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『■+ 思いはまるで波紋の様に…… +■ 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)

 削り取られたデータは、まるでリアルワールドで見る雪の様に白かった。
 その存在は無垢ではありえないまでも、ただそこに残骸としてあるのは、未だ汚れを知らぬ処女雪にも見えたのだ。
 けれどそれは、彼──モーリス・ラジアルに取って、冷めたコーヒーよりも苦く不味いものであった。
 人を安心させることが出来る容貌を、今は少しばかり険しくしているのは、眉間に刻まれた皺の所為なのかもしれない。
 庭に咲く花々を手入れしつつ、けれど心は晴れない。
 はあと大きく吐く溜息が、その花達をひっそりと戦がせる。
 「私らしくもありませんが……。暑さの所為もあるのでしょうかねぇ」
 元気がないと言う訳ではないのだが、鬱々としてしまうのは頂けない。
 常ならば、その金の髪は日の光を受けて艶やかに輝いているのだろうが、今はそれさえも少しばかりの翳りがある様な気もする。
 人の入る場所では、気落ちした素振り等ちらとも見せないモーリスではあったが、こうして一人でいるとどうしてもあの時のことを考えてしまうのだ。
 吐息一つ、手にした散水具を捻ると、冷たい水が迸った。
 宙を走る水飛沫は、植物達へと行き渡り、更にその場所へ小さな虹も作り出す。
 「後悔先に立たずと、こちらの人達は言うのでしたっけ」
 虹を眇めた目で眺めつつ、モーリスはそう呟いた。



 彼の庭師に溜息が多くなったことと何か考えた風に見えるのは、あの一件からであったなと、不意に彼は気付いた。
 落ち込んでいると言うのではないだろう。
 そんな雰囲気ではないのだ。どちらかと言えば後悔……だろうか。
 他の屋敷の者達には気取られてはいないが、彼が解らない筈はない。
 月の光を編み込んだ様な銀糸をついと梳き、セレスティ・カーニンガムは青い瞳を瞼で隠して物思う。
 下で働く者達の状態をきちんと把握していることが良き上役の条件であると言うならば、セレスティは十分すぎる程に当て嵌まった。ほぼ視力の失せた瞳であるも、彼には誰とも比べるべくもない鋭い感覚を有しているのだ。
 気付かぬ筈もない。
 もしかすると、普通に暮らしている者達などより、ずっとずっと物事の真なるを理解しているのかもしれなかった。
 「お節介は程々に……とは申しますけれど……」
 このままではあまり楽しい状態でもないだろうと。
 そう思う。
 溜息の理由が、恐らく少し前の依頼の件であろうとは、ほぼ確信と言っても良い。
 あの件はセレスティに取っても、心楽しいことではなかったのだ。
 はっきり下世話に言えば『ムカつく』と言ったところだろう。
 出し抜くことは大好きだが、出し抜かれることは嫌いである彼だ。
 「気晴らしになると宜しいのですけれど」
 そう呟いたセレスティは、杖を持ち、そっとその場を離れたのである。



 「モーリス」
 そんな風に声を掛けると、彼の庭師は驚いた様に振り返った。
 「セレスティさま。どうかいたしましたか? 御用でしたなら、私の方が参りましたのに」
 何だか殊勝な言い様に、セレスティは少々可笑しくなってしまう。
 決して、モーリスが不忠であると言う訳ではない。むしろ逆である。だが、素直ではないのだ。そんな彼が、持って回った言い方ではなく、素直にそう言うことが可笑しい。
 まあ、それだけ何時もとは違っていると言うことの、証明なのかもしれないが。
 「いえ、たいしたことではありませんよ」
 「?」
 やはり何時もとは少々違うなと、セレスティには感じられる。
 「ゲームを致しませんか? ……と思いまして」
 「……またですか?」
 にっこりと微笑むセレスティを見て、恐らく彼は、少しばかり前にやったゲームのことを思い出したのであろう。眉間に皺を寄せていた。
 彼ら二人がゲームをするのは、別段珍しい話ではない。ちょっとした時間の合間に、良く二人でしているのだ。時折、罰ゲームなどもついていたり。
 そして少しばかり前、二人でカードゲームに興じた際、モーリスが負けてしまってエステへと行かされたことがあるのだ。
 ただ単にエステへ行くと言うことなら、大した話ではない。
 罰ゲームたる所以は、それが『割引チケットでエステのコース』と言うことだった。
 しかもそのコースの数々が、モーリスに取ってあまり……いや、全く心楽しくなる様なものではなかった様だ。
 そもそも『割引チケット』と言うのが頂けないらしい。
 セレスティなどは、たまにはそう言った普通の人達が喜ぶものを楽しむのだって構わないとは思うのだが。
 去来した思いを走馬灯の如くに感じている様なモーリスを見つつ、セレスティは手にしている杖をゆっくりと撫でながら微笑みを浮かべた。
 「今回は罰ゲームはなしですよ。……もっとも、君がそれを望むなら、やぶさかではありませんけどね」
 その台詞に、モーリスは迷っている様だった。
 リベンジしたいとは考えているのだろうが、絶好調とは言い難いのを自分でも解っているらしく、結局否とばかりに首を振る。
 「で、今回はなんでしょうか? ブラックジャックですか? 同じようにポーカーですか?」
 「いいえ。久々に、アバロンをやりませんか?」
 予想外の名前に、モーリスの眉が面白いとばかり、跳ね上がった。



