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『道すがら 』
綾和泉・匡乃1537)&桐苑・敦己(2611)


 予備校の夜は、遅い。予備校生たちは毎日夜遅くまで勉強し、家路へとつく。そしてそれは、講師である綾和泉・匡乃(あやいずみ きょうの)にとっても同じような生活である。
「これで、よし」
 その日その日の報告書を書き終え、匡乃は立ち上がった。壁に掛かっている時計を見ると、既に時計は夜10時半をさしていた。今日は早い方だな、と匡乃は小さく笑う。
「綾和泉先生、今日は真っ直ぐ帰られるんです?」
 同じく講師をしている同僚が尋ねてきた。匡乃は「ええ」と答え、にこやかに笑う。
「特に予定もありませんから」
「デートとか、予定がありそうなんですけどね」
 下世話な言葉に、匡乃はやんわりとした笑みだけを返した。そして何も答える事なく「お先に」と言って予備校を後にした。
(遅めですが、夕食でも取りましょうか)
 匡乃はそう考えながら、本日の夕食の選別に入る。と、その時だった。
 匡乃の携帯が、ヴヴヴ、と震えだしたのである。匡乃は発信相手を見て、慌てて通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『よ、匡乃。今、暇?』
 突然の言葉に、思わず匡乃は吹き出す。
「何だ、それは。いきなりすぎますよ、敦己」
 電話の相手は、桐苑・敦己(きりその あつき)であった。祖父が遺した莫大な遺産を使い、自由気ままに全国行脚の旅に出ているのである。ぶらりと出かけてしまうために、最後にいつ会ったのかさえも思い出せない。
『たまたま東京で降りたんだけど、会えないかな?』
 匡乃は敦己の問いに二つ返事で答え、待ち合わせ場所を決めて電話を切った。
(まさか、突然電話があるとは)
 思わず綻ぶ口元をそっと隠しつつ、匡乃は待ち合わせとした居酒屋へと歩を進めるのであった。


