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『おそらくは、月が。 』
威伏・神羅4790


 月がおそらく、彼らの命を奪ったのだろう。
爪月の夜に、人が死ぬ。うつし世の人々は、日本刀を持った殺人鬼が夜の東京の片隅を横行しているのだと囁きあった。殺人鬼の魔の手からからくも逃げのびた者もいて、彼らは示し合わせたかのようにこう口をそろえた。
「化物が出た」
 と。
 それでも、人々はそれを言葉通りには受けとめない。死の恐怖に駆られた目撃者から見れば、凶器を手にした殺人鬼の姿は、それこそ化物にもうつるだろう、と。
 べ・べ・べ・べん。
 しかしこの三味線の音色は、化物を化物ととらえるか。其は、化物の奏でる音色がゆえに。
「よかろう、その望み、この威伏神羅がしかと聞き入れた」
 ほっそりとした身体に、繊細な声だ。しかし女は三味線を手にして立ち上がった。
「月が満つるまでには終いとしよう」
「……お願い、いたします」

 そのやりとりは、3日前のものだった。


 爪月は太りはじめている。3日もかかってしまったか、と鬼女は夜空を仰いだ。狩りの――いや、代理復讐者としての依頼を受けてから、めざす獲物は2度取り逃している。神羅は常に、殺戮者に一歩遅れをとっていたのだ。
 ――或いは、彼奴が一歩先をゆくか。
 力のほどはおそらく、五分と五分。追いついてからでは遅い、と、神羅はすでに白刃を抜いていた。相手がヒトの殺戮者であったなら、向けないであろう気の刃だ。焦りはなかったが、忌々しさを感じてはいる。相手は、ともすれば自分を焦らしているのではないかとさえ、神羅は思いはじめていた。
 地を這うような笑い声が聞こえる。
 気配は西へ東へと揺らぐ。
 民家がぱらつく田舎の通りに、足音らしからぬ足音は、ひたひたとあちこちを動き回っていた。
(三日三晩、この儂を追う豪気の輩がおるかと思えば)
 呟き声は、風にのって神羅の耳に忍びこんできた。
(威伏の神羅。儂を妖と知って追うのか)
「いかにも!」
 神羅は口の端を歪めて、美しく微笑んだ。
 ごおう、と大気が震える。そして次の瞬間には凪いだ。凪がれた空が、鎧直垂を身につけた妖の姿を紡ぎ出す。それは音のように、どくりと辺りを震わせながら、十字路の中央に降り立った。金の眼に白い髪と顎鬚の、その妖の顔は、猿だった。
「よもやその時世、斯様な地にて、おぬしとまみえるとはな。威伏の神羅よ」
「私はきさまを知らぬ。何故我が名を呼ぶか」
「儂はおぬしを――いや、愚かな子鬼の話を知っておるのよ」
 妖猿は妖刀と思しき刀をぞろりと鞘から抜き放ち、恍惚とした眼で、血色に輝く刃をあらためた。一見隙だらけであるようだが、殺気は槍ぶすまとなって妖を囲んでいる。
 神羅は白刃を下げ、妖猿を睨んでいた。彼の話は、出来れば、さえぎりたかったのだが。

「人間の殺意と欲望が渦を巻いていた時世に、かの鬼子は人里に降りたのだ。角を隠し、爪を隠し、牙を隠せば、かの一族はヒトとたがわぬ一見を持つ。一族はその風貌をもってヒトを欺き、人里に降りてはヒトに交わり、ヒトを喰らって生きていた」

「だがその鬼子は、まだヒトと触れ合うには早すぎたのだ」


 ――だって……だって、にんげんのくせに、かぐらをばかにしたんだもの。
 血と断末魔が、武器を携えた人間の男どもを喚び、神仏から力を授かった術師たちを喚びよせた。鬼子は隠していたその力を現し、里の子らを叩き殺したのである。それも、里の真ん中で。
(鬼の子だ)
(子だということは親がある)
(山から降りてきたのだろう)
(こやつは殺さず、囮に使おう)
「そして、さなたは生き続けよ。こたびの過ちを魂に刻み、『悟る』まで、苦痛と悲痛を抱け。此れをもって、此度の殺生の償いとせよ」
 慈悲深い仏のことばが、術師の口を借りて降ってきた。鬼の子の両手足に、血色の封印があらわれ――小さな鬼は、絶叫した。その血と断末魔が、山にすむ父と母を喚びよせたのである。


