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『『陰に満ちた闇』 』
葛城・夜都2000)&倉梯・葵(1882)


 酒場で常連客と楽しく酒を酌み交わす。軍隊上がりの自分が、エルザードへ来て、変わったところ、変わっていないところ。隣の男に笑って肩を叩かれ、手に握ったグラスの透明なウォッカが波打つ。こんな風にみんなと集って騒ぎ合う倉梯・葵(くらはし・あおい)は以前の自分とは別人のようであり、だが、実はアルコールの効果は皆無で内面が冷たく醒めているのは、全く自分らしいと思う部分でもある。
 以前も、人嫌いというわけでは無かった。化学者で軍人であるという肩書が、人のぬくもりや笑顔を意識的に遠ざけていたのだと思う。村一つ壊滅、否使い方によっては人類だって滅びかねないオモチャを作っていた身としては、いつも満面で笑って暮らすわけにはいかない気がしていたのだ。
 切れ長の目を細め、ジョークに肩を震わせて笑う。手元の灰皿の灰の城に、更に灰が降って城郭を崩した。
「葵くん、依頼よ」
 店の踊り子に肩を叩かれ、葵は一緒に飲んでいた者達に軽く詫びを入れると、まだ三口しか吸っていない煙草を陶器の底に押しつけて席を立った。

 教えられたテーブルには、先客が見えた。
 葛城・夜都(かつらぎ・やと)。化学者だった葵とは相いれない『闇狩師』の青年だ。いつも黒い和服と袴を纏い、きりりと衿元を整えている。足袋の白さは世俗を拒否しているように見えた。そう、いつも目にしみるような新品の足袋を穿いていた。血の飛沫のせいで、使い捨てなのかもしれない。不経済な男だと、夜都のなで肩の背をながめる。いや、黒装束を着ているのは、返り血が目立たない為なのかも。
 白皙の静寂な美青年が、帰宅後に濡らした手拭いで血のシミ抜きをしている図を想像し、葵は笑いをごまかす為に咳払いをした。いつもしらっと気取ったコイツが、無表情にぽんぽんと布を叩く姿は少し間抜けだ。
「少し飲んでいらっしゃいますか。楽しそうですが」
 抑揚の無い調子で、黒い背が言った。
「酔ってるわけじゃないさ。またあんたと仕事かと思うと、嬉しくて笑いが出たんだよ」
 葵は軽口を叩くと、夜都の隣の椅子に体を滑り込ませた。ぎしぎしと作りの悪い椅子が軋んだ。

「妻を食らった妖魔を殺して欲しいのです」
 テーブルの向こう、葵や夜都と十歳も違わなそうな男は、声を震わせた。怒りなのか畏れなのか。木製の板の上で組まれた指もガタガタ震え、飲み物のグラスを鳴らした。
 殺戮の依頼を、こんな子供の前で告げるのか。葵は眉をひそめる。男の隣に座る5歳ほどの少女は、話を聞いているのかいないのか、眠そうに欠伸をした。不器用な手で父親が結んだらしい、白いブラウスの襟元、ピンクのリボンが縦結びで揺れている。子供を夜ひとり部屋に残しておけず、連れて来たのだろう。
 こんな事を考えるのは、やはり葵が変わったからかもしれない。守るもの、優しくすべきものがいる。腕で眠る白い子猫の重みや、すがるように上目使いで甘える少女の眼差し。大切なものができてしまったせいかもしれない。
 妻を食い殺したモノを、2年かかって男は捜し当て、今夜某所に居るのを確認したと言う。その2年の間に老けたのだろうか、憔悴して目が落ち窪んだ男の髪には、既に白髪も混じっている。

「今から、そこへ案内します」
 男が立つと、夜都も「御意」と静かに答え、立ち上がった。夜都の椅子は音も無い。
「お嬢ちゃんはどうするんだ?」
 葵は、テーブルに突っ伏して眠りこんだ幼女を顎で差す。
「もちろん置いていきます。この店の女性が見てくれるそうです。
 お二人なら、そう時間もかかりませんよね?」
 夜都は目だけで頷いた。
 細いフレームの眼鏡、冷たいガラスから覗く青銀の瞳が、ちらりと葵を垣間見た。
「葵さんはお気づきになりませぬか」
「え、何が?」
「いえ」
 夜都は答えず、腰の『白眉』を握り直した。何を考えているのか、又は何も考えていないのか計れない、色も気も無い横顔だった。

