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『暁の 』
槻島・綾2226)&千住・瞳子(5242)

「…朝顔のつぼみに、小さな紙の筒を被せておくんですよ」
 不意に、そんな言葉が青年から漏れた。
「……え?」
 聞き返すのは、色とりどりの花がある鉢植え――ではなく、その花に視線を注ぐ槻島綾の横顔に見入っていたため、言葉を聞き逃した女性…千住瞳子。自分のしていた事に気付いてほんの少し目の縁が赤くなり、そっと手でそこを押さえる。
「やりませんでしたか?観察日記」
 綾は、そんな瞳子の様子に気付いているのかいないのか、微かな笑みと共に顔を横に向け、隣に立っていた瞳子に問い掛けた。
「あ――、もしかして、花が開く様子を観察するために?」
「ええ、そうです。最初は真面目に早起きしていたんですけれど、ね」
 僅かに脳裏に残っていた、綾の言葉を必死に思い返しながら応えた瞳子に、こくりと頷く。
「途中でその方法を友人から教わりまして。途端に朝寝坊するようになりました」
 くすりと、綾が笑う。…眼鏡の奥の、緑色の瞳が柔らかく揺れた。
「私は…残念ながら、その方法を教わったのは、全てが終わった後だったんです」
 毎日せっせと目覚ましをかけて、朝もまだ暗い内から起き出していた。眠たい目を擦りながらの観察日記は、一番正確に描写されていると発表会で褒められた記憶もある。
「瞳子さんらしいですね。その当時の事が目に浮かぶようです」
「あ、あまり想像しないで下さい、恥ずかしいですよ…」
 会話しているうちに少し落ち着いて来たというのに、そうやって綾に見詰められ、再び目元が色付いてくる瞳子。そんな彼女の様子をもう一度微笑んで見た綾が、
「それにしても、目移りしますね。…そうだ、瞳子さん。貴女が選んでくれませんか」
「え、あの、私…ですか?」
「はい」
 にっこりと笑って頷く綾。
 その後ろには、ずらりと並んだ色とりどりの朝顔の鉢が並んでいた。

*****

 ――朝顔市に行きませんか。
 瞳子が綾に誘われたのは、昨夜のこと。
 入谷の名物となっている、夏の朝顔市…7月初旬に行われるこの行事には、毎年沢山の人が訪れている。
 言問い通りにずらり並んだ朝顔市の屋根と、その間を通る人で、これから訪れる真夏を連想させる暑さになっていた。
「混む前にと思って早めに来たんですが、もうこんなに人が来ていたんですね。少し遠くに駐車して正解でした」
 瞳子の家から、早朝のドライブを楽しんだ後、市が開く直前に入谷に入った綾がそう言って微笑む。
「本当ですね。あっ、もうあんなに花が」
 売り物用に開花時間を遅らせたのか、花を開いた朝顔の鉢が次々に市場の中に並べられて行く。
「行きましょう。そろそろ店開きのようです」
 瞳子の言葉に同じ方向を見た綾がそう言って、瞳子を促した。
 そして、いくつかの店を回り、冒頭の言葉となったわけだったが――。
「………」
 悩む。
 選ばせて貰ったのは嬉しいが、綾が気に入るようなとびきりの鉢を選びたい。そうして褒めて貰ったらどんなに嬉しいかと、余計な事まで考えてしまうものだからなかなか決まらない。
 たいして時間は経っていないのだが、もうずっと待ちぼうけを食わせてしまっているような気になり、瞳子は落ち付かない心持ちでひとつひとつの鉢を見て回っていた。
 その時、目に鮮烈な青が飛び込んで来て、思わずその鉢の前で足を止める。
 ――それは、青。いや、紺だろうか。境目にすっと白を筆で刷いたような、鮮やかなコントラストを見せる花に目を奪われ、そして顔を上げて、ずっと見守っていたらしい綾と目を合わせる。
「これ――なんか、どうでしょう」
 語尾はちょっと自信無さげに、鉢植えを見せた瞳子の近くに寄って来た綾が嬉しそうに笑い、
「いい色ですね。これにしましょう」
 即答して、鉢植えを持ち上げた。
 ――早朝に輝く星のように、すっきりと立つその姿。綾のこころに叶った鉢を選べた事に、隠し切れない喜びが滲み出ている彼女には、綾が手にとった朝顔と、瞳子とを重ねて見ている事など思いもよらない事だったろう。

