▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『死を呼ぶ色彩 』
九重・蒼2479)&九重・結珠(2480)


【?T】


 いわゆるショッピングモールのようなその場所を覆う、滑らかな曲線を描く天井の下を無数の人々が行き来する。楽しげに行く人々を前に、九重蒼は妹の結珠の訪れを待っていた。待ち合わせの場所として指定したそこは、目印には丁度良い仕掛け時計が立っている。待ち合わせの時刻は午後一時。時計の針がその時刻を指し示せば十秒ほどであったがオルゴールの細い旋律と共に機械仕掛けの人形たちが小窓から顔をのぞかせてそれぞれに楽器を演奏する姿を目にすることができる。それは雑踏に埋もれた結珠が自分の姿を見つけられなかった場合に備えた蒼が定めたもう一つの目印である。その側面に凭れて結珠を待ち始めてから五分ほどが過ぎただろうか。早めに家を出たせいで待ち合わせの時間にはまだ早く、蒼は眩暈がするほどに無数の人々が行き来する眼前の光景から意識を逃がすために足元に視線を落とす。
 頭が重たい。今朝から続く倦怠感は今も去ることはない。原因はわかっている。連日繰り返される夢のせいだ。脳裏に貼り付いて離れない一つの映像。薄暗い映画館で上映されるフィルムを眺めるような心地で眺めるそれ。自ずと脳裏に焼きつく映像が連日蒼の眠りを浅いものにしている。
 目覚めてもあの夢の鮮明さは色褪せることを知らない。感触さえも生々しく、伴う色彩は厭になるほど強く網膜に焼き付いている。決して快い夢ではなかった。浅い眠りの底で繰り返される惨劇のヴィジョン。不確かな輪郭であるというにも拘わらず、強く意識に食い込んでくる一つ一つは夢から醒めたその後もしつこく蒼に付きまとい、まるで一つの意思を持った生命体のようにしてその存在を強く主張した。
 眠ることと阻害されればされるほどにそれは鮮明さを増していく。止めることはできず、日々鮮やかさを増していくそれに従順になる以外に蒼にできることはない。そんな夢を見る原因を考えてみたこともあったけれど、確かな答えが見つけられたのかといったらそうではなかった。
 深く息を吸い込み、俯けていた視線を上げると同時に吐き出すと視線の先にあったインフォメーションセンターの傍らに備え付けられた慎ましやかな電光掲示板が最新のニュースを伝えていた。流れていく文字を無意識に追いかければ夢の残滓が濃くなるのがわかる。ここ数日ニュース番組のトップを飾るその事件は自然と連日蒼の眠りを妨げる夢へと繋がった。
 人が死ぬ。
 言葉にすればそれだけのことがここ数日蒼の頭から離れない。
 人を殺す。
 文字にすればほんの僅かな言葉であるというにも拘わらず、強く意識に貼りついたそれは多くのものを凌駕して蒼にその存在を主張し続けている。
 浅すぎる蒼の夢のなかで繰り返される殺人。肉感を伴うそれはテレビドラマの作られた安っぽい殺人シーンよりもリアルだ。勿論蒼に人を殺したことなどあるわけがない。しかしそれはまるで今しがた殺人の現場を目の当たりにしてきたことを指摘するかのように何よりも生々しいものだった。起きて何度も確認する。記憶をなぞり、目覚めるその刹那まで眼前にあった屍体が現実のものではないことを確認しなければ不安で仕方がないのだ。それほどに鮮明な一つの屍体。暗赤色の海に横たわるそれがまとう生々しさと放つ死臭の息が詰まるほどの濃度。足元まで及ぶ大量の血を前に、夢のなかで常に蒼の脳裏にちらつくのは眼前にする血の色と同じ色をまとった一つの十字架だ。僅かなノイズ。双眸が捉えるヴィジョン。屍体の向こうに立つ男か女なのかも判然としない人影の腕がゆっくりと持ち上がる。その先にある手の人差し指を真っ直ぐに突き出して蒼を指し示す。まるでお前がやったのだとでもいうようにして向けられる指先に、不意に恐ろしさを感じて蒼が自身の両の手に視線を落とすとそれは夥しい鮮血の色に染め上げられ、ぽたりぽたりと赤色の雫を滴らせているのだった。
 いつもそこで目が覚める。残されるのは鮮明な夢のヴィジョンと手を濡らしていた鮮血の温度と感触。経験したことなどないというにも拘わらずリアルなそれは、ここ数日ニュースのトップを飾り続ける血生臭い事件のせいだと思い込もうと必死にならなければならないほどに皮膚にぴたりと貼りついた感触だった。
 今も電光掲示板は人が殺された事件を文字に変えて流し続けている。連続殺人、猟奇殺人、無差別殺人といったような不穏な言葉がまるで何事もなかったかのようにして流れていく様は、蒼にとって決して快いものではない。ここ数日多くの人々が殺されたことばかりが明らかにされていく。犯人さえも自殺や発狂といった手段でもって自己を殺していく。関連性のない一つ一つの事件が死というただ一つで結び付けられているような錯覚に陥るほどに、ここ数日見聞きするのは人の死にまつわるニュースばかりだ。
 我知らず眺め続けていた電光掲示板から殺人に伴う不穏な言葉が消えた。続いて文字となって流れるのはひどく明るい広告だ。それが蒼に妙な不安を植えつけた。殺人と明るい広告の描くコントラストはひどく不可解で、それがその場に留まることを許さない。背にしていた時計を見上げると約束の時間にはまだ早かったけれど、蒼は結珠を迎えに行こうと思った。何かがあってからでは手遅れだ。多くの人が犇くそのなかに一歩を踏み出して、今からならまだ家を出るか出ないかの結珠を捕まえられるかもしれないと思った蒼は両の足を自身の実家でもある九重家へと向けた。


