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『空から来た人魚姫 』
クレメンタイン・ノース5526

 天空のどこかにある雪の宮殿。そこには美しい女王と愛娘たち、そして多くの配下たちが暮らしている。冬の間は各地へ飛んで雪を降らせたり北風を紡いだりなど己の為すべきことを行っているのだが、夏はといえば皆中庭にある大きな水時計の音を聴きつつ、たゆたうように眠り込んでいるのだった。
 かちん、かちん。
「・・・・・・」
眠り込んでいる、はずなのだが。
 雪の女王の枕元で、もう何日も単調なビー玉を弾く音と、きゃっきゃと笑う子供の声とが続いていた。クレメンタイン・ノース、女王の娘の一人である。雪の精は夏眠るものと決まっているのに、クレメンタインだけは、目をぱっちりと開いて遊びつづけているのだ。
「クレメンタイン、お止めなさい」
女王が母の声でクレメンタインからビー玉を取り上げたことも、一度や二度ではない。しかしその度クレメンタインはぽろぽろと涙をこぼし、その涙がまたビー玉になって、クレメンタインを喜ばせるのだった。
「眠くはないのですか、クレメンタイン」
「いいえ、お母ちゃま」
「それでは眠れるようになにか、ご本を読んであげましょうか」
じゃあ人魚姫がいいとクレメンタインが言ったので、女王はクレメンタインを膝に乗せて絵本を開いた。ゆっくりと読めば、次第に瞼も閉じていくだろうと思われたのだが、しかし人魚姫はクレメンタインの一番のお気に入りで、逆効果であった。
「お母ちゃま、次は、次は」
本当は眠くてたまらない女王、絵本のページを開いたままうとうとと船をこぎかけてはクレメンタインに指を握られ起こされる。三歳のクレメンタインは冬の間も自由に遊んだり眠ったり、気ままに過ごしていたので夏眠の必要がなかった。
「・・・クレメンタイン、すみませんがお母さまは眠らなければならないのです」
「おねんね?」
「ええ」
「それじゃ、明日起きたらまたご本の続きね」
「明日も明後日も、半年先までお母様もお姉さまたちも目覚めません」
「・・・・・・」

 クレメンタインの大きな目が丸くなり、それからふにゃあと形を崩し、涙の海をいっぱいに浮かべた。なんでそんないじわるを、と言わんばかりの表情であった。
「お母ちゃま、それじゃあクレメンタインは一人でお遊びなの?」
そんな寂しい思いはさせませんよと女王はクレメンタインの黒髪を撫でた。だが、本当のところはクレメンタインを一人にしておいたらなにを仕出かすかわからない、という不安のほうが大きかった。
「お母さまの大叔母さまにあたる方が、ずっと昔人間の世界へ下りて、子孫の方がそのまま生活をされています。そのお家で、あなたを預かっていただこうと思います」
人間の世界、と聞いてクレメンタインがぴょんと跳ねた。好奇心の強い性格なので喜んでいるのかと思いきや、なにかを恐がっていた。
「どうしたのです、クレメンタイン」
「いやあ、お母ちゃま、クレメンタインは行きたくないの」
「クレメンタイン?」
「だって、人間の世界へ行くとクレメンタインはおしゃべりできなくなるんでしょ?足が痛くって、歩けなくなるんでしょ?」
「・・・・・・」
クレメンタインは、絵本の人魚姫と自分を混同していた。
「クレメンタイン。彼女は周囲の許しを得ずに人間の世界へ行こうとしたから声を失ったのですよ。あなたは、私が許しているのですから大丈夫です」
「ほんと?」
本当ですと念を押すと、それなら行くとクレメンタインはこっくり頷いた。妙なところで思い込みが激しく、妙なところで素直なのである。
「さて、問題はどうやってあなたを送り届けるかですが・・・」
季節が冬であれば北風に乗せてこの小さな体を運べるのだけれど、冬の精霊の能力は夏になると効力が薄くなる。
「そういえば、人間界には冷えたものを運ぶ道具がありましたね」
それがクール便という名前だということを、女王は後で知った。

