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『暑心 』
1799)&一之瀬 麦(1869)


 時刻は深夜、草木も眠る丑三つ時……の少しだけ前。村の一角に大勢の人々が、蒸し暑い夜だというのに集まってきていた。その大勢の人々を満足げに見守っているのは、集まっている人々の群れの先頭に置いてある高台の上に登っている、村長だ。彼は時計を確認し、ごほん、と咳払いをした。
「肝試し、イーン村っ!」
 語呂の悪さはとりあえず置いておき、村長がそう叫んだと同時に、集まっていた人々が「おおお!」と叫びだす。
「このように大勢の人々に集まって貰えるとは、はっきり言って思わなかった!だがしかーし!こうでこそ、盛り上がると言うものではないか!」
 うおおおお!集まってきている人々の盛り上がりは、確かに凄い。
「ルールは簡単!森の最奥に立てられている櫓から、札をより早く持って帰ってくればいいだけだ!そして、一番早いタイムを打ち出したツワモノには……ななな、なんと!食料半年分だぁ!」
 おおおお!盛り上がりは最絶頂だ。何かがおかしいテンションな気がするのは、この際気付かなかった事にしておいた方がいいだろう。
「食料半年分は、オイシイな?」
 一之瀬・麦(いちのせ むぎ)はそう言って、隣に立っている臣(おみ)ににやりと笑いかける。
「確かに、そんだけあれば当分は困らないよな」
 こっくりと、臣は頷く。目は真剣そのものである。
「食料が欲しいかー!」
 村長のコールが響く。集まった人々が「おー!」と叫ぶ中、麦と臣も「おー!」と拳をあげつつ一緒になって叫ぶ。
「より早いタイムを打ち出すかー!」
「おー!」
「お化けが怖くないかー!」
「おー!」
「……おー」
 何故かその時だけ麦が力なく答えたのだが、隣にいる臣は周囲の熱気に押されてしまった為に気付く事は無かった。
「それでは、出発の順番を発表します!」
 村長はそう言い、次々に順番を発表していく。その間は騒がしかった人々も、しんと静まり返っている。
「5番、麦・臣組!」
「うちらは五番やな」
「前にも後ろにも人がいる、という状況か。……ある意味、有利かもしれないな」
「何でや?」
 小首を傾げる麦に、臣はにやりと笑う。
「前に人がいれば、何があるのか想像つくだろう?それで、後ろの人が追いついてこないようにすればいい」
「なるほどな。……狡賢いな?臣」
「聡明だと言え、聡明だと」
「そないな事、言うかっちゅーねん」
 麦と臣が話していると、村長が片手を空高く掲げる。
「それでは、肝試しイーン村っ!スタートですっ!」
「あのネーミングセンスはいただけんと思うんやけどなぁ」
 ぽつり、と麦は小声で呟く。だが、熱気だった人々の耳に入る筈も無かった。


 麦は半ば、身体を固くしていた。暗い暗い森は、臣の持っている手元の明かりだけでは心細い。なにせ、足元しか照らすことが出来ないのだから。
「……な、なんや。前に誰かおる筈やったよな?」
「いるだろうな」
「う、後ろにもおる筈やったよな?」
「いるだろうな」
「その割に、何も聞こえへん事ないか?」
 麦の言葉に、臣は「あのなぁ」と言いながら口を開く。
「前はともかく、後ろの人の声が聞こえたら大問題だろうが」
「なんでや?」
「追いつかれているって事だろ?」
「そ、そうか」
 ざっざっ。会話が途切れると、歩く音しか聞こえなくなる。草を踏みしめ、ただただ歩くだけの音が。それがより一層、不気味さを増す。
「け、結構暗いんやな。い、いや別に怖い事あらへんけど!」
