▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『牙と血 』
風間・総一郎4838


 どうにも、血が騒ぐのだ。

 風間総一郎の中を流れる血は、魔の力そのものでもある。こうして血が騒ぐのは、たいてい、彼のすぐ近くで――東京のどこかで、並みならぬ魔力をたたえたなにものかが暴れているときだ。
 ――こりゃあ、近いうちに、俺が暴れるはめになるかな。
 逃げたインコを捕まえるという、平和な依頼を受けている間も、総一郎は血をたぎらせて、そのときをどこか待ちわびているのだった。
 果たして、暴れがいのありそうな仕事は、総一郎の探偵事務所に舞い込んできた。そら来た、と総一郎は思わず苦笑いを漏らしかけてしまった。
「ふたり殺されたよ」
 依頼人は体格のいい年配の男だったが(彼は『建設業』を営んでいるといった)、顔はすっかり青褪め、大きな身体をがたがたと震わせていた。
「身体に爪あとが残ってて……その……『中身』がほとんど残ってなかった……ありゃ、喰われたんだ。間違いねえ」
 あまりにおびえているものだから、総一郎もいくらかこの男が気の毒になった。総一郎はとりあえず男に煙草をすすめて、居ずまいを正す。
「それ、東京のど真ん中で起きた事件かい?」
「ああ。ボロいビルだよ。取り壊してパチンコ屋建てる手筈になってる。……おれンとこは、その取り壊しをするところまでが仕事なんだけどな」
「なるほど。なんとかしてみよう」
「本当か!」
「ま、危険手当込みで払うものは払って下さいよ、組長」
「……バレてたか」
 煙草をくわえる依頼人の唇に、ようやく笑みが浮かんだ。殺人は本来、どこの国でも警察の管轄だ。警察には行かずに、この男は総一郎のもとにやってきた。こういったケースは珍しくない――浮気調査の依頼に比べれば、珍しいのは確かだが。
「ただし、約束してくれ。事件が解決するまでそのビルには近づかないってな」
「わかった。――だが、俺は納得しても、ビルのいまの持ち主はせっかちな野郎でな。あっちもあっちで動いてるかもしれん」
「共同企画なのか。……じゃ、急ぐよ」
 それは本心からの言葉だったのだが――間に合わないであろうということは、すでに覚悟していた。血が騒いでいるのだ。血が流れるから、身体が血を欲している。風間総一郎は、闇を見た。

 やはり、総一郎は食い止められなかった。依頼を受けたその夜に、問題のビルでまた人が死んだのである。

 ゴーストネットOFFは、そのビルでの惨殺事件の話題でもちきりだった。どこからどう情報が漏れたものか、ビルを買い取ったのも、ビルの取り壊しを請け負ったのも、『その筋』の者であることまでささやかれている。噂と真実と虚構が積み重なるネットの中、総一郎が掘り出したのは、ひとつの書き込みだった。
『今日死んだのは、退魔師だよ。まさか無抵抗で殺されたわけじゃないよね・・・』


 総一郎は翌日、アトラス編集部に向かった。ここの編集長は、単なる噂話と、事件の鍵を握る噂話をよりわけるのが得意だ。総一郎が廃ビルの写真を見せただけで、碇麗香は、「ああ」と大きく何かを納得した。
「死んだのはあなたじゃなかったのね」
「退魔師ちがいさ」
 総一郎の苦笑いに麗香は笑い返し、デスクの上の資料を示した。
「あのビルにはね、むかし、カルト集団の事務所が入ってたのよ。10年前からずっと廃墟」
「10年間、近づくやつもいなかったのか?」
「しばらくは、あやしい集団が使ってたって噂があったからね。……もう、忘れられてきたのよ」
 資料には、数枚の写真があった。そのうちの一枚は――ビルの床を撮影したものだった。総一郎は眉をひそめる。床には、円と星、ヘブライ語が描かれていた。
「……これ……」
「6階の床よ。今も残ってるんじゃないかしら」
「いや……もう、ないね」
 総一郎はかぶりを振る。血がたぎり始めたのは、つい数日前からであって、10年前からではない。
「消しちまったんだ。こいつは……閉じ込めておくための檻だったのに」