*****

 白いビニールに包まれた鉢を、大事そうにぶら下げながら、2人はそのままぶらりと鬼子母神のある一角へ向かっていた。
「日が強くなってきましたね」
「そうですね…」
 後少しすれば夏休みに至る、そんな時期の鬼子母神は、この朝顔市から流れて来る者も多くいるのか賑わいを見せていた。やや小ぶりな朝顔の鉢を商っている場所もあり、時折通る風にさわさわと葉を揺らしている。
「この時期になると、夏が遠くなったと感じる事があるんですよ」
 そんな朝顔を眺めていた綾が、瞳子に何か思いついたように話し掛けた。
「夏が…遠くなる?」
「ええ」
 こくり、と頷いて、境内の日陰へと移動して瞳子を誘い、
「20年前は思いもしなかった事ですけれどね。あの頃の夏と今の夏では、感じ方が違います。大人になってしまったと言う事なのかもしれませんが…」
 虫取り、水浴び、山登りに海水浴。ようやく乗れるようになった自転車で競争しながら近所のプールへ向かう、小さな姿を思い浮かべる。
「…私も」
 瞳子が小さく呟くように、それに追随した。
「それは感じた事があります。今のように日焼けを気にする事もありませんでしたし、太陽はもっとずっと近かったと…」
「そうそう。…背が伸びたら、太陽がもっと近くに来ると思っていたんですけれどね。気がついたら、手が届かないと言う事も理解出来る年になってしまっていました。そう言えばあの頃の朝顔は、夏が終わる前に枯れていましたっけ」
 ――同じです、とほんの少し恥ずかしそうに、瞳子が呟く。
「こうして朝顔市に来るまで、そんな事も忘れていました」
 互いに顔を見合わせて、くすっと笑みを零す。
 そんな他愛もない会話が、ちょっとした共通点が、何故か心をわくわくと躍らせていた。
「植物を育てるのは難しいとつくづく思い知りましたよ。枯れないようにと水をあげ過ぎたら、今度は根腐れを起こしてしまって。それまで人生に怖いモノなしの生意気な小僧にとっては、最初の挫折でしたね、あれは」
「まあ」
 その言い回しがおかしかったのか、瞳子が目を輝かせながらくすくすと笑う。
「加減が大切なのは、子育ても同じ事かもしれませんね」
 ――丁度、この場所が鬼子母神の境内だった事を思い出し、表へ頭を巡らせながら綾が言う。それから笑顔で振り返り、
「子どもの頃は上手く育てられなかった朝顔も、今度は2人で大切に育てたら、きっと毎年綺麗な花が咲くと思いますよ。――そう、思いませんか?」
「そうですね…って、あの、毎年って」
「あっ…――ええと。ほ、ほら、今みたいにちょくちょく顔を合わせたりしますし、その時に、こう…」
 普段はほんわかしているだけの人という印象を持たれている綾が、珍しくちょっと慌てたように言葉を重ね、
「そ、そうですね。私が綾さんの所へ遊びに行った時に、お世話したりも出来ますし」
 そんな綾の顔がほんのりと赤く染まっている事に気付かないふりをしながら、瞳子も同じく顔を赤らめつつ、こくこく、と一所懸命に頷いた。
「お、お参りして行きましょうか。私達にはまだ早いかもしれませんが――って、いえ、まだと言うのはそう言う意味ではなくてですね」
 話題を逸らそうとして思い切り失敗した綾が、よせばいいのに変に言い訳している様子を見て、先に落ち着きを取り戻した瞳子がにっこりと笑い、
「はい。お参りして行きましょう、綾さん」
 その漆黒の瞳を柔らかく細めながら、ゆっくりと頷いた。