 店の外へ出る。夜は銀盆を闇に浮かべて粛々とそこに佇む。依頼主は先に立って、足早に行く。獲物がその場所から消えないか急いているのだろうか。だが、葵達を振り向きつつ、ちらちら空を仰ぐその姿は、月にでも追い立てられているように見えた。
 男は、喧騒から離れた荒れ地へと二人を導いた。雑草は膝までおおい、背の高いものは葵達の肩まで達した。足元は堅い土と小石で踵が行き場を探す。月は近く、人里は遠い。
『ここが、そいつの隠れ家なのか?』
 葵が問おうとするより先に、夜都が小さく言った。
「腹を括るのに、二年(ふたとせ)もかかりましたか」
 鞘からしろがねを抜き取り、男へ切っ先を向けた。黒袴の裾がつつと前へ出る。足袋の白が月に映えた。
「なるほど。そういうことか」
 葵も合点がいった。男の姿は人外のものへと変化が始まっていた。満ち月に姿を変える妖魔。
 骨を軋ませながら指が熊手のように伸びる。耳の後ろ、頭蓋骨の両端から突起が登り始めた。
 男は、大きく裂けた口から牙を覗かせた。
『遂ニ欲望ニ勝テズ妻ヲ食ラッタ時・・・自分ノ始末ヲツケネバト思ッタガ・・・娘ガ愛ラシ過ギタ。アト一日一緒ニ、モウ一日一緒ニト。二年経ッテシマッタ。
 ダガ・・・娘ハ肉トシテ育チ過ギタ』
 傍らに居ても食らいたい衝動が出て来たということか。それで、葵達に自分の始末をしてもらおうと、依頼した。せめて娘の命は守ろうと。葵は唇を噛み、両腰の二丁のH&K/USPを確認する。喉を苦い想いが降りて行く。
「伴侶を食らったあさましき身で、自害もできぬとは、哀れなこと」
 抑揚なく夜都が言ってのける。風になびく前髪一本ほども、哀れとは思っていなさそうな口調だった。彼は、この人外のモノも、何も感じずに始末することができるのだろう。酒場で待っている少女の存在も、父の死を聞いた時の少女の表情も考える隙も無く。葵は一度掌の汗をジーンズで拭ってからUSPを握りしめた。夜都がうらやましく思えた。
『娘ニハ、私ハ魔ノ物ニ食ワレテ死ンダト伝エテクレ』
 完全な魔に変わる前に抹殺した方が楽だ。二本の角は闇に聳え、凶悪な牙から唾液が糸のように伝う。だが、まだ人の表情と人の心を残した・・・赤く燃える瞳から涙を零すそれに、葵は引きがねを弾くことがためらわれた。
 咆哮と共に、白色の閃光が走った。闇に血が散った。夜都が『白眉』を揮ったのだ。揺れる和服の袖だけが、彼が動いたことを教えた。いや、夜都の頬に一点、朱が差していた。魔物の血は、まだ誰も踏まぬ雪の上に落ちた一粒の実のように、そこだけに夜都に色を与えていた。
 鬼に似た姿と化した依頼の男は、草を圧して地響きを上げた。一瞬だったろう。苦しみが少なかったのが救いだ。
「葵さん。魔の臭いが別の魔を呼んだようです。他にも来ます」
「了解」
 背の高い草から飛び出した妖魔に、葵は構えていた45ACP弾を放った。だが、紺青の影の動きが僅かに早く、妖魔は葵の頭上を越える。
 冴え冴えした空気と銃口から一筋昇る煙を、葵は美しいと思った。半端な甘い気持ちは消えて行く。
 着地した妖魔は、夜都が仕留めた物より小柄だった。
「葵さん・・・」
 夜都が呼ぶ調子には躊躇があった。意外にも、先に気付いたのは夜都だった。筋ばった青い皮膚の首に、ピンクのリボンが絡みついている。そう言えば、肩や腕に残った白いボロ布は、少女が纏っていたブラウスの生地のようだ。
 起きたら父がいなくて、子守の目を盗んで抜け出して来たのだろう。今夜初めて身を変えたのか、それとも兆候はあったのか。知らずに逝った父は、幸運だったかもしれない。
「魔の子は、やはり魔、でしたか・・・」
 子供の妖魔は、足元の御馳走に気付き、夜都の刀の煌きも葵の硝煙の匂いも忘れた。草に横たわる死骸の腹に牙を立て、同族の新鮮な内蔵を食いちぎった。わしゃわしゃと肉を食らう猥雑な音が響く。父とわかっているのか、もう意識は無いのか、赤い瞳だけが爛々と光る。
 夜都も人で無い父を持つと聞く。彼は少女の成れの果てから、目を逸らさない。
「葵さん、撃ってください」
 夜都の『白眉』から、妖魔は遠かった。それは、夜都の願いのように聞こえた。
 夜都は、妖魔の小さな頭蓋骨に45ACPが貫通するのを、柄(つか)を握ったまま眺めていた。白銀からは、まだ乾かぬ親妖魔の血が、枯れかけた草へと滴り落ちていた。
 
 薄墨が一瞬月を隠し、すぐに風が雲を飛ばした。『暗いままでいてくれればいいものを』と、葵は舌打ちする。だが、思いなおした。夜都は、葵の表情をあれこれ詮索するような勤勉な奴では無い。
 血を一振りすると、夜都は葵へと振り向いた。
「前金でいただいておいて、よかったです」
「・・・。」
 夜都が発した最初の言葉に、葵はあんぐりと口を開けた。
「?・・・なにか?」
「いや、別に」
『あんたはいつも、あんただなと思って』
 葵は、それは言葉にしなかったが。

「店に戻って一杯やらないか」
 枯れ野を後にして、二人は街へと歩き出す。
 夜都は誘いを「いえ、もう疲れましたから」とやんわりと断った。あれくらいの闘いで疲れる夜都では無いはずだ。単に、葵に付き合うのが面倒なのだろう。
「やっぱり、あれか?帰って着物の血のシミ抜きか?」
 葵が茶化す。
「まさか。そのような手間を省く為の黒です」
 夜都が当然のように答えるので、葵は正絹の黒い布の近くに目を寄せた。月の半端な明りでははっきりしないが、まるで模様のような大小の楕円が、黒より更に黒く点在している。
 葵は心の中で肩をすくめた。それはそうかもしれない。返り血が乾く間もない夜都にとって、血の染みを取り去る暇などあるわけが無いのだ。
「あ、ごはんつぶ見つけ!」
「えっ」
 胸元に固くこびりついた白米の食べこぼしを葵に指差されて、夜都は眉を上げ、急いでそれを払いのけた。今宵、初めて見せる動揺の表情だった。
 カランと、一粒の米が石畳の道に落ちて、月の雫のような音をたてた。


< END >
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2005年06月13日

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