 彼を呼ぶのは、闇そのもの。
 もはや自分の身体に流れる血を呪う気にもならない。
 ただ億劫な衝動が時折こみ上げてくるのは――
 ――厄介だ。
 そう、少しも嬉しくはない。
 まだ、恐ろしいのだ。
 ――だから俺は、大丈夫だ。俺は血に呑まれやしない。大丈夫だ。
 愛車から降りた彼が愛銃に弾をこめて廃ビルを見上げたとき、東京はすでに闇のあぎとの中に落ちていた。

 総一郎の赤い目は、夜の闇などものともしない。魔界や地獄の暗黒でさえ、彼の視界をさえぎることはないだろう。ビルの中は死の臭いで満ちていた。暗闇よりも、この臭気のほうがはるかに厄介だ。闇と魔の血は、生命の死を好む。
 階段を見つけ、総一郎は警戒しつつも一気に6階まで上がった。

 階段をのぼりきった、そのときだった。
 総一郎が唐突に突き飛ばされたのは。

「お……ッ!」
 あまりにも唐突!
 なぜなら敵は、天井にはりついていたらしいのだ。
 愛銃が手から離れた。生臭い吐息と唸り声が、総一郎の白銀の髪を撫ぜる。
「不意打ちかよ! ったく!」
 悪態をつく余裕までつけて、総一郎は体勢を立て直す。眼前に立ちはだかっていたものは、四足をそなえ、大きなあぎとをあえいでいるようにして開いた、魔獣であった。
『ほう、さても奇なるかな』
 しかし獣は、確かにそう言葉を話した。
『うぬはヒトではないようだ。だが、我ら闇のものともちがう。そうか、混じり者か。残念だ』
「なんだ……メシにはならないってのか?」
『味をためしてみるのも一興よ。儂は腹が空いておる』
「3人も喰ってんだろうが。燃費の悪いやつだ。――地獄に帰れ! ここはあんたらの世界じゃない!」
 総一郎が牙を剥くと、獣は牙を見せて笑った。
『獄の炎と灰を食らうは、もう飽きた』
 次いで悪魔が、獣じみた咆哮を上げた――。

 殺すことは出来ない。かれは堕ちた天使だ。天使は失うべき命を持っていない。力ずくで地獄に叩き落すことは、出来ないこともない。穏便に送還する方法も、あるにはあるが――
 ――姉貴のほうが上手い。それに……
『儂の名をうぬは知らぬだろう、混じり者!』

 獣は総一郎におどりかかった。混血児の味をためすために。
「混血をなめんなよ、この大犬!」
 総一郎の姿は、すでに、銀髪の青年ではなかった。翼持つ魔人であった。飛びかかって来た悪魔を殴り飛ばし、はるか後方の壁に叩きつける。獣がコンクリートの粉塵を巻き上げたときにはすでに、魔人は獣の懐に走り寄っていた。
 悪魔は血を吐いてから抵抗した。魔人の左腕にがずりと牙を突き立てる。魔人は右手で、魔獣ののどを押さえつけた。めきりという手応えを感じた――が、同時に、ねちゃりとした湿った感触をも感じた。悪魔は、傷を負っていたのだ。
 ――手負いの獣ってやつか。
 昨晩の、退魔師との戦いで負った傷か。魔人はのどもとから手を離すと、その傷口に貫手を突き入れた。
 ごぅ、と獣は絶叫し、魔人の腕から牙を離す。総一郎は――魔人は壮絶な笑みを浮かべて、獣の両頬に手をかけた。
『もう帰れる。あんたを解放してやる』
 その傷ついた手に力を込めると、べりっ、と獣の首が千切れた。


 夜はまだ深い。
 総一郎は、腕の傷が塞がっていくのを、ぼんやりと見つめていた。
 いまは跡形もなく消えた悪魔は――昨夜の傷が、残っていた。
「俺は、純血以上なのか?」
 それとも、以下なのか。
 ともあれ、これからこのビルで殺される者はないはずだ。ビルのいまの持ち主は、悪魔を召喚し、檻に閉じ込めておくような輩ではない。警察に頼ることが出来ないような筋のもの、であるだけだ。
「パチンコ屋ねえ……繁盛するとは思えねェなあ……」
 せめてここに縛りつけられていた悪魔が、<貪欲>をつかさどるものであったならば、話はべつだが。
 ……傷は癒え、血が冷めていく。
 さらに血を冷やすために煙草に火をつけ、総一郎は、檻の中から出たのだった。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月19日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.