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『夢日記のススメ 』
門屋・将紀2371)&門屋・将太郎(1522)

「おっちゃん、読まんといてや・・・・・・」
むにゃむにゃと、寝言が聞こえる。門屋将太郎は半開きになっていた扉の隙間から、甥っ子の様子を窺った。門屋将紀は、幸せそうな顔をして眠っている。枕元にはピンク色の豚の貯金箱「ふくざわさんDX」と日記帳。
日記といえば、今日の夕食どきにこんなことを言っていた。
「夢日記って、あるやん」
「ああ、その日見た夢を日記に書くんだろ?」
「今、ボクのクラスではやっとるんや。女子が面白そう言うて始めてな。けど、あんなんなにがおもろいかわからんわ。アホくさ」
「面白いじゃねえか」
「夢なんて、ええもんばかりとは限らんで。悪い夢見て、なんでそれをわざわざ日記に残さなあかんねん」
ただでさえボクの日記帳悪い夢ばかりや、と将紀はタクアンをおかずに白ご飯を一膳平らげる。一汁三菜を目標にした今夜の夕食はインスタントの味噌汁に漬物、ワカメのサラダ、冷奴。小学生の将紀が準備したのだから、これで精一杯だった。
 叔父の目から見てなんだが、将紀は悲観的な現実主義者だと思う。前に日記を読んだときもつくづく感じたのだが、悪いことばかり覚えている。
「そんなこと言わねえで、やってみろよ。一度、見たこと感じたことをありのままに書いてみるのもいいもんだぜ」
その日あったことを全て、事細かに書き出してみれば人生捨てたものじゃないと感じるはずだ。だが、二十四時間を書き記すことは難しいのでまず夢からやってみたらどうだと将太郎は勧めた。
「さて、どんな夢を見てるんだか」
さすがの臨床心理士も、人の夢の中までは覗けない。

 いきなり、ウサギのリンゴが目の前につきつけられた。甘い香りが鼻をくすぐる。
「ほら、将紀」
母の笑顔が広がる。前にもこんな顔を見たことがあると思った瞬間、これが夢なのだと将紀は理解した。父と母と三人で、家族だった最後の日に遊園地へ行ったときをそのままなぞる夢だった。
 母の膝に載ったバスケットの中、お弁当はもうあらかた空で、サンドイッチからこぼれたトマトと彩りのパセリが残っているだけ。デザートのリンゴも、将紀が最後の一切れを母からもらったところである。
「こっち向きや、将紀」
リンゴをかじりながら声のほうを向くと、父がビデオカメラを回していた。恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに将紀は笑う。
「将紀、今日はなんでも好きなもん乗せたるで、なんがええ?」
将紀の父はジェットコースターのような激しい乗り物が苦手だ。だから将紀も普段は遠慮して、大人しい乗り物を言うのだけれど、今日はせっかくだからと思い
「あれがええ」
と、この遊園地で一番人気のある派手なアトラクションを指さした。なんでも空気の力で地上数十メートルまで昇り、そこから一気に落下するというものらしい。
 高層ビルのようなアトラクションを見上げた父はあれかあ・・・・・・と青ざめたような表情に一瞬変わりかけたものの、
「男に二言はない。よっしゃ、一緒乗ろ」
と覚悟を決めてくれた。母はビデオカメラと二人の荷物を預かり、地上で待つことにした。母は将紀と同じで激しい乗り物も平気である、その気になれば父と交代してもよかったのだろうけれど、父のアトラクションを恐れる顔が面白かったので、敢えて言い出さなかったのだ。
「とびきりの被写体、期待してるわよ」
海外を飛び回るジャーナリストである母は、ときに一人でカメラマンをもこなす。胸に下げたカメラは望遠レンズのついたプロ仕様だったから、地上数十メートルまで昇った二人の顔もしっかり捉えることができた。
 後日郵便で送られてきたその写真、父の顔は周囲の誰よりもひきつっており、将紀と将太郎は腹が痛くなるまで笑い転げたものである。

その後も将紀は、父や母と代わるがわる様々なアトラクションに乗った。手首につけたフリーパスを見せると、係のお兄さんやお姉さんは楽しそうに笑って
「いってらっしゃい」
と送り出してくれる。ああ、今日だけはと将紀は信じた。
「今日だけはボク、世界でいっとう幸せな子や」
お父ちゃんもお母ちゃんも仲よう、嬉しそうに笑っとる。せやのになんで、明日さよならせなあかんのやろ。別れわかれにならな、あかんのやろ。
 遊園地の、浮き足立つような雰囲気の中で夢中になっていたはずなのに、突然湧き出したその問いは将紀を妙に悲しくさせた。だから将紀はこう言った。
「お父ちゃん、お母ちゃん、次ホラーハウス入ろ」
この遊園地のホラーハウスは大人でも気絶する人が出る、と評判の恐ろしさだった。その中でなら、たとえ泣いてしまっても仕方ないだろう。
 しかし将紀は泣かなかった。薄暗いホラーハウスに入ると、父と母が両方から将紀の手を握ってくれたからだった。自分が恐いのか、それとも将紀を守るつもりなのかはわからなかったけれど、将紀はその手の暖かさに父と母の、さらに自分から二人へ対する愛情をしみじみ感じた。
言葉ではうまく言えないけれど、愛しているのだ。それでも、言葉でうまく言えないから、さよならしてしまうのだ。
「ほんま、恐かったなあ」
「途中、天井から落ちてきたモンスターがすごかったわよね」
ホラーハウスから出た後、父と母は将紀の頭の上で感想を述べあっていた。こういうところの感覚はとてもよく似ている二人なのだ、将紀は二人の顔を見つめ、知らず微笑んでいた。
「将紀?」
自分の息子がふっと見せた大人びた表情に、母は少し驚いた顔をした。が、驚きを隠すかのように次はなにに乗りたいか聞いてきた。
「でもそろそろ帰る時間だから、最後にするのよ」
「じゃあボクあれがええ」
将紀が指さしたのは定番、巨大な観覧車だった。

