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『narrow bed 』
高台寺・孔志2936)&槻島・綾(2226)

 紫陽花は手向けの花に向かないと言ったのは、何時、誰の言葉だったのか思い出せない。


 上野と言えば西郷さん、と続いてしまうのは、入って直ぐに出迎える、公園の象徴とも言うべき犬を連れた西郷像の強すぎる印象があるのだろう。
 高台寺孔志は銅像を一瞥するのみに止め、その脇を抜けるようにして迷わぬ足取りで奥へと向かった。
 上野山は日本で初めて都市公園として整備されて以来、都心に住む者の憩いの場として、また観光の名所として人々の姿が絶える事はない。
 初夏へと移りかわる日差しは少し歩けば汗ばむ程で、何人もの人々とすれ違いながら進める足に、孔志は額に浮かぶ汗を肩口で拭う。
 その動きに、肩にかけた大振りのショルダーバッグの中でカランと金属音が立ち、孔志は手で慎重に鞄の角度を整えた。
 帆布製のそれは、手で触れれば厚みのある物が中に入っているのだと知れる。
 しばし足を止めていた孔志は、再び足を進めようとして同じ方向に向かう人の姿の多さ、その中にやけに若い世代の姿があるのに首を傾げ……目を見開いた。
「……大河ドラマの影響かッ」
手を打ちたい程にスマートに導き出された解答は、けれど今の孔志の目的の妨げにしかならない。
 いつもなら閑散と称する所か、人気のひの字すら珍しいそんな場所である――彰義隊墓所。
 公共機関である上野公園に墓があるとは、と知らぬ者は違和感を覚えるかも知れないが、江戸という時代の終わりを戦った者達を弔う目的で建立された物であり、墓所ではなく遺跡としての取り扱いを受けている。
 歴史の影にひっそりと忘れられかけた風情で佇む場所だけに、人目を忍ぶ必要もあるまいと嵩を括っていたのが仇となった……進んでみれば案の定、目的の場には人の姿が溢れている。
「ぁちゃー……」
額をペシリと叩いて態度で嘆きを現わすも、眼差しの下で周囲を隙無く見渡した……孔志は不意に肩を叩かれ、口から心臓を飛び出させた。
「こんにちは、孔志さん……どうかしましたか?」
心臓が地面に落ちてしまう手前でどうにか呑み込んだ孔志は、収まらぬ胸の高鳴りを抑える。
「孔志さん?」
肩を叩いた知人……槻島綾は、突然座り込んだ孔志の奇行に些か引きながらも、こちらから声をかけてしまった手前、今更他人の振りをする事も出来ずに合わせてしゃがみ込む。
「具合でも悪いんですか?」
「胸が苦しいの……」
案じる声と共に伸ばされた綾の手に、そっと手を添えて孔志は瞳を潤ませた。
「これは……恋?」
「違うと思います」
きっぱりあっさりと孔志の悪ふざけをかわした綾は、大事ないと見て立ち上がる。
「いやん、綾や冷たい……」
合わせて立ち上がろうとした孔志の鞄から、乾いた金属音を立てて何かが転がり落ちた。
 それを慌てて拾い上げ、再びバッグに突っ込む。
 一部始終を見ていた綾は、孔志が必死に押さえ込んだ鞄を指で示して問うた。
「孔志さん、それ……」
「しーッ! しーッ!!」
自分、及び綾の口元を人差し指で塞いで沈黙を求める孔志だが、既に往来の人々の視線が集中して目立つ事この上ない。
 今更ながらだが、目元の印象を変えて人目を誤魔化す意味……と照れ隠しとに、綾は眼鏡を取り出した。
「珍しい……というよりも、意外な場所でお会いしましたね。お参りですか?」
貴方も、と言われて孔志は肩を竦める。
 墓所、と呼ばれ弔いを目的とした場であるのに間違いはないが、ここに骸が収められ、彰義隊の志士が眠る訳ではない。
 上野も嘗て、戦地となった事がある……彰義隊二千、新政府軍三万という数からして圧倒的な不利と最新の兵力との歴然とした差に、一日にも満たずに終わった戦。
 生き残った者は逃れ、死した者は反幕の徒として埋葬すら禁じられたのを、三ノ輪円通寺住職等が咎を恐れずに弔い、荼毘に付した。
 その火葬場の跡である。
「綾こそ。アレか? シンゴちゃんに心酔したクチ?」
大河ドラマで主役を張ったアイドルの名を出して笑う孔志に、綾は手にした花を示す。
「いいえ、僕は子供の頃に父に連れられて来てからの倣いです」
その濃い紫を見て、孔志は目を細めた。
「お、紫蘭」
「流石ご本職。ご明察です」
花屋を生業とする孔志が人目で看破するに素直に感心し、綾は紫蘭だけを束ねた簡素な花束を軽く掲げた。
「まさしく今日、五月十七日の誕生花、花言葉は互いに忘れないように!」
誉め言葉に気を良くした孔志が、聞いてもないのに嬉しく知識を披露するのを小さな拍手で労って、肩を竦める。
「自宅の庭に植えてある花ですが……何やら立派な花を抱えたお嬢さんもいらっしゃって気後れしますね」
確かに、周囲には花屋で設えたと思しき花束を抱えた女性の姿もちらほらと見える。それ以上に多いのはやはり、立派な菊を携えた老人の姿だ。
「いやいや、気にすんな綾や。おにーちゃんは解ってるよ」
ポン、と孔志は綾の肩を叩いて、暖かな眼差しを向けた。
「お小遣いが足りなかったんだろ?」
そんな小学生じゃあるまいし。何やら自分の中でいい話を構築して、自己完結的に暖かな眼差しを向ける孔志に、綾は叩かれた肩を落とす。
「違います……ここのお参りにはこの花と、決めてるんです昔から」
大人気ないと思いながらも、一応の拘りを力無く主張する。
「それはそうとして、孔志さんは此処に何を?」
「とっぷしーくれっと♪」
に、と笑った顔で返答を拒否した孔志に、綾は数秒沈黙すると、ポン、と手を打った。
「そうそう、ショベルを鞄に忍ばせた不審人物の存在を、何方か責任者にご報告しておかないと」
「イヤン、綾やのえっち〜!」
踵を返す綾と、引き止めようとする孔志は、その悶着に結局人目を集めてしまうのであった。


