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『猫とオヤジとお魚と  』
カーディナル・スプランディド2728

 聖都エルザード、アルマ通り、白山羊亭。
 扉を開けた途端に勢いよく溢れ出てくるのは、賑やかな話し声と、おいしそうな匂いと。
「あ、カーディさん、いらっしゃーい」
 元気な看板娘、ルディアの声。
「カーディさん、今日もお仕事?」
 ルディアは客に料理を運びながらも、入って来たばかりのカーディに笑顔を向けた。
「ううん、今日は仕事じゃないの」
 ルディアに答えながら、カーディは、むふふ、と笑う。ルディアが一瞬、ぎょっとした顔をしたあたり、人から見れば十分に不気味だったのだろう。けれど、次の言葉を頭の中に用意しただけで、自然と頬が緩んでしまうのだ、仕方あるまい。
「今日はね、ごちそう食べに来たの。自分にご褒美っ」
 言いながらカウンター席に座る。
 ちょうど先日、初めての魔石練成依頼を成功させたのに加えて、アルバイトのお給金も出た。急にふところも潤ったし、他にも魔石が売れそうな気配があるし、で前途洋々、何だかすっかり一人前気分なのだ。ちょっと申し訳ないような気もするけれど、やっぱり嬉しいし、多少は気も大きくなる。
「へぇ……。仕事、うまくいったんですね。何にします?」
 カウンターに戻って来たルディアが、にこりと小首を傾げた。
「ハムっ! でっかいの! おいしいの! 分厚く切って焼くの!」
 カーディは待ちきれない、とばかりに勢い良く叫んだ。
「ハムですね、いいの入ってますよ。ところで、聖都は海が近いし、お魚も新鮮でおいしいですよ」
 ルディアは、はいはい、といなすように微笑んだ。
「おさかなさん!」
 カーディは耳をピンと立て、その言葉を繰り返す。
 おさかなさん、これほど猫心をときめかすものがあるだろうか。
「あたし、お刺身食べたいにゃぁ〜」
 そのあまりの魅惑に、語尾がおかしなことになってしまうくらいに。
「ああ、でも、ハム、お魚さん……」
 あまりに悩ましい選択にカーディは一瞬、身をよじったが、それは本当に一瞬のことだった。カーディの頭は、すぐにこれ以上ない解答をはじき出す。
「両方食べるっ!」
 今日はお休みだし、何よりこれは自分へのご褒美なのだ。明日からまたアルバイトと修行の日々。今日1日くらい贅沢してもいいじゃないか。
「ハムはありますけど……。刺身にできるくらい新鮮なお魚は市場に行かないとないですよ?」
 キラキラと金の目を輝かせたカーディに、軽い苦笑を浮かべ、ルディアはそう言った。
「じゃ、市場行って買って来たらさばいてくれる?」
「ここまで氷とかで冷やしながら持ってこないとだめですよ? 大丈夫ですか?」
「大丈夫! あたしには魔石『涼風』があるから!」
「じゃ、料理長に聞いてみますね」
 にっこりと微笑みを残し、ルディアは奥へと引っ込んで行った。しばらくして戻って来た彼女の横には、コック服に身を包んだ体躯の良い中年男がいた。筋骨隆々としたその姿は、コック服を着ていなければ、木こりか何かだと思われることだろう。コックというのは世を忍ぶ仮の姿で、実は戦士だった、と言われても疑うことなく頷いてしまいそうだ。
「カーディさん、もうちょっとしたら料理長、今夜の仕入れに出るからよければ一緒にって。どう?」
 軽く小首を傾げたルディアの隣で、ひげ面の料理長は、にっと、多分に愛想の良い笑みを浮かべる。
「うん!」
 カーディは迷うことなく頷いた。きっと聖都にはカーディの見たこともない魚もたくさんあるに違いない。プロがいてくれるなら、これほど心強いことはない。
「それでは2時間後にここで。よろしいですかな?」
「はぁい、よろしく」
 料理長の野太い声にカーディは上機嫌で返事をした。

 そして2時間後。カーディと料理長は、2人仲良く肩を並べ、魚市場へと向かっていた。市なら聖都にも出ているが、やはり魚の鮮度と種類を求めるなら港で開かれる魚市場へ行くのが一番だ。
 白い日は高々と昇り、暑いくらいの陽気が聖都周辺を包んでいたが、これから「お魚さんにごたいめーん」だと思うと、不思議なくらいに気にならない。むしろ、前途洋々、おてんと様々、という気分にさえなってくる。
 帰りに魚を冷やすための『涼風』は服の袖口にしまってある。効果の範囲を狭くし、時間も短めにすることで、逆に効果を強くする。これで、氷で冷やすのにも劣らない冷気が得られるはず。
 一方、料理長の方は、大量に魚を仕入れるつもりなのだろう、大きな木箱を肩に担いでいた。すいぶんと大きな箱だったが、この大男が担ぐと、ちょっと大きめの手荷物くらいにしか見えない。
 やがて、どこからともなく磯の匂いが漂ってくる。少し鼻に沁みるような、けれど魚を彷彿とさせる、わくわくするような匂いだ。
「お、見えて来たな」
 料理長の言葉の通り、少し遠くにいくつもの露店が並んでいるのが見えてくる。そして、その隙間に見えるのは。
「海だ!」
 カーディは思わず歓声を上げて走り出した。建物の合間に見えるその青い水面は、午後の陽射しを受けてキラキラと輝いた。
 海。お魚さんが何千、何万といる海。
 そう思えば、水面に刻まれた銀色の波の1つ1つが魚に見えてくる。
「お魚さん……」
 いつの間にか立ち止まって、そう締まりなく呟いていたカーディを、料理長が軽くぽん、と叩いた。