「そのあとをも語るか、神羅よ」
 ひょっ、と刀を下ろして、妖猿は笑った。対する神羅は顔をしかめ、無言で妖猿を睨みつけている。
 胸が痛む。胸に施された封印などないはずなのに、血色のなにかがぐさりぐさりと胸を突く。首筋にあてがわれていた、刃のつめたさを思い出す。
「思い出すまでもないようだな」
 猿のことばが、神羅の記憶に割りこんだ。
「おぬしの魂に、あの血と断末魔は刻まれているのだろう」
 厳しかったが神羅を愛してくれた両親は、彼女の目の前で、なにも出来ずにただ殺されたのだ。愛していたから、爪も炎も振るえなかった。身動きの取れない神羅の首のそばで、刀が身構えていたのだ。
「鬼にも愛はあるというに」
 人間たちは、両親を、どう殺していったか。
 神羅はそれをずっと見ていたのだ。
「ヒトが憎かろう」
「……」
「憎くはないのか」
 妖猿は、神羅の背後に、ゆっくりと回りこんでいた。回りこみながら、彼は囁き続ける。
「ヒトが我らを恐れるごとに、我らの力は増してゆく。もとよりヒトを凌駕せし我らは、何ゆえ、ヒトが山を切り崩し、はらからを殺すさまを見過ごさねばならぬ? いわれはない。我らの腰が及んでおるのみよ。
――神羅、おぬしは何ゆえ、其の白刃をヒトには向けぬ? 憎きヒトを滅ぼし、仇を討ち、天地とともに生きようとは思わぬのか。儂とともに、駆逐の刃を振るわぬか」
 神羅は、振り向かなかった。妖猿は背後。得物の妖刀二尺五寸の刃が、神羅の脳天を叩き割るに、充分な間合いを保っている。
「……きさまは、如何ほど生きたのだ」
 答えでも悪態でもない神羅のことばに、妖猿は目をすがめた。
「――830年」
「それほど歳を重ねても、まだ気づいておらぬのか」
「なに?」
「憎しみは、憎しみを呼ぶのみだ。確かに私は、父と母を殺し、我が力を封じたひとを憎んだ。……しかし、すべてのヒトが、私の父と母を殺したわけではない」
 神羅は白刃を握る手に力を込めて、眉を寄せ、目を閉じた。もとより妖は己の背後、目にはうつらぬ。目には入らなくとも、その禍々しい気配は感じ取れる。
「猿。人の世も存外わるくはないぞ。魅せられ、居ついた鬼も、少なくはないのだ」
「ほざけ! ヒトにほだされおった恥知らずめが。父母の魂も、草葉の陰で嘆いておろう」
「きさまにそれがわかるというのか。ヒトのみならず我らもまた、愚かな存在であるということすら――わかってはいないというきさまに!」

 ぞ・ン!

 抑えられていた殺気はそこで交錯した。神羅の白刃が一閃を描き、妖の凶刃が振り下ろされた。

「……きさまは、神や仏にでもなったつもりか。我らが手を下すことはない。ヒトが始めたヒトの世は、ヒトが幕を下ろすだろう。――我らが、罪を重ねることはない」
 しゅん、と神羅の白刃が彼女の手から消え失せる。
(よもや)
 妖の“声”が、なおも神羅の心に入りこんできた。
(この生涯、はらからに絶たれるさだめにあったとは)
「ちがう」
 神羅は半ば、吐き捨てる。
「きさまを殺したのは、憎しみに他ならぬ」
 どさり、と神羅の背後で斃れた妖の屍は、ふたつに分かれていた。


 南にいけば、更地が広がる。北西に行けば、東京都心。更地はいずれ、サッカーグラウンドになるのだという。
 月はのぼっていた。空は、藍から空色へ戻ろうとしている。スズメが鳴いている。東京の街灯はまだ消えようとはしていない。――またしてもあの街は、徹夜で過ごした。神羅もこの夜は、眠らなかった。
「……」
 憎しみをたぎらせていた依頼人に、達成報告を入れるのはいつにしようか。月はまだ満ちてはいないのだから、今すぐ慌てて報せる必要もない。
 そして今日で、凶行は止む。
「……」
 三味線を弾きたい気分だったが、神羅の手は血で汚れていた。彼女は鼻で小さくため息をつくと、仏頂面で――北西へと向かっていった。
 朝日は、ずっとあとからついてきた。




<了>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月27日

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