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『分裂 』
山崎・健二3519


 目の夢を見た。透き通ったガラスの目の夢だ。もしかしたら、人間の義眼であったかもしれない。
 ともかくその目から死神が現れた。それは鉄の爪を持つ獣か。オーソドックスな、髑髏の顔と大鎌を持つものか。死神は山崎健二というものを見つけ出してしまった。
 死という概念は微笑むこともなく、だまって、手を伸ばす。
 ああ目を覚ませ、死神は自分にキスをするつもりだ。
 目を覚ませ、見るな、もう見るな、起きろ。


 健二は、ゆっくりと目を開けた。夢の中でも死を見るのは珍しいことだろうか。何かあるにちがいない。ここのところの寝床にしている八代神社を抜け出して、裏山を抜け、健二は深夜の東京を徘徊した。
 いや、無意識に駆られてふらふらしているわけではない。
 奇妙な――気配が、近づいているのを感じ取っていたのだ。
 それは自分と同じ歩幅で、自分に向かってまっすぐ、確実に近づいてきている。まるで引かれ合う磁石のように、正確に……なめらかなスピードで。
 刺客にはちがいない。健二は身に覚えがありすぎた。しかし――本当に、奇妙なのだ。
 目に見えぬものが、しのびよってきている。
 ガラスで出来た人間だろうか。
 磨き上げられたガラスに、自分の姿が映ったそのとき――自分はどうしているだろう。
 そして敵は、ガラス越しに現れた。
 月もない夜に健二が出会ったのは、健二そのものであった。
 見るな。


 山崎健二の人生は、逃亡によって繋ぎとめられ、織り成され、築き上げられていた。
 自分を殺しかけた母親から、自分を収容した施設から、自分をさらったマフィアから、
 死神から、
 およそありとあらゆる境遇を、健二は自らずたずたに切り裂き、着の身着のままで逃げ出してきたのである。苦痛と絶望の記憶だけが、彼の思い出のアルバムを埋めている。在り続けてほしい思い出などなにひとつなかった。
 そもそも、渇望するということを、健二は知らずに生きてきていた。
 しかしこのごくありふれた夜に、アルバムは切り刻まれて、ちりちりと炎にのまれていったのである。


「よう」
 健二と同じ顔、同じ体格、同じ声の青年が、にやりと笑ってそう声をかけてきた。
 寝静まった町はしんと静まりかえり、古ぼけた街灯だけが路地裏とふたりの青年を照らし出している。
「元気でやってるのか」
 まるで久し振りに会った家族のように、彼は健二にそう言ってきた。
「……おまえは……」
「陳腐な挨拶をしてやろうか。俺はおまえ、おまえは俺、ってところさ」
 しかし健二は、そう言われても、当然わけがわからなかったし――納得も出来なかった。磨き上げられたガラスが目の前にあるのだとしても、納得できない。
 自分はこんなふうに、にやにやと挑発的な笑みを浮かべることない。
 ――ちがう。ちがう……俺じゃない。そんなはず……ないだろう。
「何だ、おまえ。もしかして知らなかったのか? てっきりしらばっくれて逃げんのかと思ってたぜ。俺たち、逃げんのが得意だからな」
「……」
「俺たちはな、たくさんいるんだよ」
 健二がにたりと嘲笑した。
「使える暗殺者をつくる研究ばっかしてるところがあってな。そこがつくったのさ。人間を殺す力だけが優れた人間だよ……わかるだろ? 気配に敏感で、身体は人並み以上に丈夫で――わけのわからねえ力もある。最初はひとりだった。でも出来に満足したんだろうよ、複製が山ほどつくられたんだ」
「……そんなはず、あるか」
 知らず健二は否定していた。なぜ否定したのかわからない。自分が人を殺す能力に長けているのは確かだ。人並み以上に運動能力もあり、勘にも優れる。……わけのわからない力も持っている。
 しかしその能力は、今まで自分を虐げ、閉じこめ、育ててきた境遇が、自分に与えてきたものであるはずだ……。
「バカだな。おまえ……今までの自分が自分だと思ってるのか」
 健二は鼻で笑い、
 言うのだ、

