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セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&マリオン・バーガンディ(4164)

(文字が擦れている為、判別する事が出来ない)

 XXXXXX=X=XXXXXXXXX 1643- イングランド 貿易商
 XXX=X=XXXX=XXXXX 1643- イギリス 研究者
 XXXX=XXXXXXXXX 1643- イギリス 医師
 XXXXXX=XX=XXXX 1643- ウェールズ 議員
 XXXX=XXX=XX=XXXXXX 1643- イングランド 議員
 XXX=XXXXX=XX 1643- イギリス 議員
 XXXX=XXXX 1643- イギリス 貿易商

 XXXX=XXXX=XXXXX 1644- イギリス 貿易商
 XX=XXXXXXXX 1644- イングランド 医師
 XXXXX=XXXXX 1644- ウェールズ 議員
 XXX=XXXX 1644- 北アイルランド 議員
 XXXXX=X=XXXXXX 1644- スコットランド 議員
 XXX=XXX=XXXX 1644- イングランド 医師
 XXXXX=XXXXXX 1644- イギリス 医師
 XXXXX=XXXX=XXX 1644- イギリス 研究者

(文字が擦れている為、判別する事が出来ない)

 XXXXX=XXXXXXX 1647- 北アイルランド 議員
 XXX=XXX=XXXXX 1647- スコットランド 医師
 XXXXX=XX=XX=XXXXX 1647- イギリス 貿易商
 XXXX=XXXXX=XX 1647- イギリス 研究者
 XX=XXXX=XXXXX 1647- ウェールズ 研究者

(文字が擦れている為、判別する事が出来ない)

(署名は全て、アラビア語で記載されている)



