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『「再会夜」 』
葛城・夜都3183)&風祭・真(1891)



気が遠くなる程の悠久の時を美しく在る事に費やして来た。
永遠に訪れる事など無いと疑いもしなかった老いは刻一刻と確実に其の身を蝕み、嘗ての栄華も今は存在しない。
手離したのでは無く、奪ったのだ。時と謂う此の世で最も不条理で絶対的な存在が、哀れな桜木から虚栄と美しさを。
花の咲かない老木を褒め称える者など居やしない。人足は遠退き、老木を孤独へと導いた。
だからこそ年老いた桜は春より夏を、昼間より夜を好んだ。夏夜の闇の中ではどんな木も同じように黒い茂みを冠るだけでその見た目に大差は無いからだ。
太陽を憎むと同時に、本当は何よりも焦がれていた。誤魔化しの無い、真昼の光に照らされる日がもう一度訪れる事を何よりも望んでいた。
そして、老木は心を魔性に売り渡したのだ。



煌びやかな街の明かりを避けるように街外れの小高い丘へ登った。贋物だろうが本物だろうが光と謂う存在は得てして好まない、其れが葛城・夜都(3183)の性分だった。
嫌っているのでは無い。只、生理的に受け付けないのだ。光を浴びれば浴びる程に目が眩むばかりでは無く、己の中の負の力が増長して行く、そんな気すらした。
けれども月光は違う。月の光は死んだ光、何も与えず何も奪わない。
薄雲の向こうに白い花を咲かせた満月が無慈悲な夜の女王宛らに暗闇の中、其の輪郭を浮かび上がらせていた。
月光に導かれ、舗装された小道を抜けると円丘の頂付近は昔と殆ど変わらぬ情景を残していた。荒れ伸びた雑草の合間には地肌が覗き、辺りには人の気配すら無い。
丘の中心に聳え立った大木は何時かと同じ紅の花を闇夜に咲かせている。しなやかに伸びた枝は其の重みに震えながらも一枚の花弁も落とす事は無かった。
熱気を孕んだ夏の夜風が桜の花を靡かせる等、先ず有り得ない。此れは明らかに異常である。冷たい硝子越しに銀色の眼が冴えを増す。
夜都が最初に此の場所を訪れたのは街の明かりが未だ電灯では無く油火だった頃、此の世の全てに価値を見出せなかった遠い昔の頃だった。
夜都はこの木の下で一人の女性と出逢った。その出逢いが彼に何を齎したのか、彼自身解り兼ねている。
だが、女性の問い掛けは確かに夜都の心に今までに無い蟠りと波紋を与えた。そして、その問い掛けに正しい答えを出す事が出来ない儘、夜都は何世紀もの時を流れて来た。
最早正しい答え等無いのかも知れない。彼女もまた正しさ等求めていないのだろう。夜都に取っても重要なのは正しいか間違っているかでは無く、得心が行くか行かないかなのだ。
故に此の桜の異常現象も夜都の心にまた一つ納得の行かない蟠りを残そうとしている悪因なのである。
突如桜の周りを取り囲むようにして土煙が巻き起こる。雑草の囁き、桜の枝が擦れ合う音に混じって確かに風の声を聞いた。
「また、会ったわね。夜都」
闇に溶け入る静かな、声。夜都は目を見張った。
今宵の月に良く似た蒼銀の瞳の中には、美しい黒髪の、和装の女性が佇んでいた。嘗ては禁色とされていた深緋の衣を纏い、桜にも負けぬ花の顔を月夜に晒している。
夜都の脳裏に往昔の記憶が再来する。彼の夜、桜は満開に咲き誇り、彼女は今日と同じ着物姿で絶えず微笑んでいた。
矢張り、彼女は今宵も笑っていた。
「真さん」
夜都は晩夏を嘆く蝉の声を遮って風祭・真(1891)の名を呼んだ。真は真珠の髪飾りを弄びながら僅かに笑みを深めると、鈴を転がすような声で夜都へ更なる言の葉を投げ掛けた。
「貴方も此の馨りに誘われて遣って来たの?」
夜都は意味を呑み込めず、口を噤んだ。確かに桜からは微かな香気が放たれているが、人を呼び寄せる程強力なものでは無い。
正直真に言われなければ気にも留めなかっただろう。
「馨り……?いや、私には何も」
「だとしたら私達が此処で再会を果たしたのは偶然かしら?…いいえ、違う。貴方には確かに届いた筈よ。此の子達の悲痛な叫びが」
「此の子達―――――――――?」
月を覆っていた薄雲が散り、夜空が晴れる。鮮明になった月明かりは夜都と真の周辺を照らし出し、草木は濃い影を落とした。
丘の周辺には昔は無かった筈の細い蔓が何十、何百と蔓延っている。攀じ登る木も無いのか地面にべったりと這い蹲り、白い蕾だけが辛うじて上を向いていた。
大輪の花を咲かせている桜とは反対に咲いている花は一輪も無い。それどころか今にも枯れそうな程、弱々しい気を放っていた。
「此れは一体…」
「視界を閉ざし、心の眼を刮目して御覧なさい。そうしなければ真実は見えて来ないわ」
夜都は黙って真の言葉に従った。瞼の裏、深い月の光すら通らない本物の闇の中で何本もの銀色の糸が立ち昇って行く。
糸は渦巻きながら中心部に引き込まれ、一本の紅の糸に織り込まれて行った。赤い糸は銀色の糸を吸収すると禍々しい輝きを増して、歓喜するように大きく波打っている。
