▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『■+ トリップワールド +■ 』
セレスティ・カーニンガム1883)&シュライン・エマ(0086)&綾和泉・汐耶(1449)

 どうやら春は、駆け足でこの地を去って行った様である。現在は、もう初夏と言っても良い程の日差しだ。
 サンルームにてテーブルを囲んでいるのは、妙齢の男女三人。
 内一人は、このサンルームを提供している館の主だ。
 物静かな風に見える二十歳後半の青年ではあるが、実際の年齢は、残り二人のそれを合計しても遙かに及ばない時を生きている長生種であった。
 「こんな良いお天気に、書庫に籠もるのは少々勿体ない気もしますけれど、今日と言う日を逃せば、今度は何時三人が揃うか解りませんしね」
 優雅にティーカップを口に運ぶ彼は、セレスティ・カーニンガム。
 その言葉に、切れ長の青い瞳を和ませ笑う彼女は、オカルト探偵事務所をその細腕で切り盛りしている美女である。ちなみに、彼女がそこの主でないことは、明記しておく。
 「そうねぇ。まあでも、どんな本に出会えるかと思うと、今日はちょっとわくわくしてるの」
 日頃のクールな雰囲気を一変し、まるで少女の様に笑うのは、シュライン・エマだ。
 彼女の言葉にその通りとばかりに大きく頷くのは、銀縁の眼鏡を掛けた理知的な美貌を持つ女性であった。
 「皆さんご推薦の本と、セレスティさん所有の書庫ですからね。ここでしか読めない本達は、この頭にしっかりと記憶して帰るつもりです」
 にっこりと笑みを見せている活字中毒を自称する程の彼女の名は、綾和泉汐耶(あやいずみ せきや)だ。
 それぞれが忙しい身である。なかなか時間の合う日がなかったのだが、たまたま今日だけは、揃ってぽっかりと身体が空いたのだ。
 彼らは、読了済みの本を持ち寄り、交換して読み合うと言うことと、機会がなくて渡したまま、そして貰ったままになっていた鍵を使用して入る書庫の探索を目的としていた。その書庫には、稀覯本──つまりは世では奇書や稀書と呼ばれるものだが──を初めとした、世界各国で発行された本が収められているのだ。
 そして更に、あまりに天気が良かった為、シュラインと汐耶の両方が、別に打ち合わせした訳でもなく、揃って昼食のみをお持たせで来ていた。昼少し前と決めた集合時間であるから、その前にちょっと外で昼食でも、と思ったのだと言う。
 現在、二人の持ってきていたお弁当と、セレスティの料理人が作った数品が、テーブル上に並べられていた。
 手軽に気軽に食べられる様にと、それぞれサンドイッチやサラダ、それに合った料理ばかりである。互いに同じ思考で持って来ていたのだが、見事に重なったものはなかった。
 「もう、一日中籠もるつもりよ。だからその前に…」
 そう言ったシュラインが、頂きますと同時、一つサンドイッチを手に取った。
 「そうそう。腹ごしらえと、行きましょうか」
 同じく汐耶も一つ、頂きますでオープンサンドを手に取った。
 「では、私も…」
 更にセレスティも、先の二人に倣ってサラダの入った皿を、頂きますの言葉と共に取る。
 ちなみにそこにあるメニューは、多岐に渡っていた。
 オープンサンドとしては、野菜と魚をグリルで調理したもの、サーモンとチーズを合わせたもの、通常のサンドイッチであれば、フルーツを入れたものや豆腐ステーキをメインにした和風のものや薄切り卵と鰹を挟んだもの、手作りのコロッケを使ったものなど、全ての味見はしたいと思わせる様なものばかりだ。
 サラダにおいても、通常の野菜サラダと言う訳ではなかった。ホワイトアスパラをメインにしたもの、ベーコンと野菜のバター焼きを使用したもの、ポークロースの生姜焼きを使うと言った変わり種、ビーフと貝柱のもの、チキンと海老を使用したものと様々で、更にそこへ合計八種類の手作りドレッシングがつくと言った豪華さだ。
 一品にしても、ささみの梅肉春巻き揚、手羽先の七味焼き、シメジと牛肉の山椒炒め、チキン料理の甘辛煮、鯖のごま揚、切り干し大根の卵焼き、根菜きんぴら、じゃがいもの梅煮と、多種を極めている。