 回帰されるイデア 創生されるイド


 1

 渋紙色の扉を開けると、十数メートルほど続く広大なフロアを区切る様に、鉛白色のパーティションが並べられていた。その表面には、年代や画家によって区分分けされた膨大な数の絵画やポートレートが、等間隔の空間と共に飾られている。それらは全て、複数の人物により個人的に収集されたものだが、その光景を一見した観覧者は、美術館の一角に足を踏み入れた様な錯覚を覚えるだろう。だがその場所は『絵画を展示するには適していない空間』であるという事を、彼と彼の主、そしてフロアの管理者だけが認識していた。
 自然光の遮蔽された暗い室内に明かりを点す様に、不規則に配列されたダウンライトが白く濁った光を放っている。鉛白色の壁に反射した光は、その強さを弱めながら鈍色のフロアへと落ちる。幾重にも重なり合う様にして映し出された扇状の光が、闇に覆われたフロアに白のグラデーションを作り出していた。
 フロアを奥へと進んでいくと、作品の時代が遡ると共に飾られている作品の数が増していく事に気付く。そして、それが所有者の趣向を表すパラメータとなっている事も認識させられる。息が呑まれるほどの重厚感と共に、ホールを漂う大気の密度が少しずつ濃くなっていくような感覚を受ける。行き着いた先にはさらにもう一枚、重厚な渋紙色の扉が静かにその姿を構えていた。
 扉の前で足を止めると、彼は壁に設置されたコンソールの暗証キーを慣れた手付きで入力した。短い電子音が聞こえると、内蔵されたカメラを覗き込む様に左の眼球を僅かに見開かせる。数秒のブランクの後、短い電子音が再度発され、重く低い錠の落ちる音が響いた。僅かな足音を響かせながら、開かれた扉の向こう側に構える部屋へと足を踏み入れる。その両肩には、僅かな緊張が漂っていた。
「お仕事中失礼致します。お飲み物の準備をさせて頂いて宜しいでしょうか?」
 背後の扉が閉じると同時に、モーリスが低く頭を下げる。自然光の遮蔽された広さのある空間に、モーリスを除き二人の人物が存在している。彼の言葉は、その二人に向けて掛けられたものだった。
彼の言葉に気付いてはいないのか、二人共モーリスに背を向けたまま意識が散漫する様子が無い。それを了承と受けたモーリスは、再度一礼するとフロアの隅に置かれていたワゴンの傍へと歩いて行った。
「人間というものは、本来己をコントロールする事で他の動植物から逸脱した進化を遂げたと言います。それは、脳の発達然り、言語の発達然り。それが行えるからこそ、人は人という位置を確立出来るのではないのでしょうか? ……いえ。私の言葉に他意がある訳ではありませんが」
 ティーセットの準備を終えたモーリスが銀のトレイを胸の位置で持ちながら一礼をした後、まるで室内の二人を戒めるかのような口調で言葉を告げた。室内の中央には重厚な赤褐色のテーブルが置かれ、無数とも思えるほどの書籍やフォトグラフがその上に積み上げられている。少し離れた場所に置かれたアイボリーの低く広いテーブルの上には、サイズの異なる絵画が六点ほど、白い布の下に横たえられている事に気付く。水浅葱のティカップから漂う矢車草の香りが、ゆっくりと空間を満たして行く。その香りに漸く意識を向ける気になったのか、幼い顔立ちの人物がモーリスへと顔を向けた。
「動植物にとっての欲求は、本来己の子孫を残す為だけに脳が指令する情報だとも耳にしました。だからこそ、彼らは最小の力で最大の結果を残してきたのだと思っています。その違いこそが、人と動植物を異なるカテゴリであると位置付ける要因にもなっていると私は思います。……えっ? 私の言葉にも他意なんてありませんよ?」
 茶褐色の椅子に腰を下ろしていたフロア管理者のマリオン・パーガンディが、指先に纏わり付いたカカオをなめ取りながら言葉を返した。濡れたコットンで指を拭き取ると、モーリスの手からティカップを手にし、それを口にする前にミルクピッチャとシュガァポットの中身をバーントシェンナの液体の中へと注いでしまう。当然の様に振る舞うその姿に、モーリスは眉頭を僅かに寄せた。
