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『渡辺家奇譚〜陽の巻〜 』
渡辺・綱1761

 …その日は珍しく時間の空いた日だった。
 学校帰りの放課後。
 そこからお仕事――『鬼払い』に直行で向かわなくてもいい日なんて、珍しい事この上ない。
 そんな訳で。

 そんな訳なので。
 渡辺綱は折角なので、ここぞとばかりに友人を自宅に招いてみた。
 …本当は、学校の友人とは――こんな風にもっともっとたくさん交流を持ちたいのだが。
 家庭の事情――『お仕事』上、綱の場合はそれこそが一番の贅沢になってしまう。
 学校に居られる時間帯なら、友人とはいつでもお付き合い出来たり遊んでいたりと年相応な学校生活を満喫出来ているのだが――反面、一歩学校を出るとそこからは、源頼光四天王の一、渡辺綱の名を継ぐ渡辺家当主、『御霊髭切』を使役する者として日々奔走しなければならないお役目が待っている。
 学校外でそんなお役目から一時的にでも解放されるなどと――とにかく、珍しい事なのだ。

 で。
 そんな訳で自宅に招いてみた友人は、放課後空いてるか? と幾度と無く綱に誘いをかけていた当の人物。いつもいつも、「仕事があるから」と――仕方無いながらも気持ちの方では断腸の思いでその誘いを断っていたが、その友人はそれで疎遠になる事も無かった。…何度断っても、事ある毎に誘ってくれていた。
 …綱も断る度、いつもいつも、済まないと思っていた。
 だからこそ、今日こそは。
 折角時間が出来たんだ、ここはひとつ、今までの借りを返しがてら確り一緒に遊ぼう――そうだ、どうせだから自分ちを紹介してみよう――と思った訳で。

 そんな訳で家の前まで連れてきた友人の手には――何故か大きな紙袋。何これ、と訊いてみると、後で教えてやるよ楽しみにしてろよ、と悪戯っぽくにししと笑われ。
 何やらとっても自信がありげ。
 …いったい何事。



 と、そんなこんなで家の敷地へと彼を招き入れはしたのだが――どう言う訳か、一歩踏み込んだ途端、友人は停止。
 何やら茫然としている様子。
 どうしたんだろう。思いながら綱は声を掛けてみるが――その返答は何やら要領を得ない。
 あまりにあんまり茫然としているので、こちらを気付かせようと目の前で手を振ってみるが――それでもあまり変化無し。
 やや困惑しつつも綱はそんな彼の様子を粘り強く窺い、根気よく話し掛けたり何だりしていたが――漸くまともな反応が返って来たのは結構経ってからの事。
 曰く、一歩の差で景色が変わる事に驚嘆したと言う事らしい。

 …敷地に一歩入るなり景色ががらりと変わるその理由。それは実は――宮内庁付きの術者によって敷地内の空間を広げられたからだったりするのだが。そしてその広げられた中に新たに置かれた日本庭園に和風の広大な屋敷が綱の日常生活の場。少し奥まったところに行けば武道場や弓道場もある。勿論『御霊髭切』を祀る祭壇もある。…元々は敷地外から見た通りのごく普通の建て売り一軒家だったのだが、綱が『御霊髭切』の使い手、渡辺家当主として覚醒してからは、そうする事が必要と判断された為にそんな風になっている。
 実際、『お仕事』の橋渡し役である宮内庁職員の常駐する待機部屋なども屋敷内には完備されていたりする訳で、そちらの使い魔――式神でもある使用人さんもこの家には結構多い。綱は普段の生活から色々と御世話になっている。
 ともあれ、何も知らない友人にしてみれば驚きっぱなしになるのも無理無い事…なのかもしれない。が――綱の方にすれば、それは幼い頃は環境の著しい変化に多少の違和感も無い訳では無かったが、今は疾うにこの環境に慣れている。
 綱にしてみればこれが普通だ。
 …確かに他のところでは見掛けないかもしれないけれど――これはそれ程驚くべき事なんだろうか?
 と、むしろ友人に驚かれる事にこそ驚いている。



