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『leave a nest 』
倉梯・葵1882)&リラ・サファト(1879)

「最近、どこかおかしい所はないか」
倉梯葵は正面、向かい合って座るリラ・サファトに問いかけた。
 僅か伏せられていたライラック色の瞳が、葵へと移る視線の動きに明るく澄んで微笑む。
「おかしい……そういえば、この間うちの猫がね」
「……違う」
喜色満面で最近の面白おかしかった事、を報告しようとするリラに、葵ははぁ、と溜息を吐いて遮った。
「身体の具合はどうだ、と聞いているんだ」
きょとん、と目を瞬かせてリラは作業の手を止める……場所は台所、料理の間は調理台を兼任する食卓で、使用前、使用後の差も明確な芋の皮むきに没頭していた所、葵のTPOを見事に外した唐突な質問を、世間話の延長戦でリラが捉えたとて彼女だけの過ちとは言い難い。
「今日は往診日だと言っておいたろう」
訪問の目的が夕食の手伝いではない事を明示し……その割、既に葵は自分の割り当てを剥き終えて、手持ち無沙汰にナイフを玩んでいる。
 訪問と同時に、台所に招き入れられ雑談がてら芋の皮を剥く。まるで仲の良いご近所の主婦的な状況にうっかり流れてしまったが、(暇になったので)葵は本来の目的を思い出した。
 往診、とは言っても葵は医者ではない。
 軍人から化学者の道へ進むという些か型破りな経歴に、専門外ながらサイバノイドであるリラの身体に対して多少知識を持ち合わせているという程度である。
 魔法の生きるこの世界で、損なった器官を機械で補う彼女の身体を診れる者が居よう筈もなく、葵はリラの専属で医師の真似事をしているに過ぎない。
 もし、彼女が重篤な状態に陥っても、設備のあろう筈のない世界で葵が出来得る事はほんの僅かだ……本来なら死すべき怪我を無理から機械で繋ぎ止めた彼女の身体は完璧であるとは言い難く、些細な不調が如何な悪因と成り得るか知れない。
 半ば安堵の為だけの診察ながらその重要性は大きいが、リラ自身はそれを認識してかしまいか、あっさりとそれを優先順位の上位から落とした。
「うん……でも、もう少し後でいい?」
葵に促されてもリラは黒い小山になったままの芋に挑む手を休めない。
 ここでポイントとなるのは、それが馬鈴薯ではなく里芋である事。
 土まみれの皮は厚く、小さく、剥けばぬるぬるとして滑る上、灰汁で爪の中が黒くなる。大きさと剥きやすさから考えても、じゃがいもの方が手間がかからない事は確かである……小柄な身体を覆うように長いライラック色の髪を、邪魔にならないように一つに編んだ彼女の意気込みは明白で、葵はまた吐き出しそうになった息を呑み込む。
 明らかでありながらも、それでも葵は問わずに要られない。
「……なんでリラが夕食の支度をしてるんだ? あいつはどうしたんだ」
「だって、彼、今お仕事してるから……私にも食事の支度は出来るもの」
葵が言う所のあいつとは彼の現・親友であり、リラの言う所の彼とは彼女の現・恋人である同一人物を指す。
「この間レシピ教えて貰ったばっかりで……自分で作るのは初めてなんだけど、このお芋ね、鶏と一緒に甘辛く煮るとおいしいんだよ。里芋の煮っころがしっていうんだって。可愛い名前だよね」
手元に集中しながらのリラの言葉に、案の定、親友の好物かと付けたあたりが的中しているのに、己の勘の良さを要らぬ意味で痛感する。
 精緻な作業を必要とする為か、作業場に入ると時を忘れるどころか寝食すら危うくなる彼……現・保護者も兼ねるリラの恋人に元・保護者である葵は覚えた苛立ちに眉を顰めた。
 自分の元に居れば、このような作業をさせはしないのに。
 ほっそりと白い手を泥まみれにし、扱い辛さに手を滑らせそうになる危なっかしいリラの手付に、自分が代わってやり遂げてしまいたい衝動からナイフと芋とを取り上げそうになる。
 けれども、時刻は昼を少し回った所で……夕食の下拵えを始めるには些か早すぎる時間帯だが、正しく自分を認識したリラが掛かる時間を想定しているにあたり、葵はそのやる気を尊重して、己で己の手を押さえ込んでいる次第だ。
 本来ならその自立心の芽生えを喜ぶべきなのだろうが、葵の胸中にはもやもやとして形を得ない、不安と不満が綯い交ぜになった感情がどっかと居座り、その不快感が知らず眉間に深く皺を刻む。
 手出しの出来ない苛立ちと歯痒さ、そんな物と相俟って、親友へ向ける不満に転嫁する。
 もし、彼女とはぐれていなければ。自分ならこの上なく大切に扱うのに。
 親友にそのような意図が在ろう筈もないのに、自分が大切にしている存在を蔑ろにされているようで、葵は痛ましい思いでリラを見る。