「ありがとうございます。モーリスの淹れて下さった紅茶は、本当に美味しいです」
 甘く柔らかな口当たりになった紅茶を口に含み、マリオンが幸せそうな表情をその顔に浮かべる。そこに、意図的な何かを含ませるような隙は一部も見出す事は出来ない。モーリスはそんなマリオンの姿に、不思議と笑みが零れた。
 カップを手にしたまま、積み上げた山の中から一冊の書籍を手にすると、中を伺う様にページを捲っていく。見慣れた光景ではあるが、それは決して肝に良い行動と言えるものではない。書籍の価値から比較すると、低層の収集家ならば卒倒し兼ねない乱雑なマリオンの扱いに、モーリスが苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「降参をしてしまった方が利口ですよ、モーリス? 私がどちらの言葉をフォローするかは、聡明な貴方ならば理解出来ると思いますから」
 まるで、彼の心情を全く察していないかの様なゆっくりとした口調で、モーリスの主であるセレスティ・カーニンガムが二人の会話に言葉を挟んだ。セレスティは二人から少し離れた位置で、膝の上に大判の書籍を抱える形で車椅子に腰を下ろしていた。
 白い指指の先が触れるるページは、くすみの無い乳白色を纏っている。車椅子の脇に置かれたアイボリーの小さなテーブルの上には、セレスティが手にしている書籍と同じ装丁のものが二冊ほど積まれていたが、それらのページはどちらも濁った丁子色をしていた。セレスティがそこで何を行っていたのか、モーリスは説明を問うまでもなく理解が出来た。
 そして、彼の意図している言葉が何なのかという意味も、思考するまでもなく推測が出来た。
「人は動植物と異なり、『欲する』という感覚を持っています。これは結果的に、他の動植物と比較をすると不必要なエネルギィを消費している事になります。ですが、このエネルギィの浪費こそが、人と動植物の違いを決定付ける行為なのだと私は考えています。ほら、無駄な時間を過ごす事は贅沢であり楽しいと言うじゃありませんか? それを行う事が出来るのは人だけなのかもしれませんよ? ……勿論。私の言葉には他意しか含んでいませんが」
 モーリスは口を挟む隙間すら見つける事は出来ず、変わらぬ笑みを浮かべたまま言葉を続けるセレスティの様子を沈黙と共に伺っていた。収集家としてのセレスティと、ジャンルは偏ってはいるが同じく収集家としてのマリオンが同じ空間の中に存在していては、モーリスの皮肉はジョークにしか映らない。モーリスはブランクを必要とせずに思考の推測を結論まで至らせてしまうと、己の敗北を認めた様に深く溜息を吐き出した。
「……これは、誇りある敗北宣言だと認めて頂けますか?」
 空になったトレイを脇に挟むと、空いた両方の手を顔の高さの位置にまで降参のポーズを示して見せる。珍しくおどけた姿勢を見せるモーリスの姿に、セレスティは肩を震わせながら笑いを殺し、マリオンは小さく拍手をして喜びの声をあげた。
「えぇ、勿論。今の貴方の姿を、ポートレートにして残しておきたいほどに。貴方のそんな姿を見たのは、随分と久方ぶりな気がしますね」
「あははっ。私は、モーリスが降参する姿を初めて見ました。貴方の姿を忘れてしまわない様に、私のニューロンに刻み付けておかなければいけませんね?」
 この二人が顔を合わせている時には、どんな言葉もジョークにしかならない。数世紀という時間を共にしている二人であるとはいえ、こればかりは忘却の時を費やしても納得のいく結論を見つける事はやはり出来無かった。
「さて、そろそろ許してあげないと彼が本当に拗ねてしまいそうですよ、マリオン? ……モーリス。私にも紅茶を頂けますか?」
 面白そうに笑い続ける二人の姿を視界の中に捕らえながら、モーリスは主の言葉を受け入れる様に手を降ろすと隙の無い動きでゆっくりと一礼をする。その後、間もなくして差し出した紅茶の口当たりが、いつも口にしているものよりも僅かに甘みが強い事にセレスティは気付いた。完璧なる従者が行った、ささやか過ぎる己への報復に、彼は内心笑いを堪える事が出来なかった。


