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『砂時計 』
藤野 羽月1989)&リラ・サファト(1879)

 細かに砕いたガラス片を、見渡す限りに敷き詰めたら、『春の海』を作ることができるだろうか。
 そんなたわいもない夢語りになったのは、キラキラと輝く細波が、あまりにも繊細で優しかったからかもしれない。
 ザーン――ザーンと。
 途絶えそうな波の音に、新たな波の音が重なる。
 白い。
 砂も、光も、揺れる水も、やんわりとした淡い暖かさを含んで、二人の前に広がっている。
「羽月さんも、草履を脱いでください」
 汀線に靴を脱ぎ捨てて、リラ・サファトは藤野羽月を振り返った。
 笑う瞳が楽しげに羽月を見上げる。
 羽月はしばし案じたあと、リラが脱いだ靴の傍らに、自分の草履を並べ置いた。
「冷たくはないか?」
 爪先からかかとへ、濡れた砂のヒンヤリとした感触が伝わる。
「やはり、冷たいか」
 羽月は漏らし、動く砂を見つめた。
 じっとしていられるのを嫌うかのように、足の下から、脇へ脇へと逃れて行く。
 サーッと言う音がした。
 羽月が顔を上げると、地を這う水が直ぐそこに迫っていた。リラのつまさきに触れ、薄桃色の小片を吐きだして去る。
 置き去りにされたのは、小さな貝であった。コロコロと浜辺を転がり、引く水を追いかける。
 まるで、親からはぐれまいとする子犬のようだ。
 だが、海水は無情にも小片を押し戻し、砂地のさらに奥へと運んだ。
 押し戻されては転がり、そしてまた、追いかける。
 健気な悲哀が漂っていた。
「海に戻りたいのだろうな……」
 羽月はほろ苦く笑んで、貝を拾い上げた。
 大きさは赤子の爪ほどしかない。淡い桃と橙に、虹色の光沢が美しかった。陽に掲げると、向こうが透けて見える。
「花びらみたい……。なんて貝なのかな……」
 袖越しに覗き込むリラが見やすいように、羽月は僅かに掌を傾けた。
「桜貝だ。花貝とも言うが」
「桜に、花? 綺麗な名前ですね」
 好奇心を抑えられない猫のような顔で、リラは言った。
 丸く開いた瞳の中を、小さな花びらでいっぱいにして喜ぶ姿が愛おしい。
 羽月はそっとリラの手を取った。
 一片の薄桃をそこに乗せ、軽く握らせる。
「力を入れると、割れてしまう。気をつけてな」
「はい」
 やけに真剣な顔が縦に動く。リラはしばらくそれを見つめていたが、やがてキョロキョロと辺りを窺い始めた。
「どうした?」
「羽月さんの分を――」
 言いかけたリラの言葉が、勢い良くやってきた波音に飲み込まれた。羽月は咄嗟に手を伸ばし、リラの袖を引く。だが、水は早かった。逃げる足に容赦なく絡みつき、それまでの汀を越えて、新しい境界線を作った。
 羽月は袴を見下ろし、裾についた水滴を払った。
「……間一髪、だな。濡れずには済んだが――」
 突然の動きで、貝を取り落としてはいないだろうか。
 目で問われたリラは、手の中を覗き込み、ホッと嘆息を漏らした。
「大丈夫でした。でも、あれが……」
 羽月はリラの指さす先へ目をやり、苦笑した。
 二人並べて置いた靴と草履が、流されている。
 もっともひどい打撃を被ったのは、羽月の草履だった。
 片方は難波船よろしくひっくり返り、もう片方は一握りの砂を乗せた運搬船と化している。
「帰りは裸足か……」
 鼻緒もずぶ濡れであった。
 だが、波はただ、履き物を濡らして去ったわけではなかったようだ。
「なにかありますね」
 リラは羽月の草履の上に、とあるものを見つけてしゃがみ込んだ。細い指先でつまみ上げたのは、小さな貝だ。
「ほお」
 気の利いた置きみやげに、羽月も感嘆の声を漏らした。
 掌に薄桃色が二つ。
 並べ比べた貝は色合いも大きさも、まるで一緒であった。
「同じ貝なのかな」
 不思議そうに、リラが首を傾げる。
 羽月は二つの小片を、落とさないように注意深く手に取った。
「確かめよう」
 番を合わせると、二枚は吸い付くようにピタリと合った。全く別の貝なのかもしれないが、はぐれた片端を探して辿り着いたようにも見える。
 この偶然に、二人は目を見合わせた。
「……追いかけて来たのでしょうか」
「かもしれないな」
 羽月は掌を軽く揺すった。
 一対となっていた貝は、しばらくその震動に耐えていたが、数度目にして起きあがり、パクンと口を開いて、再び二つに分かれた。
「一つずつ持っていたら可哀相……?」
