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『守護 』
オーマ・シュヴァルツ1953

 護られている。
 その事実に気付けば浅はかに愚かに生きていくことなどできなくなる。当然のように存在を許されているのではないかと錯覚するほどの平穏な日常では忘れがちになる存在することの不思議をふとした拍子に偶然なのだと知らしめる。生きていることは決して当然ではない。神の意思よりも強いものがもたらす偶然によって生かされ、生き長らえているだけにすぎないのだ。
 現実はただただ脆いものである。総てのものがただそこに存在するだけで失われていくことを運命付けられている。変わることなく、失われることなくただそのままに保管されるものなど何一つとして存在しない。明日を紡ぐことができる奇蹟は常に喪失と背中合わせの現実のなかにしか存在しない。
 だからこそ護られているのだというその意思に気付けば、生きるという平素当然としているものさえも疎かにはできなくなる。それを制約と呼ぶ者も存在する。しかし同時に神の意思よりも強いものとしてそうした意思に感謝する者も確かに存在していた。
 生れ落ちたその場所で生き抜くために自分自身の力だけでは守り抜けないものがある。自らを犠牲にして総てを護ろうとしたところで、自らが傷つけば総てが水の泡と消えることもある。だからこそ今を生きることができるその奇蹟に感謝するのだと遠い昔にオーマ・シュヴァルツに話した者がいた。その言葉には今もどこか血生臭さが伴う。その言葉自体が血生臭いわけでもないというのに、紡いだその場に満ちていた血生臭さが多くの時間が流れた今になっても消えることなくオーマの脳裏に焼き付いて離れないからだろう。
 生きるということの脆さを知らなければならない日々が過去に確かに存在した。
 自身が死ぬことはなくとも、死というものがそこかしこに確かに存在していることを知覚しなければならない日々が存在する日常のなかに身を浸していた。
 だがそれを以前のオーマが不幸だと思ったことはない。不幸だとも幸福だと思うことはなかった。今よりもずっと平坦だった心はそうした日々をありのままに受け止める以外に術を知らず、ありのままに受け止めたうえでの行動を起こすことしかできなかった。
 それは今となってはあまりに遠い日、ヴァンサーに就任したばかりのことだった気がする。不確かになる記憶を手探りに知ることができるものはあまりに僅かだ。知らぬ間に総てを忘れていくのだとそうした事実によって知らしめられる。
 しかしそれでもたった一つの記憶は褪せることなく、明瞭なものとして脳裏に焼きついている。言葉にすれば他愛も無い、護られているのだということを知ったただそれだけのこと。それまで何もなかったかのような場所にぽつりと落ちてきたそれは、まるでひどく重要なことであるかのようにしてオーマの脳裏に焼き付いて離れない。独りで生きているわけではないのだということを否応なしに突きつけられたような気がした。だが不思議と苛立ちのようなものを覚えなかったのは、常にどこかでそうした気配を察していたからなのかもしれない。
 自らの精神力を具現化する力を持ち合わせた、異端のなかでも特化したオーマの存在は羨望の対象でありながらも忌み嫌われ畏怖される象徴でもあった。人の心に巣食う恐れという感情は自ずと排除という言葉を植えつける。あわよくば消えてしまえばいいという負の願い。それを誰よりも身近に感じながら、ヴァンサーとしての日々を送っていた。そのなかで結局は誰かに護ってもらおうなどという甘い考えを持つこと自体が愚かなのだということを知った。人を頼りにすればいつか裏切られる。裏切りによって自身を破滅させることもないわけではない。負の願いが引きずり出す、負の考えばかりに支配されてただ自らを護るため、それだけのために周囲にある総てを排除しようとしていた頃の記憶はあまりに殺伐としている。
 信じたふりを装いながら、誰も信じまいとしていた気配が今も忘れることができないのがその証拠だろう。胸の奥深くで総てを拒もうとしていたような気配。自身を護るために人の手を借りることは何よりも愚かなことなのだと信じ込もうとしていた。
 だからヴァレルやヴァラフィスを得たその時でさえ得たそれらが持つ重要性に気付くことができなかった。ヴァンサーとなったからには身につけることを強制されているということが尚更にそうさせたのかもしれなかったが、ほんの僅かにでも心の端に自分以外の誰かを心から信じようとする気持ちが残っていればすぐにでもそれが持つ重要性に気付くことができた筈だ。しかし気付くことができたのは、ヴァンサーに就任してから多くの時間が流れてからのことだった。無意識下に息づく、そこはかとない他者への拒絶がオーマにそれを気付かせなかった。身を包むヴァレルと胸の内に刻まれたヴァラフィス。それをヴァンサー故の義務とひとくくりにして気付こうとせずにいた自分がいた。
 どこかではわかっていたのかもしれないと気付いた今だから思う。ただそれを受け入れることができなかっただけで、わかっていたのかもしれないと。周囲が抱く畏怖する心の意図を理解すれば、自ずと総てが理解できた。誰もが何よりも自らを護っているのだということを知れば、周囲の目を厭わしく思う気持ちが消えた。そして誰よりも自分が大切だったのだということにオーマ自身も気付くことができたのだった。だから周囲の目が厭わしかった。しかしその真意を知れば、そこに望みを託すことがあまりに残酷なことであることがわかる。そして自らが望みを託すべきものがなんであるのかが見えた。
 自身を護るためのものがヴァレルとヴァラフィスであった。そしてそれは同時に誰かを護るためのものであるのだということを知った。内側に閉じこもるようにして鎧ばかりをまとっていては自身を護ることはできても周囲を護ることはできない。制約のなかでは自分自身も周囲を護ることはできない。ヴァレルとヴァラフィスは自らと周囲を護るために必要とされる鎧と刃だった。誰かを、自らを護るために得た二つがオーマを護り続けている。そのなかにあって何故誰かに心より護られることがないことを哀しむ必要があるだろうか。何よりも強く自らを護るものを持ち合わせているのであれば、自分以外の誰かのそれはいつかどこかでほんの気紛れのようにして与えられてもいいような気がする。
 今ではないいつかに身を置いていた世界でその一端に気付けたことが幸福だった。それを知らずにソーンを訪れていれば、今もまだどこかで人を信じることができずにいたかもしれない。自身を護り、周囲を護ることができるものを得て、その意味を知り訪れた新たな世界。そこで得た出会い。ヴァレルとヴァラフィスの意味に気付けたことで鮮やかになった出会いを、オーマは今心から大切にすることができる。それは何より自らを護る術を、理由を知ったからだった。
 誰かを護るためには何よりもまず自らを護り、大切にすることができなければならない。
 得たものを行使することだけが総てではない。得たものによって気付けたものがオーマを今も強く今生きるその場所に立たせ続けている。
 忘れることができない言葉はオーマが総てに気付くそれ以前に答えを与えてくれたのかもしれない。だから忘れることができない。
 生れ落ちたその場所で生き抜くために自分自身の力だけでは守り抜けないものがある。自らを犠牲にして総てを護ろうとしたところで、自らが傷つけば総てが水の泡と消えることもある。
 そう告げた者が誰であるのかは今となっては判然としなかったが、言葉は今も色褪せることなくオーマの記憶のなかにあった。
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
沓澤佳純 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年07月12日

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