 孔志は片手の小さなスコップの先を、地面に何度も突き立てる。
 鈍い銀にさび止めの赤い塗料を施したおもちゃめいた色彩のそれが、雑草が抜かれて剥き出しになった土をざくざくと柔らかく解していく、その手順を綾は傍らにしゃがみ込んで興味深く見守っていた。
 結局、スコップを隠し持った孔志の存在は綾に因って公園の管理者の知る所になった……とはいえ、悪意からの密告ではなく、孔志がスコップと同時に鞄の中に隠し持っていた紫陽花の苗木を、敷地内に植える許可を得る為だ。
 最も、孔志はこっそりと人目の付かない所に植えて帰るつもりだったのだが、都の所有する土地に勝手をするのはどうだろうという最もな意見から、綾がその交渉を担って事なきを得た次第である。
「孔志さん」
ある程度地面を掘り下げて、苗木を取り出した孔志に綾が呼びかける。
「んー?」
根を保護する意味も込めてか、薄いプラスチックの鉢をそのまま穴に据えながら、生返事、といった様子ながら応答があった。
「何故、紫陽花なんですか?」
「俺が好きだから」
問いながら、まともな返答があると思っていなかった綾は目を瞬かせる。
 慣れた手付きで花を植える横顔を見詰めてしばしの沈黙の後、綾は「僭越ながら」と口火を切った。
「紫陽花は、手向けに向かないのでは」
花言葉は移り気、心変わり……語感からしても想いを託すに相応しいと思えず、それが没した者に対してなら尚の事。
 孔志は口に出さないが、だからこそ綾はこの墓所……彰義隊に対する何らかの感情を感じ取る。
「……うん」
そして孔志は花から綾に視線を向けた。
 初夏に向かう緑の落とす影が濃い為か、色素の薄い茶の瞳の、眼光が強さを帯びる。
「誰か他のヤツにも同じようなコト言われたな、昔」
そしてついと逸らされた眼差しは、何処か遠く……此処ではない場所へと向けられ、傍らにあって遠い距離を示すかのように、その狭間を夏鳥であるほととぎすの鳴き声が抜けて行く。
「ホラ、昔って土葬じゃん」
ぽつりと、孔志が声を発した。不意の発言の意味を掴み取れぬも、綾は頷いた。
「紫陽花が自生するような場所って、陰気で水が多いだろ? だから死体が痛むのも早いし、あんま早く地面の下で崩れちまうと傾くんだってよ、墓が……だから花が悪いんじゃなくて土地自体が向かないんじゃないかって、本店の店長が言ってたけど」
「言われてみれば……理由付けが後先になってたんですね」
納得した綾に、孔志は思い出したかのように、紫陽花の植樹の作業を続ける。
 柔らかな根本の土が水に土が流れてしまわぬよう、手で丁寧に押し固めて行く。
「ココ、暗いだろ? 影の中に紫陽花でも居りゃ、ぱっと明るくなるじゃん」
日照時間が少なくとも、花を咲かせる樹を選んで来たのだと、孔志は肩を竦めた。
「職業病ってヤツかね、季節に咲く花がない場所ってのは落ち着かねーの」
苗木は小さく、けれどしっかりと淡い青の花を付けている。
 笑う彼に合わせて微笑み、綾は既に墓前に供えた紫蘭の明るい色をふと、思い出した。
 過去、父に連れられてきた墓所の前で、最期まで己の志を、義を守ろうとして命を散らせた戦の顛末を聞いて覚えた遣る瀬なさを覚えている。
 ただ己義の有り様を彰かにしようとした彼等の、散る花が如き儚さは、季節が巡る程に正しい義などはないのだと、独り言のように呟いた父の言葉に幼い気持ちでも充分感じ取る事が出来た。
 それを忘れまいと。
 あの時手向けた庭の紫蘭を、毎年供え続けている。
「……春が逝ってしまいましたね」
初夏の陽光の中で紫蘭が咲き、大気を清める梅雨を紫陽花が飾って、夏が来る。
 過ぎ去った季節が既に懐かしく、昨日まで手元にあったそれに手が届かない、そんな気持ちで、綾はまた鳴き始めた不如帰の声に耳を澄ました。
「まぁ、また春は来るから」
 その耳が、また、己に向けたような小さな孔志の呟きを捉える。
 花を扱う孔志は、自分よりも季節に敏感だろう。移りかわる季節の中、去年の物でなくともまた、同じ花が咲くそれを、同じ所を飽かず巡る人の心を、どう捉えているのだろうか。
 問いたい気持ちはけれど壊すのが惜しいような静けさを守る為に噤んで、綾は緑の中に立つ、紫陽花を見詰めるふりで目を伏せた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年06月22日

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