 港の魚市場は、たくさんの人で賑わっていた。元気のよいかけ声や、駆け引きをしているらしいかけあいの声があちこちからかかり、互いにぶつかり、盛り上がるように響き渡っている。
 カーディは人の合間から、露店の棚を覗き見た。そこには、カーディの見たことのあるものないもの、大きいもの小さいもの、細長いもの丸いもの、様々な魚が並んでいる。
 どの魚も獲れたばかりなのだろう。桜色や銀色、黒色の鱗はキラキラと陽光を跳ね返し、つやつやの目玉はどれも、白目が透き通り、黒目は光を失わずに輝いている。
「どーれにしよっかなぁ……」
 カーディは呟きながら、棚を見て歩く。
 何といってもとびきりおいしいのが食べたい。どうせなら、奮発して高い魚を買ってもいいかもしれない。
 カーディは一抱えもあろうかという、大きな赤い魚の前で足を止めた。人の爪ほどもある固そうな鱗はぴかぴかと輝き、大きな尻尾は元気よく跳ね上げられている。鋭い牙の覗く口を半開きに開けたその魚は、まるっこい形にもかかわらず、威厳のようなものを漂わせていた。もちろん、なかなかよいお値段がついている。
 これを一匹まるまる食べたら、どんなに幸せだろう。半ば甘い妄想に入りかけたところで、カーディは料理長の存在を思い出した。せっかく一緒にいるのだ。プロの意見を聞いておくに越したことはないだろう。
「ねえ料理長、あのお魚、お刺身にしたらおいしい?」
「うん?」
 鋭い視線で魚を物色していた料理長だったが、カーディの声に、ひょいと棚を覗き込んだ。
「ああ、刺身もそこそこいけるが、あれは焼いた方がうまいな」
「そうなんだ……」
 カーディは、うーん、と腕組みをして考え込んだ。そう言われると焼いて食べないと損な気がするが、今日は刺身が食べたい気分なのだ。
 と、不意に港の方が騒がしくなった。どうやら新しく船が入ったらしい。
「行ってみないかい?」
 料理長の誘いに、カーディは一も二もなく頷いた。あそこに積んであるのはまさに獲れたての魚にちがいない。
 近づいてみれば、ちょうど船から魚が揚がってくるところだった。たくさんの箱に、あふれんばかりに詰められた、小振りの剣を思わせるような細長い魚は、ぴちぴちと元気よく尻尾を跳ね上げた。尖った顔、青々とした鮮やかな背中。そして、銀色のお腹は眩しいくらいにきらきらと輝く。文句なくおいしそうだ。カーディの鼻もおいしいと告げている。
「生きてるぅ!」
 カーディは歓喜の声を上げた。尻尾の先も、ぴん、とまっすぐ立ち上がる。
「ねえ、あのお魚さん、何ていうの?」
 そわそわと落ち着かないままに、料理長を振り返った。
「あれは、サンナという大衆魚さ。安い、うまいで聖都でも人気がある」
「大衆魚……」
 その言葉に、思わずカーディは落胆の溜息をついた。尻尾の先も少し垂れ下がる。それなら奮発しなくても、いつでも食べられるかもしれない。
「ただ、足が速いのが欠点でな」
 そんなカーディに気づく風もなく、料理長はうんうんと頷きながら言葉を継いだ。
「足? あのお魚さん、足があるの?」
「傷みやすい、ということさ」
 カーディのとぼけた言葉に、料理長はチチチ、と人差し指を立ててウインクを寄越した。
「だからサンナの刺身は出回らないんだ。漁師だけが知る幻の味ってやつさ」
「幻の味!」
 その言葉に再びカーディの尻尾はぴん、と突っ立った。毛先までもが元気よく空を突く。
「今生きてるあれ、これから冷やしながら帰ったら刺身にできる?」
 キラキラと輝きを取り戻した金の目を料理長に向け、カーディは期待に満ちた眼差しで尋ねた。
「氷で冷やしても、角が当たったり、魚の皮がひっついたりで、うまく運ぶのは難しいな……」
「大丈夫! これがあるから!」
 腕組みをして難しい顔をした料理長に、カーディは『涼風』を取り出して突き出した。
「ほう……?」
 興味深げに首を傾げた料理長が、その実瞳の奥にきらり、と意味ありげな光を浮かべたのにカーディは気づかなかった。
 