 見上げてくる瞳に、羽月はゆるりと首を振った。
「いや、いつも傍にいるのだから、離れてしまうわけではない」
「そうですよね。いつでも逢えるから……」
 羽月は懐に、リラはポケットにそれを大事にしまいこんだ。
 いつも、いつまでも。
 これからもずっと――時を連ねてゆく二人の手に、二片は納められた。
 陽は東から中央へ登り、少しだけ水の温さを増す。
 靴と草履を互いの指先に提げ、二人は海岸線を歩いた。
 楽しい時間は、過ぎるのが早い。
 こうして、肩を並べて歩き始めてから、季節は巡り、一巡した。
 依頼へ出向き、生まれた日を祝い、この浜辺で砂の城を築いた。どの映像も鮮明で、思い出と言うにはまだ若く、二人が共有する大事な刻として、深く胸に刻み込まれている。
 翳る日もある。
 幸せな笑顔を見ればみるほど、切なくなることもある。
 波に翻弄されて踊る貝のように、ただ時に流されることしかできない非力を、嘆くこともある。
 どうしようもない哀しさがまとわりつく。
 だが、全ては幸せの象徴でもあった。
 今を愛しいと思わなければ、それらの感情が湧くはずはない。
 幸せの裏側にある、失うことへの恐れが、時に哀情をもたらすのだ。
 手を伸ばして留めておけるものなら、きっとそうするだろう。
 羽月の指が無意識に懐を押さえた。良く似た二片のうちの一片が、そこに収まっている。
 いつも傍にいる、か――
 その言葉が、永遠であって欲しい。
 そう思う顔に、苦い笑みが浮かんだ。
 こうして考えてしまうのも、やはり幸せの副作用なのだろうか。
 ふと、視界に入れていたはずのライラックカラーが、いなくなっていることに気づき、羽月は足を止めた。
 振り返ると、考えあぐねているようなリラの表情とぶつかる。
「……お城を作ったのは、この辺だったでしょうか」
 リラは、消えた砂の城を探していた。
 浜辺は風と水とで真新にならされ、どの場所も変わらぬ様相を呈している。砂の城を建てた痕跡は、微塵にも残っていない。
「上手く説明できないけれど……。なんとなく、ここのような気がして……」
 ――海を、見たい――
 そう漏らした時のリラの顔を、羽月は思い出した。
 今、目の前にある顔が同じ表情をしているのだ。
 自分の言った言葉が、突拍子もないことだと思っているのだろう。不安そうな表情が、羽月を見上げている。
「そうだな……」
 これと言った目印のない浜辺を見渡す。漠然とだが、ここに間違いがないと、羽月は感じた。
「私も問われると困るのだが……。今、二人が踏んでいる辺りだった気がするな」
 目に見えぬ想いを、心は拾い出せるのだろうか。
 ここは夢を叶えた場所だと、何故かそう思ったのだ。
 風をはらんだ羽月の袖が、パタと小さく鳴った。
 リラの手が、その下の温もりを探して彷徨う。
 指先が羽月の手の甲に触れ、羽月はリラが求めるのに応じて、指先を絡ませた。
「気持ち良い、ですね」
 満足そうな声が、言った。
「ああ」
 目の中に、互いの微笑みを載せる。
 ただただ、在ることが心地良かった。
「足跡、全部、消えちゃいました」
 後ろを振り返ったリラの目に、何もない海岸線が映る。全て奪ってしまう波を、リラの瞳が追った。
 過去は、消されてしまったのだろうか――
 手元にはなにも残らないと?
 羽月は自問自答し、その考えを振り切った。
 そっと華奢な手を引き寄せて頷く。
「消えたなら、つければ良い。壊れた城を造り直したように、何度でもやり直せる。それに、例え形が失せても、ここで過ごした時が消えぬように、感じた幸せは心には残る。だから――」
 憂うな――
 目で語る羽月の前で、翳りが失せてゆく。
「……はい」
 咲き誇る笑顔が、羽月の胸に寄り添った。
 二人で為すことに、無駄なことは一つもない。
 在る限り――繰り返せる。
 砂のように落ちてしまった時間の中にも、残るものがあるのだから。
「また、一緒に来よう」
「はい」
 二人のつけた足跡が、海岸線に伸びてゆく。
 目には見えぬ幸せが、そこに刻まれている。



                             終
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聖獣界ソーン
2005年06月06日

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