 2

 短いティタイムが終わりを迎えた頃、マリオンは小さな欠伸を噛み殺しながら椅子から立ち上がった。ゆっくりとした足取りでテーブルから離れると、壁際に置かれたセレスティのロッキンチェアへと歩いて行く。置かれていたブランケットを手にすると、断りを告げるよりも先に我が物顔で腰を下ろしてしまう。かなり眠気が強かったのか、ブランケットを膝に掛けるまでにマリオンは二度ほど大きな欠伸をしていた。
「随分と無理をさせたみたいですね、マリオン。今日は作業を止めて、また明日にしましょうか?」
 マリオンの様子を伺っていたセレスティが、気遣う様に言葉を掛ける。その言葉を耳にしたモーリスが、マリオンを運ぶ為にと視線を向ける。だが当のマリオンは、そんな二人の気遣いを全く気に掛ける様子も無く、小さな欠伸を噛みながら言葉を返した。
「心配は無用です、セレスティ様、モーリス。今日はとても気分が良いので、こうして少しまどろんでいたいんです」
 それがマリオンの本心であるという事を同時に悟ると、二人は表情に滲ませていた気遣いの色を消した。時間という流れを楽しむセレスティと時間という枠を見詰めるモーリスにとって、時間という概念を繋ぐ事の出来るマリオンの思考は何処までも自由で掴み所が無い様にも感じられる。時間というものは世界には存在せず、己の中だけで刻み続ける固有の認識であると考えるマリオンにとっては、自分のペース を失わずにい続ける事が当然であると考えていた。良く言えばマイペース、悪く言えば我儘とも思える思考だが、二人はそれがマリオンらしさであるとも理解していた。
「今は……マリオンは、何の修復を行っているんですか?」
 声のトーンを僅かに下げ、モーリスはセレスティへと言葉を掛けた。セレスティの隣で常に控えている彼とはいえ、趣向、特に美術品に関して把握していないものがあるというのは少なくは無い。それはマリオンに関しても同じであり、二人は美術品を入手した事をモーリスには秘密にし、修復が完了したと同時に、購入した事を明かすという悪戯もしばしば行っていた。いくらモーリスとはいえ主の収集品を許可無く覗く事は出来ず、この時もそんな不安からか、モーリスの表情には僅かな強張りの色があった。
「レンブラント・ファン・レイン作の『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』ですよ、モーリス。先日、お二人が参加されたオークションでセレスティ様が私にと落札をしておいて下さったんです。……ずっとこの手で触れてみたいと思っていた作品だったので、本当に嬉しく思っています。今は、その修復を行う事がとても楽しいんですよ」
 モーリスの言葉に答えたのは問い掛けたセレスティでは無く、窮屈そうに伸びをしていたマリオンだった。言葉への質問を返すよりも先に、モーリスはセレスティへと細めた視線を向ける。視線を正面から受けながらも、セレスティは素知らぬ様子で笑みを返していた。
「『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』ですか? 何故あの作品を? 貴方も、レンブラントの作品を好んでいたんですか?」
 追求する事に意味は無いと感じたモーリスは、視線の辿り着く先をモーリスからマリオンへと変更した。その視線には、僅かに好奇的な色が含まれている。その視線は、マリオンの好奇心を揺さぶるには充分の力を持っていた。
「そうですね……。趣向で言うななら、正直レンブラントは除外に入るかもしれない画家の一人です。タッチというか、彼の持つ独特の世界が私の肌には合いませんでしたから。ですが、そんな主観的な思考を払拭してくれる、もっと興味深いものがあの作品の記憶の中に存在していましたから。だから私は、あの作品の購入をお願いしたんです。そうですよね、セレスティ様」
