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『一頭の犬をさがして 』
海原・みたま1685)&海原・みなも(1252)



 目を瞬いて、みなもは困惑気味に辺りを見渡した。
 学校から家に帰る途中だった筈なのに、ここは道端でも家でもない。全く知らない部屋に倒れている。
 ――どこ?
 みなもは口を開こうとして、先程から顔全体がひきつっているのに気が付いた。まるで自分の肌ではないみたいだ――それにこの舌は何だろう。やけに長く感じる……。
「ワンッ……」
 思いもよらない自分の言葉に、みなもはひどく狼狽しながら、視界に男を一人発見した。
「お目覚めだね」
 ああ、とみなもは理解した。
 ――さらわれたのだ。

 あれは、人通りの少ない道にさしかかったときだった。
 学校帰りのみなもは白衣姿の男に声をかけられた。
「海原みなもさんですね?」
「あ、はい。そうですけど……」
 素直に、けれど少し警戒して聞き返す。
 男はよそよそしく言った。
「私のことを憶えていませんか? ワイバーンのときにお会いしたんですが」
「あっ……! あのときは、その、色々と……お世話になりました」
 ごにょごにょ、と口ごもる。なるべくなら思い出したくない記憶だから、この人のことも忘れていたのかな――と、内心思う。男の顔にまるで覚えがない。
 話を聞いてみると、メイクの依頼で、「訳は話せないが、至急、犬になってもらいたい」らしい。
 協力したいとは思う。
 でも、何か変だ。状況がいつもと違いすぎる。
 首を傾げながらも、かと言って、わざわざ自分のところまで来てくれた人の話を断る気にもなれない。
「さぁ、行きましょう」
 男は急がなければいけない事情があるのか、それとも別の心理が働いているのか、やや焦っているらしく、みなもを急かした。
 ――きっと余程の事情があるんだ――
 そう察したみなもは携帯電話を取り出した。家に連絡を入れてからなら、このまま家に帰らず出かけても許されるだろう。
 けれど、電話をかけることは出来なかった。
 ――みなもは鼻と口を布でふさがれて、意識を失っていたから。

「ワン! ワンワン、ワン……ッ」
 あたしをどうする気ですか――そうみなもは訊きたかった。だが今では鳴き声しか出せない。
 立とうとしても、二本足で歩行することは出来ない。足が震えて、四つ這いになるのもやっとだった。まだ犬の状態に慣れていない上に、何をされるかわからない恐怖が自分の中で渦巻いている――。
「いけません、駄目、駄目」
 男はそう言ってみなもの行動を止めさせて、静かに犬座りさせた。
「変だな。私の目の前にいるのは、一頭の、血統書つきで、飼い主に従順な犬なんですがね。首輪も鎖もつけているのに、君には犬としての自覚が足りないですよ。特に君みたいな超大型犬に必要な従順さがね。……こちらも、相応の処置を取らなければいけません」
 キャンキャン、とみなもは吠えた。
 鎖を食いちぎれないだろうかとも考えた。
 だが足がどうしようもなく震える今の状態では、大した抵抗も出来なかった。
 みなもは、他の白衣の男たちに押さえられて注射を打たれ、眠るように気絶した。

