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『素直じゃない手紙に寄せられて 』
オーマ・シュヴァルツ1953

 少しずつ紅みを強める日差しに包まれた暖かな部屋の中で。
 机の椅子に腰掛けた男の赤い瞳は、随分と熱心に紙片の上を滑り続けていた。
 瞳の色に対して黒髪のどことなく対照的なその男は、時に笑い、時に呆れたように溜息を吐き。最後に、眼鏡を押し上げ、再びざっと文面に視線を通す。
 それは、一通の手紙であった。まだまだ拙さを残した字で綴られた、他愛の無い話ばかりが書かれた手紙。しかしそれが、男にとっては――オーマ・シュヴァルツにとっては、たまらなく微笑ましくて。
「やれ……相変わらず素直じゃねェヤツ」
 再び、溜息を吐いて微笑んで。オーマは、また手紙を何度か読み直す。
 ――いやあ、あなたが目立つ方で、本当に助かりました。
 そう言って、どことも知らぬ宗教の聖職者がオーマを尋ねてきたのは、つい先ほどのことであった。
『実は、私の、ではないのですけれど、別の教会に籍を置く信徒さんで、あなたを探している方がおりましてね。あなた、オーマ・シュヴァルツさんでしょう?』
 その人当たりの良さそうな――悪く言えばひ弱そうな聖職者は、終日穏やかな微笑を浮かべたままで、
『上司から、あなたがこの街にいるはずだ、とのことで、私が使いを頼まれたんです』
 ぺらりぺらぺらとよく喋った後、一通の手紙を置いて、教会へと帰って行った。
 その手紙の送り主は、とある少年。オーマには、その名前に見覚えがあった。
「さて、」
 確か、アイツと出会ったのは――、
「いつ頃だったかねェ……」
 あれからもう、随分と経つような気がする。
 思い返すに。
 確かあれは、一年ほど前の出来事であっただろうか。


 お世辞にも、大きい、とも、安全だ、とも言うことのできない、森の間を通る舗装もされていない街道。
 大きな銃器を背負った巨大な男は――オーマは、初夏の日差しも麗らかに、日光浴も兼ねての短い旅路を楽しんでいた、……はずであったのだが。
「何だこのガキ? ン?」
 予想外の、出来事であった。先ほどまで高らかに旋律を歌っていた鳥達も、けたたましい戦いの気配に、全て飛び去ってしまったばかりであった。
 つい先ほど、今目の前にいる小さな少年を、寄って集って襲おうとしていた魔物の群れへと威嚇射撃をし、綺麗に追っ払ったばかりのオーマは、
「助けてもらっておいて、アリガトウゴザイマシタの一言も言えねーのか?」
 おまえ、将来ワル筋チャンになるつもりか?
 先ほどまでは、どうしようもなく立ちすくんでいただけのその少年は、魔物がいなくなるなり、一気に悪夢から醒めたかのようにして、
「ふんだっ! 助けるも助けないも、あんたの自由だろっ! ボクが助けてって言ったわけじゃあないもーんっ!」
 仁王立ちして、大威張りしていたのだ。
 オーマはやれ、と、乱れた上着を直しつつ、
 ――はいはい、まあ、それはそうでしょうケドね。
 しかし、
 し・か・し・だ!
