『きっと次の夏も 』

藤井・蘭（2163）＆藍原・和馬（1533）＆藤井・葛（1312）

　舗装の悪い山道を登り切ると、フロントガラス越しの視界にパッと青空が広がった。
　視線を下ろせば、はるか遠くにきらめく波間。窓から入ってくる風に、微かに潮の香が混じり始めていた。
　これで助手席に恋人が座っていれば、夏のデートの雰囲気満点なのだが――ハンドルを握る藍原・和馬（あいはら・かずま）の隣にシートベルトまでつけて鎮座しているのは、残念ながらトボケた顔をした黄色いアヒルちゃん型浮き輪だった。
　和馬はバックミラー越しに、後部座席をちらりと伺い見た。
「ほら、蘭。海だ！」
　窓の外を指差した少女は、藤井・葛（ふじい・かずら）。真夏でも白い肌に、絹糸のような黒髪が映える。和馬とは友達以上のような、恋人未満のような……まあ、そんな仲だ。
「うみー！　海なのー！　広いな大きいな、なのー！」
　葛の指差す先を見て歓声を上げたのは、藤井・蘭（ふじい・らん）。見た目は緑色の髪の毛をした男の子だが、実はオリヅルランの化身であり、葛の父が娘の一人暮らしを心配して寄越したお目付け役でもある。
　テレビで海洋ドキュメント番組を見ていた蘭が「行きたいのー！」と言い出したのは、まさに鶴の一声だった。じゃあ穴場の海水浴場を知っているから連れて行ってやろうか、と和馬が提案すれば、当然蘭の保護者として葛がついて来ることになり。
　結果、ごくごくナチュラルな流れで一緒に出かける約束を取り付けられることとなったのだから、和馬は可愛い弟分にいくら感謝しても足りない。
「和馬おにーさん、海、もうすぐなのー？」
「ああ、もうすぐだ。しばらく揺れるから、ちゃんと後ろで座ってシートベルトしてるんだぞ」
　運転席と助手席の背凭れの間からにょこっと顔を出した蘭の頭を和馬はわしわしと撫でた。
　夏に海。二人きりではないものの、これは立派にデートだよな、と。ブレーキを踏み込みながら、和馬の顔には自然と笑みが浮かぶ。
　曲がりくねった山道を、入道雲の立ち昇る海へ向かってゆっくりと、車は下って行った。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　＋＋＋