 籠められた小鳥の方がまだ自由がある……彼女を見てそう思い、ただ生きる為だけなら何の憂いもないサナトリウムに一人だった彼女は連れ出したのは自分。
 この世界に流れ着くまでの一年以上、葵の後ろを卵から孵ったばかりの雛のように、ただ無心に信じてついて歩いていたあの頃のリラを思えば、簡単な家事すらも自分に出来るなどと考えもしなかっただろう。
 それが今、自分の足で立ちその先を見据えて自らの歩く道を選び取ろうとしている。
 もし、自分とはぐれていなければ。それは至らなかった境地。
「葵? どうかした?」
黙りこくった彼を案じるリラに生返事を返し、葵は腕を組んだ。
 葵の知らない所で、葵を忘れて恋までして。この上なく幸せそうな彼女を見ているのにそれを祝福出来ない、喜べない己がここまで狭量だったかと不本意な事この上ない。
 外へ出してやろうと、自由を与えてやろうと思っていたその筈が、いつしか庇う背越しにしか世界を見せないでいたのではないか……己自身が、新たな枷となってはいなかったろうか。
 そうと思えば、はぐれた折りに葵の存在を忘れてしまったにも理があるように思える。
 リラは、自ら選び取るという事が出来なかったのだ……その生も死も、自由も思考も。全てを手放して初めて、得た存在だからこそ。親友を選び取ったのか。
「リラ」
寸前まで押し黙っていた葵が名を呼ぶのに、リラが手を止めて顔を上げた。
「お前にとって、俺は何だったんだ?」
半ば八つ当たり的に放り投げた問いに、彼女の大きな瞳が瞬く……のを見て、葵はふと我に返った。
 其処で初めて、無意識に想いが声になっていたのを自覚する。
 正確にはそれを認識したのは「〜だ?」の位置であり、発した言葉は止めようにも誤魔化そうにも取り返しがつかない。
 己の不満を口に出すなど。顔から火の出る想いながらも意志と表情筋の力を総動員して動揺を表の出さないようにしている葵の努力を知らずして、リラは「う〜ん」と小さく唸って首を傾げた。
 頼むから聞かなかった事にしてくれ、と頭を下げる訳にも行かず、さりとてらしくなく混乱した思考で別の話題を振って話を逸らすなど不自然さのあまりに出来ようはずもなく、答えを待つような沈黙を保つしかない葵である。
「何だった、って聞かれると困るけど」
思考の片を求めてか、しばし中空を睨んでいたリラはぷに、と自らの頬に人差し指をあてて押した。
「お父さんより強くて、お母さんより優しくて、とっても大好きな人、かな。ずっと」
発せられた声にてらいはなく、選ぶ言葉に迷いはない。
 大切だと。
 無邪気に告げるリラに、葵は知らず肩の力を抜いた。
 要は、彼女が自分の存在を(一時的にとはいえ)忘れていた事実と……多分、自分が在りたかった位置に立つ親友とにただ腹を立てていただけなのか。
 こんがらがった思考が不意に解け、顕わになった不満の原因の子供っぽさに葵は苦笑する。
「ねぇ、葵にとって、私って何?」
興をそそられたのか、身を乗り出すようにして聞いてくるリラに、葵はいつもの調子を取り戻して軽く眉を上げた。
「そうだな……妹より手がかかって、弟より目が離せない存在かな」
「なぁにそれ、もう!」
想っていた答えと違ったのか、憤然とするリラに軽く笑い、葵はその前にあまり嵩を変えぬまま鎮座している里芋の山に手を伸ばした。
「手伝うから早く済ませろ……診察する時間がなくなるだろ?」
葵の指摘に、まだ何か文句を言おうとしていたリラだが、再び椅子に座ってナイフを手にする。
「……ありがとう」
不機嫌ながらも、助力の申し出を意地で断らずにちゃんと御礼を言う……リラの素直さを受けた葵は「どういたしまして」と嘯いて、里芋の山を崩して自分の方に引き寄せると、彼女と比べるべくもない速さでその皮を剥き始めた。
 まぁ、恋人の座なんかはひょんな事ですげ換わるモノであるし。
 多少意地の悪い思考で、葵は親友に対する悪感情を逸らす。
 とはいえ、リラに対する感情が恋に変わる事は決してないと断言出来る葵である……強いてこの感覚を当て嵌めるならば父性愛に近い。
 護り、慈しみ……誰よりも大切に、その幸せを見届けたい存在。
 具体的に自分がどうすればいいかの答えは出ていない……けれど、これから彼女との関係がどんな物に変化しようとも、それだけは変わらない真実の想いだ。
 故に。
――万が一にも、泣かしたら殺す。
 愛しさの裏返しな感情が、再会された雑談の合間に秘かな決意を呼んだ事を、その時作業場でくしゃみをしていた彼の親友は知らない……今後、知る機会を得ないよう、切に祈る次第である。
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聖獣界ソーン
2005年05月30日

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