 麦はそう言っておろおろと辺りを見回した。臣はそんな麦の様子を見、きょろきょろと辺りを見回してからそっと麦の手を取った。麦は「あ」と小さく呟き、臣を見上げる。
「な、なんや?」
 臣はそっぽを向き「別に」と言う。麦の方からは良く見えないが、照れているようだ。
「べ、べべべ……別に、何ともあらへんでっ!」
 麦はそう言いながらも、ぎゅっと臣の手を握り返す。何ともない、という割にはしっかりと手を繋いでいる。温もりが、安心を齎すのだろう。臣は麦の手をぎゅっと握り返しながら「俺だって」と答える。
「俺だって、暑苦しくて冗談じゃねぇーっての」
 言う事とやる事が違っているのだが、二人ともあえて何も言わなかった。
「うちは負けへんからな。臣にだけは、絶対負けへんで!」
「お?勝負事を持ちかけてきたか。……じゃあ、負けねぇぞ」
 何の勝ち負けかはよく分からないまま、二人の掛け合いは続く。そんな中、臣は手を繋いでいない方の手で足元を照らしていたが、急に「おい」と麦に話し掛ける。
「そこ、木の根っ子があるから気をつけろよ」
「ね、根っ子?」
「ほら」
 足元を照らしてやると、確かに木の根っ子があった。知らずに歩いていたならば、躓いていたかもしれない。麦は「おおきに」と言いながら木の根っ子を跨ぐ。妙に素直な言葉に、臣は思わず顔を赤らめる。
「……全く、それ位は自分で気をつけろよ」
「き、気をつけられるわ!大丈夫や!ただ今は、ちょっと足元が暗いさかい……」
 麦はそう言いながら、ふと臣の後ろにある何かに気付く。
「おおお、臣!」
「あ?」
 臣の後ろを指差す麦を見、臣は振り返る。すると、そこには木の枝から蜘蛛がだらりと垂れていた。
「……蜘蛛じゃねーか」
「蜘蛛って、妙に怖い生き物に見えへん?」
「別に」
「いや、昼間は別や!昼間なら、うちも別に怖い事あらへん」
「だから、別に」
「せやから!暗い中で見る蜘蛛って、妙に怖ないか?」
 麦の問いかけに、臣は少しだけ考える。そして結論を出した。
「別に」
 冷静な臣の返答に、麦は「んな阿呆な!」と突っ込む。
「誰が阿呆だ、誰が!」
「臣や!臣の事を言うてるんや!」
「何で俺が阿呆なんだよ」
「蜘蛛やで、蜘蛛!あの形から何から、怖い気がするやんか」
「だから、それはお前の考えだろうが。俺は別に怖くないんだよ」
 臣はそう言い、麦の手を引っ張って歩き出す。蜘蛛から遠ざけるように。
「くだらねー事言ってないで、さっさと行くぞ」
「くだらないってどういう事やねん」
「そのままだ、そのまま。……早くいかねぇと、抜かされるぜ」
 臣に言われ、麦ははっと気付く。
「せやな。食料半年分が消えてしまう所やった」
「だろ?とっとと終わらせて、食料貰うぞ」
 臣はそう言い、ぎゅっと麦の手を握り締める。麦も頷き、臣の手を握り返した。……と、その時だった。
 ホーホー。
「きゃあっ!」
 突如聞こえた低音の声に、麦は思わず臣に抱きつく。突然の出来事に驚きつつも、咄嗟に臣は麦を抱き締め返す。息が止まるのではないかと思うくらい、強く。
 そして暫くしてバサバサ、という鳥が飛び立つような音がした。それをきっかけに、ようやく麦はそれがフクロウの声だったのだと気付く。麦は頬が熱くなるのを感じながら、口を開く。
「……い、今のは不意打ちや。無し無し!何や変な音がしたよって、足踏み外しただけやん!」
 強気に言う麦だが、よほど驚いたのか、未だに手が小刻みに震えている。臣に抱きついたまま。
「負けたんとちゃうで」
 震える声で、麦は更に言う。臣は口では強がっている麦を抱き締めたまま、そっと口を開く。
「余計に暑苦しくしようっつう嫌がらせだろ」
 その言葉に、麦は「なんやて?」と言いながら臣に抱きついていた体を離す。
「臣の方が暑いっちゅーねんっ!」