「よいしょ、っと！」
　白い砂の照り返しに目を細めながら、和馬はテーブルの上にビーチパラソルを広げた。一緒に海の家でレンタルしてきたビーチチェアをテーブルの周囲に広げると、今日一日を過ごす基地の出来上がりである。
　和馬の足許にまとわりつきながらパラソルを見上げ、蘭はご機嫌でぴょんぴょん跳ね回っていたが、しばらくすると早く海に入りたくてたまらなくなってきたようだ。
「持ち主さん、遅いのー」
　と女性用更衣室のほうを見やる蘭に、和馬は人差し指を立てて言う。
「いいか蘭。男と違って、女の身支度は男と違って色々手間隙かかるんだぜ」
「そうなのー？」
　蘭も和馬も、既に着替えを終え、水着の上にパーカーを羽織った姿だ。いかに普段から手際の良い葛でも、男の着替えの早さには敵うはずがなく、まだ更衣室から出てくる気配はない。
　砂浜から海を眺めれば、たくさんの海水浴客たちが浮き輪やフローターで波間に遊んでいる。打ち寄せる波や、あちこちで上がる楽しそうな声に、蘭の好奇心は頂点に達したようだ。
「ちょっとだけ、先に遊んでくるのー！」
「あ、こら！」
　和馬が止める間もなく、蘭はパーカーを脱ぎ捨てると、黄色いひよこちゃん浮き輪に足を通して駆けて行く。
　白い波飛沫を散らしながら海へ入り、緑の頭が沖へ向かって……進もうとしたところで、大きな波が来た。ざぱーん、と打ち寄せた波が引いた後、蘭は貝殻よろしく、ころりと砂浜に打ち上げられている。
「わーい、なのー！」
　冷たい波の感触に、蘭は歓声を上げて再び海へ挑む。そうして波に押し返されるのを二回繰り返したが、三回目には砂の上に座り込んでしまった。
「ふにー」
　これはこれで楽しい。しかし、他の人たちが楽しそうに泳いでいる場所に辿り付けないのでは何故だろう。蘭の頭の中は疑問で一杯だ。
「あー……。とりあえず、バタ足教えてやらなきゃな」
　蘭の後姿を眺めながら頭を掻いた和馬の背後に、影が差した。
「和馬。蘭はさっきから何をしてるんだ？」
　振り向けば、葛だった。白いホルターネックビキニに、パレオを巻いている。パレオの色は上から下へ、青から水色のグラデーションになっていて、海の色に似ていた。
「悪いな。後ろを結ぶのにちょっと手間取って遅くなった」
　下げて来た大きなバスケットをとりあえずテーブルの上に置くと、葛は手間取ったという首の後ろの結び目を気にする仕草をしながらパラソルを見上げた。
「やっぱり、これだけ陽射しがきついと日陰が要るな。これ、レンタル料金幾らだった？　後で高速代と一緒にワリカンにするから、…………うん？　どうした和馬」
　和馬が黙っているのに気づいて、葛は首を傾げる。
「水着、どこかおかしいか？」
　自身の体を見下ろしながら、葛がくるりと回ると、パレオの裾が海風をはらんで広がった。すらりとした白い脚が覗く。心臓に悪い。幅広のホルターネックタイプの肩紐で胸元の露出は抑えられているのだが、後ろを向けば肩甲骨のあたりはがら空きなのがまた、心臓に悪い。
「い、いや。変じゃない変じゃない」
　別に水着なんだから、遠慮なく見ても良いはずなのになんとなく目のやり場に困って、和馬はぶるぶる頭を振った。
「変じゃないっつうか、むしろ、こう、あー、……いやいや」
「持ち主さーん、和馬おにーさーん！　海に追い出されるのー！」
　和馬がいささか挙動不審になってしまったところで、蘭が波打ち際から戻ってきた。蘭にそんなつもりはないのだろうが、フォローとしては絶妙のタイミングである。
「追い出される？　……ああ、成る程。それでバタ足か」
　葛はくすりと笑って、蘭に手を差し伸べた。
「最初は、俺と手をつないで海に入ろうか」
「わーいなの！　持ち主さんといっしょなのー！」
　蘭は葛の手を取って、嬉しそうにぶんぶん振り回す。そのまま海へ行ってしまうかと思いきや、不意に逆の手で和馬のパーカーの裾を引いた。
「和馬おにーさんもいっしょだと、もっといいの！」
　ということで、蘭を挟んで手をつなぎ、三人でパラソルの下を後にした。
「ひと泳ぎしたら、お昼にしよう。お弁当、蘭と一緒に早起きしてたくさん作ってきたからな」
　冷たい水に足を浸しながら、不意に思い出したように葛が言った。
　振り返れば、パラソルの下に置いたバスケットが見える。これってかなり幸せなんじゃないか、と波の音に紛れてこっそり呟いた和馬を、笑顔の蘭が手招いた。
「早く海へ入るのー！」
「よし」
　ニッと笑って、和馬は蘭を追い越した。
「あっ。和馬おにーさん早い！　ずるいのー！」
　あっという間に蘭の背の立たないとこにまで言ってしまった和馬に、蘭が非難の声を上げる。
「俺は向こうで待ってるから、葛と一緒にがんばって追いついて来い。俺の指導は厳しいぜ！」
　波際の二人に向かって手を振ると、和馬は遊泳可能区域の境界を示すブイに向かって泳ぎ出した。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　＋＋＋


