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『遡りの月 〜満ちゆく月の光の下で〜 』
モーリス・ラジアル2318)&アドニス・キャロル(4480)

 聞こえるのは、虫の声と、鬱蒼と茂る木々を揺らす風の音だけ。その静寂は、そこに人の息吹が息づいていない証。人工の光のない宵闇を照らす月が映し出すのは、魔性の者こそがふさわしい。
 モーリス・ラジアルは車を降りて、蒼い月光の下でもそれとわかる、艶めいた紅い唇にわずかな笑みを浮かべた。
 空には満月に近い月。初めてここを訪れた夜は、新月だった。あの月の満ちた分が、彼と重ねた時間ということか。
 一歩、一歩と足を踏み出せば、今にも震えそうなくらいに張りつめた水面のように、辺りに満たされた月の光がゆらゆらと揺れる。その濡れたような中に、黒々と佇む廃教会が1つ。
 ためらうことなく足を踏み入れる。古い石造りの建物特有の、湿っぽい匂いがモーリスの鼻をかすめた。もはや、なじみになった匂いだ。厚く積もった床の埃には、ここに足を運んだ経歴がつぶさに残っている。
 ふと、その足跡を照らす明かりが妙に暖かいのに気付いて、モーリスは顔を上げた。正面にはめ込まれた、見事な細工の大きなステンドグラス。窓ガラスはことごとく割れているというのに、ほとんど無傷で残ったそれが、月の光を暖かな優しいものへと変えていた。
 永い時を過ごして半ば朽ちかけた石造りの教会に、穏やかな月の光。あたかも時の止まったかのようなえも言われぬ雰囲気に、モーリスはしばし足を止め、そしてすぐにまた足を進める。
 モーリスは、そこが勝手知ったる我が家であるかのように、屋根裏部屋へと続く階段を昇った。ほのかに漂う煙草の匂い。先ほどからずっと、ところどころ抜けた床板から自分を見ていたであろう、月影の作り出す闇に身を潜める者の息づかい。
 果たして、いつかのように銀髪の青年はほんのかすかな笑みを浮かべてモーリスを出迎えた。薄やみの中、銀色の瞳が艶っぽく光る。
 そこに言葉はなく。2人はしばし見つめ合い。そして、いつものように艶めいた微笑みを交わし、ベッドへと倒れ込む。

 いかほど時が経ったのだろう。いつの間にか、ステンドグラス越しの月の光がこの屋根裏部屋にも届いていた。穏やかな光が寝乱れたシーツに柔らかな陰を投げ、2人の上気した白い肌を、滑らかに照らし出す。
「名前、そういえば教えてませんでしたね」
 相手の銀色の髪を一房撫でながら、モーリスは柔らかく切り出した。ベッドの中の睦言は、自身に対してさえくすぐったい。モーリスは相手の返事を待つでもなく、その繊細な髪に口づけた。
「そういえば。考えてみれば妙な話だな」
 相手も軽く笑う。初めて会ったのは、はるか昔。その時には言葉を交わさなかった。永い時を超えて再び偶然巡り会えば、名より先に身体を知った。
「モーリス・ラジアルと申します。お見知りおきを」
 緑の瞳にいたずらっぽい光を宿らせ、モーリスは上目遣いで相手を見上げた。
「……アドニス。アドニス・キャロルだ、ラジエル」
 答えた相手の声には、わずかながら戸惑いの色が含まれていた。
「アドニス、私のことはモーリスと」
 くつくつと喉の奥で甘やかに笑いながら、そっと頬をなで上げる。それに応えるように、アドニスはモーリスの手をとって、そこに柔らかく口づけた。が、そこにはかすかながらも、他に気を取られているような、動揺が感じられた。
 慣れていないのだ、とすぐにモーリスは思い至る。経験がない、という意味ではない。人と肌を寄せ、心を添わせるのに引け目があるのだろう。人とは寄り添えぬ永い時を生き、人に仇なす性を持っていると自覚しているからこそ。
 だから、常に相手と距離を置き、人工の光あふれるこの世界で、陰を探し出してはそこに身を隠す。
「そういえば、普段の様子、お互いに何も知らないね。何しろ、以前出会ったのはもう数百年も前。あの時もたいして話さなかったけど、それからもいろいろ変わったでしょう?」
 けれどほら、柔らかな月の光は、闇に身を隠した者をも、優しく照らし出す。
 モーリスは庭園管理の仕事の話、仕えている主人や、この街で起こる事件の調査で出会った人々のことを軽やかな口調で次々に話す。その合間、促すような眼差しを向けて唇の端をほんの少し持ち上げれば、ぼつぼつとながら、アドニスも自らのことを話しだす。
 それはまるで、一枚ずつ丁寧に、ゆっくりと、相手の衣服を脱がせていく作業にも似て。
 モーリスとあまりに対照的なこの男が、少しずつ、ためらいながら、それでいて自らに湧いてくる歓びを否めずに、自らのことを露わにしてゆくその様子がまた、この上なく可愛い。
「キミはどうして俺とこんな風に過ごすんだい?」
 不意に、耳に飛び込んできたアドニスの言葉が、愉悦にひたっていたモーリスの意識を引き戻した。
 薄やみに浮かぶ相手の顔を見返せば、銀の瞳がただただまっすぐにモーリスに向けられていた。責めているわけでも、揶揄しているわけでもない。ただ純粋に、しかも心の底から、真摯に発された問いであることを、その瞳は物語っていた。
「……」
 普段なら、いくらでもそれをかわす答えを口にできたことだろう。けれど、先ほどまでの戸惑いが消えたその言葉は、あまりにまっすぐにモーリスの胸へと切り込んでいた。
 どうして、と。
 いつしかモーリスも自身に問いかけていた。けれど、自分の胸からこれという答えは返ってこない。それははるかに遠く、深く、光の差さぬ底の方に静かに沈んでいるようでもあった。
 その答えが見えないままに、これが自分の生き方なのだ、とモーリスは思う。生き方に理由などあるだろうか。巡り始めた考えに、モーリスは自ら終止符を打った。
「興味があるというのが一番だったけれど、なにより居心地がいいっていうか、そんな感じだね」
 モーリスはアドニスに応えて、小さく笑う。アドニスはじっとモーリスを見返したまま。
「ああ、相性がいいというのかな」
 半ば言いくるめるように付け足して、モーリスはアドニスのまぶたに、蝶が舞い降りるような軽いキスを落とす。静かな光をたたえた満月のような銀の瞳が、ほんの一瞬隠れた。
「では、また。しばしの別れを」
 あたかも、少し出かけてきます、と言わんばかりの短い挨拶を残して、モーリスはその場を辞した。
 廃教会を出ると、ガラス越しではない冴えた月光が出迎えた。思いがけない眩しさに、モーリスは手のひらをかざす。それでもまだ、一部分が欠けた月。この月が満ちたなら、その光はあの答えが眠る、モーリスの心の深淵まで届くのだろうか。
 また少し。明日になれば月は満ちる。

<了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
沙月亜衣 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月24日

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