▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『螺旋 』
ジェイド・グリーン5324

 ――此処に居たら、風邪を引くよ?

 人は過ぎていくだけの物体と同じに成り果てた頃に掛けられた言葉があった。
 蜘蛛の糸のように柔らかく降る雨。
 冷たさよりも温かさが気持ち良かったように思うのだが、けれど

 ――行く所が、ないんだ。

 顔を上げ、咄嗟に出た言葉は、この一言だった。

 見上げた老人の顔は、とても、穏やかな顔をしている。

 逃げてきたから。
 だから、何処にももう、行くあてもない。

(何処へ行けばいいんだろう?)

 まるで、その言葉が聞こえたように老人は次の言葉を継いだ。

 ――じゃあ、家に来るといい。男二人じゃ手狭かもしれないが……なあに、こんなところで雨風凌ぐより余程良いだろうさ。

 ――うん……

 不思議な言葉だ。
 幾ら、ジェイドが各国の言葉に精通していると言っても、此処の言葉は不思議だ、と思う気持ちがぬぐえない。
 拒絶、と言うには曖昧な言葉が多く、また赦すと言うにも不明確な言葉が多く。
 だが、老人の言葉は不思議なほど優しく、ジェイドの中へと沁み込んでいき……老人が持っていた傘を代わりに持たせるほどだった。
 立ち上がったジェイドの背の高さに、老人が目を丸くする。


 ――おじーちゃんの家、何処?

 ――此処の路地を歩いていればいずれ着くよ。しかし、外人さんは背が高いねえ……

 ――気付いたら、此処まで伸びてたんだ。

 ――そんなもんかね…まあ、儂の場合、歳については同じように言えるかも知れないが。

 ――うん。あ、でも本当に行って大丈夫なのかな?

 ――住んでるのは儂一人だからなあ……文句言うのも居やせんよ。

 ―― ……………

 はらはらと、降る雨が静かに傘を濡らしていく。
 音も無く降る雨は何処か、優しい。

 老人が住んでいる、と言う場所へは、何処か寂しい道を歩き続けた。
 路地を道なりに歩くと、坂が見える。
 緩やかな坂は老人が登るのさえきついのではないかと思うのに老人は下を向くことなく、歩み続ける。

 ――此処は下を向いてはいけないよ、若いの。

 ――疲れても?

 ――疲れても。

 漸く、薄ぼんやりとした場所にぽつんと一軒立つ家へと招かれ……今度は、ジェイドが目を丸くする番だった。

 二人では手狭かもしれない、と言っていたが、とてもそうは思えない広い家、だった。
 此処に一人で住んでいたらさぞかし寂しいのではないだろうか。
 そうは思ってもジェイドは、その言葉を口にしない。
 広い家同様、広い玄関をあがり、「まずは温まっておいで」と浴室までを案内してもらう。

「その間に、ご飯を作っておくからね。バスローブや着替えは……、その棚に入っているから」
「……あ、ありがとう」

 指を差した先、棚の中を見ると確かに着替えが入っていた。
 が、老人は先ほど一人だと言っていたはずではなかったか?

(誰か、居たのかな……)

 老人以外にも、自分のような歳の誰かが。

 そう思うと袖を通すのも悪いような気がしたが……冷えた体をそのままにしておけば老人も心配するだろうし、ジェイドは温かな湯に浸かるべく、着替えを出し、浴槽へと向かった。




 渡り歩いていけば、いつか、自分の居場所が見つかる。
 そう、信じている。

 力の事で何かを言われる事も調べられる事もない、そんな場所が何処かにきっと―――、あるのだと。




「おじーちゃん、風呂、ありがと」
「良く、温まったかい?」
「うん」
「じゃあ、次は、ご飯だ。ちゃんと残さず食べるように」
「……ありがとう」

 この老人に何度お礼を言ったろう。
 だが「ありがとう」と言う気持ちは尽きる事がない。
 何故、自分があそこに居たかも、何処から来たかも聞かない優しさが、心地良い。

 感謝の気持ちそのままに食事に手をつける。
 一人で過ごしていた長さだろうか、作ってくれた食事はどれも美味しく、また、寂しいような気がした。

 窓へ視線を向けると、まだ、雨が降っている。

「……何時、止むかな」
「明日の朝まで降るようだね……大丈夫、ご飯を食べたら出て行け何て言いやしない。それに」
「え?」
「孫の服がぴったりのようで嬉しいよ」
「……これ?」
「そう。良い子だったんだけどね……昨年、神の御許に行ってしまった」
 小さくなってしまったような彼を見、ジェイドは声をあげる。
「あ……あのさ!」
「ん?」
「良ければ今日一日、俺のことを孫だと思ってよ」
 借りっぱなしって言うのも気持ちが落ち着かないし……と言い、微笑う。
 どういう笑顔に見えたかが解らないが老人は眩しそうに目を細め、
「……ありがとう」
 と、笑った。
「久々に賑やかになって嬉しいね……」とも、言いながら。

 ふと、ジェイドが辺りを見渡すと写真の入っていないフォトフレームが飾られていた。
 フォトフレーム自体だけでも大した値段になりそうな立体的な花の細工が施されているが、更に良く見るとガラスの部分に亀裂が走ってしまっている。
 落とされでもしたのか、または、亀裂が入っているから写真を入れないのか。

(なら、どうして飾っているんだろう?)