 『アバロン』
 それは卓上ゲームの一つである。
 六角形のボードの上で、黒白各十四個のボール──マーブルを使って、相手のそれを押し出しすゲームだ。
 簡単に言うと、ボールの押しくらまんじゅうである。
 噂では、数学者の学術会議で飛ぶ様に売れたとされるから、対象年齢が子供からであったとしても侮れない。これは戦略性第一のゲームなのだ。
 勝敗の決し方は、先に六つのマーブルがボードから押し出された方が負けと言う具合で、至極単純ではある。
 ルールも基本的には至って単純。
 基本は一回につき、自分のマーブルを一〜三個までを動かし、相手のマーブルをボードの外へと追いつめていくと言うことのみ。
 詳細を言えば、動かせるマーブルは、連続していなければならず、また、自分→相手→自分と言う並びでマーブルがある場合は、押すことが出来ない。更に押せる方向は直線方向のみであること。
 ちなみに相手のマーブルを押すことが出来るのは、相手マーブルが自分のマーブルより数が少ない場合に一マスのみ、同数かそれ以上である場合は、自分のマーブルを動かすのみである。
 これらを踏まえて、ゲームを進めるのだ。
 現在、彼ら二人の前にあるボードは、所謂接戦と呼べるべき状態である。
 互いに落とされたマーブルは四個。
 流石に、二人ともルールを熟知している為か、マーブルを一つだけ孤立させると言う愚は犯していない。
 「腕は落ちていないようですね。モーリス」
 微笑んで言うセレスティに、彼は不敵な笑みを浮かべて返す。
 「ええ。何事もじっくり考えて、けれど可及的速やかに行うことが大切だと、実感させられましたからね。そうそうに下手な手は打てませんよ」
 「おや、それはこの前の依頼のことを言っているのですか?」
 傍らにあるアイスティに口を付けつつ、セレスティが言う。
 このお茶は『水密桃紅茶』と言う種で、所謂フレーバーティである。熱く煎れても当然美味しく頂けるのだが、冷やすと新鮮な桃の味わいを楽しめるのだ。
 ストレスなども解消できる効能があるらしい。
 これを選んだセレスティの料理人は、誠に以て気が利くと言えるだろう。
 ちなみに彼らには関係のない話ではあるが、風邪やインフルエンザにも効くらしい。
 「そう取って頂いても構いませんよ」
 唇の端に乗せた笑みは、勝ち気でありつつ自嘲も含んでいるかの様に見えた。
 「まあ、逃してしまったことを言ってみても、仕方ありません。ツメが甘かったのかもしれませんしね」
 「今度から、問答無用で囲ってしまいましょうかねぇ」
 「それはまた極端な」
 何処かとぼけた風に言うモーリスに、セレスティはくすりと笑う。
 ついでにマーブルを一手進め、二つ連なっていた場所へと移して三つ並べた。
 「……」
 モーリスが沈黙したのは、己のマーブル二つが端へ追いつめられたことを見たからだ。
 「急いては事をし損じると申しますでしょう?」
 小憎らしい程に艶やかな微笑みは、ここに彼ら以外の者達がギャラリーとしていたならば、その場で天国の門を潜ってしまいそうに魅惑的だ。
 「それはセレスティさまでは?」
 更に巻き返しを図り、その窮状を脱した彼は、蠱惑的な笑みを浮かべる。
 「おやまあ。その様ですね。……それにしても、あの演技には騙されてしまいましたよねぇ。今回は私達の負けと言うことですか」
 負けを認めるのを渋るのは、あまりにみっともよろしくない話であることくらい、十分に解っているセレスティだ。
 ただ、感心した様に言ってはいるものの、その実、少々複雑な気持ちではある。
 見目の嫋やかであるセレスティだが、元より勝ち気な性分であり、計られるよりは計る方が好きなのだ。
 それなのに今回は……。
 そう思ってしまう。
 「……本当にあれは、演技だったのでしょうか?」
 アイスティを一口喉へと流し込み、彼は言う。
 「? どう言うことです?」
 モーリスは、どうにも腑に落ちないと言った調子である。
 「こう言ってはなんですが、私達は元より、人を見る目のある人間がそれなりにいたのですよ? それが揃って騙されてしまうなど、あまり考え辛いかと思うのです。まあ、あれは人ではありませんでしたけれど」
 「では君は、あれが本心から出た言葉であると?」
 「もしかすると……と思ったのです。私の負け惜しみかもしれませんが」
 モーリスの言に、ふむとばかり、セレスティは顎に手を当て考える。
 確かに、セレスティがコピーから読み取った情報からも、葛藤は感じられたとは言え、何か含みのあるところはなかったと記憶していた。
 コピーであるから、オリジナルの一部が欠けていた可能性も否めない。
 だが、オリジナルに出会った時にも、セレスティが読み取ったのは、純粋な気持ちだけだった。
 そう、彼らを騙そうとしている様には感じられなかったのだ。
 事務所に戻り、PCを介し意思疎通を計った時にもそれは同じ。
 「まあ、もう済んでしまったことをいくら言っても始まりませんね」
 「ええ、まあ」
 「それに、もしも私達が騙されていたのでしたら、それなりに純真な気持ちも残っていたと、そう言うことですよ」
 何処か悪戯な笑みを浮かべるセレスティは、ネットの中にいた少年の姿を持つ彼を思い出させた。



