人を戦闘不能の状態にすれば終わり、と言う時になって、ユンナが不思議そうな声を上げた。
「ジュダ――手が、動かない」
 随分前からぎくしゃくとした動きになって来ていたのに、ユンナが気付いたのはその時になってからだった。…恐らくは神経を麻痺させる毒物だったのだろう。吸い込みが浅い時にその場を離れていれば、そう大したことにはならなかった筈の。
「あは、何これ…やだぁ、ルベリアが枯れちゃってる…」
 そして、自分たちの足元で何が起こっているのかようやく気付いたユンナが、へたっとその場にしゃがみ込む。…いや。しゃがみこまざるを得なかった。既に膝が、身体を支えられなくなっていたのだ。
 それでも尚、そんな姿勢からでもユンナは敵に対して具現を飛ばす。
 ――それが身体に一層の負担を掛ける事くらい、彼女には良く分かっている事だったのに。
 どさり、と鈍い音を立てて最後の1人が倒れた時には、踏み潰され、毒の影響で見る影もなくなったルベリアがに埋もれるように、ユンナが倒れていた。
「…ユンナ」
 ようやく彼女の名を呼んだジュダが、ユンナを抱き上げて毒の影響を受けにくい位置へと移動する。
「…絆は…切れた筈だ」
 ユンナは薄らと目を閉じたまま、ことりとも動かない。…彼女を構成している『力』がほとんど切れかけてしまっているのが、ユンナに触れた部分から感じ取れて、ジュダがユンナを抱き上げると、そっと…壊れ物を扱うかのような仕草で、ユンナを抱きしめた。
「…おまえは…、俺のために死んでいい存在じゃない」
 ――闇の中。
 ジュダの体が、淡い輝きを見せている。
 それらのいくつかは、腕の中のユンナの中へと、吸い込まれるように消えていき、そして――ふ、と、ユンナが止まっていた息を吐き出した。
「生きろ――そう望んだのは、俺なんだぞ」
 まだ意識を取り戻さないユンナに、ジュダが語りかける。それは、いつになく柔らかで、だがどこか寂しさを感じさせるもので。
「…おまえが、自分を誰かの代わりだと思っているのなら、間違いだ」
 ずっと昔、ジュダを、ジュダだけを見て笑っていた彼女。
 ――ユンナにその面影を濃く残してしまったのは、自分の責任だと言うのに。
「俺が言うのは白々しいかもしれないがな…生まれたおまえは、『ユンナ』なんだ。他の誰でもなく」
 彼女が自ら自分の元を去って行った時、『絆』は切れたものと思い込んでいた。
 だが、こうしてジュダのためになるとなれば、命を賭してでもその身を投げ出してしまう。それが、自分の『一部』であった彼女の、本能であるなら――断ち切らなければならない。
 この先、自分ではない誰かに、心惹かれた時のために。
 ――自分自身が、『彼女』以外に心を預ける事が出来ないと知ってしまったから。
「…ユンナ」
 もう一度、彼女の名を呼ぶ。
 その声色は、恋人に対するもののような、家族に対するもののような、柔らかで、甘い、声だった。

*****

「―――――」
 さっきまで、腕の中にあった彼女のぬくもりが残っているような気がして、ふっと腕を見下ろしてしまう。
 朝まで様子を見ていたが、動かしても大丈夫と見た所で、ユンナを自室に戻してから訪れたのは、ジュダの『家』――ソーンにもどこにも属さない空間の中にある、巨大な船の中。と言っても、居住施設としての機能は失われて久しい。
 傷ついたり枯れたりしたルベリアを元の状態に戻し、ジュダを襲ってきた彼らを『処分』した事などを思い返しながら、その手に持つルベリアの花束を、船の中央に根を降ろした巨木――その根元にある墓に供える。
「……」
 暫し墓を見下ろした後で、ジュダは踵を返して他の場所へと向かった。
 そこは、船の中の中枢に当たる区域。ジュダが近寄っただけで何の抵抗も無く扉が開き、『主人』を中に受け入れた。
 更に進む。
 いくつめの扉を抜けたか――そこに、棺に眠る『彼女』がいた。

 身体の変容を止めるための溶液に浸され、あの日から永遠の眠りに就いたままの彼女。
 ジュダが唯一愛し、そして今も愛し続けている存在。
 …もう開く事の無い目は、これだけ近くにあってもジュダを捉えることは無く。
 微笑を浮かべたままの口元からはどんな言葉も聞こえては来ず。
 1人残されたまま、永遠に等しい時を生かされてきたジュダの心の拠り所は、目の前で眠り続ける彼女だった。
「………」
 手の中に、ルベリアの結晶を探り、ぐっ、と握り締める。
 それは、無表情に近いジュダの感情を現しているかのようで。

「………ゼノビア………」

 呟いたその言葉は、まるで、泣いているかのような響きを伴っていた。


-END-
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聖獣界ソーン
2005年08月25日

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