『祝勝会まであと一歩！ 』

鈴森・鎮（2320）

　岩の壁面に生えた苔がぼんやりと光って、洞窟の中は灯火がなくとも不自由しない程度には明るかった。
　ゲーム『白銀の姫』内のダンジョンの一つであり、城塞都市ジャンゴに程近い場所に位置するここは、出現モンスターといい、単純な構造といい、初心者が初めて挑戦するのにちょうど良いレベルとなっている。
　従って、得られる物もそれなりなのだが、パーティーを組まず単身で冒険を行う際には重宝するため、勇者や冒険者のほとんどが高レベルとなった今でも、常に誰かが潜っている。
　現に今も、一人の冒険者がレベル上げとお金稼ぎに勤しんでいる真っ最中だった。
「よっ、と！」
　高い天井に、短い掛け声が響く。繰り出された回し蹴りの軌道を追うように、マントの裾が弧を描いた。
　アサルトゴブリンの後頭部に、蹴りはクリーンヒット。
　ぐえ、と聞き苦しい声を上げて倒れたゴブリンの懐から、銅貨の詰まった袋を探り出して、軽装剣士風のマントの少年――鈴森・鎮（すずもり・しず）は、緑色の瞳を輝かせて、満足げに笑った。
「ごめんな。もらってくぜ！」
　銅貨をマントの内側に仕舞い、鎮は意外と懐具合のよろしかったゴブリンに合掌した。
　アサルトゴブリンと言えば、鎮にとっては最も効率よく倒せる相手だった。低級モンスターの割に、装備品によってはあなどれない攻撃力を持つのだが、何せ動きが愚鈍なのだ。のろのろとモーニングスターなど振り上げている間に、素早い鎮が先制攻撃をすれば終わり。不意打ちさえされなければ、恐れるに足りない。そして、今のところ鎮は不意打ちなど受けたことが無い。なぜならば――
「キュ！」
　鎮の耳元で、小さなフワフワした毛玉が鳴き声を上げる。肩の上に乗っている、毛皮でできた掌サイズのぬいぐるみのようなその生き物はイヅナと呼ばれる霊獣で、鎮の相棒だった。名前はくーちゃん。
　キュウ、と。くーちゃんは鼻先を鎮の背後に向けながら、もう一度小さく鳴いた。気配や匂いに、鎮の相棒はとても敏感なのだ。
　鎮が振り返れば、岩の向こうにもう一匹、アサルトゴブリンが居た。ただし、鎮たちの存在にまだ気付いていない。
　影に身を隠しながら相手の装備品を確かめて、鎮はうーんと唸った。
　自動小銃らしき銃身が、薄明かりに鈍く光っている。撃たれるよりも先に奪うか蹴落とすかしてしまえれば良いが、近付く前に気付かれてしまったら面倒だ。
「あれはパス。逃げよう！」
　こそっとくーちゃんに囁いて、鎮はスタコラその場を去った。危ない橋は渡らない、シングルプレイの鉄則である。
　この洞窟は、大きな空洞と空洞を、細い洞が通路のように繋いでいる構造だ。分かれ道は少なく、地図を描けば串団子が何本か繋がりあっているような形になる。
　隣の空洞に移動し、ぽっかりと天井が高くなった時、
「キュ！！」
　今度は、くーちゃんが前方に向かって鳴いた。
　現われた灰色の巨大ネズミは、ゴブリンよりもまだザコだ。ネズミも気付いて前歯を剥いたが、鎮が飛びげりを放ったほうが先だった。
　一撃でひっくり返ったネズミを飛び越え、鎮は更に隣の空洞へと移動する。次にくーちゃんが見つけたのは、アサルトゴブリン４匹。流石に、装備品を確かめるまでもなく回れ右する。
　闘ったり逃げたりを繰り返すうち、鎮はそれまでのものよりも遥かに広い空洞に出た。現実世界の、学校の体育館くらいはある。鎮はその片隅に、隠れるのに丁度良さそうな岩影を発見した。
「ちょっと休憩しようか、くーちゃん」
「キュウ！」
　くーちゃんもくたびれてきたところだったようだ。岩を背にして座り込み、ふう、と鎮は息を吐く。
「くーちゃん、怪我ないか？」
　小さな体を掌の上に下ろして、鎮は覗き込んだ。無傷を証明するように、くーちゃんは元気に飛び跳ねる。
「よし、大丈夫だな！　……イテ」
　笑った鎮のほうが、頬の微かな痛みに眉を寄せた。くーちゃんが心配げに鼻を鳴らす。
　ちりちりと痛む感じからして、引っ掻いたほどの浅い切り傷だ。モンスターを相手にしていた間に、いつの間にか負っていたらしい。
　鎮はマントの中から壷を取り出した。……マントの内側に入れていたにしては少々大きすぎる、というかそんなもの中にあったら確実に、外から見てもわかるほど出っ張っていたはずだろうに、とツッコミを入れたくなるサイズである。アイテムはゲーム内のデータとして、所持の事実を記録されているため、こんな風に必要な時にだけ、実体として現われるのだ。
