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『『世界でいちばん楽しい場所』 』
城田・とも子5308)&城田・京一(2585)


< 1 >

 軽薄な電子音が白い壁を伝い、フローリングを這ってキッチンまで辿り着く。
 夕食の下ごしらえをしていたとも子(ともこ)は、夫からの電話か勧誘か計りかね、小麦粉だらけの手をタオルで不承不承拭き取り、リビングの受話器を掴んだ。
「はい、城田(しろた)でございます。・・・ああ、あなた」
 勧誘で無くて安堵するものの、この時間に夫が電話をしてくるというのは、夕飯のキャンセルに他ならない。受話器を握る自分の手のニンニク臭さに、とも子は顔をしかめる。
「え?クラス会?」
『いや、単に大学の同期数人と飲みに行くだけだよ』
「わかったわ。お夕食はいらないのね?
 ううん、大丈夫、まだ何も準備していないから。
 あまり呑みすぎないでね。ええ、先に寝ているわ」
 プラスチックの電話機は、切れる音までも軽い。

 結婚して長いとは言えないが、夫の京一(きょういち)が学生時代の友人の話をしていたのなど、聞いたことも無い。相手もみな医者なはずだが、激務であるし、仕事中に連絡が来て複数人がその夜すぐに飲み会に集まれるのは不自然だ。
 千人の妻は、夫の一万の嘘を瞬時に看破し、何事も無かったように受け流す。コーヒーの香る穏やかな朝食の風景を保つ為に。
 とも子は淡々と手を洗い、鶏肉をラップに包んで明日へと回した。自分だけなら有り合わせの物で十分だ。否、とも子は既に決めていた。今から外出するので、自分も家で夕食は取らない。
 浮気や、風俗での遊びを疑っているわけではない。夫がとも子に隠しているのは、もっと楽しいコトなのだと思う。少なくても、手を唐揚粉まみれにして肉を捏ね、掃除機のコードの短さに舌打ちする、平和で退屈な主婦業に比べたら。
 夫は、夜勤明けでも無いのにひどく遅く帰宅する時がある。洗濯機に突っ込まれたワイシャツから、微かな硝煙が感じられる。とも子で無いとわからないぐらい、微かに。
 生き方に染みついた火薬の匂いは、消える事は無い。たぶん、お互いに。

 光沢のある白のロングコートが、街灯の下、ぼんやりと浮かぶ。コートの女は、総合病院の裏門を出る整形外科医の歩みを追った。
 月も無い夜、ハイヒールの音と心音が猜疑と好奇心のフーガを奏でた。何度も腕を回したはずの見慣れた背中が、会った事も無い男のものに見えて来る。今朝、あの背広にブラシをかけた時の、布地の目の毛羽立ちまで覚えているというのに。

 夫はメトロの駅に潜り、金属の箱で通勤客に揉まれる。とも子は、わざと一歩遅らせ、隣の車両に乗り込んだ。連結部の二重のガラス越し、そう長身で無い夫の、吊り革を握る手の甲が見えた。幾つ目かの駅で、人の洪水に押し出される夫を目の端に感じながら、とも子は同じホームに降りる。
 男の背中は改札を抜け、妻の知らぬ街へと溶けて行く。とも子の目は獲物を追う鋭さでそれを捉えた。夫の秘密を探る新妻の後ろめたさは、肌に慣れた尾行という行為に飲み込まれる。
 夫は、迷いの無い足取りで、ゴミのにおいと外国語の会話が充満する通りへと踏み込んだ。距離を測りながら、とも子の頭は冴え渡り、体はいい具合に火照った。コートの袖口、ワルサーP99が触れる。人差し指がきりりと冷える。指が懐かしいトリガーの感触を待っている。
 夫は、繁華街に近い雑居ビルの前で立ち止まり、そして、非常時に真っ先に崩れそうな『非常口』の照明の先へ消えた。


< 2 >

 小一時間は張り込みを覚悟していたとも子は、10分ほどで夫が出て来たのに慌てた。室内で羽織ったのか、紺のロングコートをまとっていた。両袖の布の伸び方に覚えがある。そう大振りで無い銃――かつて夫が愛用していたと言うH&K・USP?――を忍ばせているのだろう。
 そのまま後を追うか一瞬迷ったが、とも子は雑居ビルへと足を向けた。
『草間興信所』。
 看板の名前を噛みしめる。
 これが、夫のお楽しみの相手のようだ。