 クレメンタインがすっぽりと入りそうな、棺桶にも似た大きな箱が見つかる。他の荷物と一緒に運ばれている間、息が苦しくないようにと空気穴をあけ居心地をよくするために羽根布団を重ねた。
「ここにお入りなさい、クレメンタイン」
「ねえお母ちゃま、これも持っていっていい?」
人魚姫の絵本を抱くクレメンタイン。
「あとね、アイスとね、メロンとね」
「そうですね。あなたが寂しくないよう、いろんなものを一緒に入れておきましょう」
普段は感情を表に出さない女王だが、今日だけは娘に甘い母親だった。ねだられるままにクレメンタインの好きなものを詰めて、最後に
「お家の方に、この手紙を渡すのですよ」
と、真っ白い封筒に入った手紙をクレメンタインのポシェットの中に入れた。クレメンタインは忘れないようにとポシェットを手の平で二度叩き、それから母の胸にぎゅっと顔を埋め、涼やかな母の香りを吸い込んだ。
「ねえ、お母ちゃま。どうしよう」
さすがに別れが切なくなったのかと、女王はクレメンタインの小さな体を抱きしめようとした、のだが。
「くーね、楽しみで楽しみでわくわくするの」
「・・・そう、ですか」
やっぱり、最後には喜ぶらしい。思わず己の手の行き場をなくしてしまった女王。クレメンタインの心はこの箱と同じで、楽しみや喜びというものだけが詰め込まれており、悲しみというものは一瞬で通り過ぎていくのだった。
 人魚姫の絵本を胸に、クレメンタインは箱の中に収まった。蓋を閉じるとき、悲しくなったのはやはり状況を理解している女王のほうであった。
「クレメンタイン」
「はい、お母ちゃま」
「向こうの方に、ご迷惑をかけてはいけませんよ」
女王は、あくまでクレメンタインがなにか仕出かすことを恐れていた。わかりましたという元気のよい返事を聞いて、その返事がどれだけ確実かはわからないが、女王はクール便の封をした。

 それから三日後の夜。東京のとある平凡な家庭にクール便が届いた。配達してくれた男性が肩にかつがなければならなかったほど、巨大な箱であった。
「うわ、なにが入ってるんだろう。お母さん、開けてもいい?」
いいわよという母親の声を待って、その家の子供が箱に貼られた茶色のガムテープを剥がした。べたべたと手に貼りつくそれを丸めてごみ箱へ放り込み、一体なにが入っているのかとわくわくしながら蓋を開け。
「うわあ」
目を見張った。
「お母さん、果物の詰め合わせだよ」
ミカンと、モモと、イチゴも入ってるよと子供ははしゃぐ。どうやら、その中央に眠る少女にはまったく気づいていないらしい。一方少女、クレメンタインも四角い箱に揺られての長旅に飽きて、眠ってしまっていた。
 冷凍されて運ばれてきたおかげで、固くなった果物の表面を指で押しながら、子供はどれから食べようかと吟味を始めた。やがて、白羽の矢が立ったのは。
「メロンを食べよう」
固くなったつるの部分をつまんで、もう片方の手でメロンのお尻を抱いて、持ち上げようとした。だが、メロンと聞いた途端クレメンタインの目がぱちりと開き、食べられてなるものかとばかりに細い両腕でメロンにぶら下った。
 その結果、持ち上げようとしたメロンにクレメンタインがついてくるという格好になった。
「・・・・・・」
「これ、くーのなの」
「く、くー?」
「くーはね、クレメンタイン・ノースなの。よろしくなの」
「よ・・・・・・よろしく」
丸くなったその瞳はまだ、その中に映る少女が家の中に嵐を巻き起こす、やんちゃな人魚姫であることには気づいていなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
明神公平 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月05日

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