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『liberty 』
尾神・七重2557)&都築・秋成(3228)

 尾神七重は肘付椅子に腰掛け、目を閉じていた。
 小柄な体躯をすっぽりと納め布張りのそれは、臙脂に金糸で縫い取られた手の込んだ刺繍に質の良さを思わせるが、同時に非道く古びた感触を与えもする。
 それは室内に据えられた家具全てに言える事で、精緻な彫刻を施された調度は全て同時期、同じ工房で揃いで作られたと思しき意匠で、どれもこの旧い家が建造された当時よりその場を動いていないそんな雰囲気でどっしりと落ち着いていた。
 古い時間は、空気も動かない。
 人が流れを作らない家屋は無機物の気配ばかりが濃く、天井を高く取った造りである事も手伝って、尚更、閑散として人間が生活する臭いが薄い。
 七重はその中に沈むように静かに、深く腰掛ければ足先の付かない椅子に全体重を預け、肘に張られた布に縢られた金糸の流れを飽かず指先で伝っていた。
 蔦から伸びる葉に沿い、先に咲く小さな花をくるりとなぞってまた茎へと、戻る動きを繰り返していた七重は、ふ、閉じていた目を開く。
「……来た」
呟きが静寂をふるりと揺らし、影に馴染む暗紅色の瞳を空に向けると、椅子からストンと落ちるように降り立ち、そのまま廊下に繋がる扉に向かう。
 廊下に出ても、動かぬ空気は同様だ。
 玄関へと真っ直ぐに伸びる板張りの空間に動きを見せるのは、明り取りから入り込む陽光を弾いて虫のようにチラチラと光る微細な埃ばかり。
 その中を心持ち、だが小走りにエントランスを抜けた七重はタイル張りの玄関に下り、揃えてた革靴の踵を潰さないよう、爪先立ちに突っかけると迷わず、玄関扉を開いた。
「うわっ?」
明るい戸外の光と共に、屋内に入り込んだ第一声は驚愕を示す物。
 そのタイミングを狙ったかのように引かれた呼び鈴が、形ばかりリリリンと澄んだ音を立て、応対を求める音を背に聞きながら、七重は深々と頭を下げた。
「わざわざお運び頂き、ありがとうございます、都築さん」
呼び鈴の紐を引いたまま、七重の待ちかねていた来客……都築秋成は驚きから覚めやらぬまま、あぁ、ともうん、とも答えを選びかねるおかしな呻きで、首を倒して頷いた。


 先に冷たい飲み物でも、と暑い最中の来客への気遣いは秋成自身に丁重に断られ、七重は彼を二階へと案内する。
 段に薄く積もる埃は、七重の小さな足跡だけを残しているのに気付き、掃除をしておけばよかったと内心に恥じるが今更だ。
「……良いお住まいですねぇ」
けれど秋成はさして気にする風もなく、吹き抜けの上部に据え付けられた送風機の木製の羽根を見上げている。
「古いばかりが取り柄の家です」
曾祖父の代に構えたと言われる尾神の本宅は、その当時で言えば辺鄙な場所に建てられた代物だ……その後、地震や戦争などの難を逃れるにそのうち鄙びた立地は閑静と尊ばれ、高級住宅街と呼ばれる地になった。
 その為もあってか周囲の邸宅に比べてどちらかというと尾神の家はこじんまりとしているが、家に合わせて調度を特注するなど、拘りは生半可ではない。
 秋成を先導しながら、踊り場を抜けた七重はふと後ろを振り返る……と、笑いの形に細められた黒い眼に出会し、慌てて前を向く。
 自宅に知り合いを招くなど、初めての事でいつも以上に緊張しているのか、不意に動悸を強く意識して、七重は両手で胸元を押さえた。
「お父様は今日もお留守ですか」
背からのんびりと、秋成が問うて来る。
 以前、暮らしぶりを話題にした時の、七重の答えを踏まえての質問だと気付き、こくりと頷く……尾神の家で実質生活を営んでいるのは七重だけである……稀に父親、偶に祖母、一番頻繁に訪れるのは、週に二度、通いの家政婦が生活の最低ラインを保持する為に食事の作り置きと掃除に来る位である。
 七重には既に母が亡い。その一点のみで全てを解った気になって哀れまれるを嫌うに、家庭の事は余人に口の重い話題である……が、何気ない会話の中で、不快を覚えさせずに話を引き出すのが秋成は上手く、その時も好奇心を謝罪するでも安易な励ましを向けるでなく、ただ「大変ですねぇ」とだけ、けれど真情を語調に込めた感想を述べた。
 その時、知らず肩に入っていた力が抜けたのを覚えている。見上げた七重の髪をくしゃりと撫でる大きな手と、微笑む口元が秋成の、十四まで生きてきた時間への労いだと感じた。
「父は不在ですが、依頼させて頂いたお仕事の報酬はちゃんとご用意させて頂きます」
秋成の懸念と覚える事項をきちんと補足し、七重は二階の最奥の扉のドアノブに手をかけた。
 一階から吹き抜けの空間以外を私室としての利用を目した間取りを家族の構成人員の少なさに持て余している現状、今は使われていない部屋である。
 扉を開くと、少し埃臭い空気が鼻先を擽って抜けていくのにほんの少しだけ息を詰め、七重は秋成を振り返った。
「では、お願いします」
身を引いて先を譲る形で扉を支え、七重は室内を示す。
 戸口から真っ直ぐ進んだ正面、部屋の中央には丸テーブルが設置されている。
 白いテーブルクロスをかけられたその上の一輪挿しに活けられた白いフリージアが仄かに放つ香に並び、グラスに満ちた水が涼やかに透かす向こう。
 花と色を同じくする、陶器の小さな壺が置かれていた。
 丸い持ち手をつけた蓋付のそれは、小脇に抱えられる程度の大きさの……骨壺だ。
 それは沼の辺。悲しく忘れ去れられていた、子供等の骨を納めた物。
 秋成を、拝み屋として招いたのはこの為だ。
「あの子達を、救ってあげて下さい」
その依頼に、秋成は安堵を促すように小さな微笑みを七重に向け、部屋に足を踏み入れた。