 屋敷の玄関先ではいつもの如く使用人さんが待っている。帰って来ると丁寧に挨拶をしてくれ、鞄やら何やら荷物が多い場合は預って片付けておいてくれる役割の使用人さんだが――今日は綱の方でただいまと帰宅の挨拶をし、お帰りなさいませと返されたか返されないかと言ったタイミングの内に、連れて来た友人の方が慌て混じりで綱くんには学校でいつも御世話になってますとその使用人さんにぺこぺこ挨拶を始めてしまった。
 …それは、綱が客人として友人の彼を紹介する前の事。
 使用人さんは――謎めいた静かなアルカイックスマイルを見せたまま、無反応。
 そして、友人の方へ向け――再度、お帰りなさいませ。
 そこでまた、友人は妙な顔して停止。
 内心であーやっぱりと思いつつ、綱は結局、今日は学校の友達連れて来たんだと改めて使用人さんに知らせるだけ知らせて自分は先に屋敷に上がる事にする。と、使用人さんの方が今度は友人へ向け――お帰りなさいではなく、いらっしゃいませ。
 使用人さんの反応にやっぱりまだ玄関先で止まっている友人。…これだけでもまた何か驚いたのかなと思いつつ、綱はおーいこっちと彼を呼び付けている。
 綱が居るのはもう玄関過ぎて廊下。そして当の綱に呼ばれれば――友人とて、来るだろう。
 思った通り程無く、友人はぱたぱたと綱のところまで歩いてくる。
 …そして開口一番興味深げに。
「今のって綱の小母さん?」
「いや、使用人さんだよ」
「…」
 それだけで友人の彼はまた絶句。
 …また、さっきと同じで驚いたのだろうか。
 …使用人さん、と言った事に。

 まぁ、ここに関しては説明しないで放っておこう。
 …この話続けて、逆に突付かれてもちょっとアレだし。使用人さんが小母さん――俺の母親だと思ったって事は、話の流れからして――こっちの親の事とか話さなきゃならなくなるかもしれないから。
 それより。
 今は――折角だから『髭切』の祭壇も見せたいな、とそちらの思いが先に来る。
 綱にすれば、渡辺家と言えばこの宝刀がまず第一で。
 …大切なものだからこそ、大切な友達に見せたい。



 そんな風に思いながら廊下を歩いていたら、また唖然茫然とした友人の問いが耳に入る。
 何ここと問われ、何の事だろうと思ったら――友人が見ていたのは屋敷に併設されている武道場と弓道場。ああ、これなら学校にもあるし――って学校にもあるよな??? だったら――どうしてわざわざ訊く上に、驚くんだろう。
 それとも実はこいつも武術に興味があるのだろうか。…けど学校では何か理由があってそれが言えない、とか?
 よくわからない反応だと思いながらも綱は取り敢えずそう判断し、興味あるなら中見るかと訊けば――友人の視界は既に別のところに外れている。そしてまた驚きの声。
「あっ」
「ん?」
 綱は改めて声を上げた友人を振り返る。と、友人が指差していた場所にあるその場所は――。
 家である。
 …屋敷、ではなく。元々の、渡辺家本来の家。何処にでもあるような普通の一戸建て。敷地の外から見えるのはその建物の外観だけになっている場所。
 友人はその家を指差し、ぱくぱくと口を開いているが、声になってない。
「こ、これが見えたんだけど」
 外からは。
 何とかそう続けられるが、それは綱にすれば――どうと言う事もなく、頷くしかない筈の事。その通り。外からはこの家だけが見える。…他は外から見えないように作ってあるから――宮内庁の人がそう作っているのだから、綱にすれば当然である。
「うん。ここが元々の俺んち。て言うか今は俺の部屋みたいなもんかな」
 実際、綱のプライベートルームもこっちにあるのだから。
 それに、こればかりはわざわざ懇切丁寧に説明する気は無いけれど、綱の両親もこちらの家に住んでいる。
「…はー…一戸建てが部屋かよ」
「まぁ、俺だけが居る訳じゃないけど。それより、武道場の中いいの?」
「…いや、あ…うん。えと、別にいいや俺お前みたいに剣道できないし――何かもう既に今の時点で圧倒されてるとゆーか。ここの中まで見たらまたビビリそーな…」
「んな大袈裟だって。ま、いいけどさ」
 何に驚いているのか、いちいち動揺しているらしい友人へ向け、落ち着いてもらおうと綱は笑い掛けるが――どうも効果が無い。それより「またビビりそーな」って、ビビってたのか…。



 それから綱が友人を連れ移動した先は渡辺家の本丸、『髭切』を祀る祭壇。
 自慢の場所である。
 奥に御神体宜しく祀られている一振りの太刀が、その御霊『髭切』。
 折角なので連れて来た友人へと、この『髭切』について――と言うか自らの始祖である渡辺綱の来歴から、髭切の名称の由来、茨木童子の腕がどーたら鬼切と呼ばれる事もあるやら何やらと、こちらについては両親の事とは違い、懇切丁寧に説明を始める。…何と言っても御先祖様の誉れである。
 とは言え――肝心なところは、あまり言えない。教科書通り、古典通りの話が関の山と言ったところか。
 何故ならそれ以上を詳しく話してしまうと――現在、綱が日々こなしている『お仕事』に絡んでしまうから。
 一応、そのくらいの分別はある。そして――そんな凄い御先祖様がいるから、当主たる者、結構重要なお仕事もしなきゃならなくなるんだよね、と友人に対してはそれだけを簡単に纏めて告げた。
 が。
 友人は何故か、それどころではない様子で。
 何処となく、先程より動揺が増しているように見える。
 少しだが、顔色も悪いかもしれない。
 と。
「…御当主?」
 部屋の外から不審そうな声が飛んで来る。そこに居たのは、年配の男性――常駐している宮内庁の人。彼は綱の友人を視界に入れると、改めて綱を見る。…何やら様子を見に来たらしい風である。
「…部外者の方をこんなところまでお連れしては」
「って学校の友達だよ。…あ、ここまで来ちゃまずかったか」
「…渡辺家の至宝ですから、御身内以外には、あまり」
 友人がその場に居る事を気にしてか言葉を濁すようにそう告げ、宮内庁の人は綱へと頷いて見せる。綱は――わかったと素直に頷いた。…確かにまずかったかもしれない。自らの家の誉れ、その証、渡辺家の宝刀。大切なものだからこそ是非とも友人に見せたかったのだが――見せない方が良かったのかもしれない。友人の今の様子を見れば思う事。こんな機会は、自分が『覚醒』してから今まで一度も無かったから――宮内庁の人からも、誰からも何も言われた事は無かったのだけれど。