「そっちこそ暑いっつーの!」
 暑い暑いと言い合いつつも、二人は手を離さない。手が暑いという考えは、毛頭無いようだ。
「暑い暑い言うけどな、こういうのは暑い言う方よりも言われる方が暑いと感じているんやで?」
「んな阿呆な事があるか。暑いって言うのは、本人の意思だろうが」
「これやから、臣は。まだまだ思慮深さが足りんっちゅーねん」
「思慮深さは、麦の方が無いんじゃねーのか?」
「なんやて?ようもそないな事いえるなー」
 二人の口論は続く。フクロウの声を聞いた地点から、一歩も前に進んでいないのだが、二人は気付く筈も無い。
「あら、あの二人さっき出発したんじゃなかったかしら?」
「揉めてるな。……そっとしとこうぜ」
 臣と麦の後続組達は、口論を続けている二人を横目で見つつもどんどん抜かしていく。しかも、口論の内容を聞いて妙に温かな眼差しを向けながら。
「大体なぁ、フクロウの鳴き声だっていうのは、きっと小さな子どもにだって分かる事だぜ?」
「小さい子どもには、逆に何の事やら分からんかもしれんで?」
「麦だけだって、そう思うの」
「そないな事あらへん!」
「ある!」
 二人は口論を続ける。互いの頬がほんのり赤いだとか、やっぱり手を離さずに「暑い」と言い合っているだとか、そういう事は問題にはなっていないようである。
 しばらく言い合いをした後、ぜえぜえはあはあと息切れをし、二人は顔を上げる。
「そういえば、俺たちは札を取りに行かないといけないんじゃないのか?」
 臣の言葉に、麦ははっとする。そして二人は慌てて森の奥に立ててある櫓にある札を取る為に、歩き始めた。やっぱり、手は離していない。
「臣のせいやー!」
「阿呆か!麦のせいだっつーの」
「何言うんや!絶対に臣のせいに決まってるやないか」
「なんでもかんでも俺の所為にするんじゃねぇー!」
 言い合いつつもようやく辿り着いた櫓には、札は一枚だけしか残っていなかった。つまり、麦と臣の分だけ。
 それを見て、二人はしばし呆然とする。
「……臣、何で一枚しかないんかなぁ?」
「そりゃ決まってるじゃねーか……」
 二人は顔を見合わせ、がっくりとうな垂れた。札が一枚と言う事は、他の参加者は続々と札を持って帰っていったと言う事だ。
 つまり、麦と臣のペアはビリ確定。
「欲しかったわぁ……半年分の食料」
「だな」
「それもこれも……臣のせいや」
「おい、何で俺の所為なんだよ?」
「そうに決まってるんや……臣の所為や」
「だから、なんでもかんでも俺の所為にするんじゃねーっつーの」
「仕方ないやん。臣の所為なんやから」
 麦はそう言いながら、空を見上げつつ「あーあ」と言って溜息をついた。臣は「おい」と突っ込みを入れた後、大きく溜息をついた。
「とりあえず、札を持って帰ろうぜ」
「なんや、ビリ決定なのにか?」
「参加する事に意義があるのかもしれねーだろ?」
「……せやな」
 麦が頷いたのを見て、臣は麦の手を離す事なく明かりを口にくわえて櫓の札を取ってポケットに突っ込む。再び口にくわえていた明かりを手にし「帰るぞ」と麦に言った。
「参加する事に、意義があるっちゅーのは、基本やもんなぁ」
 再び麦は呟くと、ぎゅっと臣の手を握り締めた。また再び、暗い森の中を通らなければならないのが怖いのであろう。臣は「そうだな」と答え、麦の手をぎゅっと強く握り返すのであった。

<まずは初心に返りつつ・了>
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2005年08月17日

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