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『モンタージュ 』
村雨・花梨1868


「この男を殺してほしいの」
 この女性がどこでどのような手段を使い、人材派遣会社『黒百合会』の本当の顔を知ったのか。――彼女らは、時折それを気にかけることもあった。報酬も法外だし(いや、もとより殺人依頼という時点で法外だろうが)、しかもその金さえもらえば誰でも殺すと言うわけでもない。『黒百合会』の女郎蜘蛛たちが手にかけるのは、彼女たちさえもが殺意を抱くような、人間のクズに限られていた。
「この男を殺してほしいの」
 オウムのように、女は繰り返す。その形相は、幽鬼か――或いは般若か。
「結婚10年目で……やっと生まれた娘だったのよ。それを、この、人でなしが……!」


 低いみどりの柵に囲まれた庭の中は、きゃいきゃいという甲高い歓声に満ちていた。そこにいる大人はほんの数名だけで――子供たちはまるで子犬のように、気ままに遊びまわっているのである。
「かりんせんせ! おれ、つぎおにやるんだー。てつだってよう」
「あー! せんせといっしょにおになんて、ずるいぞ!」
「いたーい! ……あーん!」
「ばーか!」
「あらら、髪の毛なんて引っ張っちゃ痛いでしょう。先生、仲良く遊ぶのが好きですよ」
 声を荒げることもなく、“かりんせんせ”は子供たちのケンカを諌めて、遊びの話の中に入った。
 ここでは、彼女は“かりんせんせ”。同僚からも子供たちからも毎日そう呼ばれているから、自分が村雨花梨というフルネームであることを忘れてしまいそうだと、彼女は笑った。もうひとつの名前も、ひょっとすると、忘れてしまえるのではないか、とも。
 けれども花梨は、そのあまい危惧と夢が、儚く消えていくことに気がついた。
 彼女は保育園の柵の外から突き出された、槍を見たのである。

 その視線は殺意と悪意に満ちていた。およそひとのものとは思えない禍々しさに、花梨は思わず息をつめる。子供たちと鬼ごっこをしながら、花梨はその視線をたどっていった。
 ちらり、と視界をかすめたのは、若い男だ。一見ふつうの、どこにでもいそうな男だった。しかし間違いなく、恐ろしい視線はその男が放っていたのである。
 そしてさらに、花梨がぞくりと身体を強張らせる理由があった。
(男の顔を見たことがあったのだ。)
 今朝、残虐な事件をまとめ、保護者に警戒を促すニュースを見たからだ。


『園芸部長』
『はい?』
『依頼を受けたわ』
『まあ、久し振りですね』
『依頼人の彼女……もう完全にイッちゃってたんだもの。恨みを晴らしてあげるのよ。これが、標的の「人でなし」。身元はいまから調べるわ』
『……』


 ここ3ヶ月で、名乗らぬシリアル・キラーの手にかかり、都内の罪なき子供が4人も命を失っているのだ。シリアル・キラーが持つ定石通り、4つの事件にはいくつもの共通点があり――犯行手口の残虐さは、エスカレートしてきている。
 被害者はきまって女子小学生で、どうやら登校中のところを誘拐されているらしいのだ。都内の小学校は軒並み集団登下校を義務づけた。保護者や学校の警戒が厳しくなってから、ここしばらくは平和だ。ものものしい平和が続いている。


 ――こんなに、いいお天気なのに。
 花梨は子供たちを見守りながら、庭のすみのタイヤに腰かけ、気配を探っていた。男は、花梨のように5月のみどりに溶けこみながら、20分近くも保育園の周囲を徘徊していたようだった。
 ――こんなに、平和なのに……。
 花梨は、殺人鬼というものがどういった気配を持ち、どんな目をして、どんな行動をとるか――知っていた。忘れてしまいたいほど知っている。
 ――間違いない。あいつが犯人。この近くにいたのね。……いいでしょう。私は久し振りに、<風使い>になりましょう……。


