▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『bend an elbow 』
上総・辰巳2681)&村上・涼(0381)

「たのもーッ!」
ズドバン! と壁に跳ね返る音も激しく、草間興信所で最も大切にされていない備品トップの座を争う扉が、蹴り開かれた衝撃にビイィンと細かく振動する。
 そのけたたましさの直後にしてはあまりにも静かな、ピンと張り詰めた空気が事務所内を満たした。
「村上……」
賃貸契約という法的な証拠から見ても間違いなくこの場の主、興信所の責任者である所の草間武彦が、扉を開いた彼女の名を「げ」と奇妙な音を立てて吐き出す空気の固まりに乗せる。
「……」
そして、無言で視線のみを向けたのは……スプリングの軋む古いソファに押しつけられる形で草間の身体の下になった上総辰巳だった。
「うんうんうんうん、いやいやいやいや!」
肯定なのか否定なのか判じの難しさで、ものごっつい勢いで首を縦にその後横に回した村上涼は爽やかに額の汗を拭う動作で視線を上方……しかし天井の隅よりも遠い彼方へと投げやった。
「うん、私もオトナだからね! そういうコトには理解があるつもりだようん! イヤ、だからと言って諸手を挙げて奨励するつもりはないんだけどねホラ最近は嗜好が社会的な立場を危うくするっていうから出来ればそういうコトは人目に付かない所で嗜んで欲しいなーなんて考えを抱く自由は許されてもいいと思うの!」
「ちょっと待てーッ!」
殆どノンブレスで流れ落ちる涼の主張に、異論を唱えたのは現在同性を押し倒している最中の草間だ。
「何を見てどう判断したーッ!」
このまま有耶無耶にしてしまうには自尊心に関わる……どんなにその答えが恐ろしくとも、聞かずばおれない人間の、否、男の性である。
「見たままで判断するしかなかろうが」
至近の怒鳴り声に露骨に眉を顰め、上総は草間の身体の下から抜け出す。
「どうって……」
草間の剣幕に、拳を握った両手を胸元に寄せ、「怖ぁい☆」なポーズを形ばかり取った涼はついでに可愛く小首を傾げた。
「草間さんの煙草の最後の一本を、上総さんが貰おうとして揉み合いになった、の図?」
首を傾けたまま、頬に人差し指を添える。
「全くその通りだ村上」
見事な正解を導き出した涼に、辰巳は中空に描いた花丸を指でパチンと弾く。
 その架空の花丸を掴む仕草で受け取って涼は胸を張った。
「草間さんは私がどう思ったと思ってるワケ?」
そりゃ男を押し倒している現場を発見されて社会的に認められない嗜好がどうのとか言われたらそっちの勘違いをされたものだと思わないか、なぁ?
 と、草間は誰にともなく同意を求める思考を垂れ流すも、幸か不幸か周囲には辰巳と涼しかいない。
「そりゃ私だって大人だし? たかだか嗜好品で個人の思想から価値観まで縛るつもりはないけど、嫌煙が叫ばれて久しい昨今、煙草を持ってるだけで眉を顰める人も多い訳よ。主義の知れない依頼人が立ち入る場所ならある意味公共の場とも言えるのに、煙草の匂いが染み付いてるのはなんだかな、と今更ながらに思う訳。それに妖怪の如くヤニを嫌って煙が漂ってくるだけでケッシャーッ! と人間捨てて威嚇する頭の悪い駄文書きが近くに居ないなんて保証もないんだし」
捲し立てながら涼はソファに勢いよく腰掛ける。
「何だその具体的な例は」
涼の座るスペースを空ける為……というには遠く、男二人はソファの脇に避けて立つ。
 それを良しとして、涼はソファのど真ん中に陣取ってふんぞり返った。
「……で、その心は?」
「この御時世に煙草産業に身を投じようとするのが間違いなのよーッ!」
ダン! と固めた拳をテーブルに打ち付け、灰皿に築かれていた吸い殻のオブジェを倒壊させる涼。
 灰は崩れて更に微細な粒子と化し、もうもうと舞い上がって涼、及び和馬、草間の鼻腔を擽った。
「……クシュンッ!」
「ェッ……シュン!」
「ぶぇっくしょん!」
全く同時にくしゃみをし、三者は顔を見合わせる。
「……ほらね?」
何が「ほら」なのかは知らないが、鼻の下を指で擦った涼に、草間は火の付いていない煙草……先の奪い合いの原因となった最後の一本、未練がましくまだ火をつけていなかったそれを指の間に挟んでちいった格好をつけた。
「要はまた面接に失敗したと」
別に要さなくても、真実は単純に一つだ。
 ふられたんじゃない、ふってやったのよ……的な論法で己の精神を落込みの坩堝から守ろうとしていた涼は、決定打をくらってテーブルに傾く。
「なんだ、またなのか。これで何回目だ?」
純粋な興味からなのだろうが、辰巳がせんでいい追い打ちをかけ、涼は完全に沈没した。
「……何がダメなんだろうなぁ」