【?U】


 待ち合わせの場所を脳裏に描きながら雑踏の中を行く九重結珠の表情はどこか暗い。折角兄の蒼に誘ってもらえたのだからと明るい表情に努めようとしても、先日から続く心配と不安がそれを許さなかった。意識を失い倒れ、目覚めた時には既に穏やかさが戻ってきていたあの日。帰省した兄の蒼に心配させることがないよう気分が優れないことをひた隠しにしていたというのに結局知られるに至ってしまったあの日、結珠は自分が意識を失っているその間に何があったのかを覚えていない。蒼はいつものように何も云わない。目覚めた結珠に穏やかな朝の挨拶をくれて、笑っていた。何事もなかったのならばそれでいいと思えども、うなされていた筈だという気持ちがきっとまた何がしかの犠牲を負わせたのではないかと思わせる。意識を失う刹那まで感じていた不快感。それに耐え切れず手放した意識。総てを躰の調子を狂わせるそれに委ねている間、蒼は一体何を見て、どうしたというのだろうか。結珠に対していつも蒼はやさしい。総てを投げ出してでも守ってくれる。例外なく守ってもらえるのだという安心感をくれる蒼の存在に感謝すれども、守られてばかりの自分に結珠はいつも苛立ちと不甲斐無さを感じていた。
 いつもそうなのだ。自分の手で蒼を守れたことなど一度としてない。守られてばかり、やさしくされてばかりで自分から蒼に何かをしてあげられることなどほんの僅か。ただ傍で何もないのだから安心していいのだと伝えるように笑っていることしかできない。何も云わない蒼に甘えるようにしてただ守られている自分にできることはないのだろうかと、どんなに考えを巡らせてもその方法はいつもわからないままだ。
 きっとあの日も、蒼が何かしらの犠牲を負ったことに結珠は気付いている。隠そうとしても隠し切れないものが確かにあり、結珠はそれに気付くというそれ以外のことを知らない。気づいたから何ができるわけでもないというのに、気付いてしまう。気付かなければいいと思っているわけではないけれど、何もできないことばかりが明らかになるのだというのならいっそ知らないほうがいいと思う気持ちも嘘ではなかった。
 できることなら少しでも蒼を守る手助けができればいいと願い続けているというのに、それが叶う日が訪れるのは一体いつのことなのだろうか。
 思った刹那不意に無数の鋭い悲鳴が結珠の鼓膜を貫く。視線を向ければ正面に陽光を受けて煌く何かがあるのがわかった。今ここは雑踏の中心。人と人が擦れ違うだけでも肩が触れ合うのではないかと思われるそのなかで振り上げられた腕の先にあるものは鈍い銀色の鋭利な刃物だった。その切先が鮮やかな軌跡を描いて振り下ろされる。悲鳴。くずおれる人の姿。赤い、血が飛び散るのを結珠の双眸がまるでスライドフィルムを眺める緩慢さで捉える。それに守るというその言葉だけが鮮明になる。自ずと足は逃げるどころか刃物を振り回す男のほうへと向かい、逃げ惑う人ごみを縫うように前に進めば進むだけ守りたいという思いが強くなる。守られていてばかりでは厭なのだと思う。男が響かせる奇声が尚更に結珠のその思いを強くさせる。振り上げられた男の腕が、転び、動くことができなくなった子供へと焦点を定める。結珠の目も確かにその姿を捉え、両足は強く地面を蹴っていた。無意識の行動。気付いた時には結珠の両腕は幼い子供の小さな躰を捉え、その場にある危機から守るようにして強く抱き締めていた。
 結珠のその姿に男が怯む。けれど行動をやめることはなかった。手にした刃物を握りなおして、男は再度それを振り上げる。そんな男を仰ぎ見る結珠は蒼はきっと多くの傷を負ってきた筈だと思う。痛みを負って守り続けてくれた。傷つくことを恐れていては誰一人として守ることはできない。今両の腕のなかにある子供を守ることができるのなら、傷つけられることさえ厭わない。そうして守ることを知ることができるというのなら、何も怖いことなどなかった。
「大丈夫」
 自身の腕のなかにある子供にそう呟いて、結珠は再度胸の内で同じ言葉を繰り返した。
 大丈夫。
 怖くはない。
 守ることができるというのなら、怖いものなど何もなかった。
 振り下ろされる刃物の先が捉えようとしているものは結珠以外の誰でもなかった。
 辺りに一際大きく悲鳴が響き渡る。