夜都は咄嗟に眼を開いた。だが銀色の糸は未だ夜の闇に漂い、桜の木の周りで飛び交っている。銀糸は一本、また一本と桜の木の中へ誘われ、最早花弁は桜色とは呼べぬ程、深紅に染まり始めていた。
「真逆…他の花の命を喰って居るのか」
「…ええ。己の美しさを保つ為に他の花を犠牲にしたのよ。此の桜には最早自分で花を咲かす力すら無い」
真は笑みを消し去ると仮面のような無表情を貼り付けて、銀糸の中心へと歩み寄って行った。下駄の歯が冷たい土を軽やかに撫ぜる。
観賞用としてだけでは無く、実用的にも優れている五本の指が幹のなだらかな木肌に触れた。掌は吸い寄せられるように張り付き、木の内側からの邪悪な気を確実に感じて取っていた。
真の青褪めた瞳に憐憫の念が篭る。
「嘗てのあなたは美しかった。気高さと誇りに満ち溢れていた。でも、其れは花が咲いていたからじゃないわ。だって今のあなたはとても醜いもの…私は誰も救わない。だからあなたを赦す事も出来ない。……自然界の摂理を侵すものは神罰を」
其れが掟なの―――――吐き出された言葉の余韻すら真の巻き起こした神風の中に掻き消されて行った。
悲鳴にも似た轟音はやがて治まり、夜都は耐え切れない風圧に反射的に瞑った瞼を徐々に押し開け言葉を失った。
先程の大風に乱された桜の花弁は全て舞い落ち、夜都の視界の届く範囲全てを埋め尽くしている。花弁は各々意思を持ったかの如く白い蕾に向かって飛び交い、銀色の糸と成って蕾達に輝きを与えて行く。
蕾は一斉に花開き始めた。薄暗かった足元は白い星型の花で埋め尽くされ、蘭を思わせる豪奢な馨りが辺りを包んだ。まるで空の星が地上に降り注いだような絶景だった。
真は未だ桜の木の前に立ち尽くしていた。艶やかな衣を剥ぎ取られた枯れ木は羞恥に打ち震えている。真は嘲るでも哀れむでも無く、只立ち尽くしていた。
「真さん」
「残酷よね、私って。此れじゃ殺すより残酷。でも、私には此の桜を手折る事が出来ないの」
夜都は静かに老木を見上げた。美しい盛りを過ぎても尚見苦しく足掻いた其の姿は、誰にも惜しまれず歓楽街から姿を消した女と同じ顔をしている。殺してくれ、とばかりに恨めしく睨め付けて来る。
夜都は老木の浅ましい姿に胃の中が沸々と沸き立つような妙な感覚を覚えて、無意識に刀の柄前を握った。そして本能の赴く儘、抜き身を振り上げた。
「斬り捨て御免」
抑揚の薄い夜都の声が早かったか、巨木が切り倒されるのが早かったか。
闇を薙いだ白刃は巨木が倒れる前に沈黙し、地面が揺れ動く頃には鞘の中に納まっていた。
太い幹に描かれた年輪は数百年の年月を確かに刻んでいる。何年生きたと謂う確かな証の無い夜都は何だか其れが酷く羨ましくなった。
ふっと隣から甘く抜けるような息が聞こえて夜都は息の主を見遣った。息は真の表情が綻びる合図だった。
「優しいのね。木なんて斬っても誰の腹も膨れないでしょうに」
「…只の気の迷いです」
あらそう、と真は意味深に微笑んで地上に咲いた星の中に溶け込んで行った。花を潰さないように気を遣いながら腰を下ろし、花の馨りを愛でる。
彫刻のような横顔を浮かび上がらせるのは月の光を反射した夜来香、目線を伏せた物憂げな表情は目元の紅を際立たせていた。
其の光景を眺めていた夜都の胃の辺りに再び沸々と妙な感覚が湧き上がり始める。然し、先程のように厭な感じはしない。
寧ろ母の胎水のように心地良い生温さは徐々に夜都の胸中を充たして、安堵感を与えた。初めて知った感情の名を夜都は生まれる前から知っていたような気がした。
恋のような甘さは無い、夢のような矛盾も無い。其れは感動と謂う名の、憧憬。
「美しい、光景だ」

一体どれ程の醜いものを眼にして来たのだろう。
一体どれ程の醜いものを此れから眼にするのだろう。
一体どれだけの間、此の光景を心に刻んでおけるだろう。
例え、二度と会えなくとも此れが最後の別離になっても構わない。
此の体が何時とも知れぬ終わりを迎える迄、此の光景を忘れはしない。

夜都は其の日初めて心を打つ程の感動を知り、其の日初めて訪れ行く暁を疎ましく思った。







初めまして。葛城夜都様、風間真様。今回はシチュエーションノベル(ツイン)の発注有難う御座います。
納品がギリギリになってしまい申し訳ありません。
色々と案が浮かんでしまい、一つに絞るのに時間が掛かってしまいました…。普段恋愛物を良く書くもので、恋愛以外の男女の関係を描くのは久々でちょっと戸惑う所も多くありました。
けれども新鮮な気持ちで取り組む事が出来てとても楽しかったです。
個人的に二人の此れからの関係が気になる所ですが…と、すみません。手前勝手な好奇心ですのでお気になさらないで下さい。
発注、本当に有難う御座いました。今後とも宜しくお願いします。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
典花 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月22日

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