そりゃ、面接会場を間違えたり、会社説明の途中で居眠りをしたりその他諸々が問題なのだろうが、過ぎた事を挙げ連ねても今更だ。
「何……何ってそりゃもう呪われてるとしかいいようのない事態よ!」
ゆらりと身を起こした涼の目は据わり、底光りする意思を湛えて瞬きがない。
「そうよ、そうとしか思えないわよ……誰かが私の美貌と才能を妬んでいるとしか!」
そしてショルダーバックからすらりと、物理的に入っていよう筈のない釘が打ち込まれたバットを取り出した。
「不埒者には制裁あるのみ……ッ!」
「お、おい、村上……」
自暴自棄としか言い様のない涼を草間が止めようとするが、手も口も、出せば無事では済まない鬼気迫る何かが今の涼にはある。
 しかしこのままでは罪のない一般人に類が及ぶ……より先に事務所が倒壊する。知人として、探偵所長としてそれだけは阻止しなければ、と草間が悲壮の決意を固めようとした横、未だ差し出しかねて半端な位置を浮かせた手から、煙草が抜き取られた。
「じゃあ、呑みに行こうか」
「行くッ♪」
何が「じゃあ」なのか皆目見当の付かない草間の目の前で、怒れる魔人は年頃の娘に変貌した。
「今日は所長の奢りだから、気が済むまで呑むのもいいだろう」
「わーい、ゴチになりまーす♪」
場を収めてくれるのはいいが、寝耳に水な事態が済し崩し的に決定事項となって、草間は唇を戦慄かせた。
「ままま、待て! 誰が何時奢るなんて一言も……ッ!」
財政難はいつもの事だが、それが更に厳しい折というのも存在する……三度の飯を削っても死守していた喫煙量を減らすかの瀬戸際に立っている身で人様の口を養える甲斐性が残っていよう筈がない。
「……事務所倒壊」
辰巳の洩らした厳かな呟きが、最も近い未来のビジョンとして容易に想像が付く。
「ビル建替えの危機を免れると思えば、安い投資だろ? 大丈夫、ツケの利く店に行けば」
他人事のように太鼓判を押して、辰巳は手にした煙草を銜えた。
「僕の飲み代も宜しく」
「なんでお前まで……ッ!」
当然拒む草間に、辰巳は人差し指と親指で輪を作って見せる。
「アイデア料は当然だろ? 現金で支払ってくれるならそれでもいいけど」
ちゃっかりしている、というよりもがめついとしか言い様のない辰巳の主張……けれど折れるも引くも決してない事を知る草間が唖然とする奪われた最後の一本が目の前で火点され、ふぅ、と満足げな紫煙に代わって漸く、彼は今日の希望が費えた事を認めた。


 間接照明の柔らかな光が象牙色の壁を照らして優しく、氷の触れ合う音、低く互いにのみ交わされる話し声が快いBGMと化して耳を擽る。
 人々の並ぶ止まり木は、既知も、そうでない者も、心の位置をほんの少し近付けてくれるような気がする……そんな落ち着いた雰囲気の店は元よりは辰巳の馴染み、そして草間も知るに二人で呑みに出た時にトリを締めるのが最近の通例となっている。
 だが、開店から居座っている三人に、今はひたすら騒がしいだけの場所と化していた。
「だいたいねぇ企業が人間を振いにかけるってどうなのよ今の体制に新らしい風を入れなきゃ停滞するだけだってのにおためごかしな人事で当たり障りのない学生ばっか採用してさ? 女は直ぐに辞めるからだとか若い者は続かないからとか言うんならちゃんと募集要項に明記しときなさいよその旨を男女雇用均等法に反してるって訴え出て慰謝料がっぽり儲けてやるから採る気もないトコに足運んでる私が馬鹿みたいじゃないのよぅ」
連綿と続いて途絶える事のない涼の愚痴に、馴染みの客は訪れても直ぐに帰ってしまう為店は閑散としている……立派な営業妨害であるのだが、趣味で店をやっていると言うマスターは請われてカクテルを作り、グラスを磨きといういつもの作業に迷惑そうな様子は微塵も見せない。
 草間は客が入る度、出て行く度に肩身の狭い思いで、涼の連ね続ける不満を拝聴する苦行に身を置くが贖罪と肝に銘じる。
 連れてくる際に店の雰囲気を考えなかったでない……が、それはひたすらにここがツケの利く店であるという退っ引きならない理由に他ならない。
 看板はなく、知る人ぞ、という風情の店、一見の客の少なさがそれを可能としているのか、はたまた草間の財政難をそれとなく知るマスターが気を使ってくれているのか。
 後ろめたさとツケで呑んでいるという遠慮に、舐めるようにグラスの中身の減らない草間と好対照に、辰巳は遠慮なく好みの銘柄を呑みたいだけ悠然と杯を進めている。
「おい上総……」
同じ愚痴をエンドレスリピートで続けている涼に辟易してきたのか、草間は間に挟んだ涼越しに辰巳に声をかけた。
「連れ出したなら、せめて相槌打つとかなんとかしろ」
扱いかねている草間の要求に、けれど辰巳は軽く眉を上げただけで答えず、ただ杯を傾けた。