【?V】


 同じ頃、蒼もまたその現場のすぐ近くを足早に歩いていた。迎えに行った結珠は既に家を出た後で、焦るあまり行き違いになったことに気付き焦る気持ちが携帯電話での連絡を思い出させたが、呼び出し音が延々と鳴り響き、それが途切れたかと思うと留守番電話サービスに繋がった。小さな機械から零れるひどく冷静で穏やかな声が蒼に新たな焦りを与える。結珠に何かあったのではないかと思う気持ちは自ずと歩調を速めて、少しでも早くその無事を確かめなければならないような気持ちにさせる。
 待ち合わせの場所までもう少しだ。思うと不意に胸元に鋭い痛みが走る。人波を逃れて、密かに胸元を覗き見ると不気味な緋色の十字架が滲むようにそこに刻まれていた。それが先日の一件を鮮やかに思い出させ、蒼は咄嗟に走り出していた。
 その時、不意に悲鳴が響く。はたと視線を向けると明らかに常軌を逸した男が刃物を振り上げる姿が蒼の目に映り、次いでその先で何かを抱きかかえるようにしてうずくまる結珠の姿が映った。躰は自ずと動く。無意識の行動はただ結珠を守るためだけの行動だ。強引に人ごみをかきわけ、振り下ろされる男の手首を捕えることに成功した蒼は逃げろと常の自分ならば想像もつかないような大声を張り上げていた。
「血が……ほし、い」
 蒼に手首を強く掴まれた男がうめくように言葉を綴る。そして不意に腕に力を込めると、思い切り蒼の手を振り払い体制を整えると、口端を強く引き上げた不気味な笑みを浮かべて蒼に向かってくる。その口から紡がれるのは途切れながらも血を求めるただ一言で、がむしゃらに振り回される刃物の描く軌跡が無数に虚空を切り裂く。空を切る音がひどく残忍な響きを持って悲鳴の隙間を縫い蒼の鼓膜を震わせる。止めなければ。思う気持ちは自ずと結珠を傷つけようとした苛立ちに直結し、しかし体制を整えるために必要な距離を確保し、男が間合いをつめてくるなかに刃物を叩き落すきっかけを探す思考は冷静そのものだ。軽やかに蹴り上げた蒼の足が確実に男の手から刃物を叩き落す。その時不意にその手首に煌くものがあることに気付いた。手から零れた刃物を取りにかかる男を阻むよう新たな動きを見せた蒼の背で警察を呼ぶ声が聞こえる。蒼が刃物を蹴り飛ばそうとした一瞬よりも早く、男は再度それを手にしていた。そして不意に蒼を振り返り、怯えたような顔を見せる。両腕が震えて、まるで自分の思うようにならないかのような気配がした。
「血、がほし…い…」
 搾り出すように繰り返される言葉が不気味に鼓膜に残り、行動が鈍った。その隙を突くようにして男は手にした刃物を自身の咽喉元へと深く埋めた。その時の男のなんて不可解なことだろうか。まるで自身の意思ではないのだとでもいうように、驚愕に見開かれた双眸が天を仰ぐ。わななく唇が紡ぐ言葉はもう血を求めるそれではなく、まるで男自身が被害者だとでもいうかのように救いを求めるものだった。
「な…んで……」
 思わず呟いた蒼の目が男の手首で揺れる十字架の姿を確かに捉える。銀色と赤色の細やかな細工を施された十字架が自身の咽喉に刃物を埋めたまま動くことをやめた男の手首で煌きながら揺れている。救いを求める声とは裏腹に深く刃物を埋めていく男の両手、その手首で煌く十字架は溢れる血に濡れてひどく艶かしいものだった。