 テーブルの前、骨壺を仰ぐ形で絨毯の上に直接膝をついた秋成が、手首に巻いた数珠を両手の間でジャ、と音を立て珠と珠とを擦り合わせるのを、七重は壁際に立って見詰めていた。
 骨壺の中には、風化しかけた骨が納められている。
 それは過去、戦火に追われ、避難先であった小学校の沼地へと身を投じた子供達の物だ……泥と水の深さに回収される事なくいつしか忘れ去られてしまったという、同じ年頃の。
 助けを求める声を上げる事すら出来ず、遠い過去に阻まれて何処へも行けず、救いを求めて生者を招くのみの無念が、徒に興味を誘うばかりの事象となった……戦争という奔流に巻き込まれ無為に失われた命の、既に遠い過去である動かし難い現実のみを、どうする事も出来ずに居た。
 七重も、知識としてしか戦争を知らぬ世代だ。
 日々の恐怖を、結果として、その怖れに捕まった彼等の心情を思いはすれど理解は出来ず、七重に出来たのは、冷たく湿った沼の辺から、彼等の骸を持ち出し、花を手向け、水を供える。弔いのそれ以上、彼等の望む救いが何であるのか解らない。
 それでも弔おうとしたのは同情ではなく、生きる者に、過去を忘れ去った今の人々に縋るしか出来ない彼等がただ哀しかったからだ。 
 夜になると、骨壺はカタ、と小さく震えて止まない。未だ空からの災厄に身を寄せ合う、子供達の怖れそのものをどうする事も出来ぬ……現世へと繋ぎ止める鎖を解く者として、七重が救いを求めたのが秋成だ。
 力強く、優しく、傍に居て安心出来る生き方を貫いている、大人。
 迷いのない眼差しで、骨壺を、多分、骨に止まる哀れな子供達の魂を見詰めていた秋成が、ふとそれを七重に向けた。
「七重クン、窓を開けてもいいかな?」
唐突な要請に慌てて頷き、七重は急いで窓へ寄ろうとするが秋成はそれを制して自分で窓を上げた。
 窓の外は尾上家の庭があり、高く伸びた庭木の緑が空を彩る。室内に明るい光が差し込むその様子に秋成は満足気に頷いて、七重に笑って見せる。
「明るい方がね、子供にはいいと思って」
緑の香りを含んだ風が、室内を洗うように抜けていく。
 自宅の思わぬ風景を知った七重が目を丸くしている間に、秋成は「さて」と形ばかりに腕を捲るともう一度、数珠を鳴らす。
「……俺、基本的には物ぐさなんですがね」
厳かな口調で言い出すには些か間抜けな言い分に、七重は首を傾げた。
 両手を併せた秋成は、親指の間に輪をかけるように数珠を支え、再び先と同じ位置に腰を落とす。
「祭文を省略せずにフルで唱えるのは苦手なんですが……今回はきっちり。修めさせて頂きます」
そう、七重と御霊とに宣言し、秋成は深く、叩頭した。