 …これは多分、『御霊髭切』の。



 やや顔色が悪い――けれど恐らく自覚の無いだろう友人に、そろそろ休もうかと促し、祭壇のある部屋から廊下に出て――少しすると。
 また友人がひそっと声を掛けて来た。…やはりあの部屋を出れば、調子は戻っているらしい。
「…今の人も使用人さん? それともお前んちって結構由緒正しそうだから――分家とかの人って事?」
「今のは宮内庁の人」
「…は?」
「ん? あぁ、あんまり気にすんなって。こっちこっち」
 宮内庁の人との発言に停止する友人を、にっこり笑って綱は手招き。…宮内庁の人がその肩書きを一番表に出した状態で個人の家に居ると言うのも、あまり聞かないかと友人の反応で綱は初めて自覚。それはお仕事として宮内庁に勤めている、と言うのならまだわかり易いだろうが、個人の家であるならそれ以前の肩書きがあると思われて普通かもしれない。…家族だとか――ここで言うなら使用人さんだとか。何故か今は綱の小父さん――父親かとは訊かれなかったが。まぁそこは好都合。
 二人は暫く歩いて、一室へと入る。
 その時点で友人はまた停止。
 何事かと思えば――たった一室なのに部屋が広過ぎるとか茫然と呟かれ。…確かにこの部屋二十畳くらいあるけど。綱がそう言ったらまた友人は停止。まぁ落ち着けよと座布団取り出しその一角に腰を据える。と、先程玄関先に居たのとは別の使用人さんがそのタイミングでお茶やら茶菓子やらを運んで来た。そして一礼、にっこり微笑みごゆっくり、とばかりに部屋から退室。使用人さんも客人が居ると予め把握できていればそれなりの対応はしてくれる。…ただ使用人さんは反復マニュアル対応なので、ちょっとでもイレギュラーが起こるとまともな反応が返るかいまいち謎なところが玉に瑕。そして綱が私的に友人を連れてくるなどと言う事は九割方マニュアルに入っていないので――余計に反応が奇妙になり易い。
 運んで来てもらったお茶とお茶菓子を、友人に勧めながらも綱は取り敢えず先に手を出した。…同席している友人の方がどうも妙に緊張してしまっている気がし。その緊張らしきものを解す為に自分から美味いよとそれらを食べて見せている。それで一応友人の方もお茶と茶菓子に手を付けはするが――何だか、心ここにあらずと言った様子は変わらない。
 その後、一応落ち着いたところで綱が気になったのは友人の持って来た大きな手提げの紙袋。楽しみにしてろよと自信ありげに言っていたその中身は何か改めて訊いてみると――ゲームとかマンガとか雑誌とかとしどろもどろに説明だけ説明。その説明におお、と綱。確かに前々から興味はあったが、綱としては触れる機会に乏しかった品々。反射的に見せてと頼み込むが――それに頷く友人の態度が何故か、楽しみにしてろよと言っていた…来た当初とは随分と違う気がする。
 いや、態度が違うと言うか――ひょっとして、気分が悪くなってしまったのだろうか。
 …考えてみればうちに来てから彼の様子は少し変だ。それに先程の髭切の祭壇での件もある。事ある毎に驚いている風なのも――初めて来た環境だからこそなのかもしれない。綱は心配に思い、大丈夫かと訊きながら使用人さんを呼ぶ――呼ぼうとするが、今度は友人は必死で制止してきた。使用人さんを呼ぶ事それ自体を。
 綱の頭の中では疑問符乱舞。いや、だって、調子悪いんだったら休んだ方が???
 思うが、友人は綱にすがり付き必死で頭を横に振っている。…何やら真剣だ。

 そんなに止めるなら呼ばないけどさ?
 本当に調子が悪いんだったら――その時は、早く言えよな?
 …使用人さんに休む場所用意させるから。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月12日

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