「そんな思い出、全部つくりものだ」

 世界中に散らばった同じ姿のクローンは、今日まで血みどろの戦いを闇の中で繰り広げてきた。クローンの寿命はおしなべて低く、30年程度。かれらは本能的に、生にしがみつき、生を渇望する生物であるのか。究極の近親憎悪と絶望のもとに、かれらは生き延びている自分を殺し続ける。あっと言う間に死んでしまう自分の中に、たったひとりだけ、白髪になるまで生き延びるであろうオリジナルが存在するのだ。
 かれらは運命ではなく生命を憎んだ。そういう生き物だったのだ。自分の気配を辿り、自分の背中に刃を突き立てる。そうして生き延び、最後のひとりになるまで、暗殺者ごっこが繋がっていく。自分が自分に襲われるまで、自分が大勢いることは知らぬまま、植えつけられた絶望の記憶に手を引かれ、
 山崎健二というものは生きていく。

「だから死ねよ。俺の目の前で死ね! 俺の手で死ね!」
「やめろ。俺は、そんなつくり話……信じない」
「みんなそう言って死ぬんだよ、俺たちはみんなそうだ、みんな同じさ、おまえがきっと最後のひとりなんだ!」
 健二の動きは健二とまったく同じだった。そんな相手と、これまでに戦ったことはない。磨き上げられたガラスのうえの虚像が、ナイフを振るって自分に襲いかかってくる。
 さすがの健二も戸惑い、翻弄された。刃が腕と頬をかすめ、赤い血が飛び散る。
 死ね、死ね、死ね、
 生きることは許さない、
 死ね、死ね、

 死んで楽になれ。

 運命から解き放たれよ。


 ――いいや、俺は、……運命を、受け入れろ……。


 健二は自分の攻撃を、すぱん、と何とかいつもの調子でさばいた。
 しかし健二は、いつもの対処法でその危機を脱する。
 ナイフが火花を散らして交差する。
 自分が自分と戦っている、というおかしなおかしな状況に、健二はしかし、動揺していた。その動揺が「いつもの調子」を崩す。ナイフが手の甲を切り裂いた。噴き上がる血と猛烈な痛みに、健二は得物を取り落とす。
 そうだった。教えられたではないか、組織の教育者に。手というのは神経が集中しているところだ。手の傷の痛みはひどく大きいのだと。
 その記憶は、つくりものか。
 事実ではないか。
 手がひどく痛い。
 嬌声じみた歓声を上げ、健二が健二を蹴り飛ばす。健二は倒れ、健二に掴みかかられた。
「絶体絶命だな」
 大した疲れも見せず、彼はけらけらと声を上げて笑った。
 お互いの視界には、お互いの顔だけがあった。目を見開いて笑う顔と、感情というものがない顔だ。ガラスはすでに鏡だった。誰かがこっそり、取り替えたのだ。
「どうしたんだよ、こんなときこそ『切り札』だろ。……おっかなくてめったに使えねえもんな、だだでさえ少ない寿命が、減っちま」

 ズどん、と光が炸裂する。

 健二は『切り札』を出していた。己の命そのものでつくる、光の刃だ。
 それを誰かがアストラル・ブレイドと呼んだ。
 まるで、ヒーローの必殺技のように。
 健二を刺し貫いた光の刃は、ぶぅん、と真上に動いた。音もなく、驚愕に満ちた顔が真っ二つになった。自分の血を浴びながら、身体の痺れと疲れを抱き、健二はゆっくりと起き上がる。
 アストラル・ブレイドは、間違いなく彼の時間をいくらかすり減らした。しかし――健二は、それを後悔はしていない。いまは、まだ。
「……いま死ぬよりは、ましだ……。それに、その目……」
 見るな。
 目を覚ませ。
 これは夢なのだから。
 ――俺の目の中から……死神が……くるなんて。

 健二が見下ろす中、自分の死体はくしゃくしゃと音を立てて歳をとっていった。真っ二つになった顔に皺が浮かび、歯が抜け、髪が抜けていく。目が落ち、眼窩はからっぽになっていく。
 皮ばかりになった顔は――笑っている。
 髑髏の顔だ。

 見慣れた髑髏が、

 見るな、俺。
「俺を見るな」




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2005年05月19日

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