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『闇黒は雨に煙る 』
―・影3873


 それは一見するとビー玉と変わらない見目をした品だった。しかしビー玉よりもひどくもろいものであるらしく、軽く踏みつける程度で簡単に壊れてしまうようなものでもあった。
 草間武彦はその球を手に掴み、不快を満面に滲ませた。球は容易に砕かれ、草間の指の隙間からこぼれ流れる。
「――――くそッ」
 吐きだすように呟き、足元に転がる煙草を踏みつける。
 夜空は光の一筋さえもなさず、止んでいた雨が再び街を濡らし始めた。

 ”願望をかなえてくれる球”の噂が流れ出したのは、調べてみれば存外に最近のことだった。子供から大人まで、幅広く伝わっているそれは、都市伝説特有のオカルト性をもはらんでいた。すなわち、かなえてくれる願望はたった一つ。心の奥底で真に望んでいる願望こそをかなえてくれる、というもの。そしてその見返りに、球はその主から一つだけ、主の大事なものを奪っていくのだという。
 草間がその球に関して興味――否、腰を持ち上げたのは、その球と共に伝えられるセールスマンに心当たりがあったからだ。
 黒いスーツ、黒いトランク。常に微笑していて、物腰は一見穏やかで優しい。決して押しつけがましい物言いはしないが、どこか否と返せない雰囲気を漂わせているという男。
 男は球を無償でくれるらしい。いつのまにかそこにいて、いつのまにか姿を消しているという。
「どこにいる……影」
 降り出した雨を恨めし気に見上げ、草間は新たに煙草を口にした。
 雨宿りしている軒下で、陰鬱な夜空を仰ぎ眺め、ライターを灯す。真暗な闇の中、小さな炎が点いて消えた。

 初老の女は、駅の改札口で、降り出した雨を見やってため息を洩らす。
 小さな駅。辺りにはコンビニもない。数軒確認できる居酒屋などは、どれもが固くドアを閉めきっている。その居酒屋の軒下で雨宿りしている男以外、人通りの一つでさえも見当たらない。
 女は弱り果てて首を傾げる。
「……しょうがない、少し雨に打たれていくとしようかねェ」
 誰にともなく呟き、ため息を一つ。その直後、不意に聞こえた男の声に、彼女は心底驚き振り向いた。
「傘がないのですね?」
 振り向いたそこに立っていたのは、全身を黒で覆った青年だった。見目だけで判別すれば、息子ほどの年齢だろうか。
 女は青年の姿を確かめて肩を落とし、再び雨空を眺めて口を開ける。
「電車の中に忘れてきちゃったみたいでねェ」
 ため息を共に返した言葉に、青年は、手にしていたこうもり傘を差し伸べた。
「どうぞ、これを」
 突き出された傘に目を向けて、女は改めて青年の顔を見る。――どこか、感情がこもっているとは思えないような笑みがそこに在った。
「それ、アンタの傘だろ? アタシはちょっと小雨になるのを待ってから帰るから平気さ。家もそんなに遠くないしね」
 片手を軽くひらめかせながらそう笑うと、青年はふと首を傾げてかぶりを振った。
「だからといって、女性を一人雨空の下に残していくわけにもいきません。お家が近いのでしたら、お送りしますよ」
 糸のような目に笑みを浮かべ、穏やかな口調でそう告げる青年に、女はどこか背筋が寒くなるような感覚を覚えながらも――
「……それじゃぁ、お願いしようかね。すまないねェ、助かるよ」
 申し訳なさげに頬を緩ませた。
 青年は女の言葉に満足そうな笑みを浮かべ、小さく頷き傘を広げる。広げた傘の後ろ、改札口から少し離れた店の軒下で、恨めし気に空を睨みつけている男の姿を目にとめながら。

 女の部屋があるアパートまでは、駅から歩いて十分ほどの距離だった。アパートの影が見えてきて、女はようやく青年に言葉をかける。
「アンタもこの辺に住んでるのかい? 高そうなスーツで……どこかのお偉いさんかなんかかい?」
「いいえ。この辺りには初めて足を向けました。あちこち歩いて、いろいろな品物を、それを必要としているお客様にお渡ししているのですよ」
「アァ、アンタ、セールスマンかい。営業ってンのも、楽じゃないんだろうねェ」
 問うと、青年は首を横に振りながら答えた。
「世の中には様々な方がいらっしゃいます。私は、そのような方々にお会いできるのが楽しいのですよ」
「ヘェ。じゃあ、アンタには天職なのかもしれないねェ」
 小さく笑ってそう述べると、青年はくすりと小さな笑みをこぼす。
「そうかもしれませんね」
 黒髪の下で、糸のような目がかすかな金を放つ。女はその光の禍に気付く事もなく、傘を伝って流れる雨雫を見ていた。
「アタシの息子はねェ、こんな雨の日に、部屋の中で首を吊ったのさ」
 なんの前触れもなく告げられた女の言葉に、影は無言をもって返す。
「遺書も、なぁんにもなくってねェ。つきあってた女に逃げられたのが理由だとか、そりゃまあ色々話も出たしね。アタシも当時はその女を捜したりもしたけれどもねェ。結局女も見つからないし、息子の本当の気持ちもわからないまんまでさ。情けないねェ、アタシも」
 自嘲気味に笑う女の言葉に、青年は歩みを止めて口を開けた。
「その女性を捜して問いただしたいとは思われないのですか?」
「……そうだねェ。出来れば、あの子が死んだ理由くらいは知りたいよねェ。あの子はアタシのたった一人の家族だったから」
「もしかしたら、お手伝いできるかもしれません」
 青年が、穏やかな笑みを浮かべて女の顔を覗きこむ。女は青年の言葉に眉をしかめ、言葉の真意を問おうと口を開きかけた。
しかしそれは言葉を成す前に、青年の声によってさえぎられる。
「ちょうど良い品を持っています。それをお譲りいたしますので、あなた様の願い、かなえてくださいませ」
 青年は、ダンスの申しこみをするような仕草で腰をおり、糸のような眼に金色を滲ませた。
 初老の女は、もはや、青年に薄ら寒さを感じなくなっていた。寒さは、雨のせいだと思いなおしていた。
「アンタ、名前は?」
 訊ねると、青年は雨傘をたたみながら答えた。
「影とお呼びください」