 寝返りを打つかの様に背凭れに体を沈めながら、マリオンは少しまどろみの混じる声音でそう告げた。そうして話をする事が楽しいのか、いつにも増してマリオンの言葉が饒舌になる。促された言葉を続けるかの様に、セレスティがモーリスへ向けて口を開いた。
「ある外科医組合がレンブラントの元に『人体解剖を行っている絵』の作成を依頼し、一六五六年にそれが完成しました。貴方も記憶している通り、当時のオランダでは公開解剖というものは決して珍しいものではありませんでしたからね。『トゥルプ博士の解剖学講義』で一気に名声を上げたレンブラントにとって、医学の権威から認められる事と同時に『解剖劇場』に招かれるという事は名誉ある厚意であったと言えるでしょう」
「当時は……。えぇ、その事は私も強く記憶しています。現在の様に医療技術も保存技術も進歩していた訳ではありませんから、厳しい条件の元で行われていたのは確かです。……私も二度ほど『解剖劇場』に足を運びましたが、今思えば劣悪な状況であったと言えます。ですが研究者達とっては、そんな状況下においてでも目の当たりにする事の出来た当時の最先端技術は充分な知識となった事でしょう。特に、レンブラントの様な人物にとっては」
 懐かしむと同時に忌々しい何かを思い返すかの様に、モーリスはその瞳を僅かに細め、ゆっくりとした口調で言葉を呟いた。現在の倫理概念からは想像もつかない出来事だが、一六〇〇年代前半のオランダでは外科医組合の建物の中に設けられた『解剖劇場』という場所で、公開による人体解剖が行われていた。死体の腐食を抑える為に季節を冬だけと限定し、死刑判決を言い渡された罪人に限り執り行うという形式をとっていたが、それは多くの研究者の知的好奇心を満たすには充分なものだった。『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』も、その『解剖劇場』の中で行われたものが描き出されていたものだった。
「その作品が完成した後、依頼をした外科医組合の本部に保管される事となりましたが、一七二三年の十一月八日に建物内部で火災が発生し、絵の4/5が焼失しました。現在、残されているのは完全だった『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義の1/5』でしかありません。現在も当時の資料を探し、復元に向けての話は進んでいるとは聞きますが……」
 『復元』という言葉を口にした後、セレスティはマリオンへと視線を向けた。二人の会話を面白そうに伺うマリオンとセレスティの目線が重なった。
「私も当時、その件に関する記事を目にしました。解剖さる死刑囚と、そのの周囲だけを残し作品が焼失してしまったのだと。……当時確か、それで随分と騒がれていましたね? 特に、カルトを風潮する者達が躍起になっていたと記憶していますが。……レオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』でさえ、漸く修復されたのが一九九九年でしたから。あの作品は、劣化しながらも全体が完全な状態で残されていたからこそ行えたものだと思っています。資料が無ければ『復元』を行う事が出来ない。そう、だからなんですね……」
 そこで言葉を切るとモーリスは、セレスティへと向けていた視線をマリオンへと動かした。二人の視線を受けた様にマリオンはロッキンチェアからゆっくりと立ち上がると、ブランケットを手にしたままゆっくりと歩き出す。二人から少し距離を置いた場所で立ち止まると、マリオンはダウンライトの放つ光彩に目を細めた。