 ドリンクもやはり数種類。通常の青茶や黒茶とは訳が違う阿里山珠露(ありさんじゅつろ)や七子餅(ちーずーびん)から始まり、変わり処で信陽毛尖(しんようもうせん)の中にそのままフルーツを入れ、更に氷砂糖や蜂蜜を入れると言った豪快なフルーツティ、ミルクティには最適のルフナ茶など。
 「美味しい…。白ごまとマヨネーズって、合うのね。大葉も良い感じ」
 豆腐ステーキの和風サンドイッチを手にしていたシュラインは、感心した様にそう言った。
 「ありがとう。ちょっと冒険だったんだけど。それにしても、これ、鰹節とマヨネーズって言う発想も凄いけど、本当に美味しいですよね。ちょっとお醤油が入ってる…のかしら?」
 礼を言う汐耶も、自分の食しているサンドイッチをまじまじと見つめつつそう言った。
 「ありがとうございます。そう言って頂くと、私の料理人も喜びますよ。こちらも、バターのしつこさもなく、野菜の旨味とレモン風味のドレッシングの味が絶妙ですねぇ」
 ほっそりとした指でフォークを操りつつ、セレスティがそう感想を述べた。
 「舌の肥えたセレスティさんにそう言ってもらえて、嬉しいわ」
 それぞれが料理に手を伸ばし、優雅に、けれどしっかりと腹の中へと納めていく。これが夜であれば、酒類が出たのだろうが、これから後、メインである読書会もある為、口にしたのはノンアルコールのものだけだった。もっとも、少々飲んだとしても、潰れる様な人間がいる訳ではないのだが、一応気持ちと言うものだろう。
 量が半端ではない為、流石に全てぺろりと言う訳にはいかなかったが、和やかに食事は進み、食後のお茶を楽しんでから、セレスティが口を開いた。
 「では、そろそろ移動致しましょうか」



 白銀の、四つ葉クローバーをデザインした小さな鍵が、セレスティの書庫へと入る道しるべだった。
 レトロな雰囲気を持つそれだが、鍵穴に差し込んだ時、最新の技術と結合するバイオメトリックキーとなる。もっとも、鍵自体がそれを行う訳ではなく、実際の認証はリンスター財閥所有のメインフレームへと送られ、更に個々の端末が連携して行うのだが、これがなくては、そのシステムすら起動することがない。
 瞬時の内に各々には認識されないスキャンが終了し、かちりと言う音と共に、書庫への扉が開く。
 ふっ…と三人に感じられたのは、書物独特の香りだ。別段黴臭いとか、そんな訳ではない。長い年月を経てきた紙の匂いだ。
 そして、三人が嗅ぎなれている匂いでもある。
 活字中毒、本の虫は、初めて入った書庫で、圧倒的な数の書物を見ると、大抵がその視覚的な心地良さに陶然としてしまう。これ程の書物を、一生読み耽って毎日を過ごすことが出来れば、どんなに幸せなのだろう。書の世界に浸り、その中に漂うことは、活字が好きな者に取って、得も言われぬ至福の時だ。陶然とするのも通りだった。
 そして見慣れているセレスティはと言えば、陶然と言うよりは安堵と言った様子を浮かべている。
 手にしていた茶器を置くと、する行動は一つだ。
 ふらふらと、まるで夢遊病者の様に、けれど視線だけは書物から外さず、二人が自分の身長よりも高い本棚へと歩いて行く。
 その後を、セレスティがゆっくりと歩き出し、その本棚に向けて暖かい視線を送っていた。
 この分だと、交換会は読書会後となるだろう。
 「ブリファット・カターだわ。どうしてこれが…」
 そう呟いた汐耶が、すっと手を伸ばした。
 末流である『カター・サリット・サーガラ』なら、汐耶は職業柄幾度も見ている。それですら稀少な書物ではあるが。もっとも『カター・サリット・サーガラ』と言うより、『屍鬼二十五話』と言う方が解りやすいかも知れない。このサーガラの十二巻に、納められているのが『屍鬼二十五話』であり、更にこれの元となったのが『ブリファット・カター』だ。そしてその『ブリファット・カター』となると、何処に行っても見ることが出来ないでいた。
 さもあらん。
 これは、未だ発見されていないと言われているのだから。
 それが何故、この書庫にあるのだろうか。
 「色々と、伝手がありますから」
