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『休日 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)

 紅茶の香りで、我に返った。セレスティ・カーニンガムは顔を上げると、本を閉じて身を起こした。天窓の一つを開けたらしい。ひんやりとした心地よい空気が、体を包んでいる。半戸外となった読書室は、半円形を描いた書庫の中心部にある。そう広くはないが、風の通り道を計算して作られたほんのりと明るい空間は心地よく、すんなりと読書に没頭できた。ほんの一日だけの休暇とは言え、高温多湿の日本を離れてここへ来たのは正解だったと、セレスティは改めて思った。
「お邪魔でしたか?」
 気遣うように聞いたのは、モーリス・ラジアルだ。セレスティの部下である彼は、今日は部下兼護衛兼荷物持ち兼世話係としてこの短い休暇に同行していた。金色の髪と、この別荘から見えるであろう森と同じ色の瞳をした青年だ。
「いえ。そろそろ一息入れたほうが良い所でした。ありがとう」
 微笑んで、カップに手を伸ばしたセレスティは、甘い香りに気づいておや、と眉を上げた。
「これは…」
 言いかけたセレスティに、モーリスが頷く。
「あの店のタルトですよ。お好きだったでしょう?」
 前にこの別荘に来た時、セレスティがいたく気に入っていたタルトを、モーリスは覚えていたらしい。彼自身は甘味を好まないから、ただセレスティの為だけに買って来たのだろう。出来れば二人で食べたいものだが、無理は言えない。だが…。
「一人で街に下りたのですか?」
 と聞くと、主人の心中を察したのだろう、モーリスはあっさりと頷き、
「ああいう所に何度も出向かれるのは、どうかと思いますので」
 と厳かな口調で言った。
「あのカフェの雰囲気は、少し気に入っていたのですが…」
 多少がっかりした口調で言ってみても、強情かつ心配性な部下の判断は揺るがない。この別荘に一番近い湖畔の町は、歴史ある落ち着いた町ではあるが、観光地としても名高い。シーズン真っ只中のこの季節は特に、よからぬ者もうろついているだろう。そんな所に、セレスティのような人間がのこのこ出かけるのは良くない、と言うのがモーリスの主張なのだ。
「キミは心配性ですね、本当に。そんな事ばかり言っていると、皺が増えますよ」
 不満顔で言ってみても、無論通じる筈も無く、至極あっさり、
「お望みとあらば、増やしてご覧に入れますよ」
 と言い返された。普通の人間ならば冗談で済む所だが、この部下の場合はそうは行かない。セレスティはそれ以上ごねるのをやめ、彼が買ってきてくれたタルトを味わう事にした。甘酸っぱい木苺とシロップの甘味が、口の中に広がる。
「ああ、やはり美味しいです。味は変っていないようですよ?モーリス」
 嬉しそうに言うと、モーリスもまた穏やかな表情を浮かべるのが分かった。本当なら、あの店のテラスで一緒に食べたかったのに、とやはり少し残念な気はしたが、書物に囲まれ、安心できる相手と二人、こうして味わうのも悪くは無い。あわせて買って来たのであろう紅茶の香りを楽しんでいると、モーリスは周囲を見回して、それにしても、と溜息を吐いた。
「何です?」
「あれだけの時間で、よくもまあ、これだけ散らかしたものですね」
「そうですか?」
 とぼけてはみたものの、彼の言わんとしている事はセレスティにもよくわかる。部下の一人に頼んで、モーリスと二人、この別荘にやって来たのは今朝方の事。まだ昼にもならないというのに、読書室は勿論の事、半円形の書庫のあちこちに書物の山が築かれていた。迎えが来るのは夕方だから、その頃にはきっとアトラス山脈くらいは出来ているに違いない。だが、正直、それでも問題は無かった。ここにある全てはリンスター財閥のものであり、殆どセレスティの私物のようなものだからだ。だが、そう言うと部下はまたも、溜息を吐いた。
「そうやっていくつの図書室をカオスにしたとお思いですか?セレスティ様」
 モーリスの指摘は正しい。他にも幾つかある別荘図書室の大半は、今は他の誰も足を踏み入れられない混沌の森と化している。過去何度か整理しようとした部下も居たようだが、皆断念したと聞いては居た。
「キミはそう言いますけどね、モーリス。私はどこに何があったかは、覚えているつもりですよ」
「何の本が、何処の図書室にあったか、と言う所まででは、でしょう。いちいち探す身にも、なっていただきたいんですが」
「でも、ちゃんと見つかったでしょう?言った場所に」
「ええ、1日半程度で見つかる程度の範囲には、でしたけれど」
 芝居がかった憂いすら含んだ声に、セレスティはそうでしたっけ、と微笑みを返した。
「そうでしたよ。…とにかく」
 モーリスはすっくと立ち上がると、言った。
「私はあの本の山を片付けておきますから」
「…それでは…」
 キミを連れて来た意味が無い。と言おうとしたセレスティだったが、やめた。代わりに
「ありがとう」
 と微笑んで、
「それなら、右から三番目の棚からお願い出来ますか?」
 と頼んだ。
「右…ですか?」
「ええ。右の、古いものです。その辺りの山から、片付けた方がうまくゆくと思いますよ」
 頷くと、モーリスは首を傾げつつも、仰せの通りに、と答えて図書室に入って行った。残されたのは、紅茶とタルト、そしてセレスティが選んだ書物の山と、彼自身だ。
「全く、上司の気持ち、部下知らず、と言うのでしょうかねえ…」
 小さく息を吐いて、思い出したようにタルトにフォークを伸ばして、また微笑む。モーリスは、この別荘で暇を持て余しているのだ。何しろ、幾つもある別荘の中で、この高地にある小さな館だけは、彼が管轄する庭が無い。山々に囲まれ、湖を見下ろす景勝地に建てられたこの別荘には、わざわざ庭を作る必要が無かったのだ。この別荘のメインはなんと言っても、この図書室で、他はオマケのようなものだった。寝室と書斎にはそこそこの広さと工夫が凝らしてあるが、図書室には遠く及ばない。敷地面積のほぼ半分を占拠するこの図書室の蔵書はざっと7000冊。半円形の部屋の形に添って、作り付けの書棚が壁を埋め尽くしていた。窓は無いが、高い天井には天窓がついており、シャッターを開けば曇りガラスから程よい光が差し込む。今は微妙に開いた天窓から、ひんやりとした空気が直接読書室に流れ込んでいたが、そうでなくとも目立たぬように設置された通気口や建物全体が、呼吸するようにこの地の涼しい風を取り込んでくれる。お陰で、ここに居る間は体調を崩した事など殆ど無い。従って、医者としてのモーリスの世話になる事も無い。
「だから、キミを連れて来たのですよ、モーリス」
 セレスティは小さな声でそう言ってから、タルトの残りを平らげた。大きくは無いが、やはり美味だ。今度は絶対、一緒に行こうと改めて思いつつ、傍らの本に手を伸ばした。膨大な蔵書の中から見つけた一冊。ここへ来る事にしたのは、この本を探す為だと部下たちには言ったし、モーリスもそう思っているだろう。無論、それは嘘では無い。だが、それだけでは決して、無かった。版は違うが同じ本が、リンスター財閥の持つ別の施設にもある事を、セレスティは知っていた。にもかかわらず、この別荘を選んだのは…。
「まあ、別にどちらでも良いのですけれど、ね」
 くすっと笑ってそう言うと、セレスティは再び本を開いて、文字を追った。探していたのは、とある冒険家の回想記だ。と言っても、彼の冒険はあまりに不可思議な事象に満ちていて、これを読んでノンフィクションとジャンル分けする現代人は居ないだろう。文章もつたなく、そのせいだろうか、結局原書の殆どは、後の世に伝えられる事無く消えた。今セレスティが手にしているのは、残された数少ないもののうちの一冊だ。題名を言えば知っている人も少なく無いであろう幻想小説が、実はこの旅行記を元に書かれたものだと言う事は、蒐集家達ですら知らない。だが、ずっとずっと昔、その冒険家が出会ったという国々や人々を知るセレスティは、時折この書を開いては、彼らの事に思いを馳せる。彼らが生きた証を、己の指に感じながら。