 フォトフレームの横、同じような細工のブローチが微かな光を放つ。

「どうして、フォトフレームに写真がないのかな?」
「ああ、あれかい? 解らないんだよ……あのブローチとフォトフレームが誰のもので、どうして此処にあるのか」
 ただ、どうしても捨てられないから余程大切なものだろうと飾ってあるんだがね。
 思い出せないんじゃあ、意味が無い。

 老人の言葉は降る雨のように静かだ。
 どう返せばいいか解らずジェイドはただ、頷く。
「ふうん……」
「そう言えば若いの」
「え?」
「名を聞いていなかったね…若いの、じゃあ不便だ」
「……ジェイド。ジェイド・グリーン」
「翡翠の名だね」
「俺の名前だよ」






 忘れ去られたものに、何の価値があるだろう?
 価値さえ忘れても――、其処にあるもの達は、物言わぬ。
 思考を閉じ込めておく事は出来ても、伝える事が出来ないから。

 だから、忘れ去られたものは、色褪せる。


 ――誰かが、思い出す事が、無い限り




 食事が終わり、老人が部屋の準備をしている合間に、ジェイドはフォトフレームへと手を伸ばした。
 亀裂が入っているのは目の折角でもなく確かなもので、叩きつけ割ったような、そんな感覚が流れ込んでいた。

 忘れて、と。
 誰かが言い、
 忘れられるわけが無いと。
 誰かが言う。

 微かな断片。

 これ以上老人が居ない場所で見るのはどうかと思い、ジェイドはフォトフレームを元の場所に戻し、ブローチに触れる。

 すると。

 先ほどよりも鮮明になった声が流れ込んできて。

"忘れる事は罪ではないのよ"
"だけど、そうしたら消えてしまう"
"私が消えてしまっても、貴方は生きているから"
"だから?"
"だから――、"

(ちょ、ちょっと待った!!)

 これではまるで覗き見だ。
 老人が忘れてると言うのなら、この光景を見させてあげたい。

 多分、若い頃の彼と、誰か――……穏やかな声を持つ人。
 とても大切な思い出なのだろうと、そう、思うから。

 ジェイドは部屋の準備が出来たと呼ぶ声に「今行く!」と返事をし、「また」とそれらの品へ手を振った。
 その声に応えるようにブローチが光、放つ。





 そうして暫くの日数が流れる。
 老人に、見えた風景を見せようと思うものの中々言い出せる機会も無く、言えたのは、逢った日と同様に、しとしとと柔らかな雨が降る、日だった。

 思い出せない風景を俺が見せれるかもしれない、と言葉を濁しながら、漸く。

 そして、何故、そう言うものが見れるのか見えるのか老人は聞かなかった。
 彼は今までジェイドがどういう素性を持ち、どういう経緯で逃げてきたかさえ問わず聞かなかったのだ。

(普通は気になると思うんだけど)

 けれど、それもまた優しさなのだろう。
 ジェイドは二つの品と、老人の手に触れ「気を楽にして」と言うと「グラストーク」を使用した。
 微力な接触テレパスにも似たような力だが物言わぬ品たちのの記憶を読み取れる、という能力である。
 僅かの間があり、ジェイドを介して、鮮明な映像が老人へと流れ込んでいく。

 忘れて、と言われ彼女が居なくなってから耐え切れず床へと叩きつけた思い出のフォトフレーム。
 結婚記念日に彼女へと購入したブローチ。

"………貴方は生きるのだから"
"だから"
"忘れるの――貴方の横に誰かが立つ、その時のために"
"忘れない"
"もし忘れるとしたら、それは僕が――自分のために"

 ああ、そうだ。
 忘れられないのであれば、自分自身で封じるしかないではないか。

 大切だからこそ覚えていられなくて、だからこそ。
 誰のためでもない、自分のために。

 きっと、そう言う意味で忘れろ、等と彼女は言ったのではないと思うのだけれど。
 あの頃は、どうしようもなくてそれ以上出来る事を知らなかった。

「ああ……懐かしいね……」
「うん…おじーちゃん若い頃は美男子だったよね」
「…彼女はもっと綺麗だったけどね」
「あはは、美男美女だ」

 彼女が産んでくれた子供たちも健康に育ち孫も出来て、幸せだったけれど。
 けれど、もっと。
 隣に立つ人が居れば。

「……思い出せて、嬉しいねえ……」

 それが、老人の最期の言葉だった。





 優しい出会い、
 優しい思い出、
 与えるのも人、奪うのも、人。
 なのに、通り過ぎる人は、ただ通り過ぎていくだけ。
 なら、何故人は出会うのだろう――何のために、手を伸ばし、その手を掴むのだろう?





 老人が居なくなり、暫く経った頃、ジェイドは日本へと来ていた。
 日本の首都「東京」
 違う国で老人と出会った時のように、道端へと座り込み、人の流れを見ながら彼はやり場の無い時を過ごす。

 携帯でメールを交わす女子高生、デートなのだろうか浮き足立っている男性、皆が皆「他人」で、誰の事さえも気にしない――、そんな場所。

 何時しか、空模様までが怪しくなり、ポツリポツリと雨が降る。
 空にさえも嫌われた、もう濡れても構いやしない、と濡れるに任せていた時に、
「あの……大丈夫ですか?」
 傘が差し出され、困ったように首を傾げた少女が現れた。
「あ……」
 有難う、とは言えないまま。
 何処か懐かしいような気がして、その顔を見続ける。

 何処かで見た、穏やかな顔。
 差し出された傘さえ懐かしく。
 和ませるために浮かべた笑みなのか、何処か困ったような優しい微笑がとても印象的だった。


 出会いは、繰り返される。
 人を変え、時を変え、場所を――国を、変えて。

 それは、くるくる回り続ける螺旋のように。

 円を、描きながら。

 あるべき場所へと――ただ、導いていく。









―End―
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 奏 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年06月20日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.