「道を開けて下さい!」
 突然背後から声が響いて、ようやく警官が駆けつけたことに周囲がささやかな安堵を覚えるのがわかる。その声に蒼もまたはたと我に返り結珠の姿を探した。視線を巡らせると数人の人間に守られるようにして結珠はそこにいた。無事だったのだと確認することができてようやく蒼は安堵する。そしてゆっくりと傍に近づき、大丈夫かと一言問うた。
「大丈夫。……この子も」
 云う結珠の腕のなかでまだ幼い子供が泣きじゃくっていた。結珠の胸元に顔を押し付けて、泣きじゃくるその姿は守られなければならない子供の弱さをいっぱいに湛えたもので、それを抱き締める結珠の姿がこれまで見たこともないほど強いものに見えると蒼は思う。無言のままに子供を抱き締めて離さない腕がまるで自分にも誰かを守ることができるのだと暗に云っているようだった。
 この頃になって気付いたことが鮮明になる。守られてばかりなのは厭なのだと結珠が思っているであろうことに、蒼もなんとなく気付いていた。それでも守らなければならないのだと思う気持ちを偽ることはできない。結珠が傷つくことだけは許すことができなかった。たとえ結珠が守られるばかりでは厭なのだと思っていたとしても。
「無事で良かった」
 云って、ふと振り返ったその先には人だかりができていて、その隙間に見た投げ出された男の腕が蒼の目を見開かせた。
 そこにはもう十字架の姿はなかった。
 騒然とする現実が遠のいていく気がした。
 あの十字架は色は違えども蒼に預けられたそれによく似ていたものだ。生命力に溢れた赤をまとい、その色彩はまるで飢えて切実に何かを求めているように見えた十字架。それは目の前から消えても強く蒼の網膜に焼き付いている。確かにそこにあった。見間違いであるわけがない。鮮やかな赤の十字架は確かに男の手首で揺れて、煌いていたのだ。
 救急車のサイレンが響いて、ほどなく救急隊員が駆けつける。警官が蒼に事情を聞きたいと申し出て、結珠に怪我はなかったかと問う。それらが蒼の目に焼きつく赤色の十字架を現実のなかへと飲み込み、意識から引き剥がそうとしているかのようだった。
「お兄ちゃん」
 不意に呼ばれて結珠の姿をまっすぐに視界に捉える。
「私は大丈夫」
 笑顔と共に云う結珠に安堵を覚えながらも、蒼は網膜に焼きついた赤色の十字架を忘れることができない。不意に思い出された連日報道される血生臭い事件の数々それに絡まり、蒼の意識に不穏な影を刻み込んだ。
 人が死んだ。
 そして一つの事件が終わった。
 恰も自殺のようにして死んだ男。
 しかし蒼にはまるで誰かに殺されたかのように見えた。
 ――助けてくれ。
 男が残した最後の言葉が耳について離れない。

 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
沓澤佳純 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年06月03日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.