 人でなし。


 犯人は小学校の警戒が厳しくなって、手を出せずにいたのだろう。警察は情報を小出しにし、往々にして自己顕示欲の強い猟奇殺人犯をいぶりだそうとしている。しかしネットや事件現場の周辺では、犯人の目撃情報が飛び交い、水面下でささやかれていた。いくつものモンタージュがつくられ、ばらまかれ、警察から任意で事情聴取を受けた者のデータが流れていく。暗殺機関を頼るまでの怒りに駆られた遺族が、これらの情報を手に入れたとしても――それは、頷ける話だ。
 そして世界と社会の暗部にひそむ機関は、たやすく顔写真の男の身元を探り当てた。


 ――私が殺すのは、人でなし。人なんかじゃない。


 5月の夜は、ひんやりとしていた。特にその夜は、日中のうららかな陽気が嘘のような冷えこみだった。
<風使い>は黒のハーフコートを身につけ、都内の、ありふれたワンルームマンションに侵入した。鍵は、風が静かに壊してくれた。
標的が住む505号室は、静まりかえっていたし、明かりもついていなかった。
しかし中には、恐怖があふれていた。
マンションの駐車場に入った車のヘッドライトが、一瞬くっきりと照らし出した部屋の中――
 壁いちめんに貼りつけられた、幼女たちの阿鼻叫喚。床に散らばる“戦利品”。窓ガラスは曇っているから、外からこの異界をうかがうことは出来まい。
 <風使い>は、生々しい写真の中の少女たちの顔を、真昼の保育園に通う子供たちの顔に重ね合わせて、声を震わせた。
「……人でなし!」

 ぎい、とドアがきしみ、
 主が巣窟にもどってきた。
 ワンルームを照らす蛍光灯をつけようと、主はスイッチに手を伸ばす。しかし、何度スイッチを切り替えても、明かりがつくことはなかった。かれは息を呑んで目をこらす。闇に慣れた目が、8畳の中央に立つ人間の輪郭を、おぼろげにとらえた。
「……誰だ……?! どうやって入った?」
 ざし、とかれは一歩踏み出す。
「いるのはわかってる。誰だ?」
 かれは人影に向かって、手を伸ばした。
 これまでに、多くの血を受け、涙を浴びた手だった。
 その手を、つうんと耳をつんざいた気圧が、すぱんすぱんと細切れにした。
 悲鳴を上げようとしたかれののどが、これまた、すぱんと切り裂かれ、それきり声は奪われた。ただ、出血は驚くほど(他にも驚くことはあるのだが)少なかった。かまいたちは、頚動脈を避けたのである。わざと。
「人でなし」
 風を操る、ほっそりとした殺戮者が呟いた。鈴を転がすような穏やかな声色だったが、鈴を砕いているかのように、かすかに震えてもいる声なのだ。
「どうして、子供を殺したりしたのですか? 彼女たちが何をしたというんです? でも、どのみち、どんな理由があったって……子供たちは殺されるべき存在じゃない。理由なんか……必要ありません」
 彼女は動いていない。
かれは闇の中で、涙を流しながら、声なき声で叫んだのだ。

 ひ
  と
   ご
    ろ
 し
 !

 すぱんすぱんすぱんすぱん、べたりぼちょりめちょりぐちゃり。


 本当に、幼女たちが殺された理由が明るみに出ることはなかった。
 だが犯人が精神に異常をきたし、自宅付近で焼身自殺したというニュースが、その後しばらく日本国民の話の種になった。

 頭領は、<風使い>及び園芸部長の花梨を咎める。
「もう少しきれいにやってもらわなくちゃ、後始末が大変よ。<風使い>……次に仕事をするときは、気をつけてちょうだいね」
 手元が狂った。
 花梨は手入れしていたデンドロビウムを、手折ってしまった。
「……はい」
 返事を、中庭の風はかき消していく。
 5月のまぶしいみどりは、黒い庭にもやさしく降り注いでいた。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月23日

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