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『□■□■ 日常風景予備軍 ■□■□ 』
高峯・弧呂丸4583)&高峯・燎(4584)


 別に、どうと言うこともない。
 養生するのなら、しっかりすれば良いし。
 こちらは何も、困ることなどない。

 思ったのは本心からだったし、何も困ることはない。家族として心配はしていたが、それ以上はなかった。純粋の身体の心配だけであって、他には何も。例えば自分に発生する弊害なんて、まったく考えなかった。別に、そんなものがあるなんて、完全に想定外で。
 目の前には腐海もびっくり、密林戦もナンボのもんじゃい、ベトコンはどこに潜んでおりますか? 状態の、自分の部屋が広がっている。
 高峯燎は引き攣った笑みと共に、どことなく酸っぱいニオイの充満する部屋へと脚を踏み入れた。

■□■□■

「だからお前はどうしてそうズボラなんだッ!」
「げべぶしッ!」

 すかこーんッ、と投げ付けられたのは鉄瓶だった。待てそんなものを部屋に置いていた憶えはまるで全くない、そんな突っ込みはしない。弧呂丸の纏う和服の袂から無尽蔵に生産でもされているように、雑多な雑貨が燎へと投げ付けられていた。だが燎も慣れたもので、ひょいひょいと軌道を読んではそれを避けて行く。と思ったら、二段攻めで顔面的中。
 怒り心頭と言った面持ちでぷるぷると震えながら、弧呂丸は両手に巨大な招き猫を抱えていた。流石に投げられたら死ぬ、待てと言葉を掛ける一寸前で、溜息と共に彼は腕を下げる。ところでここ室内なんですが、それどっから出したんですか。突っ込まない、突っ込んだら負け。

 燎のアパートを点検のように弧呂丸が訪ねてくるのは、ほぼ毎週のことだった。頻度が一定しているわけではないながらもままあることで、こうして兄弟喧嘩が勃発するのもよくあることで。取り敢えず鼻血を拭きながら燎は体勢を整える、足元にあったプラスチックの容器が音を立てた。コンビニ惣菜のパックである。しかも、そこら中に散乱。勿論弧呂丸の足元にも。

「一週間、一週間も経っていないんだぞ? それなのになんだこの体たらくは……ゴミは捨てる! ちゃんとゴミ捨ての曜日は表を作ってドアの裏に貼ってやっただろうが! 洗濯もしろ、全自動で乾燥機付きなんだからボタン一つだろうが!」
「だぁあ、お前はなんでそー過保護なんだッての、うっせぇな! んなもん後でまとめりゃ良いじゃねぇか、小言ぶちぶち言ってんじゃねぇッ! そんなん放っといたって死にゃしねぇよ、ゴキブリ湧くぐれぇだろ」
「湧いたら困るだろうが! お前の事だ、一度湧いたら一気に繁殖させるに違いない――早くゴミ袋を持って来い、まったく、私が居ないと本当に何も出来ないのかお前は、二十歳も過ぎてどこまでも情けないことこの上ない……」

 言いながら弧呂丸は屈み、落ちているゴミを分別しながら回収して行く。それを眺めながら、燎は欠伸を噛み殺していた。昨日は徹夜で発注をこなしていたし、一昨日はデザイン描きに夢中になっていた。食事は最寄のコンビニで済ませていたし、シャワーや着替えをしたらさっさと店に戻って。だからこうして部屋で時間を過ごすこと自体、前回弧呂丸が来て以来だった。
 自分がいる時を狙ったかのように、弟は部屋に訊ねてくる。双子としての繋がりがあるのかもしれないが、それにしたってその的中率はストーキングを疑うほどだった。ぼりぼりと頭を掻きながら無理矢理に場所を作って寝転がる、と、頭にピコハンが投げ付けられる。どっから出した、いや本当に。

「先週渡しておいた書類ぐらいどうにかしたんだろうな、締め切りがあるものなのだからちゃんと記入しろと念押ししておいたはずだが。この状態だと心配になるぞ、まったく」
「んぁあ、どれだっけ?」
「店の経理状態の書いてある表だ、お前の確認が必要だからな。なんだこの紙くずは、と……」
「…………」
「お前は書類を丸めてポイするんじゃないぃ――――――――ッ!!」

■□■□■

 近所迷惑だった声もないし、何か言われるでもないし、それは快適な時間だった。好きなことに打ち込みながら、客とも世間話交じりの会話。釣り銭が足りなくて、探したけれど見付からなくて、面倒だからツケにして。
 コンビニで買った惣菜に噛み付きながら、工房で仕事。仕事仕事仕事、削りだしたのは天使のモチーフ。少し羽が不恰好だから、もう少し直そう。もう少し、もう少し。時計はくるくる回って、電話がジリジリと煩い。

 申告の書類が提出されていませんが。お役所仕事、0円スマイルを含ませた声をのらりくらり、ああッ薬缶が噴いているので失礼しますッ! ガチャン、そして受話器を外す。えーと、どの書類。いつもなら訊くはずの相手が居ない、から、自力発掘。

「……なんつーか、張り合いねぇな」

 替えの下着を探すのを放棄して、腰タオルのまま寝そべった万年床の上。散らかった部屋はそろそろ人間を拒絶している。
 そういえば、いつも部屋が限界になる前に片付けに来てくれていたんだったような気がする。ただの偶然かもしれないし、勘でしかないのかもしれない。どっちにしても便利だった。助かっていたわけじゃなく、ただ便利だったんだ、思いながら目を閉じる。徹夜も三日続けば体力が切れて、店屋物はいつも愛が足りない。
 くすくすくすくす、頭の上で幽霊が笑う。