「そおおおおいう態度をとってるとぉおおおっ! いいいいことねええええぞおおおおお?!」
「イタイっ!! イタイっ!! なああああにいいいすうんんだよおおお!! はなせこのマッチョおおぉおおおおおっちゃああああんん!!」
 全力で抵抗をする少年の努力は叶わず、頭を両側から拳でぐりぐりと、オーマの攻撃は更に続く。
「子供のうちからそんなにメラマッチョ生意気だとっ! カワイイヨメさんの一人ももらえねーぜ……?! あぁん? 聞いてンのかっ?!」
「うーるーさーいぃいいたああいいいいっ!! はなせっ!! はーなーせー!!」
「将来紳士なきらり輝く☆ミラクル・マッスル素敵親父になりたくねーのかっ?! ん?」
「なりたかああないねえええいぃったあああいいいいっ!! やめてよおおおおおおっ!!」
「そのためには清く正しく美しく! 日々桃色きゅんきゅん☆ なトキメキを大切にして生きなくちゃあならないンだぞっ?! おまえもよ、全く、」
 少年は、何の前触れも無しにぱっと手を離され、両の手で頭を抑えたまま、涙目でオーマをじっと見上げる。
 オーマは少年の視線を受けて、唐突にふ、と、その見目からは考えにくいほどに穏やかな表情を浮かべると、
「人生、一度きりのモンさね。もっと素直にならないと、楽しく生きていけねーぜ?」
 ま、おまえがどーしようと、俺には関係ないケドな。
 付け加えて、オーマはまたも唐突に、背負っていた銃を軽々と背負い直し、じゃっ、とすっちゃり手を挙げると、
「俺も暇じゃねーから、もう行くわ。ま、気をつけろよ? おまえらがどこに行くかは知らねーケドよ、この先、あんまり安全なトコじゃねーんだ」
 ばさり、と上着を翻す。
 そのままオーマは、少年を置いて歩き始め、
 ……あと五秒。
 後ろから、少年がぽかん、と立ち尽くす気配が伝わってくる。
 あと四秒。
 戸惑うかのような、揺らぎ。
 三秒……。
 大分自分から遠ざかったオーマに対して、しきりに視線を送る少年。
 さあ、あと二秒ってトコか?
 あ……ああああ、と、ひたすら連呼する少年の声。
 一――、
「ああああ、あのっ――、待って!!」
 はいっ、ジャストぉおおおっ!
 内心、得意のマッスルポーズを決めたオーマは、準備万端の状態からくるりと振り返る。
「何だ、俺にまだ用事があンのかっ?」
 何やら瞳に期待を漲らせたオーマの視線のその先には、じっと俯き、左右に垂らした拳を強く握りしめている少年の姿があった。
 その表情はどことなく、子供が親に悪戯を咎められた時を思わせるもので。
「……あ、あのね?」
 わかっていなかったと、思ってンのかね?
 少年が、自分に何かを求めたそうにしていた、という気配を。本人はそれを、必死に隠そうとしていたようではあったが、まだまだ、甘い。
 人生経験の差ってヤツかね。
 オーマはふふんっ、と鼻を鳴らすと、人差し指でその下を大仰に擦って見せた。
「何だ何だ、そんなに悩んでるのか? あぁん? 何なら、俺に安心して言ってみろ! このイロモノ親父にかかっちまえば、そんな悩みは爆裂マッチョな力でちょちょいのちょいだ!!」
 ――多分なっ!
 しかし、うっかりと。
 先ほどまではあんなに生意気な様相であった少年が、あれからずっと黙り込んでいるのを見て、オーマは思わず、普段であれば付け加えないような一言を心の中で付け加えてしまっていた。
 何だ何だ、オイ。
 心気くせぇな……さっきまでの元気はどこに行った?
「あの……、」
「あの?」
「その……、」
「その?」
「あの……ね?」
「あのね……?」
「えっと……、」
「えぇいっ! 早く言えっ! 待ちくたびれて新しいマッスル体操の構想が思い浮かんじまいそうだっ!」
「うるさいなぁ、マッスルマッスルってっ!! いもーとが怖がったらどうしてくれるんだようっ!!」
「――イモウト?」
 いるのか? 妹なんて。
 オーマの動きが、きょとり、と止まる。
 それは、この一連の会話の中には、初めて出てきた単語であった。
 ふと見れば、少年も自分の口に手を当てて、ぴたり、と動きを止めている。
「何だ……?」
 オーマの問いが、ぽつり、と響き渡った。
 二人の間を、さらり、さらりと風が流れて消える。街道に影を落とす木々の間から、太陽の光がきららに差し込む、穏やかな午後の刻。
 やがて、少年は決意を決めたように、一歩、また一歩と前に向かって歩み始めた――オーマの、立つ方へと。
 そうして。
「――こっちに、来て!!」
 少年の小さな手が、オーマのたくましい腕に絡みついた。

 少年に導かれるがままにやって来たその先でオーマが見たものとは、木陰で荒く息をする小さな少女の姿であった。
 苦しそうな息の中からは、時折、堰の音さえも聞こえてくる――街道をいくらか戻り、そこから少し奥に入った静かな場所で見かけた思わぬ光景に、オーマは半ば反射的に、少女へと駆け寄っていた。
 発作……小児喘息かっ!
