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『- hot milk - 』
劉・月璃4748


  あの瞬間の温かさを 今でも時折思い出す――…‥




 その日の雨は朝から曖昧に降り続いていた。いっそのこと大雨になればまだマシなものの、時折傘が必要か否かの判別に迷う小雨はその考えに反し、夜になった今も空から降り続く。
 こんな日は早く家に帰れば良いのに、気づけば途中見つけた桜の木に彼は足を止めていた。都会の片隅にただひっそりと、誰に見られているかも分からぬ場所で咲くその花達に目を奪われ。
「――桃紅……」
 思わず呟いた言葉、桃紅――タオホン。ピンク色の意を持つ言葉。
 特別それが目だって美しかったわけではない。ただ、雨の降り続く帰り道にこの光景を目にした事が、思わず立ち止まれずにはいられなかったのだと思う。今が晴れた昼ならば、こんな場所で立ち止まることも無かっただろう。
「忘れてしまったことが、いつの間にかまた増えたようで……」
 少し物思いに耽った後思わず声にした言葉が意味するのは、未だ彼の中にだけしまわれている過去に対しての事だった。思い返そうとすればその過去と言う時間は既に長すぎる年月が経っている。例え振り返り続けてもゆっくりと薄れゆく記憶。気づけば脳裏にはもう、所々が朧げな物しか残っていなかった。
 振り返れないほど遠い昔の記憶を持ち、今でこそ占い師の仕事をこなし社会に溶け込んではいるが、彼――劉月璃は人ならざる者である。勿論、生まれもっての存在というわけではない。そう、過去に強く願ったからこそ、その存在になった。
「…………願った、から」
 思わず浮かべた今という時間の苦笑い。
 曇り空の向こうに月は見えないが、目の前では薄紅の花が薄闇の中小さく揺れていて。
 鼓膜を震わす雨音が、ホンの少しだけ増してきた気がした――



   □□□



 時は三世紀程遡り、場所も東京でも日本でもなく東洋の一国。季節は同じ春で、その日も雨が降っていた。
 しとしとと降り注ぐは春時雨。行き交う人々は春だというのにその寒さに負け、暖かな場所へと足早に向かっていた。誰も気にすることなど無い。たった一匹でいる、子猫の存在など。
 捨て猫、だった。緑の瞳とセピアアグーティの毛を持ち、既に冷え切った体で鳴くことも半分諦め。ただ今は、行き交う人々の流れをそっと見つめていた。
 だがそれは一体いつ頃か。不意に立ち止まった足に子猫は頭を上げる。いつの間にか、一人の人間が物珍しそうに子猫を見つめていた。少しの間を置き、捨てられてしまったの? と問う女の声。しゃがみ込み子猫を見るのは二十歳前後の女性だった。
 彼女は鳴かぬ子猫に自分が差している傘を半分差し出す。多分これ以上濡れぬ様にとの事だったのだろう。そうしてようやく遮られた雨に、子猫は体を震わせその毛から水気を飛ばした。その水を受けた彼女は困ったよう、けれど少し嬉しそうに笑い。続けられた言葉は、自分の家に来るかどうかという問いかけだった。
 猫に人の言葉が通じるとは彼女自身思っていなかっただろう。思わず語りかけてしまう、そんな人間心理の一つでしかなかった筈。
 しかし優しく掛けられた言葉に甘えるよう、子猫は小さく鳴いてみせた。


 雨の降り続く外から移動した先は暖かな家の中。外との気温差というわけではなく、室内そのものに暖かな雰囲気がある。
 彼女の腕に抱かれていた子猫はその腕の中から下ろされると、今度は柔らかなタオルに包まれた。そして、少しだけ待っているようにと掛けられる声。やがてパタパタと小走りに走る音。一層、暖かさを増していく室内。
 彼女が戻ってきたのはそれから数分後のこと。彼女は手に持った何かを子猫の前にそっと差し出した。それはミルクの注がれた底の浅い皿。しかしミルクは微かに湯気を立て、見るからに温かかった。
 彼女は子猫に問う。寒かったでしょ? と。体を温めるのにはそれが最適だと思ったのだろう。猫舌、という言葉があることを知っているのかいないのか。勿論、ホットミルクを舐めた子猫がすぐさま皿から身を引いたのは言うまでも無い。
 おかげで子猫が彼女に対し最初に抱いたものは、明らかな苦手意識だったのだと思う――けれど。一日、また一日と。彼女の家に置かれるようになり、子猫の考えもゆっくりと変わっていく。彼女の優しさに気づき、やがて与えられた自分の名に喜びを感じ。

「――月璃」

 優しく呼ばれるその声に、子猫はそっと駆け寄った。今となっては妖猫としか言えないが、それが――その子猫の姿こそが今は劉月璃と名乗る彼本来の、元の姿だった。
 喜びは何時しか淡い想いへと変化する。猫という立場でありながら、彼女に対し抱き始める恋心……しかし伝えられぬ言葉。
 月璃は願った。
 夜は空に浮かぶ白く美しき月に。
 昼は赤に近いピンクの花を持つ花海棠に。
 春が終わり、その花が散った後は少し大きく伸びた花海棠の木に。
 切に、ただ一つを願う。

