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『  『人形猫』 』
タマ・ストイコビッチ5476




 「あ、暑いですにゃ〜」
 晩夏の日差しも昼のさなかはまだ強く、茂る木の葉は濃い影を地面に落とす。湿気にしなだれた雑草の絨毯は柔らかく、涼を取るには絶好の場所。
 タマが裏庭の掃除――といっても石畳にかかる雑草を抜いたり、風で飛んできたゴミを拾うことくらい――をしていたが、いまは木陰でちょっと休憩。
 スカートを抑えてかがみ、雑草を抜いている、ふりをする。
 タマは一見、十三歳くらいの少女に見えるが、じつは猫又。妖怪である。頭に生えてる猫耳と、メイド服から垂れてるシッポが動かぬ証拠。
 「あ、アリさん。元気に行進してるのにゃ」
 その行列をしばらく見てると、ふと右手にもったホウキに気づいた。思いだす。
 「あ、タマはお仕事中でしたのにゃ〜」
 失敗しっぱい、といったふうに明るい声でにこやかにいう。ほうけた頭を覚ますように首を振る。ぶるんぶるんとブロンドの髪も揺れ、そこから飛びでた猫の耳もふるふる揺れた。そこに聞こえた、小さな声が。
 「だれか――」
 びっくりして、シッポも耳もびんっと立った。
 「ど、どちらさまですかにゃ?」
 立ちあがり、おそるおそる辺りを見回す。か細い女性の声だった。
 林の奥、木々の間を縫うように置かれた踏み石。目でたどる。無意識に、ちいさな鼻がくんくんと嗅ぐ。いつもと同じ草木の匂い、虫たちのフェロモン漂う空気に混じる、不思議な雰囲気を鼻孔に嗅いだ。昼下がりの木漏れ陽に洗われる緑の抜け道。裏口に繋がる小道は、なんだかいつもと違う光があふれる。その輝きに目をきらきらさせて、にゃっ、と笑う。
 タマはなんだか楽しくなって、「だれか――」と、また呼ぶ声に聞き返す。
 「八百屋さん……ですかにゃ? でも、八百屋さんは男のひとでしたにゃ?」
 踏み石のうえを飛び跳ねながら、ぴょんぴょん日差しをくぐって進む。調子に乗って飛びすぎて、鉄格子の裏口にびたっとくっつく。しがみつく。アイタタと照れくさそうに笑ってごまかす。
 まるで牢屋に使うような格子扉。それと一体になったタマ。掴んだ鉄棒はほんのりあったか。格子にはさまる額の左右は暑くなる。けど、誰かがふれた。おでこを撫でた。その指はいやに冷たい。
 「ふにゃっ! ひ〜んやりして気持ちいいにゃ」
 顔をあげると、その手の向こうにひとがいた。
 「こんにちは。はじめまして。あなた、ここのお手伝いさんでしょ?」
 見たこともない女のひとが、にっこり笑って立っていた。
 「にゃ、はわ。みっともないところをお見せしてしまったのにゃ。えーと、タマはこのお屋敷のメイドさんですにゃ」えっへんと胸を張り、「自称、万能ネコミミロシアンメイドですにゃ。まあ……自称ですがにゃ〜」
 照れた顔で、えへへと笑う。
 「何かご用ですかにゃ?」
 「ええ。わたしの帽子がお宅に入ってしまって……」
 あそこ、と指さす女の視線を目で追った。
 「これですかにゃ?」
 帽子は扉のちかくの茂みに落ちてた。
 つばの広い白い帽子を拾い、とてとてと戻ってくる。
 「どうぞですにゃ」
 「ありがとう」
 タマは鉄格子の扉を開けて、帽子を手渡す。手がふれた。タマの手を包むように、撫でるように、指先が、少女の起伏を確かめるように動いた。冷たい手。さわられて、自分の手が明確になる。輪郭と厚みを知る。伸びきっていない幼い指。小さな手のひら。細い手首。掴まれた。
 「にゃっ!」
 動かない。風が吹く。手のうえの帽子が飛んだが、動けなかった。にこりと笑う、女の瞳が妖しく光った。刹那、タマの意識はその瞳に吸い込まれて、気を失った。


 気がつくと、絨毯のうえだった。ふかふかのクリーム色の絨毯に、へにゃっと横になっていた。意識はあるが、力がちっともはいらない。
 「あら? 目が覚めた?」
 背後から女の声。しかし身体は動かない。全身の力が抜けてしまっているようだ。生まれ故郷のロシアで幾度となく味わった、凍え死ぬ一歩手前の脱力を思い出す。死の恐怖。柔らかい雪の恐怖。それが心地よい絨毯に再現されて、ぞくりとした。
 「身体、動かないでしょ?」
 背中から抱き起こされて、ぺたりと座る。見えないけれど、身体は感じる。女がそばに寄り添っている。動けないけど、押しつけてくる彼女の身体は感じられた。
 首筋に吐息。
 「タマちゃんは――」
 びくっとした。
 けど、心が跳ねただけだった。
 やはり身体は動かない。
 胸のうえ、女の指がそっと撫でた。
 心臓の位置だった。いまは動いていない心臓のうえだった。
 そこに何かが突き立てられたら、そう恐怖した。だが――
 「タマちゃんはね、わたしのお人形さんになったの」

 
 ふにゃ? うにゃ?
 お人形さん、なのにゃ?
 どうしようにゃ?
 動けないにゃ。しゃべれないにゃ。
 タマはほんとうにお人形さんになってしまったのにゃ?
 困ったのにゃ。まいったのにゃ。
 二百年生きてきたタマをお人形にするなんて、ただ者じゃないにゃ。
 何者なのにゃ。タマをお人形さんにして、いったいどうするつもりなのにゃ?
 「かわいい子」
 ほ、ほめられたにゃ。照れるのにゃ。
 「綺麗な髪」
 えっへん。えへへ。自慢の金髪、さらっさらのストレートヘアーにゃ。
 「じゃあ、タマちゃん。お着替えしましょ」
 にゃ、にゃにぃ〜!