 祈りの声は朗々と響き、古い言葉は歌のようだ。
 退けるでなく、鎮める為。霊鎮めの儀式の儀式は長いようでいて短くも感じた……その祈りの終わりを告げたのは笑い声。
 視界の端にキラと光の粒を弾いた明るい複数の笑い声が、窓の外から緑を揺らし、室内に吹き込む風に乗るように、戸口へと抜けてふ、と部屋の空気が軽くなる。
 呆気ないように。
 彼等は示された道へと、駆けていってしまった。
 思わずその先を、廊下を見た七重だが其処には気配も何もなく、視線を転じてテーブルの上の骨壺を見るが、寸前まで確かにあった、重く縮こまるような気配が払拭されてしんとして其処にあるのみだ。
「……お疲れ様でした」
数珠をジャ!と音を立てて擦り合わせ、秋成が告げる声に七重は我に返る。
「あ、ありがとうございました」
慌てて頭を下げる七重に、立ち上がった秋成は肩に手をあて、首を左右に倒してくきこきと鳴らして凝りを解しながら笑みかけた。
「無事に送れて良かったです。お骨は俺の知り合いの寺に預けておきますね」
ほ、と一息をついた秋成がまじまじと視線を向けるのに、多少のたじろぎと頬に血が上る感覚とが、表に出ないよう懸命に表情を整えようとする七重に、何を思ったか彼はその両手を肩に乗せた。
「何、ですか?」
その手の重みとぬくもりに目を瞬かせ、頬の紅潮を抑止しきれなかった七重の当惑に、秋成はうん、と一人頷いて手を離す。
「肩の力が、抜けたなぁと思いまして……お疲れ様でした」
そう深々と頭を下げる秋成に、七重も慌てて倣った。
「一人で、大変でしたね」
問うでない、何気ない断定にどう反応を返せばよいのか解らず、けれど沈黙は不自然過ぎると焦った七重は話題から遠い懸念を切り出す。
「えぇと、お仕事で来て頂いたので、謝礼をお支払いしたいのですが」
照れ隠しにしては、事務的過ぎる用件だ。
 自身でも口にしてからしまったとは思ったが、口に出してしまった物は今更である。
「そうでした、お呼ばれに来た訳ではなかったんでした」
そして秋成は言われて漸く事実を思い出したとばかりに、手を打った。
「納得の行く金額をお支払いさせて頂きますので」
どうぞと促す沈黙に、秋成はうーん、と首を傾げる。
 報酬は七重自身の蓄えから出すつもりで既に準備してある……とはいえ、この業界の基準はあって無きが如し、ネットで情報をあたってみても、その価格帯の平均を絞り込む事が出来ずに難渋して、口座から引き出せるだけの現金全てを引き出して、それでも足りるだろうかと緊張の面持ちで沙汰を待つ。
「……さばみそ」
顎に指をあて、中空を睨んでいた秋成に口から洩れる単語が咄嗟、理解出来ず、けれど聞き直す事も出来ずに動きを止めた七重だ。
 その様に秋成はにこりと笑む。
「俺、今すっっごく腹減ってんです。長い祝詞を唱えたせいかな、眩暈がする位に空腹で、ここから二駅行った先の駅前の定食屋のおばちゃん特製の鯖味噌定食を七重クンとご賞味出来るなら、他に何にも要らない気分」
浄霊は、最も高度な技術を要す筈だ。
 その代償が鯖味噌定食……別の意味で思考を止めた七重の肩を、秋成は軽く叩く。
「じゃ行きましょうか……お袋の味ってカンジでうまいですよ、ものすごく」
先に廊下を出た秋成は、芸も細かく「さばみそ、さばみそ〜♪」と妙な節を付けて待ちきれない、と行った風情まで演出していた。
 多分、七重に気を使ってくれているのだと思われる。敢えて自分で算出した金額を押しつけるべきか、そこに甘えるべきか。悩む七重だが、秋成はその時間を許さずに「早く早く♪」と急かして来る。
 七重はその様子に、肩の力を抜いた。
 ここは、甘えておこう。
 いつか大人になった時に、彼に……否、彼でなくとも誰かに優しい気持ちを返せるように。「……解りました。荷物を取って来ますので、少しお待ち頂けますか」
肩に置かれたぬくもりを思い出し、静かに誓いながらの七重の返答に、その心を知るべくもない秋成が諸手を挙げて喜びを示す。
 大人、三十一歳の行動に、本気と嘘ん気の区別が付かず、少し眩暈を覚える七重であった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年07月14日

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