 天窓から注ぐ光の強さが変った事に気付いて、セレスティはふと、顔を上げた。どうやらもう、夕方らしい。微かに聞える鳥たちの声も、夕暮れ時を告げていた。セレスティは本を閉じると、図書室に入った。本の整理をしているであろう部下を呼ぼうとして、止めた。セレスティが言った棚の近くから、微かな寝息が聞えてきたからだ。
「モーリス…」
 そっと傍に寄って囁くように言ったが、起きる気配は無かった。よく眠っているらしい。周囲の本の山はそのままで、うつらうつらしているモーリスの手元には、そのうちの一冊があった。どうやら、自分の読みは当たったらしいと笑みを漏らして、セレスティは彼の向かいで再び、本を開いた。それから迎えが来るまでの短い時間ではあったが、セレスティはうたた寝するモーリスの傍で、ゆっくりとまた、読書を楽しんだのだ。

「おや、何をそんなに怒っているのですか?」
 にっこりと微笑んで聞くと、モーリスはいえ、別に、と目を逸らした。彼がようやく目を覚ましたのは、迎えの部下が来て30分ほどしてからの事だった。起こした方が、という部下を止めたのはセレスティだ。あと5分、あと5分、と言ううちにあっと言う間に30分が経ってしまったのだが。目を覚ましたモーリスの慌てぶりを思い出して、セレスティはまたクスクスと笑い、モーリスはむっつりと黙り込んだ。慌てぶり、と言っても、よく知らぬ相手なら気づかない程度のものだったのだが、それでもモーリスにとっては思わぬ失態だったのだろう。帰ってからもずっと、この調子なのだ。セレスティにしてみれば、その様もまた楽しくて仕方が無いのだが…。
「片付けは、出来なかったのですね?」
 にこやかに言うと、モーリスは一瞬言葉に詰まりつつも、恨みがましげな声で言った。
「とても美しい画集が、山と積まれて居たものですから。ついつい読み耽って居るうちに眠ってしまったんです。…はじめから、そういうおつもりだったのでしょう?」
「さあ、どうでしたか…。ただ、いつもよくしてくれる大切な部下に、少しお休みをあげたいと思っていたような気は、しますけれどね」
「お休みは、充分頂いてます」
「それは、余計な事をしたかも知れませんね」
 わざとらしく哀しげな声を出して見せると、モーリスはお手上げ、といわんばかりの溜息を吐いた。
「…でも」
 モーリスがぽつりと呟く。
「久しぶりに、ゆっくり出来た気もします。何しろあの別荘では、あれこれ心配する必要がありませんから」
「それは良かった」
 セレスティの気持ちはちゃんと通じていたらしい。モーリスが下がった後、次の休みは何時だったかと、いそいそとスケジュールの確認をするセレスティだった。

<終わり>
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2005年08月17日

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