「いつからだっ?!」
「い、いつからって……!! 薬を吸わせたのが、おっちゃんに会う前だよ! 発作の前兆があったから……!! でも落ち着かなくて! 治まらなかったんだっ!!」
「俺に会ったのはこの子の発作が起きてからどのくらい後なんだ?」
「ええと……あ、……そうだ! ちょーどロザリオの祈りが二連終わるくらい前!!」
「ろざりおのいのりだ……?」
 思い返すに、確かこの世界でも、割と勢力の強い宗教の祈り文句であったか。
「めでたし、聖寵充ち満てる……ってヤツ!!」
 よーするに、確か記憶によると、一文句大体三○秒で計算すると、だ。
「要するに一○分前くらいか……で、それからここまで来るまでにも一○分と考えると……二○分か……」
 持っていた荷物をどさり、と地面に下ろし、中を弄りながらオーマが考える。
 二○分も、この子はこんな状態でいたってーのか……?
 早急に落ち着かせなくては、あらゆる意味で辛いに違い無い。
 思い、急ぐオーマではあったが、彼はそのような様子は欠片ほども見せず、言葉にも余裕の色を滲ませて事態に対処してゆく。
 このような時こそ、心を落ち着かせなくてはならない。それは、このような現場に立ち会う人間全てに共通する、心得のようなものでもあった。
「全く、おまえよう……そんな長い間、こんな子を放って置いて遊んでちゃあ駄目だろうがっ。いくら俺のむきむき☆マッチョボディーが美しいからって、口説いている場合じゃあなかたろうに!」
「違うよ!! 遊んでなんかないっ!! それに! ボクにそーいうしゅみ無いっ!!」
 少年は、一応それでも、反論すべき場所には反論を返してから、
「ただもう……ボクじゃあどうしようもなかったからっ!」
 街まで行って、人を呼ぼうとしてたんだ……!
 ここは人通りが少ないから、と、少年はオーマの背中にしがみ付く。
「ねえ、冗談言ってないでどうにかしてよ!! ボクこれから、妹と一緒に向こうの街まで行かなくちゃあならないんだっ!! もう、……戻れないから」
「モドレナイ?」
 息を切らす少女の背を擦り、落ち着かせながら、オーマは振り返って少年に問いかける。
 少年は、瞳一杯の涙を、どうにかして飲み込むと、
「ボクたち、じーちゃんとばーちゃんの所に行くんだ! オジサンの家から、……家出したんだ」
 ――やっぱ、ワケありか。
 オーマはありとあらゆる要因に、溜息を吐きながら、
「ダメだろ? 勝手に家出なんて、してきたら……叔父サンも、おまえらのこと、心配してんじゃねーのか?」
「オジサンはダメだよ! ボク達の扱いも、ひどいし……それに、妹のこと、コキ使うんだ! ボクだけならまだしも……! そうしたらコイツ、よけーに体が弱くなっちゃって……発作の回数が増えて、それで……!」
 確かに、小児喘息は、精神的な緊張によっても症状が悪化するものであるのだ。
 父さんと母さんはどうしたンだ?
