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『僕の女神たち。 』
相生・葵1072


 彼は僕の美貌がうらやましかったんだろうか、と今でも理由を探している。もう名前も顔もはっきりとは覚えていないんだけど、中学のクラスメートだった彼の、僕にしてきた仕打ちは、忘れようとしても忘れられない。
 ああ、記憶も水のようなものならいいのに。
 僕が抱く記憶のイメージは、壊そうとしても壊せない固体そのもの。理由が見つからない彼の嫌がらせは、僕の脳の入口で積み重なっている。
 彼は、僕を“弟殺し”だと罵ったんだ。弟が死んだことも……僕にとっては、ひんやりつめたくて、重い重い、かたまりの記憶。
 今考えてみれば、弟が死んでしまったのは交通事故が原因なんだ。僕が車道につきとばしたわけでもないし、……この力を向けたわけでもない。何も知らない彼がテキトーに罵っただけだ。……僕は、弟を殺してない。
 ただ僕が……もっとしっかりしていれば……もっと大きかったら、弟は死なずにすんだのかもしれない、けどさ。

 中学の頃の思い出といえば、彼に関することと、あの事件につきた。僕は忘れられないあの彼を、たしかに殺しかけたんだ。
 事件が起きるまで(僕が事件を起こすまで)、水はともだちなんだと思ってた。きらきらまぶしく笑う、優しい癒しの存在なんだって。けれど――僕は、カン違いをしてた。水は僕の遊びには付き合ってくれるけど、馴れ合えるともだちなんかじゃない。水は僕の……下僕なんだ。僕が殺意をもって彼を睨みつけたとき、水は僕と、僕の殺意に従った。

“相生葵さま。我らは震え、煮えたちましょう。それを他ならぬ貴方がお望みであれば”

 あの、いまいましい彼の中にある水だっていうのに――彼の血は、彼ではなく、僕に従った。冴えた目と声で、僕のまえにひざまずき、僕のつま先にキスをした。
 水を使えば、人を殺せる。
 あのときの彼の目を見て、僕はそれに気がついた。あの目には、恐怖があった――それを見ていた僕も、きっと、おんなじ目をしていたと思う。きっとそうだ。僕は人に死なれて、嬉しい気持ちになんかなれないたちだから。死ぬ人間が、どんなにイヤなやつだったとしても。
 死っていうのは……とても寂しいことだもの。

 “相生葵さま。我らは貴方の下僕。貴方が消えよとお望みであれば、たちどころに姿を消しましょう。空へのぼって雲になり、貴方が出でよとお望みになるそのときまで、いつまでも待ち続けましょう”

 水を動かしたり、色を変えたり、温めたり冷やしたり、……そのくらいしか出来ないと思ってた、幼い僕。あの事件が、そんな僕に、恐ろしいことを教えてくれたんだ。僕が水を意のままに出来るということは、身体の6割が水で出来てる人間も、何とか出来るってことなんだ、って。
 事件のあとはよく独りになって、女の子たちとも話さないで、川辺に行ってた。そこでよく、水と遊んでいたよ。
 はねる水しぶきも、さらさら流れている最中の水でさえ、僕が望めば蒸発して姿を消した。目には見えなくなった水を、僕は目で追って――空を見ていた。
 病院に担ぎこまれた彼には外傷がなかったから、学校側は、僕との言い争いに興奮しすぎた彼が、心臓発作か何かを起こしたんだろう、と無理矢理科学的にコトを治めた。僕は殺人未遂を犯したことも、殺意を抱いていたことすら気づかれずに、無罪放免。
 僕は簡単に、科学的な証拠も残さず、人を殺せる――
 彼は何をどうされたのかもわからないまま死ぬところだった。あんな人間でも、自分が死ぬときに、覚悟したり……思い出を振り返ったりする権利はあるはずさ。僕はそれを、奪おうとしたんだ。