 球を手渡しているセールスマン――それは間違いなく影であろうと踏んでいた。
――あの男だけは、俺がこの手でどうにかしなくてはならない。
 それは、草間の内に沸き起こる、本能にも似た感情だった。
――――あの男、影だけは、この手で葬らねばならない。
 唇を噛み締め、軒下から雨空を仰ぎ見る。夜は未だ明けない。雨は未だあがらない。
 
 草間の調査で、影の居場所は意外なほどあっさりと検討がついた。
 都心を外れ、徐々に奥まった閑静な場所へと誘いこむように、影の痕跡が残されていたのだ。
 草間はそれを確かめると、周到に用意された罠のようだと気付き、眉根を寄せた。
 いや。罠ならば、それもいい。俺はおまえよりも先をまわって待ち伏せし、逃げる間も与えずにおまえを捕らえよう。
 そう思い、草間は足を運んだのだ。雨音ばかりが響く、どこか物寂しい印象が漂う小さな駅に。 

 雨足はいよいよ強くなり、雨煙が視界を埋めていく。草間はわずかにため息を洩らし、携帯をつけて時刻を確かめた。
「……十一時か」
 一人ごちて、ポケットに片手を突っ込む。手探りで確かめると、煙草の残りは一本だけになっていた。いよいよ面白くないといった面持ちでそれを手にすると、草間はライターに火を点ける。

 ポウ、と小さな火が灯り、束の間強い風がそれをなぶる。雨で煙る暗闇が、ほんの瞬きの間だけ光を帯びた。

「私を捜してくださるとは、なんとも光栄なお話です」

 ふ、と。なんの前触れもなくささやかれたその声に、草間は大きくかぶりを振る。横を見やると、そこには黒づくめのセールスマン――影の姿が在った。
「影……!」
 名を呼び、影の胸ぐらを掴む。一目で上質なものだと分かるスーツが、草間の無粋によってしわをおびる。
 影は草間の行動にも表情を崩すことなく、穏やかに頬を緩めたままだ。その表情に、草間はさらに怒気を強めた。
「おまえッ、おまえは、訪れる方々で不幸をばら撒いてやがる! 俺が……俺がここでそれを止めるッ!」
 怒気をこめた声で怒鳴りつけ、胸ぐらを掴む両手に力をこめる。しかし、影はやはり微笑を浮かべたまま。
「私には、不幸をお売りしているつもりは毛頭ございません。お譲りした品を如何様に扱うかは、それを手にされた方しだいなのですよ」
「ほざけ。おまえは、俺がここで」
 続ける口から煙草が落ちる。小さな火は雨に濡れて一瞬で立ち消え、辺りには再び陰鬱なる闇が訪れた。
「――――ここで?」
 闇の中、影の眼が薄く開いた。禍を放つ黄金は、標的を得た切先の光を滲ませる。その口は愉しげに歪み、笑みはいつしか嘲笑へと変容していた。
「ここで、おまえを葬る」
 声を低めて告げた草間に、影の口が両側へとつりあがり、刃の鈍い光彩が色濃いものへと変化した。
「ハ――――ハ、ハ! いいでしょう、草間様。実に善い! それだから、私はあなたに期待をしているのですよ、草間様。あなたなら、きっと必ず私を愉しませてくださると」
 くぐもった哂いを吐き出すと、影はゆっくりと草間の手に触れた。その指先は氷のように冷えていて、草間の背筋は瞬時に凍りつく。
「そうそう――さきほど、一人のご婦人に品をお譲りしてきたのですよ。深い願望を一つだけかなえてくれる、素晴らしい品をね」
「――――!」
 草間の手がわずかに緩む。影の表情はいつもの笑みに戻り、解放された襟を正しながら言葉を続ける。
「あなた様が私の行動を快く思わないのであれば、行ってお止めしてさしあげるのもよろしいのでは?」
 穏やかな声音。
 草間は舌打ちを一つした後に、影を睨み据え、吐き出した。
「――――首を洗って待っていろ。必ずおまえを葬り去ってやる」
 そう言い残し、雨の中走り去って行く草間の姿を、影は笑みを共に見送った。
「その日を心待ちにしておりますよ」
 恭しく腰を折り曲げる影の挙動は、雨に煙る闇の中、融けいるように消えていく。


―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年06月17日

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