 セレスティが意味深に笑ってみせる。
 要は、『カター・サリット・サーガラ』を書いたソーマデーヴァ──恐らく偽名であろうが──本人に会えば、その元となった本の行方を糺すことが出来、セレスティにはそれが出来たと言うことだ。
 ──例えそれが、十一世紀に生きた人間であったとしても。
 「こっちは博物誌よ」
 シュラインが手に取ったのは、大プリニウスと呼ばれる、ガイウス・プリニウス・セクンドスの記したと言われる『博物誌』の二巻目だ。
 既に失われてしまった美術品、地上、宇宙の動植物、そして魔術などを記した百科全書である。
 第一巻は、皇帝に捧げた序文である為、先に読みたいとまでは思わなかったのだ。勿論ながら、日本語ではないが、シュラインに取って、それは大した問題ではない。
 「そちらは世の皆様の目に触れさせることは、少々宜しくはありませんので、お貸しすることは出来ませんが、こちらで好きなだけ読んで下さいね」
 確かに、世間に流通する筈のないものだから、もし万が一、他人の目に触れる様なことになっては不味いのだ。二人が見せびらかして歩く様な人間ではないと言うことは、十分すぎる程解っていても、世の中何が起こるか解らない。
 そう、もしかすると、空き巣が入ったりと言う、何とも現実的な、そして間抜けな事態が起こらないとは限らないのだ。
 その書庫には、古今東西の出版社から出版された本が、きちんと整理・分類されて収まっていた。そして出入り口からほど近い場所には、それらの本が読める様にと、テーブルとソファが設置されている。
 二人は、一度腰を据えたら立たなくても言い様にと、日頃では考えられない無精をする為、本棚へ向かっては、持てるだけ、そして今日中に読めると踏んだだけの本を選んでいた。
 書庫に収まっていたのは、には先の本達だけではなく、『薬物誌』や『シュビュラの託宣』、『パウロの黙示録』、『ニコデモ福音書』、などが、神話系の本棚にはポピュラーなギリシア神話でも有名である『神統記』や北欧神話でコペンハーゲンの王立図書館にあると言われる筈の『王の写本』に混じり、『水の神』と言ったドゴン族の神話が、言語学系の書棚には『バベルの塔』や『ボイニッチ写本』が、近代文学のそれには『オトラント城奇譚』、『リリス』が。
 そして同時に、別の書棚には昨今発行された売れ線の本が並んでいると言うのも、ある意味目を引いた。
 『世界を見る目が変わる本』だの、『「心理テスト」はウソでした』、『脳と魂』などがあると、趣味以上のものを感じてしまう。
 セレスティ、シュライン、汐耶の三人が、お茶を片手に黙々と本を読んでいる中、ふと汐耶が顔を上げる。
 「……。何かしら」
 戸惑いを含んだ声に、普通ならば集中していて顔も上げないだろうセレスティとシュラインが彼女の方を見た。
 「どうかしたの?」
 怪訝な顔をするのはシュラインだ。声音に何かを感じた為、彼女は現実に引き戻されている。
 セレスティは、汐耶の言葉を聞き、変わった気配がないかと周囲を探っていた。
 「この本は……?」
 汐耶の視線と、セレスティの視線の行き着く先は同じだった。
 それを確認したシュラインもまた、その視線の先である絵本を見る。
 「あら? こんな本、この本棚にあったかしら……」
 互いの反応からして、三人の内の誰かがここに持ってきたとは限らない。顔を見合わせてはいるものの、何となく不穏な空気が漂って来始めた。
 「絵本なら、もう一つ後ろの棚だったと思いますが…。これは何か……、触発されている様な……」
 「ええ、それに少しだけですけど、封印されていた様な気配があるんですよね」
 「それって、もしかすると不味いんじゃ……」
 シュラインがそう言った瞬間だ。
 絵本からいきなり風が巻き起こり、勢いよくページが捲られて行く。
 そして、ぴしゃんと言う音が聞こえたと同時、世にも奇妙な物体が、本の海から飛び出したのである。



 「本っ! 本を守らないとっ!!」
 「お茶も片付けないと、濡れてしまうわっ!!」
 日頃ならば、考えられない程慌てているのは、やはり大事な大事な本を前にしているからだろう。しかも人様の本である。
