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『銀色の猫 金色の傘 』
小石川・雨5332)&榊・遠夜(0642)


「あ、それ、お薦めだよ」
「そう?」
 雨の言葉に遠夜は豆パンを一つ取った。そのままトレイに置く。今日のパンはこれで3つだ。
「豆は体にいいんだよ」
「マメマメしく働くから?」
「それは、おせち料理。豆って栄養価が高いからね」
 首を傾げて問い返すと雨が笑った。
今日のパン屋はすいている。店員も雨一人だ。
レジの前にトレイを置くと、雨がレジを打ち始める。雨の背後に青地に花火の模様のポスターがある事に気が付いた。
「ここもお店を出すのか?」
「んー? ああ、縁日ね。軒先には出すんだって。榊くんは誰かと行くのかな?」
「いや。行かない」
 遠夜は首を振った。人が多いのは苦手だ。そんな事を思う遠夜を余所に雨は顔を輝かせた。
「じゃあ、一緒に行かない?」
「え?」
 遠夜は一瞬考えてから首を横に振った。雨が不満そうな声をあげる事に僅かに苦笑する。
「人が多いのは苦手だから」
「あ、そうか。でもせっかくのお祭りなのに」
「縁日もお祭りも、もう子供じゃないんだからいいよ」
「縁日が子供だけだって誰が決めたの? 浴衣着て練り歩くのって楽しいじゃない」
 力説する雨に遠夜は思わず笑ってしまった。脳裏でお面をつけて両手にヨーヨーや金魚やイカ焼き、その他諸々の戦利品を手にした雨がとことこと闊歩している。
「楽しそうだね」
 脳裏の光景に対しての感想がついこぼれる。それを聞き逃す雨ではなかった。
「そうだよね! じゃ、一緒に行こうよ」
「え? いや、だから僕は」
「何よ、私と一緒じゃ不満?」
「そうじゃないけど」
 この勢いの雨には結構な数の負けを期している訳だが、それでも諦め悪く遠夜は言葉を続ける。
「人が多いのは苦手なんだ」
「楽しそうだって言った」
「それは……」
 まさか想像の中の雨の様子が楽しそうだったとは言えない。
「それは、何?」
「……別に」
「そう? あ、じゃあ、お弁当のお礼だと思って!」
 いい口実を思いついたと言わんばかりの雨に遠夜は肩を竦める。あの弁当はとても美味しかったし、嬉しかった。それを引き合いに出されると断り辛い。ましてや、雨と一緒である事がいやだという訳ではないのだ。
「仕方ないな」
 にっこりと笑顔を浮かべる雨に遠夜はため息を付きつつ頷いた。
 人ごみは苦手だ。
しかし、雨と二人なら――。
それも楽しいかもしれない。そんな事を思った。


 夜店の並ぶとおりから少し離れた場所が、雨との待ち合わせ場所だった。次々と縁日通りへ吸い込まれていく人の多さに今からうんざりしていると、ぽこんと近付いて来た少女が団扇で肩を叩いた。
「浮かない顔だね」
「小石川さん……浴衣だね」
 事実だけを端的に述べるに留まった遠夜に気を悪くした様子もなく、団扇を片手にした少女はくるりと回って見せた。赤い朝顔が格子に絡まる柄の濃紺の浴衣がよく似合っている。
「似合わないかな?」
「そんな事はない……けど」
 否定すればつまり似合っているといっているのも同然だと気付き、言葉を濁す。雨は嬉しげに笑って、そしてちょっとだけ申し訳なさそうな顔になる。
「どうかした?」
「雨姉ちゃんのカレシ?」
「背たけー!」
「王子さまみたい」
「雨姉ちゃんに王子ぃ? 雨姉ちゃんなら王子よりツヨいぞ」
「白いし体ヨワそうだから、雨姉ちゃんのがツヨいかな?」
「雨姉ちゃんなら、カイジュウだってたおせる!」
 わらわらと近付いて来る小学生に遠夜は目を丸くして、その言いように少しだけ傷付いた。雨はと言えば腰に手を当て子供達を振り返る。
「あんた達、そんなコト言ってると今すぐ連れて帰るよ! ほら、挨拶!」
 子供達は姉の声にはーいと口を揃えてから、てんでばらばらに頭を下げる。
「こんばんはー」
「……小石川さん?」
「私の弟と妹なんだ。連れてけって煩くってね。助かっちゃった」
 なんだ。子守りの手伝いか。
 がっかりしている自分に気が付いて遠夜は視線をさ迷わせる。しかし、弟妹の数が多い。兄弟が多いとは聞いていたけれど、同じ年齢でこんなにいるとは――いや、弟妹の友達も混じっているのだろう。
「こんばんは。榊遠夜です」
「遠夜兄ちゃん、よろしくおねがいしまーす」
「こちらこそ」
 反射的に応えながら遠夜はひっそりとため息を漏らした。