 待ち合わせにした居酒屋には、すでに敦己が座っていた。店に入ると同時に、奥の座敷からぶんぶんと勢い良く手が振られた。それを見て、思わず匡乃は再び吹き出す。
「相変わらずですね」
「匡乃だって、相変わらずじゃん。……あ、ビールもう一つお願いします」
 敦己は匡乃の分を頼みもしないうちから頼んだ。匡乃が別の飲み物が飲みたいと頼めば、それは敦己が自分で飲む。こちらに気を使わせない、心地よい雰囲気である。
「何処に行っていたんです?」
「色んな所を回ってたんだ。日本っていうのは、まだまだ未知な場所が多いよ」
 敦己は枝豆を口に運びながらそう言った。
「にしても、薄情ですよね」
「そうかな?」
「そうですよ。便りの一つも寄越さないんですから」
 匡乃がそう言うと、敦己はけらけらと笑いながら「分かってないな」と言う。
「便りが無いのは、何とかっていうだろ?」
 敦己の言葉に、匡乃はくすくすと笑った。敦己も枝豆からあげだし豆腐に箸を移しながら笑い返す。
「本当に、相変わらずですね」
「改めて言われると、どうしていいのか分かんなくなるけど。匡乃の方はどうなんだ?」
「どうって?」
 ビールを飲みながら匡乃は尋ねる。すると、敦己は「仕事」と言ってにかっと笑う。
「まだ、予備校の先生?」
「まあね」
 匡乃はそう言いながら、メニューをぱらぱらと捲った。居酒屋のメニューだけあって、種類も量も豊富だ。匡乃はその中から唐揚げやサラダなどを適当に頼む。
「予備校っていうことは、沢山の人と触れ合っているんだろ?」
「そういう事になりますね」
「どう?」
 敦己の二度目の「どう?」に、匡乃は苦笑する。
「だから、何が?」
「仕事は楽しいか?って聞いているんだよ」
「そうなのか?」
「端折って言うと、そんな感じ」
 端折りすぎだ、と突っ込みながら匡乃は笑った。
「様々な人を見たり色んな人と話したり、というのは面白いと思いますよ。でも、だからどうした?って感じがしません?」
 匡乃は届けられた唐揚げを口に運びながらそう言った。敦己は「そうだなぁ」と言いながら、サラダに手を伸ばす。
「俺は凄く楽しいけどな、そういうの」
「そんな感じがしますよ」
「そう?……俺の知らない人生を歩んでいる存在が、沢山いるんだ。まるで、足を踏み入れたことの無い場所に辿り着いたように、俺はその人の事を知らないんだ」
 敦己はそう言って、目線を遠くへと飛ばした。様々なものを、沢山の場所で見てきた敦己の言葉は、匡乃の頭にすうっと入っていくかのようだ。
「なるほど」
 匡乃は素直に納得し、そう答えた。
 勿論、そう答えたからといって次から予備校生たちを見る目が全く変わると言う事は無い。あくまでもそのような見方をするのは敦己だからこそであり、匡乃には匡乃の見方というものがあるのだ。
 敦己の見方が面白い、というのは認めるにしても。
「珍しく納得したんだな」
 敦己はそう言ってぐいっとビールを飲み干す。飲み干したついでに、店員に向かって「ビールとたこわさびをお願いします」と言いながら。
「珍しいですか?」
 匡乃が意外そうに尋ね返すと、敦己は「勿論」と言ってにっこりと笑う。
「初めて会った時は、俺の言う事のどこがおかしいかを、やんわりと語られた気がする」
「それは、敦己の言う事がおかしかったんですよ」
「そうなのか?」
「そうですよ」
 匡乃はにっこりと笑って返しつつ、心の中で苦笑を漏らす。
 最初は他の人たちに対するのと同様に、敦己に対しても猫を被っていた。猫を被るのは最早当たり前のようになっていたので、苦痛とも何とも思うことはなかった。
 だが、匡乃は知ってしまったのだ。敦己という人物がどれだけ人がいいのかを。それは匡乃が猫かぶりをやめるほどの呆れをもたらしたのである。
(思えば、あれでよかったですね)
 楽しそうにお酒を飲みながらおつまみを食べている敦己を見て、匡乃はしみじみと考える。
(敦己がこのような性格だから、僕はこうして猫を被る事なく敦己と接しているのですから)
 いつしか、二人は親友、といってもおかしくはない間柄になっていた。
「敦己は、今日はもう出発しないんですよね?」
 ふと気付いたように、匡乃が問い掛けた。敦己は「ああ」と頷きながらたこわさびを口に放り込む。
「なら、ゆっくりと話をしませんか?」
 匡乃はそう言いながら、壁にかけてある時計を指差す。気付けば、時計の針は1時を回ろうとしていた。
「この店、何時まで?」
「ここに書いてありますよ。……2時までですね」
 メニューの端に書いてある営業時間を見て、匡乃はそう言った。
「じゃあ、移動しようか」
 敦己はそう言いながら、まだテーブルに残っていた唐揚げを箸で取る。匡乃は「そうですね」と言いつつ、サラダを手に取った。
「このテーブル上のものは、綺麗に片付けてからにしましょうか」
「勿論。残したら、お店の人に申し訳ないしな」
(敦己らしい)
 変わらぬ敦己の物言いに思わず笑みをこぼし、匡乃はぐいっとビールを飲み込むのだった。