　壷の中身の、鎌鼬特製の傷薬を頬の傷に塗れば、たちどころに塞がった。
「そろそろ、厳しいかなあ」
　もう少し粘りたい気もするけど、と、鎮は呟いた。
　大分奥まで入り込んだせいか、巨大ネズミなど、ゴブリンよりも弱いモンスターの出現率が下がった。更に、同じゴブリンでも装備品が良かったり徒党を組んでいたりするようになってきている。
　これ以上は一人では無理だろう、と思われるところまで来たのだ。
「でもまあ、今回、かなり頑張ったよなー」
　ずっしりと重くなった財布を懐から出して、鎮はにんまりする。通貨の他、売ればそれなりの額になるアイテムもいくつかゲットしたし、レベルもいくつか上がった。
「無理して死んだら、ムダだし。引き際は大事だよな。くーちゃんはどう思う？」
「キュキュ！」
　鎮の肩に再び飛び乗って、くーちゃんも同意の声を上げた。冒険中に死亡しても、ジャンゴで自動的に復活するが、その際、所持金と次のレベルに向けて貯まっていた経験地は半分になる決まりだ。大変痛い。無理をせずに引き上げるのが、賢い冒険者というものである。
「だよなー。じゃ、そろそろ戻るか。こんだけお金があったら、色んなもん食えるぜ」
　ジャンゴ内にある機骸市場に並ぶ屋台で買える食べ物が、鎮はお気に入りだ。もちろんくーちゃんも。
　何をどの順番で食べようかなあ、などと考え始めた時。
「……キュ！？」
　くーちゃんの小さな耳が、ビクリと震えた。
「え？　何か来る……？」
　強烈な気配に、鎮も気付いた。
　背にした岩の向こう。隣の空洞からの通路口のあたりに、何かが現われた。
　ずるる、と引きずるような音を聞いたのは、その少し後だ。
　恐る恐る、鎮は岩影からそちらを覗き見た。
　歩いてくるそのモンスターの、姿かたちは、人間とさほど変わらない。
　ただし、その背中には大きな翼がある。天使、と素直に呼ぶには、あまりに退廃的な空気を背負っていた。
「げ……！」
　思わず声を上げた鎮の肩の上で、くーちゃんは背中の毛をぶわぶわに逆立てている。
　ジェノサイドエンジェル。話には聞いていたが、鎮の初めて見る上級モンスターだった。そう、確か、この洞窟の最奥に居る、ボスだ。
　その片翼は、不自然な位置にだらりと垂れ下がっている。ずるずるという音は、それを引きずる音だった。翼の付け根に、まだ乾かない傷があった。
　先に来た誰かとの戦闘でここまで誘い出されて、そしてその誰かは回復手段切れか何かで、仕留め損ねたまま洞窟を脱出してしまった――そんなところだろう。
　手負いとはいえ、鎮が一人で勝てる相手ではなかった。明らかに。
　鎮たちが潜んでいる気配を感じたのか、ジェノサイドエンジェルは足を止めた。
　ゆっくりと振り向くのは、二人の隠れている岩の方向。
　ばさん、と空気を震わせる音を立て、無傷の片翼が広がる。ぼんやりと光る苔の明りを、巨大なその翼が遮った。
「ひえ」
　鎮は息を引いた。翼の中、羽にうずもれて、凶暴な光を放っているのは、ミサイルランチャー、ロケット砲、ガトリングガン……その他諸々。
　アレを一斉に撃たれたら、こっちは岩ごと木っ端微塵だ！
「逃げよう、くーちゃん！」
　決断即実行、鎮は岩陰から飛び出した。
　必死で駆ける背後で閃光が走り、続いてとんでもない爆音がする。背中にバチバチ当たるのは、飛んできた岩の破片だ。
　爆音が収まると、ずるずると羽根を引きずる音が聞こえてくる。振り向いて見ずとも、それでわかった。追って来ている。
「うぇぇええ、来んなあー！！」
　叫びながら隣の空洞まで逃げて、鎮は青ざめた。
　その空洞には、来たところ以外の空洞への通路が開いていなかった。つまり、行き止まりだったのだ。
　ずる、ずる、と。
　背後の通路から、音がする。さすが上級モンスター、無茶はしない。そこから一成射撃したのでは、自分もろとも岩盤の下敷きになる可能性があるのを知っているので、広いところに出てから撃つつもりなのだ。
　いくら復活するからといって、やはり怖い。
　ジェノサイドエンジェルの光る目が、薄暗い通路の向こうに見えてきた。無数の鈍い光は、銃口だ。
　もうだめだ、と鎮が思った、その瞬間、
「キュッ！」
　懐に潜っていたくーちゃんが顔を出して、ぶん、と首を振り、口に咥えていたものを放り投げた。
　ビー球のようなそれが、眩しい閃光を放った。