「ほら、そっちは駄目だって!」
 はしゃいで先に行こうとする子供を止めながら、雨は金魚すくいの屋台に目を留めた。
「金魚すくいしたい人ー!」
 はーいと何人かが手を挙げる。
「あっちにあるから行っといで」
「雨姉ちゃん、たこ焼きー」
「オレ、イカ焼き!」
「ワタアメー!」
 口々に言い出した子供達に雨は笑って、手を振った。
「はいはい。ここにいるから買ってきなさい」
 うん、と大きく頷くと子供達は駆け出した。その背中に向かって雨が叫ぶ。
「一軒寄ったら必ず姉ちゃんの所に戻るのよ!」
「はーい」
 紛れていく子供達を見送ると、雨は遠夜を振り返った。神妙な顔で両手で拝む。
「ごめんね」
「いいよ」
「でも人ごみ苦手なんだよね?」
「そうだけど。たまにはいいかなって思うから」
 雨が良かったと笑顔になる。遠夜は今までの大騒ぎを思い出して頬を緩めた。
 子供達にまとわりつかれてどうしようかと思っていたのは本当だ。
しかし、雨の楽しそうな様子に、何故かこちらまで楽しいような気分になってきたのだ。怒ったり、笑ったり。めまぐるしく変わる雨の表情は普段見るのとは少し違っていて、遠夜を少し戸惑わせた。
 しかし雨は雨だ。面倒見の良さも、年上ぶる所もいつも通りだ。
 下にたくさん兄弟がいるからかな。
 賑やかな雨の家族の様子を想像する。きっと楽しい家なんだろうな。自分の家とは大違いだ。
「そういえばさ」
 遠夜の沈黙をどう思ったのか、雨が口を開いた。
「何?」
「射的上手なんだね」
「ああいうの得意なんだ」
 彼の扱う呪符には、敵に投げつけるものもある。そう言ったものを扱う経験から狙いを定めるのは得意だった。
「いいなあ、私はどうにも苦手なんだよね」
「バランスがずれてたから、そのまま狙っても駄目なんだよ」
 外しまくって悔しがっていた雨の様子を思い出して、遠夜は目を細めた。
狙っていた熊のぬいぐるみが取れずに悔しがる雨の代わりに挑戦した。しかし、すぐに妹達にねだられる事になった。
仕方ないねと笑って渡した雨はいかにもしっかり者のお姉さんという感じだった。
 まさか、僕にもああいう感覚で接しているのかな。
 少し不安に思い始めた遠夜の手を雨はしげしげと眺めている。その視線に気付いて遠夜は何、と首を傾げてみせた。
雨は遠夜の手を取ると自分のそれと重ねて比べてみる。
「大きいなあ」
「そりゃね」
「私の手で判らないバランスが、この大きな手で判るんだよね」
 不思議よねと真剣に言う雨に思わず吹き出した。
 どうしてだろう。自分はそんなに笑ったりする方ではない筈なのに、雨といると気が付くと笑っている。
「雨姉ちゃーん!」
 雨の背中に子供達の声がかかる。
「なーにー?」
「あっちで盆踊りしてるから行ってくるー!」
 雨は時計を確認してもうそんな時間かと呟く。盆踊りが始まるまでもうすぐだ。
「気を付けて行っといでー! 姉ちゃん達はここにいるからねー」
 視線の先にある広場に目を向けて、雨が大きく両手で丸を作る。子供達はそれを見て連れ立って駆け出して行った。
「あの子達だけで大丈夫かな」
「大丈夫。しっかりしてるからね。……私達も少し回ろうか」
 行こうと立ち上がって促す雨に遠夜は頷いてその少し後を歩き出した。
 射的や金魚掬い、ワタアメやリンゴ飴。そんな縁日定番の屋台の中にぽつんとその店はあった。
「うわぁ、綺麗」
 金や銀で繊細に形をとったそれは本にはさむ為のしおりだった。ミュシャを模したものから、平安朝を思わせるものまで、様々な形のものがある。
 雨がちらりと遠夜に視線を向けた。見たいのだろうかと思い遠夜は頷いた。
「見ていく?」
「そうだね」
 そう言いつつも雨の視線は既に陳列されたしおりに向けられている。少年もまた繊細な細工にしばし見入る。
 ――あ、あれ
 少し季節はずれではあるが紫陽花と傘のデザインのしおりがあった。空には太陽。雨が上がって綺麗になった空はどこか雨に似ている。そんな事を思いつつ遠夜はそれを手にとった。
「榊くんも買うの?」
 そういう雨の手には銀色のしおりがある。猫がぴんと背を伸ばしてこちらを見ている図案だ。
「小石川さんは決まった? すいません……」
 店員に声をかけると二人分の会計を済ます。元の場所まで戻るが、まだ子供達は帰ってきていなかった。
「あいつらしばらくは帰って来ないわね」
「そうだね。ゆっくり待ってようか」
 うんと頷いた雨は遠夜にためらいながら手に持ったしおりを差し出した。
「榊くん、これ」
「え?」
「えーっとね、今日のお礼。榊くんも買っちゃったけど、まあ二つあって困る物じゃないし」
 では先程の視線は一緒に見ようという訳ではなく、好みだろうかというものだったのだろうか。そんな事を思いつつ、遠夜は受け取り、そしてポケットにしまった金色の傘のしおりを取り出した。
「びっくりした。……これは小石川さんに」
 きょとんと瞬きして雨は笑い出した。
「同じ事、考えてたの? 何か不思議だね。ありがとう」
「いや。こちらこそ、ありがとう」
 金色の傘は雨の手に、銀色の猫は遠夜の手に。それぞれ持ち主を違えて手元に収まったしおりは、祭りの灯りに照らされて僅かに輝く。
「今日は色々ありがとう。……その、今度はさ」
 そう言って雨は言葉を探すように黙った。遠夜はその言葉を聞いた気がして笑みを浮かべる。
「ああ。また一緒に来れたらいいな」
「うん。今度は弟達を連れて来ないから」
 あの時の榊くんの驚いた顔。
 思い出して、そう呟くと雨は笑った。
「今度はゆっくり夜店を見て周ろうか。あ、今日も楽しかったよ」
「疑ってないよ。じゃ、約束ね!」
 雨の差し出した小指に遠夜は指を絡めた。

fin.

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東京怪談
2005年07月20日

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