『人間になりたい……です』

 彼女言葉を伝えたいと強く思い、繰り返す願い。そうして妖となり、人間の姿を得るまでに掛かった時間はたったの半年。少し呆気無いものだとも思った。それに得たものと半面、失ったものも確かにあった。それでもその喜びを伝えたく、急いで彼女の元へと駆けて行く。子猫だったため、人間になった姿もまだ十歳前後程の子供。要するに猫の年齢を人間の年齢に変えた……それだけの事。
 その姿をもって人間になれたと彼女へ告げ――月璃の言葉と変化に、彼女も最初は疑い驚きを見せながら、喜んでくれた。そんな彼女に月璃は今まで伝えたくても伝えられなかった気持ちの一つを打ち明ける。

「拾ってくれて、優しくしてくれてどうもありがとうです」

 それからは一人と一匹ではなく、二人の生活。
 彼女は変わらぬ優しさで接してくれていた。毎日が楽しくて。月璃は日々、彼女への感謝と溢れるほどの想いを精一杯伝えていた。
 けれど、彼女の態度が表面上だと気づいたのは一体何時頃だったか。やがて月日が経つにつれ、彼女はあからさまに月璃を拒み始めた。理由を問えば彼女はその答えさえも頑なに拒む。
 年月が経つと、ますます彼女との距離は離れていった。感じ始める心の距離。
 辛くて……きっと幸せだった分、その倍以上も辛くて。
 これが最後の問いかけにしようと、心に決め彼女へ向けた質問。

「どうして……俺を拒むの、です? 俺、もしかしてなんかしたんですか?」
「――――――」

 そんな月璃の言葉に、何時かは告げられなかった理由はあっという間、言葉にされた。それは絶対的な差であり、最早離れてしまった彼女との距離を埋める術は無く。月璃は彼女の元から逃げるよう去った。
 急いで彼女の家を出るが、すぐに走り疲れ立ち止まる。もっと離れなければいけないのに……少し走っただけで、体力は既に皆無に近かった。
 ただ、何処をどう歩いてきたのか。気づけば月璃は元居た場所へと戻っていた。あの雨の日、彼女に拾われた場所へと。
「…………」
 言葉は出なかった。
 あの日と同じ場所、あの日と同じく降り注ぐ雨。服を濡らし、やがて額や頬を伝う水。そんな中で灰色の空を仰ぎ。やがて小さく苦笑した。
「――どうしよも…な……、…んか」
 ただ一言だけ、ようやく出てきた途切れ途切れの言葉。掴んだ髪の毛、抱えた自身。
 彼女が月璃を拒む理由など、彼には覆せないものだった。何もしていなかったからこそ拒まれたようなものでもあった。月璃の持つ金色の髪。彼女よりも明らかに早い成長。一年という時間の中で何年分も成長し、多いときには一年で五歳成長した気もした。その変化は目に見えて分かるものだ。気づけば彼女の年齢を追い越し、月璃の外見は既に二十代後半に達していた。つい最近まで十歳程だった面影は、すっかり薄れ……そんな違いがダメだったのだろう。
 彼自身、元から頭の隅では分かっていたはずだった。自分と彼女とは違う生き物であると言うことは。だからこそ願うことで同じ姿を手に入れたが、それだけでは彼女の傍に居ることは叶わなかった。
 淡い想いと同時、何時しか夢を見ていた。そう、それはまるで長かったような短かったような、夢のような出来事だった…‥



    □□□



 そっと、桜を見上げていた視線を下ろすと月璃は傘を軽く握り締める。思い返してみれば、案外まだ細部まで思い出せるものだと思った。雨の降り方だとか、桜に似た花海棠の姿だとか。その記憶も、多分いつかはゆっくりと薄れゆくが。その反面全く変わらないこともある。
「だって、……止まってしまったのは確かで」
 あの日――彼女に背を向けたあの日から、月璃の成長が止まってしまったのだけは変わらぬ確かな出来事だった。二十代後半の姿を保ったまま、過去のものは失うばかり。それでも時折こうして思い返しては、様々な思い出をまだ覚えておこうと思う。
「せめて、好きになったきっかけ、あの瞬間は絶対……一生覚えておかないと」
 呟き、笑みを浮かべ頷いた。


 雨は未だ止まず、夜は深まっていく。
 僅かな風に揺れる桜がその花弁を飛ばしていた。
 やがて宙を舞うそれは、そっと月璃が差す傘へと落ちる。雨のせいも有り、傘にピタリと張り付いたそれを月璃は裏側から見つめ。

「帰ったら……ホットミルクでも飲みましょうか」


 そっと呟き、桜の木に背を向け岐路に着く。
 一歩一歩、歩く辺りの景色は、やはりあの頃と似たもの。夜の空の下、降り続く雨と薄紅の花。けれどあの時とは既に場所も、流れている時間・時代も違う。何もかもが似ているだけ、なのだ。
 ただ、様々な変化が起ころうとも、あの時感じた多くの温かさ――月璃はそれをずっと、きっと忘れないだろう。
「劉月璃……この名がある限りは、ね」



 そっと目を伏せ気持ちをリセットした。
 そして――目を開けた今 頭の中に思い描くはコップ一杯のホットミルク…‥


PCシチュエーションノベル(シングル) -
李月蒼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月30日

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