 アバロンは、通算五回の勝負が行われた。
 勝敗の行方は──、今回記すべきことでもないだろう。
 現在二人は、終了した時のボードを前に、何杯目かのアイスティを口にしつつ話し込んでいる。
 「そう言えば、少々気に掛かること……いえ、言葉ですね。それを思い出したのですけれど」
 「何ですか?」
 ティーカップを手にしたまま、モーリスは微かに小首を傾げて聞いた。
 対するセレスティは、自分のティーカップの縁をなぞりつつ、ゆっくりと口を開く。
 「モーリスは、覚えていますか? 年末の一件を」
 セレスティの脳裏には、あの年末の依頼が浮かび上がっていた。
 その時あれは言ったのだ。
 『これは形代ですからねぇ、まあ、トカゲの尻尾みたいなものと思って下さいね。少々驚きましたけど。何を取られても、どんな形であっても、僕はまたすぐに増えますから』
 そんな風に。
 「ああ、そう言えば、そんなことも言ってましたねぇ。切っても切っても直ぐ生えてくるなんて、分裂して増える単細胞生物なみですよね」
 モーリスがしれっと言ってのけるが、セレスティの考えていたことは、まさにその言葉にあった。
 「今回に限らず、私達は捕まえようとしていましたが、もし、もしもですよ? あれの言う言葉が本当であれば、捕まえたとしてもイタチごっこになるのではないでしょうか?」
 「捕まえられない、……そう仰るのですか?」
 驚いたとばかりに、彼は口に運ぶ手を止め、眉を顰めてそう問いかける。
 「いえ、そうではないのです。ただ、形代と言う言葉は、身代わりと言うことです。身代わりと言うからには、本体が何処かにいるのでは……と、そう思ったのですよ。だからこそ、あれは直ぐに元の形へと戻るのではないかと」
 「現れているのは、どれもこれも偽物であると言うことですか?」
 心底イヤな顔をして言う彼に、セレスティは微かに破顔した。
 「さあ……どうなのでしょうか。ふと、気になったものですから」
 暫しの沈黙が落ちるが、それを破ったのは、何処か不敵なセレスティの台詞だった。
 「それにしても、遊び相手として認識されていたのなら、余り愉快ではありませんねぇ」
 「色んな意味を込めて、リベンジなどしてみるのは如何でしょう?」
 そう言うモーリスからは、もう既に後悔など微塵も感じられない。
 「それは、……とっても楽しそうですねぇ」
 受けたセレスティの微笑みは、まるで悪戯を思いついた子供の様に見えたのだった。


Ende

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年08月02日

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