 お気に入りのメイド服を脱がされて、下着も脱がされ、裸にされた。
 すぐに違う下着と、かわいいドレスを着せられた。両手両足・シッポも持たれて、ポーズをつけて立たされる。女はひとり、満足そうに拍手して、また脱がせる。タマは立たされ、鏡の前でいろんな服をあてがわれてく。

 こ、このひとはどうしてこんなことをするのかにゃあ?
 脱がされるのは恥ずかしいにゃ。
 動ければ、びしぃっとばしぃっと、やっつけてやるのににゃあ。
 絶対最終重火兵器の入ってるメイド袋も脱がされてるから取りだせないしにゃ〜。
 こうなったら猫に戻って逃げるのにゃ。えいにゃっ!
 にゃあっ。も、戻れないにゃ。
 ど、どうしようにゃ?

 古今東西、数十種類の服を着た。中世ヨーロッパのきついコルセットにレースと刺繍の鮮やかなドレスも着た。飾りのついた帽子もかぶった。古代エジプトの女王みたいな装飾と薄い生地も身につけた。イヌイットの暑そうな上着も着たし、日本の着物もいくつか着た。十二単や簡素な着物。割烹着に三角巾をつけられて、はたきとホウキを手に持たされた。生まれ故郷、ロシアの民族衣装も着させられた。

 このままずっとここにいるのかにゃ?
 でも、これはこれで楽しいにゃ。
 いろんな服着て、ほめられて。
 「かわいいわ」とか、「素敵だわ」とか。嬉しいにゃ。
 ときどき、ギュウってしてくれて気持ちいいし。
 ふにゃ!
 「あら? ごめんなさい。安全ピンが刺さっちゃった」
 痛いのにゃ。動けないのに痛いのにゃ。
 「ごめんなさい。タマちゃん」
 刺さったところを撫でてくれるにゃ。
 優しいひとにゃ。
 「痛いの痛いの飛んでけ。わたしのかわいい、かわいいタマちゃん。んふふ」
 なんだか、ほんわかとした気持ちになるにゃ。
 嬉しいにゃ。
 もっとタマで遊んでほしいにゃ。
 もっと、もっと、着せ替えしてほしいのにゃ。
 かわいがってほしいのにゃ。
 ずっと遊んでほしいのにゃ。
 

 「でも、やっぱりタマちゃんはメイド服が一番かも」
 もとの服に戻して微笑む。座り、ひざのうえにタマを乗せる。
 金色の長い髪を指で梳いた。
 指にかかるひとふさを、そのすべらかな感触を味わった。
 なんどもなんども指で梳き、ときに両手で後ろ髪をまとめて遊んだ。
 「噛んじゃったりして」
 手にした髪をくちびるにはさんでみる。歯は立てない。くちびるにタマの髪を覚えさせる。その香りを嗅ぐ。日なたの匂い。
 「耳、かわいいわ」
 髪の毛と一体になった猫耳は、まるで跳ねた寝癖みたい。
 猫耳の外側にくちづけし、ふちを口にはさんで舐めた。内側の、産毛がさわさわとしてまとわりついた。湿っていく産毛の向きを舌で整え、両手では抱いた頭を撫でてやる。分けたふさをより合わせたり、結んでみたり。髪の毛の弾力だけが、たったひとつのわずかな抵抗。もみしだく。
 耳の付け根、髪のなかに鼻をもぐらせ、くちびるで梳いていく。
 

 髪の毛をいじられる、撫でられる感触はある。
 くちびるの、わずかな動きもちゃんとわかる。
 かかる吐息と引かれる髪が、頭皮を通じて感じてしまう。けど。
 脊髄での反射運動はいっさいしない。ただされるだけ。人形だから。
 それでも感覚の刺激はそのまま魂を、心をえぐる。ぞくぞくと攻められる。
 くちづけされる。のどの奥、胸のなかまでなめられる。優しい愛撫。
 不意に、屋敷の主人を思い出した。

 「タマちゃん、泣いて、る?」

 ご主人さまぁ。
 お庭のお掃除、途中だったにゃ。どうしようにゃ。
 ご主人様、怒るかにゃあ? どうしてるかにゃあ。
 急にいなくなって心配してるかもしれないにゃ。
 困ったにゃ、まいったにゃ。

 感触が、直接心に染みていくのとおなじよう、泣きたい気持ちが身体に染みた。人形の身体に染みて、その瞳が潤みはじめた。

 「あらあらあら。いつもはこんなことないのに。泣くだなんて。心が、残っているのかしら。やっぱり、猫の耳がついてる子は特別ね」笑って、「ごめんなさい。おうちに帰りたいのね。いいわ」
 そういって、女はタマの涙を白いハンカチーフで拭きとった。けどまだ潤む。

 ごめんなさいにゃ。

 タマは女のひとにも謝っていた。

 「また遊んでね」
 髪を梳き、白いリボンをつけていう。
 「ね、タマちゃん」
 

 呼び鈴が鳴る。
 届け物を知らせるベルだ。
 細長い段ボールに入っているのは、猫耳メイドの人形だ。
 長くて綺麗なブロンド色の髪の毛に、白いリボンをつけた人形。
 「あら、かわいい」
 屋敷の主人が嬉しそうに抱きかかえた。
 ささやくような声がした。
 ――遊んでにゃ。
 主人に抱かれて、ご機嫌だった。

 ――ご主人さま、タマで遊んでくださいにゃ。





 おわり
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年07月12日

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