「『復元』という行為は……『修復』とも『再製』とも異なります。復元とは戻すもの、修復とは治すもの、再製とは再構築するもの。復元とは歴史に残された記憶を繋ぎ、有るべき形へと戻す力を意味します。私は残された歴史の断片から、その歴史が繋いでいた記憶を呼び起こすという事を行っているだけです。……本来ならば、途絶えた記憶を呼び起こすという行いは抑止力の始動を意味します。歴史の中では存在してはならないもの。積み重ねられた歴史を崩壊させるもの。抑止力とは、その歪を修正する為に世界が働き掛ける力の事です。『歴史を変えてはいけない』等という台詞が三流のスペースオペラではよく謳われていますが、それが積み重ねられた歴史ではなく『積み重ねていく歴史』だとしたら? ……それは、『歴史を変える』という事になるのでしょうか?」
 マリオンは手にしていたブランケットを衣擦れの音と共にフロアの上へと落とすと、アイボリーの低いテーブルへと向かって歩いて行った。テーブルの上に掛けられた白の布を、空気を含ませる様にしながら取り払った。そこには、『ヨアン・デイマン博士の顔が復元された、『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』』が存在していた。モーリスがテーブルの上へと視線を向けた時には、複数のキャンバスが存在している様に見えていた。それは、『復元中の断面』が、歪な形のまま置かれていた姿でだった事にモーリスは漸く気が付いた。
「歴史というものは、そもそも何処に存在しているのでしょうか。……記憶? それとも記録? 確かに歴史を語るには、記憶や記録を呼び起こすしか手段はありません。ですが、それらが全て『本当のもの』であったのかどうか、それを裏付けて確証する事の出来る手段は、現代の科学には存在していません。……それはつまり、歴史とは最も巧妙に仕組まれた『嘘』であるとも言えるのではないのでしょうか?」
 テーブルへと手を掛け、焼失した筈のヨアン・デイマン博士の瞳を覗き込む。その真剣な瞳の行き着く先には、腹を割かれ、脳を剥き出しにされた罪人だった者が横たわっている。何を思い、何を見詰め、そして何を求める為に執刀をしたのか。重く塗り重ねられたアクリルの内側からは、レンブラントが求めた意味とは異なる『もう一つの意味』が存在している様にも思えた。
「人々の後ろに積み上げられる歴史。その歴史を守る為に働く抑止力。現在と過去を分かつ、酷く曖昧な証明。……その歴史が『何処に存在している』のか、本当の事は誰も知らないのだと思っています。……勿論、私が知っているものは『歴史を司る記憶』でしかありませんが」
 その視線が、ゆっくりとした動きと共に二人へと向けられる。セレスティはその視線に柔らかな笑みを込めると、マリオンへ向けて手を差し出した。
「歴史というものは、その時間、その場所、そこに生まれた人々、そこに生み出された物全てに宿るものです。時間というものは一定では無く同じ方向へと向かって歩んでいる、ただそれだけの事なんです。……歴史というものに嘘はありません。ただ、確かめる術が無いだけの事。確かめなければ認める事が出来ないなんて、三流の研究者の言い訳でしかありませんよ?」
 セレスティの言葉が面白かったのか、マリオンは短く噴出すとセレスティの手を握り締めて面白そうに笑った。もう片方の手を伸ばすと、セレスティはマリオンの柔らかな髪を優しく撫でる。だが次の瞬間、二人のやり取りに表情を綻ばせていたモーリスから笑みが消えた。
「ですから、私のお願いしていた仕事も忘れないで下さいね?」
「……はーい。申し訳ありません、セレスティ様」
 セレスティの言葉に対し、マリオンは途端に借りてきた猫の様に大人しさと従順を向ける。どんな状況においても、洗錬された笑みや核心を伴う言葉も忘れない主の姿勢に、モーリスはただ舌を巻く事しか出来ない。それはマリオンにとっても同じ事であり、絶対に適う事が出来る相手ではないという事を再認させられる事実でもあった。