 更に言えば、新品が流通していないものがある以上、破損してしまうと某ハルモニアマイスターや某キュレイターでなければ修復できないことは確実であった。
 必死にもなるだろう。
 ちなみに書庫の主であるセレスティは、主の余裕か、手はせっせと本の避難をしているものの、何事をか考えている様だ。
 ちなみに飛び出た巨大イモリ……と言うより何だか良く解らないそれは、何故か炎を纏い、蛇の胴体を持ち、コウモリの羽で持って周囲を飛び回っている。
 火の粉が飛び散ってしまうと、本が燃えてしまう。火気厳禁の場所であるのに、何故かその火が出てしまったのだ。当然の如く、周囲に炎が行かない様に、セレスティがぱちりと鳴らすと同時、水の結界に封じ込めている。
 しかし巨体が飛び回るのを止めさせることは出来ず、水を纏ったそれが、三人目がけ──特に茶器を守っている汐耶の方へ、突撃してくるのだ。
 眼前に迫るそれから、頭と本と茶器を庇っては床に伏せ、あるいは後ろへ飛び退る。
 側を過ぎる度に、空気の振動が感じられた。
 「あれは一体何なのっ!?」
 シュラインが叫ぶ。
 見たこともない生き物であるのは、三人共通であり、互いに顔をふるふると振る。
 咄嗟に封じようとした汐耶は、しかし眼前へと迫るそれに危機感を感じ、茶器を抱えたまま、ダンスを踊る様に身を翻した。
 謎の生物は、そのまま別の書棚へ突っ込むかと思えた瞬間、何とか方向転換し、更に瞳を爛々と輝かせては、三人を威嚇している様だ。
 「こんな時になんだけど、あれ、何処かで見た様な気がします」
 汐耶が囁く様に、そう言った。
 でかい頭をぶるると振っている謎生物は、セレスティの結界の中であると言うのに、ヤケに元気だ。
 「正体が解れば、何とか出来るかしら」
 シュラインが、謎生物から視線を離さず、更に本をテーブルの下へと避難をさせていた。テーブルの下なら、あの巨大すぎる身体は入れないからだ。
 尤も、テーブルを吹っ飛ばされてしまえば、その気遣いも意味がなくなってしまうのだが。
 「気の所為でしょうか。水の蒸発が早い気がしますねぇ」
 こうなった時にも慌てていないのは、流石は世界に名だたるリンスターを率いる総帥と言えるのかもしれない。
 「……違うわ。セレスティさん、あれ、水を飲んでいるのよっ!」
 じっと見つめていたシュラインが、そのことに気付いた。蛇の様な舌が、ちろちろと出ては水の皮膜を舐めている。それも顔の周りだけ。
 その生物の動作を見て、不意に汐耶が口を開く。
 「思い出したわ……。セレスティさん、瞳の周りだけ、水を集中させることって可能ですか?」
 どうやら正体の解ったらしい汐耶が、そう問いかけた。
 「出来ますけれど」
 「じゃあお願いします。多分、もっと暴れるかもしれないけど、その前に私が何とか動きを止めます」
 浮かんだ正体が確かにそうかと問われれば、確実性はない結論だ。
 けれどやってみて損はないだろう。
 当たれば、きっとこの方法は上手く行く筈。
 恐らくあれは、瞳に水が集まると言うことで、瞬間パニックを起こすだろうと、汐耶は踏んでいるのだ。その一瞬の隙をついて、動きを止めるつもりである。
 水球に羽が震える音が、シュラインの耳で反響した。今から動く、その音だ。
 「来るわよっ」
 叫んだと同時、謎の生物は重力を完全無視で特攻した。
 セレスティが鮮やかに微笑むと、指を鳴らす。
 水の壁が、瞳の部分で厚みを増し、歪みを見せたかと思うと、一瞬、その謎生物が硬直した。
 それを見逃す汐耶ではない。
 指先に封印の力を込めて、その生物を指さした。
 集められた力は、まるで光の矢の様に、真正面を突っ切って行く。
 恐らくは、瞬き一つもない時間。
 セレスティの水球に、汐耶の力が浸透して、眩いばかりの光に包まれた。シュラインの耳には、その二つの力が交わる音が、涼やかに響き渡る鈴の音に感じられる。
 そして──。
 輝く球体の中、羽を広げきったまま動けなくなったそれが、地に落ちた。



 身体だけはびくりとも動かないそれは、けれど輝く瞳だけをぎょろりと動かしては三人を睨み付けている。