「いい度胸してるじゃないの」
 携帯電話越しにみたまは呟いた。
 電話の相手はみなもが何者かに誘拐されたことを告げている。
 これだけならみたまは、あるいは自分に恨みを持つ者の犯行も考えただろうが、そうではない。
 この電話が来るよりも前に奇妙な情報が届いていたのだ。
 みたまの夫と関わりのある、あの研究所の研究員が、犬のデータと被験者であるみなものデータを持って行方不明になった――と。
 犬の種類はアイリッシュ・ウルフハウンド。アイルランドを原産国としている、超大型犬だ。そう、中学生の少女が扮するにはおあつらえ向きの、“超大型犬”――。
「この話を聞いてすぐにピンと来て貴方たちに連絡したのに、遅かったみたいね。次の行動はわかるでしょう? 人数配分は任せるわ」
「逃げた研究員の身辺と関連企業の動向の調査、空港を厳重に監視しつつ、専門学校へ連絡をする……でしょうか?」
「港が抜けてるわ。網に穴が開いていたら取れる魚も取れなくなっちゃうんだから」
 ピッ。
 電話を切ってから、みたまはしばし考え込んだ。
 ――うちの娘をさらうような馬鹿はこれで捕まるだろうし、ううん、絶対捕まえるけど……データを盗んで、誘拐して……あの研究所にいた割には、行動がわかりやす過ぎはしないかしら――
 タイミングも凄くいい。丁度みたまは夫から頼まれた仕事を終えたばかりだった。それは急な仕事で、しかも夫の予測どおりの時間に終わった。
 つまり、珍しく暇な時間だったのだ。
「…………」
 次々に入ってくる報告が、みたまの疑いを強くする。
 あの研究員と某国の医療機関の密会、その国の製薬企業の動向不審。
 ――やっぱり間違いない。事の運びから、予め練りに練った計画なのは明白なのに、やろうとしていることがバレバレ。私に捕まえてくださいと言わんばかり――
 相手にしているのは警察ではない。みたまである。あの研究所にいて、データを持ち出せる人間ならば、みたまの存在にも気付いている筈だ。それなのに、みたまたちの動きを封じる策を出してくる様子がない。
 何よりも、こんなことをたかだか研究員だけで出来る訳がない。
「……」
 夫に電話をかけてみたが繋がらない。
 ――いいわ。今やるべきことはみなもを助けることだもの――
「×港で研究員一名発見。みなもさまは別の研究員と共に現れると思われます」
「今行くわ」

 アイリッシュ・ウルフハウンド――もとい、みなもは、船の上で男たちが両手を上げて降参するのを呆然と眺めていた。
 犬としては、飼い主を守るべく立ち向かうべきかもしれない。だがその肝心の飼い主が今はいない。男たちは某国の人物を飼い主としてみなもに認識させるつもりだったから、逆らいさえしなければみなもにすることは何もないのだった。
 それに目の前にいる金髪の女性は、懐かしい感じがする――。
「娘の前だから殺さないのよ。ありがたく思ってね」
「ハ、ハイ! アリガトウゴザイマス!!」
 銃を向けられた男たちはペコペコとお辞儀をした。
「どう致しまして。さ、港直前まで戻って来たんだから、研究員諸君は早く泳いで港まで帰って頂戴」
「ハ?!」
 みたまの寛大な処置にも関わらず、研究員はお互い顔を見合わせた。
「港はすぐそこじゃないの。私たちに見えないように服を脱いで渡れば、数分で着くわよ。人の娘を誘拐してるんだから、これくらいの罰がないとね」
「え、で、でも……」
「泳げないヤツには浮き輪を上げるわよ、いーから、とっとと退散!」
「浮き輪、頂いていきます!! お疲れさまでした!!!!」
 水しぶきが上がって、浮き輪がゆっくりと遠ざかっていくのを尻目に、みたまは某国の人間に突き放した声で言った。
「契約不成立ってことよ。それじゃあさよなら」
 ――事を終えてから、みたまは愛しい娘を思う存分抱きしめた。
「みなも、大変だったのね……もう大丈夫よ。あの専門学校には連絡がしてあるから、すぐに元に戻してあげる」
「くうん、くうん……」
 みなもは目を涙ぐませ、可愛らしくグレーの尻尾を振り、甘えた声を出す。薬を大量に投与されてはいたが、母親の声を聞いたことでいくらか人間の心を取り戻したようだった。おそらく人魚の体内薬物浄化能力が効いているのだろう。これがなかったらと思うと、みたまは恐ろしくなる。

 運の悪いことに、みなもを誘拐した人間のメイクの腕はひどいものだったらしく、メイクを剥がすのにも時間がかかるようだった。
「肌と着ぐるみが癒着を起こしてるんです。信じられないわ、こんなひどいやり方……」
 と生徒はみたまに説明した。
「みなもちゃん、絶対に痛くしないで取ってあげるからね。もう少し待ってね」
「くうん」
 みなもは尻尾も耳も、哀しそうに項垂れていた。
 その間に、みたまは電話で夫を珍しく問い詰めた挙げ句、近いうちにこの埋め合わせをみなもにしてやるよう約束をした。
「みなも、今度お父さんが遊びに連れて行ってくれるわよ。だから元気にね」
 みたまの優しげな声を聞くと、みなもはピクリと耳を上げて、吠える代わりに座りなおした。
 第三者が見れば躾の行き届いた犬だが、みたまにとってそれは愛らしい少女の姿なのだった。



終。
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佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月17日

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