「いつも城田がお世話になっております」
 品のいい奥さま然とした美女に深々と礼をされ、草間武彦も急いで煙草をもみ消し、「こちらこそ」とおじぎを返した。
『すまんな。ちょっとオマケが付いて来ちまった。もし何か聞かれたら、本当の事を教えて構わん。妻もわたし同様、筋金入りだ、心配はいらんよ』
 筋金入りと言うか、拳銃入りと言うか。探偵は、京一の言葉を反芻しながら、目敏く女の袖口のワルサーを見とがめた。あの亭主にしてこの女房有り。
「それで・・・城田はどちらへ向かいましたでしょうか?」
 にっこりと微笑みながら、微妙に銃口をこちらに向けている。
「撃たないでくださいよ、ちゃんと教えますから」

 とも子は再び街へ飛び出し、タクシーを捕まえた。草間から聞いた、都内の遊園地の名前を告げる。

『城田先生には、時々、うちで手の回らない調査を手伝って貰っているんです』
 事務所のソファに浅く座った所長の草間は、30になっているかどうかという若い男で、髪を掻き上げたり、眼鏡を外して拭いてみたり、落ち着かない様子だった。『あ、どうぞ、お茶』と、唐突に、テーブルに置かれた安そうな緑茶を勧めたりした。
 その遊園地にある『シルバー・ディメンジョン』というアトラクションは、最近オープンしたばかりだが、僅か数日で閉鎖された。プログラム上のバグが見つかり、急遽修正中とのことだ。ニュースでも取り上げられたので、とも子の記憶にも新しい。夫はそこへ向かったとのことだった。
『整備士でもプログラマーでも無い城田が、何故?』
『ええと、それは・・・』
 ついに耐えられず、草間は煙草に手を伸ばす。
『ただの技師が赴くには、ほんの少しだけ、危険な場所かなあ、という所だからです』
 
 ほんの少しだけ危険な場所。
 とも子はタクシーから降りる。その遊園地のゲートには、一文字ずつ色の違う丸い文字で『世界でいちばん楽しい場所』と描かれていた。
 4時に入場終了、5時半クローズの楽園の門は、今は共産圏の国境の柵のように高く険しく聳え立っている。近所の飲食店もそろそろ閉店し、人通りが絶える時刻。発券所はシャッターを堅く閉じ、受付も事務所も眠りに付く。
 裏通りに面した場所まで移動し、塀に耳を張り付ける。そして塀の高さを見上げた。夫はもう侵入しているのだろうか。羽虫の電動音を感じない。セキュリティが切られているようだ。
 とも子は、街路樹に登り、そこから一気に塀の中へと飛び込んだ。警報は鳴らなかった。
 闇にうねる竜は、ジェットコースターの高架。メリーゴーランドの木馬が、じろりとこちらを睨む。とも子は問題のシルバー・ディメンジョンへと急いだ。
 ミラーボールのように外壁を鏡で埋めつくされた建物は、学校の体育館程度の大きさだ。チェーンの切れた『調整中/関係者以外出入り禁止』の札が、虚しくコンクリートの上に横たわる。扉の鍵は、銃で破壊されていた。
 雑誌に紹介された記事はうろ覚えだった。『次世代ミラー・ハウス』『鏡とホログラムのコラボレーション』『10秒前のあなたと迷路を散歩』・・・。
 扉の中から銃声が聞こえた。
「京一さん?」
 とも子は本能のままにワルサーP99を握り、扉に背を付ける。トリガーに指をかけると、ハンマーが嬉しそうに目を覚ました。
 