 しかし同じやけ酒でも、いつもならもう少し発散するように呑む涼なのだが、余程今日の面接が後を引いているらしい。
「……まぁ」
しばしの間を置いて、辰巳は空のグラスに残った氷をカラ、鳴らして口を開いた。
「村上には永久……」
「就職なんつったらしばき殺すわよ?!」
「煽るな上総ッ!」
まさしく最後の手段を示唆しようとした辰巳の言を遮って重なる声に、さしものマスターも目を丸くしている。
「だいたい寝不足で失敗したとか、事前の勉強が足りなかったとか、アイツが要因になってる事もいっぱいあんだから!」
怒りの対象を固定した為か、はたまたそれだけテンションを上げないと……否、上げても敵わないという前例から来る気負いからか涼の生気が俄然増した。
「だからその責任取らせばいいだろう。利用出来る物を利用しないでどうする」
涼の怒声も何処吹く風で、上総はもう一杯、同じ物をと注文する。
「そんな逃げ場みたいにしたら一生後悔するじゃないのよ!」
険悪な雰囲気になる二人を、草間が冷や汗混じりに宥めにかかる。
「そう言えば、涼はどんな仕事に就きたいのかな?!」
おにーさんに教えてくれるかな、と続けば完璧に子供向けの教育番組的な口調での草間の問いに、何故だか涼は凍り付く。
「どんなって……どんな?」
質問の主旨を掴めない涼に、辰巳は態とらしい溜息をついて視線を逸らした。
「これだから女は……」
「これって、女って……失礼ねぇ、キミはぁ!」
店内でバットを振り回して暴れられては堪らない、と必死で止める草間を余所に、辰巳と涼の間で火花が散る。
「自分に出来る仕事も弁えないで闇雲に雇えと言っても無理に決まっているだろう。まずは己の分を知れ」
年の差はたったの三歳だが、既に職に就いている身の言葉はキツいながらも千金の重みを持つ。
「わ、私だって……私だってねぇ……!」
涼も反論しようとするが、辰巳の言を論破出来る材料が己が内にない為か、それ以上言葉が出ず、悔しさに唇を噛みしめるより他ない。
 このままでは、辰巳と涼の関係が決定的になってしまう……変な当事者になってしまいそうな草間がどうにか事態を収めようと思考をフル回転させている時に、救いの手はひょんな所から差し延べられた。
「どうぞ、お嬢さん」
カウンター越しに、マスター……バーテンダーである彼が、涼の前に桃色のカクテルを据える。
「え、頼んでない……」
怒りに思わぬ虚を突かれ、きょとんとする涼に救いの主は穏やかに「サービスです」と微笑みかける。
「この年になりますと、お嬢さんの年頃は蕾のように見えて仕方ないのですが、それでそんなに魅力的なら、咲いた折りのお姿はどんなだろうかと考えるのがとても楽しいです」
白く染まった髪を丁寧に撫で付けた、老年のマスターは人好きのする笑みを涼に向けた。
 この店に看板はないが、営業の証として戸口に季節の花々を活け飾る、それから見ても花を好む人種の独特の柔らかさが成る程滲み出ている。
「私って魅力的ですか?」
「えぇ、とても」
他意を感じさせずに打って響く、マスターの受け答えに涼はカウンターに手をついて身を乗り出す。
「咲くと思います?」
「蕾は必ず花開くものです」
力強く請け負われて涼は、ふつふつと込み上げる笑いに肩を揺らした。
「なーんだ、やっぱりおっさん共に見る目がなかったってだけじゃない!」
高笑いに勢いよく立った涼は、急な動きに目が眩んだかそのまま後ろに倒れる。慌てた草間と辰巳が咄嗟、両側から手を伸ばして背と腰とを支え、後頭部が床と親密になってしまうのを避ける。
「おい村上しっかり……!」
「……寝てる」
愚痴ってる間に摂取し続けたアルコールは尋常な量でない。
 自然の理とも言える事態に人事不省に陥った涼を、カウンターに凭せ掛ければ、口の中で「おじいちゃん……」などと幸せそうに呟いている。
「上総、態と怒らせるなよ」
中毒症状を起こした訳ではなさそうだ、と確認して安堵の息を吐いた草間の窘めに辰巳は肩を竦めた。
「発散させた方がいいかと思って」
しかし収拾をつける事が出来ずに人生の先達の力を借りなければならないあたり、辰巳も……そして最も年長に三十代に足を踏み入れている草間もまだまだ修行が足りない。
「ありがとうございます、助かりました」
辰巳はそつなくマスターに礼を述べ、潰れた涼の面倒くらいなら草間一人で間に合うだろうと判断を下し、一から飲み直すつもりで新たにボトルを注文した。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年06月15日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.