*****

「――参りました」
 それから何とか落ち着いた綾と、軽く食事をしての帰り道。信号待ちに入ったところで、ふぅと息を吐いた綾が苦笑いを浮かべる。
「どうかしたんですか?」
「不用意な発言をしてしまったと、自分を戒めている所です」
 そう言いながら、ゆるりと車を発進させた。普段から乗り回しているせいか、車の動作は非常にスムーズで心地良い。
「そんなに気にしなくても良いと思うんですけど…」
 今朝から振り返って見ても、気まずくなるような事は特に言っていなかった筈、と思いながら言葉を選ぶ瞳子に、
「年上なんですから、もっと大人らしく、落ち着いた雰囲気をと思っているのですけれどね。何故か、瞳子さんと一緒にいるとそのペースが乱れる事が多くて」
 前方へ顔を向けたままの会話だからか、綾の表情は穏やかなまま。瞳子が不思議そうに首を傾げ、
「私には充分落ち着いて見えますよ?」
 そう言った後、小さく笑みを浮かべて、
「…でも、そうして落ち着いたままでいて貰えるよりは、自然体の綾さんの方が素敵です」
 微笑を浮かべたまま、きっぱりとそう言いきった。
「自然体、ですか。――我儘でも?」
「はい」
「年相応の振る舞いを見せなくても?」
「勿論です」
「…甘えたり、妬いたり、…時には迷惑をかけてしまったりしても、良いんですか」
 おおよそ綾の行動としては似つかわしくないものを次々と挙げて行く綾。そのひとつひとつに、こくこくと頷きながら瞳子が答えて行く。
「だって私は、――その…綾さんの、表だけを見て、それが綾さんの全てだと思いたくないですから」
 自分の事も、表面だけを見て、それが瞳子そのものだと思わないで欲しい、そんな願いを込めながら、言葉を選んで行く。
「………」
 綾は、暫く無言のまま車を走らせていた。何か気に障るような事でも言ってしまったかと、瞳子が不安になり、その横顔を見て――ぱちぱちと目を瞬かせる。
 口元をぎゅっと閉じた綾のその顔は、それでも堪えきれない笑みをじわじわと浮かび上がらせていたからで。
「…私は……今、隣にいるのが瞳子さんで良かった、と思っています」
 それから、ふっと身体の力を抜いた綾が、真っ直ぐ前を向いたままそんな事を呟いた。

*****

「今日はありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。とても楽しかったですから」
 車から降りた瞳子を眩しそうに見ていた綾が、にこりと笑う。
「今度またどこかへ誘わせていただきますね」
「はい。――あ、私からも誘わせて下さい。綾さんが気に入らない場所でしたら、断わって下さっても結構ですから」
 そんな事は、と言いかけた綾が瞳子の顔を見て、ゆったりとした笑みを浮かべ、
「分かりました。駄目なら駄目と遠慮なく言わせてもらいます」
 目を見交わして、また笑う。
「それから、半分勢いですが、誘わせてもらいます。――いつか、この朝顔が咲くところを一緒に見ませんか」
 …通常、朝顔の開花時間は、夏場なら早朝。早ければ日が昇るずっと前に咲くこともある。その事を知った上での言葉と瞳子も気付いたが、すっと目を細めるとにこりと笑い、
「その時は、是非――宜しくお願いします」
 静かにぺこりと頭を下げた。
「良かった。断わられたらどうしようかと思いました。それでは…瞳子さん。また今度」
「はい。またお会いしましょう」
 ゆっくりと手を上げる瞳子の目の前で、車がするすると走り出す。
 そこに一抹の寂しさを感じずにはいられなかったが、その時。

 ――後部座席に置いた、あの深い青がその目に映り。

 そして、瞳子は我知らず微笑んでいた。


-END-
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
間垣久実 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月11日

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