 3

「この世界に、呪いというものは存在していると思いますか? モーリス」
 外界の景色を見る事が出来るのなら、時刻は既に西の空の一角に太陽が沈み掛ける頃を示していた。突然投げかけられた言葉は、室内の整頓を行っていた従者の表情を酷く困惑したものへと変化させた。また主人の気まぐれが始まったのかと感じたモーリスは、手にしていた大判の書籍をテーブルの上に積み上げていく。
「呪いの歴史を踏まえたうえで、答えを出すべきでしょうか?」
「歴史に位置付けられたものではなく、貴方の認識する単純な見解を伺いたいんです」
 モーリスは、唇に指先を宛がいながら思案する姿勢を見せる。どんなに唐突なものであれ、主の望むものを形として返す。不服を唱える事も無く会話に応じる従者の姿に、セレスティは満足そうな笑みを浮かべた。
「私は……呪いというものは、この世界に存在しているものだと考えています。それは思想というよりも、認識と言った方が近いかもしれませんが」
 モーリスの答えを受け、セレスティの口元に僅かに不敵な笑みが作られた。二人の会話を伺っていたマリオンの表情にも、まるで何かを期待するかの様な色が浮かんでいる。二人の視線を同時に受け止めたモーリスは、これから交わされる会話が、先程までのものとは異なる空気を含んでいる事に気が付いた。
「それはどうしてですか、モーリス。モーリスほどの人でしたら、歴史の見解に左右されなくても『呪いを否定する要素』を見つける事が出来ると思いますが。……まさか、否定する要素を見つける必要が無い、なんて仰りませんよね?」
 大げさなジェスチャを交えながら、マリオンがモーリスへと質問を続けた。口元に浮かんだ笑みが強くなり、言葉を交わす事を楽しむ様子が強く伺える。嗜める事も諌める事も出来ない二人の様子に、モーリスは心の中で両手をホールドアップさせる。こんなに短期間での複数降参は、モーリスにとって初めてとも思える出来事だった。
「そこに『有るもの』だからです。空がそこに有る事を、人は証明する事が出来ますか? 人体に心が宿っているという事を、人は証明する事が出来ますか? 先程の話ではありませんが、証明が出来なければ人は認める事が出来ないのですか? ……この世界には、証明する手立てが無くとも『有ると認識されているもの』が数多くあると私は感じています。呪いも、その一つではないのかと」
 慎重に言葉を選びながら返答を行う。その言葉に、セレスティとマリオンの表情に強い興味の色が映し出される。それは明らかに、モーリスへ向けて一種の『期待』が込めた雰囲気を醸し出していた。
「それでは、貴方は本当に『呪いというものが存在する』と思っているのですね?」
 セレスティがゆっくりとした声音で再度問い掛けをすると、モーリスは短く頷いて言葉を肯定した。その仕草に二人の口元に強い笑みが浮かんだ。
「そうですか。それでは、これに目を通してみて下さい」
 セレスティが言葉を告げると同時に、傍らのマリオンがモーリスの手の上へと数枚の紙を手渡す。モーリスはそれを受け取ると、酷く汚れた紙面へと視線を落とした。
 駱駝色の厚手の紙面上に、赤錆色のインクで癖のある文字が敷き詰められる様にして書き連ねられていた。だが風化の影響で大半のインクが蒸発し、文字を読み取る事は酷く困難な状態になっている。辛うじて読み取る事の出来る単語から、そこに書かれている言語がアラビア語であるという事が解った。
 重ねられた数枚の紙を、丁寧に扱う様に捲っていく。紙の表面は手垢で黒ずみ、同じく風化の影響からか、切断面は刃毀れをした様な歪な状態になっている。だが驚いた事に、その劣化の度合いは微妙に色を変えるかの様に用紙全てにおいて異なり、保存状況が良かったのだろうものは紙面の文字を読み取る事が出来る程に良好だった。
「そこには、十七世紀初頭から十八世紀に掛けて『ある組織』に席を置いた者達の名前が書き記されています。いわゆる、『名簿』ですね。ロンドンの時計塔にて厳重な管理が行われていましたが、幾度の盗難や紛失、焼失等を繰り返し、最終的には第二次世界大戦の混乱の最中、何者かの手によって持ち出され行方が解らなくなってしまいました。ですが近年になり、それを持ち出した者達や焼失した場所の特定が出来る様になってきました。……奇怪な『呪いの噂』を、共に連れて」
 抑揚無く告げられたマリオンの言葉に、紙を捲っていたモーリスの手が止まった。告げられた言葉を復唱しながら、手元の紙へと再度視線を落とす。『十七世紀』、『名簿』、『時計塔』、『呪い』。断片的に提示されたキーワードが、モーリスの思考の中で一つに重なる。瞬間、彼は視線をセレスティへと向けると、今までに見せた事が無いような怒声じみた声を上げていた。
「どうして……『こんなもの』がここにあるんですか! これは、存在していたとはされない筈のものではないのですか?」
「貴方の手の中には、今まさに『存在しないもの』が存在している。それは事実ではありませんか? 歴史には存在しないものは、存在すら許されない? それを証明した者は、この世界には存在していないのではないのですか?」
 まるで喜劇を目にしたかの様なセレスティの微笑にモーリスは深く溜息を吐き出すと、首を左右に振り完全なる敗北の姿勢を見せた。この部屋の中に足を踏み入れ、交わされてきた会話の意味が、漸くここで一本の糸へと繋がる。一つのカテゴリでも充分に意味を持っていたその会話は、最も大きな意味を隠し持っていた。それが、この『名簿』だったのだろう。