< 3 >

 四方八方から銀の壁がとも子を出迎えた。トランプを裏にしてテーブルに並べた時のように、白いコートの自分が幾重にも整列して見えた。エースからキングまで。ハートもスペードも。全てのカードを狩り出しても足りないような人数が並んでいる。鏡の迷宮。照明の落ちた室内で、緑色の非常灯がとも子を病人のような顔色に染めた。
 ワルサーごと右手を挙げる。池に石でも落としたような波紋が、通路左右の鏡に広がった。左の壁は永遠に片手を挙げ続け、右の壁もそれに倣う。銃を握る手首の内側と手の甲が交互に映り込んでいた。
 背を右の鏡に擦りつけながら、急ぐ。銃声は左前遠くから聞こえるが、迷路はそこへの直進を許さない。仕切りには、鏡だけでなく、透明度の高い一枚硝子も使用されていた。白いコートの像は、反射し、反転し、歪み、屈折し、光り・・・混沌と迷妄へと引きずり込もうとする。
 と、目の前が開け、ブラック迷彩を着た女が銃を向けた。驚愕して指が止まった。コードネーム<アニマ>。傭兵時代の自分の姿だった。なぜ?
 そして、硝子の割れる派手な音と共に、過去の自分は砕け散った。リニウムの床に散らばるのは、ただの鏡の破片。アニマの姿は一瞬で霧散した。消滅した鏡の向こう側に立っていたのは、紺のコートをはためかせたよく知った男だ。両手にUSPを握りしめ、両方の銃口から硝煙を立ち昇らせていた。
『撃ったのね、あなた、アニマ(私)を』
「大丈夫だったかい?・・・新手が登場したと思ったら、あれは昔のきみか」
 夫の声はいつも通り優しい。いや、銃撃戦で微かに頬が紅潮し、ブルーの瞳が恍惚に潤んでいるようだ。コートの裾に丸く焦げた穴が一つ残っていた。弾が貫通したのだろう。
「草間さんから伺ってここへ来たの。迷惑だった?」
「いや、戦力は歓迎だ。特にきみのような有能なガンナーなら尚更」
 話す途中にも、正面の鏡に迷彩服の青年がぼんやり映し出され、次第にはっきりと像を結び、銃口を向ける。夫は即座にUSPを放つ。9mmルガー弾の薬莢が舞い、鏡が割れて青年も消えた。
「こっちは、若い頃のわたしだ。
 鏡の位置のせいで別の次元に繋がって、何かが起こっている。機械の故障でもプログラムミスでも無いようだが、霊能力の無いわたしには、何も感じることはできん。
 わたしは『自分』を何人殺したことか」
「あら。若い頃の京一さんなら、もう少しじっくり見てみたかったわ」
 そう言いながらも、とも子は右側の鏡に映し出されつつある黒い迷彩の男へと容赦なくトリガーを引いた。華やかな音と共に硝子が砕け散る。肘に伝わる振動が懐かしくて、唇が笑みの形に変わるのを止める事ができない。砕け散った夫の破片は、彼がとも子を家に閉じ込めて自分だけ楽しんでいた事への溜飲を、少しだけ下げた。
 本来は、入場者の外見をモデリングして、ホログラムで鏡の壁に映し込む。ただの鏡の館より複雑な効果を楽しむ、という主旨のアトラクションだったそうだ。
『アレ』は、鏡より現れ、来場者の時間軸のずれた姿を模して攻撃してくるという。
 正面の鏡で黒い影が像を結び、過去の自分が夫の背に銃口を向けた。ゴーグルで瞳は見えないが、唇は笑っている。楽しそうだ。
 現在のとも子は、そのシーンを一瞬だけ味わい、そして人差し指を引いた。今度はアニマが霧のように飛び散り、鏡も砕け落ちる。

「今回の依頼は、調査だけじゃ無いんだ」
「なに?」
 質問して欲しそうだったので、聞いてあげた。
「トラブルの根絶。だからここを爆破する」
 夫は、嬉しそうにコートの内側に触れた。だいぶ火薬爆薬のたぐいを持参しているようだ。
「楽しい施設なのに、壊しちゃうのね。残念だわ」
 もっとここで遊んでいたい気がした。
「そう思うのは、わたしらみたいな夫婦だけだよ」

 発破をしかける夫を置いて、とも子は先にアトラクションを出た。扉に辿り着くまでに、3回自分の過去を撃った。
 入ったのと同じ塀の辺りに昇り、外へ出る。遊園地の門で待っていると、裏通りから夫が小走りにやって来た。
「シルバー・ディメンジョンが崩壊する以外は被害が無いように調整したが。あと40秒。見とがめられると面倒だ、早く離れよう」
 二人は腕を組んで、足早に地下鉄の駅へと向かった。
「ごめんなさい、あなた。跡を付けたりして」
「いや、わたしも隠していて悪かったよ。
 鏡の設置位置が魔を導いたのは、偶然とは考えられん。設計データと、それを計画した者の抹消も必要だろう。依頼は『トラブルの根絶』なのだから。
 夜勤のローテーションが終わったら、一緒に行こう」
 まるで、温泉旅行にでも誘っているような口ぶりだった。
「すてきね。楽しみだわ」
 とも子も、夫の肩に頭を寄せた。

 背後では、爆音と共に建物が崩れ落ちる。滝の水が流れるようにきらめきながら、鏡の壁が地へ吸い込まれて行く。銀の破片が闇に舞い、夜に踊った。砕けた魔の切れ端達が、スノウドームの銀粉のように、暗い空を泳ぐ。
 とも子はちらりと後ろを振り返った。自分の過去のカケラも、あの中に混じって光っているのかしら、と。


< END >

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月24日

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