　　　　　＋＋＋＋

「今日の冒険に、かんぱーい！」
　高々と掲げ上げた後、鎮はジョッキを飲み干す。
「うまーい！！」
　ぷは、と休日のお父さんよろしく息を吐き、鎮は口元にいっぱいついた泡を拭った。ジョッキの中身は、ビール……ではなく、白銀の姫内のオリジナル飲料、ビールモドキ。見た目はまるきりビールだが、ノンアルコールでお子様にもどうぞ、というソーダ水だった。因みに風味はリンゴ。
　テーブルの上で、くーちゃんも小さなカップから同じものを飲んでいる。
　機骸市場内に店を広げるオープンカフェで、鎮とくーちゃんは二人（？）きりのお疲れ会を開いていた。
「すっかり、アレを拾ってたの忘れてたぜ。ありがとな、くーちゃん」
　鎮にくりくりと頭を撫でられて、くーちゃんは後足で立ち上がり、誇らしげに胸を反らした。
　絶体絶命に陥った時、くーちゃんが使ったアイテムは、魔法の閃光玉。敵の目をくらませつつ、一気にダンジョンの入り口までワープできる、脱出アイテムの一つだった。
　成功率100％だけあって、脱出アイテムの中では結構な高級品で、鎮の懐具合では購入できるものではなかったりするのだが、たまたま宝箱で入手していたのだ。
　持ち帰って売れば、それなりの金額になっていたはずだが、背に腹は代えられない。拾ったことを憶えていたくーちゃんのお手柄であった。
「さ、食おうぜ！」
　喉の渇きが人心地ついたところで、鎮はテーブルに手を伸ばした。ハーブ風味のフライドポテトに、トマトとレタスがたっぷりのハンバーガー、苺のたっぷり乗ったタルト。色々な食べ物が、所狭しと並んでいる。このカフェでは飲み物以外は持ち込み可なので、周囲の屋台からありったけ買ってきたのだ。
　お金を気にせず買い物したことだけでも、鎮としてはかなり大満足だった。外はサクっと、中はホクホクのポテトを、鎮に小さく千切ってもらったのを両手に抱えて、くーちゃんも上機嫌だ。
　丁度、夕暮れの時間だった。テーブルの上に立てられたパラソルに当たるのは、金色の夕日。
　食欲旺盛なお年頃、しかも一日中運動していた二人にかかっては、財布の中身をありったけつぎ込んだ食料も、あっという間に片付けられて行く。
「お代わり下さーい」
　鎮がビールモドキをもう一杯もらった時には、丸々と太っていたはずの財布が、ぺたんこになっていた。
　振れば、ちゃりちゃりと頼りない音がする。今日、冒険に行く前とほぼ同じ状況である。
「ま、しゃあないか。銅貨ばっかだったもんなあ」
　くーちゃん用のカップに飲み物を分けてあげながら、鎮は溜息を吐いた。
　今日は洞窟のボスに敵わなかったが、いつか勝利して、その時こそは祝勝会を。
　ぱくりとタルトを齧って、鎮は甘酸っぱい苺に目を細めた。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ













＜ライターより＞
　お世話になっております、階アトリです。ギリギリの納品、申し訳ありません。
　鎮くんを白銀の姫世界で書かせていただけて、楽しかったです。ＲＰＧらしく冒険を、身軽さが一番の武器の、鎮くんらしい戦いざまを、と意識して書かせて頂いております。
　ラストは「お疲れ会」とのことでしたので、ではアサルトエンジェルに勝利できた暁には「祝勝会」になるのかな？と思い、ラストとタイトルに絡めさせていただきました。
　お楽しみいただけましたら幸いです。
　では、失礼します！

PCシチュエーションノベル（シングル）

階アトリ

東京怪談

2005年06月28日