 しかし、次に聞こうとして、直感的に止めた。きっとここには、触れてはいけない事情があるに違いない。
 長年の勘だ。
 オーマは、苦しそうな息の中から自分を見上げてくる少女の瞳に、大丈夫だ、と小さく囁いた。
 その後ろでは、まだ少年が取り乱した様相で騒ぎ立てている。
「ね、ボクからおっちゃんに頼んであげる!! 妹を、助けて!!」
 全くよ、心底素直じゃネェヤツ。
 頼んであげる――頼んでアゲル、だ。
 オーマとしては、この期に及んで意地悪を言うつもりも無いのだが、事実として、一言、
「別に頼まれなくても、俺は構わネェんだけどね?」
 勿論、オーマには、このような少女を見捨てておくつもりなどさらさら無い。
 頼まれなくても、構わない――誰から頼まれなくても、少女を助けるつもりであったのだ。そこにある命を助けるという選択肢以外に、他に何を選びようがあるというのだろうか。
「えんりょなく頼まれてよ! おっちゃん、冒険者なんでしょっ?! だったらこーいう時、どうすればいいのか知ってるんだよね?!」
 妹の様子を見れば見るほど、取り乱してゆく少年に対して、オーマは軽く頷くと、
「まあ……な。まあ、よ。何にもまして、とりあえず、だ。そんなおまえに、まずこの俺サマが一つイイコトを教えてあげようじゃねーか」
「何をだよう!」
「いいか? ありがたーく、イロモノ親父の格言を、それはもうメラマッチョありがたーっく聞けよ?」
 オーマは一瞬だけ、荷物から少年へと、ちらり、と視線を移すと、
「こういう時に一番大切なのは、まず落ち着くことだ。今のおまえには、絶対妹サンを助けてあげることはできねーぜ?」
 うっ、と少年が言葉を詰まらせる。
 そうして。
 少年が静まり返ったのを確認すると、オーマは、再び彼の方を振り返りもせずに、てきりぱきりと荷物の中から様々な物を取り出し始めた。
 
 すやすやと、穏やかな寝息が聞こえてくる。
 ――あれから。
 オーマの処置によりすっかりと息が落ち着いた少女は、今は、オーマの上着に包まれて、すっかりと夢の世界に足を踏み入れていた。
 陽は既に暮れ始め、木陰は色を薄めて大地の上で揺らいでいる。銀の光の降り注ぐ時間まで、もうそれほど長くはかからないであろう頃。
 二人並んだオーマと少年とは、幹の大きな木へと並んで寄りかかり、紅く、そうして藍く色を変える空を眺めていた。
 風が、そろりと揺らいで。
「……コイツは、昔から体が弱いんだ」
 沈黙に耐えかねたのか、少年がぽつり、と話を始めたのは、それからもう間もなくのことであった。
 暫くぶりに穏やかに眠る妹に気を使っているのか、声色の調子をやわらかく保ちながら、
「だから、とーさんとかーさんも、いつもコイツのこと、心配してたんだよ。ボクもだけど、ね。ねえ、おっちゃん」
「ん?」
 呼びかけられて、振り返る。
 少年は、その赤い瞳に、必死になって訴えかけるかのように、
「とーさんとかーさんが死んだのは、ついこの前なんだ。それからボク達、オジサンの家に引き取られたけど……とーさんもかーさんも、ボクも、オジサンの家とは付き合いもなかったから」
「なるほど、な」
「オジサンの家に行って、何でとーさんとかーさんや、ばーちゃんやじーちゃんもオジサンの家と付き合いが無いのか、わかったよ。ボク達だって、財産目当てに引き取られたんだから」
「財産目当て、なぁ……」
 証言が少年からのものしか無いがゆえに、その話がどれほど信憑性に富んでいるのかについては、正直わかりかねる部分がある。一視点から全てを決めてしまうことの危険性を、オーマはよく知っているのだから。
 しかし、
 聞いて、呆れる。
 どうやら、人の欲というものは、どこの世界でも変わらないらしい――ソーンにおいても、ゼノビアにおいても。
 下らねぇな。……と、俺は思うんだがね。
 人の幸福についてとやかく言うつもりは、オーマにはない。しかし、事実として、人の一生というものは、どのような素晴らしい財産を持ってしても、買うことができないものなのだ。それだけ尊いものにこそ、オーマとしては言いようも無いほどの価値を感じている。
「それでもボク達、耐えたんだ。だけどコイツは、日に日に笑わなくなって、苦しそうで……でもある日、教会にお祈りに行ったら、神父様がお手紙をくれて……ばーちゃんからだったんだ」
「なるほど、それで?」
「辛くなったら、いつでもおいでって」
「なるほど……」
 それで、決死の家出大作戦、ってトコか?