　蘭がバタ足をマスターし、浮き輪を使って葛や和馬と泳げるようになったところで、いったん泳ぎを切り上げて昼食を摂った。
　テーブルの上に広げられたのは、おにぎりにゆで卵にウィンナー。
　三辺等しい三角形に、きっちり海苔を巻いてあるのが葛作、ちょっぴり歪な丸いおにぎりが蘭作。可愛らしくタコさんカニさんになったウィンナーは、葛が細工したのだと、蘭が嬉しそうに説明した。
「簡単なものばかりで済まないな。本当はサラダなんかも入れたかったんだが、海は暑いから悪くなるといけないと思って」
　葛は少々申し訳なさそうにしていたが、泳ぎ疲れた体にはシンプルな炭水化物ものが一番美味に感じられる。一通り食べ終わると、冷凍して来たという冷たい麦茶をお代りして、和馬はすっかり満足した顔で目を細くした。
　蘭も食べ終わって、テーブルの下で砂地につかない足をぶらぶらさせている。……と、その視線が前を通り過ぎる女の子の手許に止まった。じいー、っと蘭が見詰めるのは、赤いシロップのかかったカキ氷だ。
「買ってきてやるよ」
　と、和馬が席を外したのは、ほんの十分。
　戻ってきてみれば、何やらパラソルの周囲を頭の軽そうな小僧ども（注：和馬の主観がかなり入っている）が取り囲んでいる。
　ざくざくと砂を蹴散らして、和馬は彼らの背後に立った。和馬の発する不穏な空気にも気付かず、彼らが熱心に言い寄っている対象は、もちろん葛だ。ビーチバレーをしたいのだが人数が足りないので、仲間に入ってくれないか云々……。
「百年早ぇ」
　葛と彼らの間に横から割り込むと、和馬はカキ氷の乗ったトレイを叩き付ける勢いでテーブルに置いた。
「ああ、和馬。この人たちがビーチバレーをしようと誘ってくれたのだが……」
　ナンパされているという自覚があったのやらなかったのやら、葛は平静そのものの表情で和馬を見上げる。
　葛を背中の後ろに隠すようにしながら、ずい、と和馬は前に出た。その分、若者たちは後ろに引いた。
「そいつは楽しそうだな。人数が足りねえってんなら、俺が入ってやるよ。俺が！」
　腕を組み、威圧感たっぷりにふんぞり返った和馬の口元に、白い犬歯が覗いた。笑顔だ。そう、確かに顔は笑っている。しかし。
「こっ………………怖い……っ」
　一斉に腰が引けた若者達の一人が、蚊の鳴くような声で呟いた。
「持ち主さん、ビーチバレーって何ー？」
「ああ。バレーボールは、蘭もテレビで見たことがあるだろう？　あれを砂浜でやるんだ」
「楽しそうなのー！」
　和馬の背後で蘭と葛がカキ氷をつついているのが、まるで別世界の出来事のように見えた……と、後に彼らは語り合ったという――。

　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＋＋＋


　灼熱の陽光が降り注ぐ時間帯はあっという間に過ぎた。
　砂と海が穏やかなオレンジ色に染まりはじめる頃には、海水浴客の姿もまばらになる。泳いだだけでなく、ビーチバレーに、砂のお城に、スイカ割りに。今日は海辺の遊びフルコースだった。
「そろそろ帰るか」
　最後のひと泳ぎに行っていた葛と蘭が戻ってくるのを見つけて、和馬はパラソルの下に立ち上がった。
「まだ遊びたいのー！」
　駆け寄ってきた蘭が、パラソルを畳む和馬の足許にしがみつく。まだ浮き輪は必要だが、蘭は少しだけなら海で泳げるようになった。
「ちょっと遊び足りないってくらいで帰るのが、一番丁度いいんだぜ。あんまり頑張って遊んだら、疲れすぎて大変だからな」
　和馬に言われて、蘭は名残惜しそうに海を振り向いた。
「よっぽど楽しかったんだな、蘭」
「うん。楽しかったの！」
　蘭は葛の言葉に頷いて、握っていた掌を和馬の前で開いた。
「和馬おにーさん、今日は連れて来てくれてありがとうなの！」
　小さな手の上に乗っていたのは、薄いピンク色の桜貝だった。数は三枚。それを和馬と葛に一枚ずつ渡すと、蘭は最後の一枚を握ってにっこり笑った。
　今夜は引き潮らしい。蘭を習って海を見れば、来た時よりも大分波打ち際が近くなっている。三人で作った砂のお城は、もう波に壊されてしまった。海辺は、明日また新しく、誰かの思い出を作るのだろう。
　けれど、今日のことはこの先もずっと、三人の思い出だ。
「海、また来たいのー！」
　蘭が言って、葛と和馬はなんとなく、顔を見合わせた。
　また来年も来ようと、口に出して約束をする必要はないような気が、お互いにしていた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　END






＜ライターより＞

　いつもお世話になっております、それから初めまして。
　夏らしく、楽しそうな雰囲気を目指して書かせていただきました。
　過去のシチュノベなどを参考にさせていただきましたところ、和馬さんと葛さん、とても微妙で見ていてドキドキするような関係だなあ……と思いました。和馬さんのほうは葛さんへの思いの自覚があるようなので、少し片思い風味にさせていただいています。
　三人で海。二人きりではないですが、蘭くんが一緒なのは、逆に二人の親密度の高さが表れているのでは……？と、書きながらそんなことを思いました。
　イメージにそぐわない部分などありましたら申し訳ありません。
　楽しんで頂けましたら幸いです。では、失礼します……！

PCシチュエーションノベル（グループ３）

階アトリ

東京怪談

2005年08月02日