 既に水の膜は取り除かれ、汐耶の封じの力のみであった。
 「蛇の身体、コウモリの羽、そして宝石の瞳。地上に出る時は炎を纏う。これはヴィーヴルと言う、フランスのドラゴンかと思います」
 汐耶が、死守していた茶器を降ろしてそう言った。
 「ヴィーヴル……」
 シュラインもまた、テーブルの下に避難させていた本を置き直しつつ、そう呟いた。
 「ああ、確かにこの輝きは、宝石……それも、特上のビジョンブラッドですね」
 テーブルの下ではないが、やはり同じく避難させていた本を取り出し、セレスティも納得した様に、そう言った。
 「でもビジョンブラッドって、ミャンマーでしか採れないのよねぇ…。なのにこれはフランス産なの?」
 シュラインがそう疑問に思うのは、ある意味、確かに尤もな話なのかもしれないが、すぐさまこれが何処から出てきたかを考えた様だ。
 「まあ、本の中の生き物に、そんなことを言っても仕方ないわよね」
 同意とばかりに肩を竦める汐耶は、この生物──ヴィーヴルの処し方を考える。
 「このヴィーヴルは、やっぱり本に返すのがベストですよね」
 絵本へちらりと視線をやって、そのタイトルを確認する。どうやら子供向けに綴られた民間伝承を集めた絵本である様だ。
 「でしょうねぇ。まあ、一匹くらい、飼っても問題はないでしょうけど……」
 のほほんと言うセレスティに、とんでもないと汐耶が首を振る。
 「セレスティさん、ダメですよ。ヴィーヴルは、人を食べることもあるんですから」
 それを聞いて、怯むかと思われたが、やはりセレスティは人とは少々違うらしい。
 「それは物騒ですね」
 にっこりと笑う彼を見て、女性陣は苦笑する。
 全く持って、危機感を感じていないのが、十分すぎる程に解るからだ。
 「まあ、この宝石である瞳を取ってしまうと害はなくなりますけど、同時にヴィーヴルは死んでしまいますから」
 「それはやっぱりねぇ……。結果的に被害があった訳でもないし」
 見た目はあまり宜しいものではないし、一時的ではあるが、身の危険を感じたりもしたが、殺す程悪いことをした訳でもない。
 そして何より、あちこちを飛びまくっていたヴィーヴルだが、奇跡的に器物の破損はなかったのだ。
 「やはり戻すのが一番と言う訳ですね」
 少し残念だと、セレスティは思っている。見た目はともかく、普通ならお目に掛からない生き物だ。しかも、瞳が美しい宝石とあれば、偶には鑑賞してみたい気もするのだった。
 「それにしても、どうしてヴィーヴルは出て来たのかしらねぇ。今までは何にもなかった訳でしょ?」
 そのシュラインの言葉に、少々失念していたとばかりのセレスティが口を開いた。
 「恐らく、この茶器なのかもしれません。これは、蓮さんのところで購入したものなのですよ」
 そう言っただけで、二人の脳裏には『曰く付き』の文字が浮かんだ。
 しかもその茶器でお茶を飲んだのだ。
 顔を見合わす二人に、セレスティは邪気のない笑みを浮かべて安心させる。
 「大丈夫ですよ。何時までも入れたてを飲める様にと言う効果がある、茶器なだけです。ただ、そう言った力に触発されたのかもしれないと思ったまでです」
 ならば魔法瓶でも良かったのかも知れない。
 けれど女性陣二人は、セレスティと魔法瓶の取り合わせを想像し、彼がこの茶器を使用した理由を、何となく察してしまった。
 「……確かに、水を飲みに地上に出てくることもある生き物ですから、茶器だけでなく、水気にも反応したのかもしれませんけど」
 何処となく釈然としない風で言う汐耶だが、あまり深く考えないことにしたらしい。
 何より、その茶器で入れたお茶を、セレスティも飲んでいるのだ。それに、自分達に害のあることを、彼がする筈がないとも言える。
 「水気に惹かれた割に、瞳を填めたままにしていたのは、外す暇がなかったと言うことでしょうしねぇ」
 「外すんですか? 瞳を?」
 「何だかエグイわよ、それ」
 目を丸くしたセレスティに続きそう言ったシュラインは、どうやらぽっかり空いた眼窩を想像したらしく、眉間に三本皺を寄せている。