 Alchemy Society List of Names. ―― 錬金術協会名簿
 十七世紀から十八世紀に掛けて、ヨーロッパで飛躍的な発展を遂げた技術。現代における科学の発端となった『錬金術』。キリスト教を信仰する者からは異端とされ、思想哲学に多大なる影響を与えた『錬金術師達の名簿』。本来ならば錬金術に関わる者の所在は門外不出とされ、紙面にもその痕跡は残されてはいないとされていた。だが、そこに携わっていた者達の名簿が、彼の手の中に存在している。モーリスは、えも言われぬ感情に襲われていた。
「何故、その『名簿』が存在していないとされたのか。こうして存在しているにも関わらず、存在が抹消されてしまったのは何故なのか。……それの答えには、私達もまだ辿り着いてはいません」
「これはあくまで憶測に過ぎませんが、恐らく『名簿』を作成した者は錬金術とは異なる『呪術』を扱う事が出来たのでしょう。この『名簿』自体に『呪い』を掛け、目にしてしまった者が発狂してしまう様に回路を仕込んだ。盗難や紛失が繰り返される度にそれは発動し、ヨーロッパの各地で原因不明の死亡者が現れたと言います。それでもなお盗難は繰り返され、結果的には『名簿』は世界各地へ散らばる結果となったのでしょう。……それだけの魅力が、この『名簿』には内包されているのでしょうから」
 そこで言葉を切ると、セレスティはモーリスの手から『名簿』を奪い取る様にして手元に戻し、それを面白そうに見下ろした。
「この『名簿』を始めて目にしたのは、某タイタニック社が開催した三度目のオークションに参加した時の事でした。どうやら落札をした参加者の中に、別のオークションで『名簿』らしきものを入手した者がいるらしいという噂が耳に飛び込んで来ました。根拠は、『名簿』を入手したらしき時期の後に、落札者が『突然死』を遂げてしまったから……という事だったのですが」
 そこで一度言葉を切ると、セレスティは大げさなほどの溜息を吐いて見せる。そして、モーリスの様子を伺った。モーリスは釈然としない表情を向けるものの、口を挟む様子も無く話を聞いている。根拠も信憑性も、何よりも現実味が全くと言っていい程見当たらないのだ。そんな顔をするのは当然の事だろう。それは、二人の会話に言葉を重ねるマリオンでさえ同じだった。
「勿論、私も当初は耳を疑いました。存在するとされていなかったものが、この世界に存在していると噂されているのですから。……ですが、それに騙されてみるのも悪くないと思い、私はマリオンと共に落札者を探す為に『二度目のオークションへと出向いた』のです。そこで……」
「……噂通り、その『落札者を見つけてしまった』と?」
「正解です、モーリス。察しが良いのは喜ばれますよ?」
 漸く正解へと辿り着いた従者を褒める様に、セレスティが可愛らしい声を上げた。傍らに立っていたマリオンは『名簿』を再度受け取ると、テーブルの傍らに置いていた小さなトランクの中へとそれを仕舞ってしまう。そのまま広く切り取られた壁の一角へと歩いて行くと、ダンスでも踊るかの様な軽い仕草で振り返り二人へと向き直った。
「それでは、漸くお話も目的地へと辿り着きましたので、『名簿』の交渉に行きましょうか? 先方は既にお待ちになっていますから。早ければ良いという訳ではありませんが、遅くなってしまうよりは良いものですよ? こうしている間も、歴史のどこかでは『名簿』が焼失し続けているのですから」
 まるでそれが当たり前の行いであるかの様に、マリオンが二人に向けて言葉を掛ける。それが、モーリスに向けて仕組まれた二人からの『罠』であった事に、彼は突き刺さる程に強く実感をしていた。助けを求めるかの様に主へと視線を落とすが、主はそれを笑顔と共に気付かないものへと変えてしまう。モーリスは、その日何度目なのか解らない深い溜息を零していた。
「そんな顔をしないで下さい、モーリス。『呪いは存在する』と公言してしまった段階から、貴方は私達と同じ共犯者になってしまったのですから」
 モーリスの心情に気付いていながら、まるで追い討ちとも思える言葉を笑みと共に掛ける。我侭な二人の間には、己が立たないとバランスを取る事が出来ない。その為に自分は存在するのだと、まるで自身に向かい暗示を掛けるかの様に思考を暗唱させる。それが、現実を受け入れる為の言い訳でしか無いという事を、誰よりも強く彼自身がその身で理解していた。
「……そういえば、まさに今思い出した事なのですが」
 車椅子のグリップへと力を込め、ゆっくりとした速度で歩き出した矢先、モーリスはまるで漸く思い出したと言わんばかりの演技めいた口調で言葉を呟いた。
「『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』にも、呪いがあるとされていますね。……どんな意味を持つ呪いなのか、まだ私は把握をしてはいませんが」
 まるで初耳だという様に、二人の視線がモーリスへと注がれる。ペースを乱されてばかりの二人に漸く一矢を報いる事が出来た事に、彼の表情に機嫌の良さそうな色が浮かんだ。


..........................Fin
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
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東京怪談
2005年07月05日

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