 夜中の2時といえば、丑三つ時である。草木も眠るという時間は妙に薄気味悪いが、そんな事も気にならないほど、二人は妙に楽しんでいた。
「毎回、ちゃんと連絡をくれればいいんですよ」
 匡乃はそう言って苦笑を漏らす。
「ちゃんと連絡してるって」
「ちゃんとというよりも、突如と言った方が早いくらいですよ」
 敦己は、いつも突然連絡をしてくる。手紙だったり、電話だったり。しかもしれは、敦己が気付いた時にされる為に、稀な事であった。
 そんな自らの行動を思い出したのか、敦己は「そうだな」と笑いながら答えた。
「突如っていうのは、そうかも」
「そうでしょう」
 匡乃がそう言うと、敦己は「そうだな」と言ってくすくすと笑った。それにつられ、思わず匡乃も笑みを漏らす。
「あ、匡乃。公園がある」
 敦己はそう言って公園に向かって小走りで駈けていく。匡乃は「子どもじゃないんですから」と言いつつ、敦己の後をゆっくりとついていく。
 夜の公園は、ホームレス等もいない、静かな雰囲気をかもし出していた。ぽつりとある街灯だけが照らしており、普段ならば通る事すらしない場所である。
「ブランコがあるぞ、匡乃」
 だが、そんな事を気にする様子は全くなく、敦己は嬉しそうに小走りでブランコに駈けよった。匡乃が到着する前にブランコに立ち、ギイギイという音をさせながらこいでいく。
「懐かしいな、ブランコ」
「楽しいです?」
「楽しいし、なんだかくすぐったい」
 ギイギイという音が、公園内に響く。匡乃は「くすぐったい?」と尋ね返しながら、敦己がこいでいるとなりのブランコに腰掛けた。
 鉄で出来ているブランコは、座るとじっとりとした冷たさがあった。妙に懐かしい気がする感覚である。
「俺はもう大人で、こういうブランコとか乗らないから。本当に久々に乗ったから、なんだかくすぐったい気がするんだ」
「懐かしさで?」
「そうそう。俺、これに乗っていいかな?いいよな?っていうくすぐったさ」
 敦己はそう言い、くすくすと笑いながらブランコをこいだ。ゆっくりと、だが確実に空へとブランコは近付いていく。
「……空に届きそうだな」
 匡乃がぽつりと呟くと、敦己は「え?」と聞き返しながら徐々にブランコの高度を落としていった。
「予備校の生徒が言っていたんだよ。ブランコで空に届きそうな気がして、必死でこいでいたら落ちたことがあるって」
「夢があるなぁ」
 敦己はそう言い、小さく「よいしょ」と言いながらブランコに腰掛けた。
「俺も、旅先で教えられた事があるよ。何もない小高い丘の上でごろりと横になったら、空に届きそうな気がするだろう?って」
 匡乃は空を見上げる。ブランコの棒に邪魔された空は、妙に遠く感じた。
「何も空に無いからですか?」
「うん。空と自分しか、ないように感じるからかな」
 ギイギイと軋むブランコの音が、耳の奥で響く。それは空へと続く為の音であり、その音が聞こえなくなるくらいブランコをこぎ続けると、いつしか空に到着している。
 そんな想像が、ふと二人の中に生まれる。
「俺たち、全く違う場所で、全然違う話で、同じ様な思いをしたんだな」
「そういえば、そうですね」
 ブランコと山、そして届きそうな空。
「それって、凄いよな。俺がこまめに連絡をするくらい」
「敦己は、もう少しこまめになってもいいんですよ」
 二人は顔を見合わせ、笑い合った。そして答え合わせをするように、敦己は旅先での話を、匡乃は予備校での話を言い合った。
 どれだけ違う話から、同じ様な感情を得たか。
 別の場所で、どれだけ気持ちを共有できたか。
 馬鹿らしいと思いつつも、敦己と匡乃はそれを続けた。まるで答えのないドリルのように。
「……明るくなってきましたね」
 いつしか、空が白んでいた。結局夜中ずっと話していたのか、と思わず二人の顔に笑みが浮かぶ。
「めでたい気がする」
 敦己はそう言い、にっこりと笑った。匡乃は一瞬きょとんとしたのち、苦笑を交えながら「そうですね」と返すのだった。


 ジリリリ、とホームにベルが響いた。始発に乗るために、二人とも駅にやってきたのである。全く違う方向に逝く電車に、それぞれ乗り込む。電車の中は、始発だけあって人はまばらだ。
「また、連絡してくださいね」
 匡乃はそう言い、敦己は頷く。
「なるべく努力するよ」
 その言葉に、思わず匡乃は笑う。つられたように敦己も笑った。
 プシュ、という音と共に、両方の電車のドアが閉じてしまった。敦己と匡乃は電車の硝子越しに手を振り、目線だけで再会を約束した。
 そうして、ゆっくりと電車は加速を始めた。反対方向に、だがそれぞれの目的地へと向かって。

<道すがらに語り合いつつ・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年07月29日

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