 料理長の持って来た箱は、たちまちのうちにサンナで埋まった。カーディは、よく太って脂の乗ったのを自分用に数匹選んだが、料理長の言葉に甘え、一緒に箱に入れてもらった。傷まないように、と丁寧に濡れた布で包んだ魚の合間に、『涼風』を入れる。すぐに箱は冷え始め、料理長は行きと同じように軽々と箱を担いだ。
 こうして、2人は意気揚々と帰途についた。

「はーい、カーディさん、お待たせ〜」
 明るいルディアの声と共に、カーディの目の前にはハムの皿が現れた。
 両手でつかんでもまだ余るかと思われる大きさで、しかもとびっきり分厚く切られたそれは、表面についた焼き色も香ばしく、おいしそうな匂いを漂わせている。
「うわぁ、やったぁ……。いただきまーす!」
 ハムに見とれていたカーディは、垂れそうになったよだれをあわてて拭った。フォークをとると、大胆にそれをハムの中央へと突き立てた。こんなにおいしそうなハムを食べるのに、ナイフとフォークでお上品な食べ方をするなんて味気ない、と言わんばかりに端から勢いよくかぶりつく。
「あちちちち!」
 まさに焼きたてだったそれは、カーディの猫舌には多少辛い。けれど、おいしさは抜群だ。カーディは涙目になって、はふはふやりながらももう一度かじりついた。
 焼けた肉と香草の香りが鼻へと抜け、うまみいっぱいの肉汁が口の中に広がる。そして、何よりも、この歯ごたえ。分厚い肉を噛み締める感覚が、いかにも贅沢してます、というような実感をわき起す。
「サンナのお刺身、お待ち!」
 今度は料理長が、よく冷えた皿を持って来てくれる。そこには、つやつやと輝くサンナの姿があった。一口大に切られた身は、頭と尻尾の間に綺麗に並び、元の魚をかたどっている。未だその目玉は透き通り、生きているのではないかと思うくらいに綺麗だ。
「おさしみだぁ……」
 カーディは潤んだ声で呟くと、身を一切れつまみ上げた。茶色い血合いはしっかと引き締まり、透き通る身はランプの灯を受けて淡く虹色に光る。その光景にうっとりしながらも、カーディはそれに少しタレをつけ、口へと運んだ。
「おーいしーい……」
 それは少しシコシコした歯ごたえを残しながらも、口の中でとろけていく。なるほど、確かに幻の味と言わせるだけのことはある。
「ああ、幸せ……」
 再びうっとりと呟き、ハムに、魚に、と手を伸ばす。
「おや、カーディちゃん、豪勢だねぇ」
 酔客の1人がごちそうを堪能するカーディに気づき、声をかける。
「仕事が成功したお祝いだそうですよ」
 ごちそうに夢中のカーディに代わってルディアが答えた。少し違うが、まあそう外れてもいない。
「そりゃめでたいや! ルディアちゃん、酒お代わり! それから俺にもカーディちゃんと同じのを。あるかい、オヤジ?」
 男は豪快に笑うと、ルディアにジョッキを突き出し、奥の料理長に大声で叫んだ。
「ああ、今日はサンナの刺身、たくさん出せるよ!」
 顔だけ出した料理長が威勢良く答える。ひげに覆われたその口元に、にやり、と含むような笑みが浮かんでいたが、ほろ酔いの男がそれに気づくはずもない。
「サンナの刺身といや、漁師しか知らない幻の味って言うじゃないか! おおっし、じゃあ、カーディちゃんの前途を祝してパーっとやろうか」
 男の大声は響きわたり、にわかに酒場はざわめきだした。「祝いの酒盛りがあれば便乗する」、そんな項目が冒険者心得にあるのか、たちまちのうちに酒場全体が宴のように盛り上がる。そうなると、あとはるつぼのごとく、しっちゃかめっちゃか。
「未来の大魔石練師にかんぱーい!」
 すっかり出来上がった一群からは、そんな音頭も上がる。
「ああ、幸せ……。もう食べらんない……」
 すっかり満足したお腹を抱えて呟いたカーディが、テーブルに突っ伏して幸せな寝息を立て始めた後も、酒場の盛り上がりは一向に衰える気配はない。
「仕入れ値が……、売り上げが……、対費用効果は……、あと何回か試したいところだが、これくらいまでなら……」
 奥では、料理長がしきりにぶつぶつ呟きながら、密かに何度もそろばんをはじいていたが、それに気づく者はいなかった。
 
 その数日後、カーディのもとに、白山羊亭から正式に『涼風』を取引したいという申し出があった。どうやら、サンナの刺身が白山羊亭のメニューに加わる日も近そうだ。

<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
沙月亜衣 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年06月15日

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