「あからさまに出てきたら、止められちゃうから。こっそり出てきたんだ。本当は馬車でも借りようと思ってたけど、この道は今時期危なくて、隊商ですら使わないって……でも、もう一刻も早く、コイツに笑ってほしくて、でも、そうしたら、」
 そうしたら、
 少年が言葉を、きゅっと詰まらせる。
 それと同じく、きゅっと自分の半ズボンを握りしめ、
「ボクがきちんと、護ってあげられなかったから……」
 こんなことに、なっちゃったんだ……。
 叔父の家を出て暫く、何とか魔物の襲撃にも遭わずに半々日ほど歩いた二人ではあったが、その代わりに、妹の発作という事態に襲われてしまった。しかも、その発作は、いつもの発作よりも激しいものであったのだ。いつもの薬では、治まらないほどに。
 少年としては、苦しんでいる妹を一人で放って置くのも、心苦しいことであった。だが、少年にとっては、誰か人を探しに行くことこそが、精一杯の行動であったのだ。
 ――と。
「そンなこと無い、だろ?」
 言葉を失った少年へと、オーマはにぃ、と笑いかけて見せる。
 二人の事情については、何となく理解することができた。まだまだ、子供なりに考えや準備の浅い部分があるにしても、
 ……ただのガキじゃあねェな、コイツも。
 オーマとしては、嫌いではなかった。このような少年も、決して悪くは、ないであろう。
 そこには、強い意志がある。それも、誰か大切な人を護ろうという、強い意志が。そのような気持ちも、どこの世界にも共通するものなのだろう――ソーンにおいても、ゼノビアにおいても。
 人間って、捨てたモンじゃねェよな。こう考えると、よ。
「おまえには、経験がたりなかったンだよ、ケイケンが。俺だって、生まれた時からこーんなに素敵なイロモノ☆マッチョじゃあなかったんだぜぇ? あァン?」
 さり気無くマッスルポーズをとりながら、オーマは自慢気に惜しみなくさらけ出している筋肉を見せつけた後、
「立派な親父になるためには、経験が必要なんだからな。ほら、おまえ、何歳だ?」
「――一二。妹は八つだよ」
「そらみろ! そんな若い内から、一々失敗事に落ち込んでちゃあダメだろ? ン? いいか? 経験ってーものを得るためには、時間と、チャレンジ精神が必要なんだ」
 オーマはぐっと拳を握りしめると、
「最初から完璧な人間なんて、いねェよ」
 オーマの瞳に、優しい光が見え隠れする。
「いいか? 今回失敗したからっていって、自分を悲観したりすンじゃねーぞ? 今のおまえにしては十分立派ださ。何せ、おまえには、妹サンを護ろうってーいう意思がある」
 それ無しには、何もかも始まりはしないのだ。
「願い事を叶えるためには、努力しなきゃあなんねーだろ? それと一緒なンだよ。諦めたら、そこで終わりだ。それだけは言っとくゼ?」
「おっちゃん」
 ――不意に。
 今まで黙り込んでいた少年が、きっと顔を上げた。
「あぁん?」
 少年はすぐに、再び顔を俯かせると、しかし先ほどよりも力強い声音で、
「……ボク、強くなりたいよ」
「強くなりたい?」
 こくり、と頷くと、少年はぐっと、服の袖で目元を拭う。
 それから、再び決意を決めたかのように、オーマのことをじっと見上げると、
「コイツを、護らなくちゃあ。将来、コイツの発作が無くなるかどうかはわかんないけど……でも、ボクが護れる限りは、ボクが護らなくちゃあ」
「お? それについては、大丈夫だ」
 オーマは少年の頭を、わしっと掴むかのように乱暴に撫でると、
「おまえの妹サンは、元気になっからよ!」
「……ホント?」
「全くよお! 軽い発作で大げさだな、おまえも。妹サンは元気になるさ。小児喘息ってーのは、そんなモンさね。俺が約束してやる。――だから、」