「おっちゃん、遊園地好きか?」
将紀は将太郎に訊ねたことがある。まだ、二人暮しを始めて間もなかった頃だ。将太郎はそんなものしばらく行ってねえなあ、と中空を見上げていたが
「ああ、観覧車はいいよなあ」
と、言った。
「あれは下から見上げてるのもいいし、ぼんやり乗ってるのもいい。ゆらゆら揺れてると、なんだか気持ちよくなって眠くなってくる」
景色は最高だしなあ、とつけ加える将太郎の顔はなぜか、全然似てないはずなのに、将紀の母を思わせた。やはり姉弟だ。
「せやな」
将紀は静かに同意した。
 父と母と三人で青い色の観覧車に乗り込んだ後の記憶が将紀にはない。一日はしゃぎすぎて疲れてしまったのか、母の隣に座った途端すぐに眠り込んでしまったのだ。だから、将紀は観覧車の中で父と母がなにをしていたか知らなかったのだが、その日見た夢の中では二人の会話が頭の中に響いてきた。
「ええ思い出になったやろか」
優しい関西弁は、父の声だ。
「だといいんだけど」
標準語は母。
「俺ら、こいつに恨まれてもしゃあないやろなあ。こいつの話も聞かんと、別れるて決めてしもたんやから」
「それより、この子が辛い思いをしないといいんだけど」
そないなこと、絶対ありえへん。ボク、お父ちゃんもお母ちゃんも死ぬまで大好きや。辛いことなんか、全然あらへんのや。心の中で将紀は大きく叫んだけれど、夢の中なので聞こえはしない。
「なあ」
本当なら父はここで、離婚を思いなおすよう勧めるつもりだったのだろう。だが、遊園地で楽しい一日を過ごしはしたものの、母のことを憎からず思いつづけてはいるものの、一度生じた齟齬がたやすく修復するはずもないとわかっていたから、言葉を飲み込んだ。
「ええ景色やな」
「そうね」
「ほんま、ええ景色や」
「・・・・・・ほんま」
いつだって標準語だった母の、それが最初で最後の関西弁だった。それが父へ対する、そして将紀へ対する母の想いの全てだった。

 翌朝、目覚ましより一時間も早く目覚めた将紀の枕は涙で濡れていた。目をこすり、顔を上げるとカーテンの隙間からさしこむ光に「ふくざわさんDX」が光っていた。
「・・・・・・おはようさん」
丸いつやつやとしたその体を、将紀は抱きしめる。
 今朝の食事当番は将太郎だった。将紀が当番のときにはしっかり起きてくるのに自分の番はともすればわざと寝過ごそうとする将太郎をたたき起こし、朝食を作らせている隣で将紀はせっせと日記帳に夢の内容を書き込んでいた。
「なにしてんだ?」
「おっちゃんには関係あらへん」
つんとした反応が戻ってきたが、一心にペンを動かしているときの顔は喜びを隠しきれていない。ああ、いい夢を見たのだなと将太郎は思う。
「どんな夢見たんだ」
「内緒や」
幼くとも一人前の男を目指す将紀は、あくまで内容を隠しとおそうとする。秘密を持つことも、男の成長の一歩なのだ。
「ま、黙ってても俺にはお見通しだけどな」
「お見通しって・・・・・・あーっ、ボクが学校行っとる間盗み読みする気やな!」
「盗み読みたあ人聞きの悪い。臨床心理士の人間観察と言ってもらいてえな」
「あかん!絶対、あかん!」
恥ずかしいのではない。だが、この幸せな思いは誰か他の人に知られるとなぜか溶けて消えてしまう気がしたのだ。叔父であっても、これだけは触れてはいけない。
 だから将紀は
「おっちゃん、卵焦げとるで!」
「へ?と、やべえっ・・・・・・」
フライパンの目玉焼きへ将太郎の注意を逸らした隙に、ランドセルの中へ日記を放り込んだ。まだ冒頭しか書けていないから、続きは学校で書くつもりだった。

* * *

○月○日 (ええてんきやった)
よるに見たゆめ。
お父ちゃんとお母ちゃんと、ゆうえんちで楽しくあそんだゆめを見た。めちゃめちゃ、楽しかった。それに、ものすっごくうれしかった。
ゆめん中では、いろんなことがボクの好きなとおりになるって、おっちゃんは言うとった。ゆめはボクのがんぼうなんやて。せやけど、今日見たゆめは本当のことや。
お父ちゃんとこわいのりもんにのって、お母ちゃんはポップコーンくれて・・・・・・。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年05月30日

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