 「ヴィーヴルは、瞳が水に濡れることを嫌って、外してから水を飲む習性があるんです。だから、その時に瞳である宝石を、取られてしまうことがあるんですよ」
 「あ、だからさっき、瞳の周りに水って言ったのね。成程。いきなり嫌いなものが迫ってきたら、逃げるか暴れるか、もしくは知能のあるものなら、パニクって瞬間隙が出来るものよね」
 本能のみで生きているものなら、即座に行動に出る。けれどそうではないものなら、その瞬間に色々と考えて、僅かに動きが止まるだろうと推測出来た。
 「まあ、長々とここに置いておく訳にもいかないし、汐耶さんも、ずっと監視するのは疲れるでしょう? そろそろ本に戻す方が、良いんじゃないかしら」
 そう言って気遣うシュラインに、有難うとばかりに微笑むと口を開いた。
 「一度発動した力は、持続させる為に力を割くことはあまりないですけれど。……そうですね、ずっとこうしていても仕方ありませんしね。何より、読書会と交換会の時間が潰れるのが、勿体ないですよね」
 勿論、最後のその思いは、そこにいる三人共通のものである。
 結局のところ、本に関することに思考が行き着くのは、やはり三人揃って活字好きであると言う証明をした様なものだった。



 ヴィーヴルは、出てきた時と同じく、水音に似た音をさせて、本の中へと沈んで行った。
 その後、後回しになっていた交換会をすることにした三人は、厳重に封印を施した先の絵本を仕舞い込み、再度テーブルへと腰を下ろしている。
 「私はこれ、『銀色の時』と『夏至の魔法』よ」
 シュラインがそう言って、持ってきていた本を見せた。
 どちらも、イギリスの童話集より選び抜いた短編集である。児童文学の黄金時代と呼ばれた時に、一流作家や画家の手に依って書かれた本だ。幻想的で、可愛らしい話を詰め込んだそれは、見る者の心をほっとさせる。
 「私はこれですね」
 そう言って汐耶が取り出した本は、『柳斎志異』だ。
 清の末に書かれた怪奇小説である。瞳の中に住む精霊の話や、花精の話など、どれもが不可思議に彩られていた。
 「私のお薦めはこちらですね」
 そう言って出したセレスティの手にある本を見て、二人の美貌が驚きに彩られる。
 「あら、何か意外」
 「本当ですねぇ」
 彼の手にあったのは『怪盗ゴダールの冒険』と言う本だ。
 ゴダールと呼ばれる怪盗紳士の、お洒落で痛快な推理物である。完璧な怪盗ゴダールには、敗北の二文字はないと言った調子で語られるそれは、読んでいて胸の好く話だった。
 どれもこれも、三人が持ち寄ったものは、純粋に話を楽しむものばかりだ。
 小難しい本など一冊もない。
 それは日頃、ハードな出来事と向き合っているからこそ、選択された書物なのかもしれなかった。
 勿論、専門用語や数字が並んでいる本を読みはするが、こうして気の置けない者達へと紹介するなら、やはり楽しい気分にさせてくれる様なものが良いと言う訳だろう。
 「それぞれが読了後にまた交換と言うので如何でしょう?」
 セレスティがそう提案する。
 ここで一気に読んでしまうのは勿体ない。互いの勧めた本を、それぞれがどんな気持ちで読んだのかを考えながらの読書と言うのも楽しいのだ。
 ただ中身を読み、知識として蓄えるだけが読書ではない。
 その本に籠められた思いや、勧めた人の思いなどを感じることも、また読書の醍醐味の一つでもあるだろう。
 そんなセレスティの気持ちが、やはり同じ本好きには解るのだ。
 「勿論それで構わないわ」
 「じゃあ、まずどれから借りるか、決めないとね」
 何処かうきうきした風に見える汐耶に、セレスティ、シュラインの二人は笑顔で頷いた。



 ちなみに最初の本の選択に迷った三人が解散したのは、可成り遅い時間であったことを追記しておく──。



Ende

PCシチュエーションノベル(グループ3) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年06月01日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.