 もし、あのまま彼が死んでいたら。

 人が人殺しを『モンスター』って呼ぶことがあるのは、“人を殺せる”っていうのが、ひとつの超能力だからだ。みんながみんな、人間を殺せるわけじゃない。猟奇殺人鬼の染色体は、普通の人のとちょっとちがってたって話を聞いたことがある。
 人を殺せる人は……人間じゃ、ないんだ。

 そう考えた僕は、思わず一歩川から離れていた。どうしようもなく澄んでた川の水面に、化物の顔がうつっていたから。

 水は優しくて、かわいくて、きらきらまぶしいものだと思っていたのに……僕がそれまで水に見ていたヴィーナスやダイアナは、側面でしかなかった。彼女たちをヴィーナスにするかカーリーにするか、すべては僕の気持ち次第なんだ……。
 彼女たちに、人殺しをさせるわけにはいかない。僕も水も、化物になっちゃいけない。


 水を女性に見立てたら、心に決めるのも、納得するのも簡単だった。
 ああ、だから、僕にとって女性は大切なもの。特別な存在。女性にはいつも、きらきら笑っていてもらわなくちゃ。


「相生くん!」
 川辺に立って考えこむ僕にそのとき声をかけてきたのも、同じクラスの女の子だった。
「相生くん、6時間目……数学、小テストだよ。学校に戻ろうよ……」
 彼女は、よろよろしながら土手を降りてきた。そうだった。屋上で朝に大騒ぎになって、結局昼まで騒ぎは続いて、無罪放免になった僕は、昼休みに学校を抜け出したんだった。この日のことは、こんなにはっきりと覚えてる。
 よろよろしながら降りてくる彼女は、僕をわざわざ呼びに来てくれたんだ。僕がこの川辺をよく歩くことを、知っていたんだ。僕は急いで彼女に近づいて、彼女を支えようとした。
「ああ……あたしは平気。ねえ、行こう。大変だったのは……わかるけど」
 彼女は、来たばかりだったみたいだ。でもそのとき僕は、彼女が止まる水や消える水を見やしなかったかなんて、気にもしてなかった。
「いいんだ。もう」
「ほんとに?」
「うん。心配してくれたの? ありがとう」
 僕は彼女の手を取って――彼女はずいぶんビックリしたみたいだった。顔を真っ赤にして、熱まで出して。
「そ、相生くん……」
「いいよ、学校なんて。小テストだってろくな点数取れないだろうし。……街に行こ。いい喫茶店知ってるんだ」
「で、でも! でも相生くん、D組の委員長とつきあっ――」
「きみにお礼したいんだ。こんなとこまで探しに来てくれたお礼」
 僕が笑えば、彼女は目をそらして黙りこんだ。でも、拒絶してるわけじゃない。それがわかっていたから、僕は少しだけ強く手を引いた。

 彼女たちが気づかせてくれたんだもの。
 僕に暗い境遇と過ちは似合わないし、彼女たちにも似合わない。僕は水と一緒に生きるんだ。優しくて、まぶしい彼女たちと。

 けれど次の日僕は、付き合っていたD組の委員長から平手打ちをもらった。あのときの彼女は、カーリーだった。僕が彼を傷つけ、殺そうとしたときの水と似てた。


「ちょっと! どういうこと! 誰この女?!」
「ああ、怒んないでよ……僕、この子と一緒に映画観に行ってただけだよ」
「じゃあなんで腕なんか組んでイチャイチャしてんの?! サイテー! あんたサイテーよ!」
 そうしていまの僕は、今日も平手打ちをもらう。
 腕を組んでた子も離れてく。さよなら、って言って。
 ああ、何で? 僕は彼女たちに笑っていてもらいたいから、ずっと一緒にいて、一緒に笑っているのに。彼女たちとひとつなら、僕は優しい人間のままでいられる。僕が人間であるために、僕は人間として当然のことをやっているだけなんだけど……。
 ほっぺた、痛い。
 これで189発目。
 あー、困っちゃうな。僕は記憶力までいいらしい。
 重い重い固体の思い出が、どんどん僕の脳の中に積み重なっていく。
 ああ、記憶も水のようなものならいいのに。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月27日

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