 そう、だから、
「おまえが信じなくて、どーする。もっと不安なのは、妹サンの方なんだ。だからおまえは、その不安をきちんと受け止めてやれ、な?」
「――わかった」
 珍しく素直に頷いた少年の瞳には、誓いの色が見て取れる。
 オーマは安堵に大きく息を吐くと、さて、話題転換、と言わんばかりに声色を鮮やかにし、
「俺の治療は、安くねーぜ?」
 不意に、少年へと人差し指を突きつけた。
 途端、
「お、お金なんて、持ってないよ!!」
「チチチッ! まだまだおまえもコドモだなぁ? 誰がお金で払えって言ったんだ? あん?」
 俺のこと、極悪人でも見るかのように見やがって。
 目を真ん丸くしている少年へと、顎で、妹の方を指し示すと、
「大事なんだろ? この子のことが。だったらおまえが、コイツをきちんと護ってやれ。強くなって、護ってやれ、な?」
 決して、後悔はするンじゃねーぞ。
 自分の大切なものを護ることの難しさを、オーマは身をもってよく知ってしまっている。それは、どんな大金にも勝って、価値も難易度も高いもの。
 大きすぎる要求、か?――それでも、
 宜しい。この少年が、それに耐えられないはずがない。
「それが、俺からおまえに課す、治療代だ」
 俺は、信じてるからな?
 自分の確信を信じ、豪快に笑ったオーマに向かって、少年がこくり、と力強く、首を縦に振って見せる。
 彼のまだ小さな手の小指が、オーマへとゆっくり差し出されてきた。
「いいよ、約束してやるよ。コイツのことは、ボクが強くなって、ゼッタイ、絶対護るって」
「ああ、約束だ、な?」
 オーマがその小指に、自分のそれをしっかりと絡める。
 緋色の太陽と白銀の月とが、その事実を証しするべく、黙したままで二人の様子を見守っていた。


 ――そう、思い返すに。
 あれからもう、一年の歳月が過ぎ去ろうとしている。
 窓越しに、鳥達の鳴き声が聞こえてくる。机の椅子に大柄な男の腰掛ける、少しずつ藍みを強める空色に包まれた涼し気な部屋。
「ヘェ、概ね元気に過ごしてるよーじゃねーか」
 読み終わった手紙を、ぱさり、と優しく机の上に投げ置くと、オーマは満足そうに笑って椅子の背もたれに全体重を預けてやった。
 全てが終わった、あの後。三人はゆったりと一夜を共に過ごし、結局はオーマが、二人を街道の向こう側にある街まで送って行ったのだが。
 良かったンじゃあ、ねェの?
 オーマの体重を受け、きしむ椅子の音。今日も静けさの心地良い、穏やかな、初夏の一日。――尤も、この部屋の外に出、シュヴァルツ総合病院内へと足を伸ばせば、そうでもないのだが。
 手紙には、あれから少年達が元気に暮らしているということ、妹の容態も大分落ち着いてきたこと等、が記されていた。今や二人は、祖父母の家で楽しく生活しているのだという。
 そうして、ことのついで、と言わんばかりに、
「全く、よ」
 オーマは思わずもう一度、ちらり、と、机の上の手紙に視線を遣っていた。
 何せ、そこには、
「いつまで経っても、素直じゃねーヤツ」
 手紙の最後の一行には、こう書き添えてあったのだ。
 ――その、……おじさん、
『ありがとう、って、書いてやるよ! 感謝してよね!』



19 luglio 2005
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
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2005年07月20日

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