■□■□■

 知らせを受けたのは工房に篭ろうかとラフスケッチを探している最中だった。滅多に関わって来ない実家からの電話、らしくなく慌てた様子、弧呂丸が、頭を打った。書庫で脚立に乗り本を探していたところでバランスを崩したらしい。
 心配するほどのことでもないと思った。受身の一つぐらい取れるだろうし、脚立ぐらいの高さじゃ死ぬことも無いだろう。病院に行ったのはおざなりの行為、間抜けだとからかってやろう、ぐらいにしか考えていなくて。

「うーい、間抜けコロ助調子はどーよ?」
「……あ」
「んぁ?」
「ころすけ、が、私の名前なのでしょうか。先ほどは弧呂丸、と教えられたのですが」

 乱暴に開けたドアの向こう側には白い寝巻き姿の弟が白いベッドに横たわって、白い包帯で頭をぐるぐると巻かれて、白い顔にキョトンとした見慣れない無防備な表情を浮かべて。
 小さく首を傾げた後に、初めまして、と言われた。

■□■□■

 本家では大騒ぎだったらしい、なんと言っても跡目として有望視されていた弟だ。祓い師としての腕も確かだし、人好きのする性格を表向きには全開にするものだから、親戚筋とも馴染んでいる。とにかく今は治療に専念しているとのことで、退院した現在も家からは出て来ない。
 大体頭を打って記憶喪失なんて、そんなマンガのような事態に陥るのが間抜けなんだ。自分に言い聞かせながらカップラーメンの蓋をべりべりと開け、燎はポットのボタンを押す。お湯切れサインが出ていた。仕方ない薬缶を使おう、水を入れようと蓋を開ける。カビがびっしり。見なかったことにして、コンビニへGO。

 言語や日常の動作にはなんの支障もないらしいが、人間関係や術に関しての記憶はまるで失せているらしい。屋敷の使用人たちはもちろんの事、双子の兄である自分のことすらも。生まれてこの方一緒に過ごして来た相手に初めましてと言われるのは新鮮だったような気がする。まあ、人生の中で一度ぐらいはそういう稀有な経験だって悪くはない。
 一時的なものなのだとしたら、怪我が癒える頃には直るだろう。そうでないのだとしたら、そうでないのだとしたら――

「……部屋の片付け、する奴がいねぇのは困るよな」

 コンビニ、セルフサービスのポットに向かい、店員に睨まれながら持参したカップ麺に湯を入れる。良い子も悪い子も妖怪も幽霊も真似しちゃいけません、非常事態以外。
 それはともかくとして、実際弧呂丸の記憶喪失は問題だった。家のごたごたに今更巻き込まれることはないだろうが、それにしたって、金をせびる相手が減ると言うのは中々に辛い。せびれたとしてもジュース代程度ではあったが、それでもバーナーに向かった後なら天の恵み状態だった。それ以外は別にない、困ることなんて。

 掃除や洗濯だってその気になれば出来るし。
 ゴミの分別だって、憶えればどうにか。
 釣り銭だって、発掘すればどこかに。
 そーいや、ラフスケッチ何処に置いたっけ?
 書類、なんつってたっけか。
 ひもじいなあ。
 薬缶のカビ、微妙に人の顔に見えたなあ。

「……うん、コロ助が居なくたってどーにかなるだろ」

 微妙に思考がずれたまま、カップ麺が十分目を迎えようとしてるのに、燎は気付かなかった。

■□■□■

 電話が引っ切り無しに鳴っている。
 無視。
 チャイムが引っ切り無しに鳴っている。
 無視無視。
 テレビが引っ切り以下略。
 それは消しとこう。

「何処だ何処だ何処だ何処だ、いやマジでどこだっつの」

 三日前から催促されている書類は見付からないし、釣り銭はいまだに発掘できないし、家はゴミ屋敷一直線だし、水道代の請求書無くしたから支払いできないし、食器は次々カビに侵食されて行くし、食事には愛が足りないし。
 否、それはどうでもいい。今の探し物に比べたら些細な問題だ。些細過ぎてミジンコも裸足で逃げる、そんなレベルの無問題な問題。何も問題はない、オーケィ人類はまだ負けたわけではないのだ。宇宙が残っている、そんなことをテンパッた頭の奥で考えながら、燎は部屋の中を引っ繰り返すように漁っていた。散乱したゴミを舞い上げ、溜まった埃を掻き回す。弧呂丸が記憶を失ってから、まだ日付は十日も経っていない。なのに、部屋は腐っていた。絶好調に臭かった。

 彼はそこで、発掘している。
 ロマンを?
 否、替えのぱんつを。

 洗濯をする暇がないわけではなかったが、それでも面倒が克った。そんな時間は無いし、面倒臭い。最近のコンビニは便利で、肌着全般も売っている。服はクリーニング、これ最強。確か一昨日の夜に店から帰る途中、下着を買った。だが、そのビニール袋が見付からない。
 毎日コンビニで食糧を調達していたツケなのか、部屋には同じような白いビニール袋が散らばっていた。住み着いてる水子達が被って遊んでいる所為で、さらに飛んでいる。ここは何処ですか、腐海の森ですか。いえいえれっきとした東京都下ですとも。

 書類は見付からないし、洗濯もされないし、掃除もされない。替えの下着が見付からない所為でシャワーもろくすっぽ浴びられない。釣り銭が見付からない所為で店も閉めっぱなし、もっぱら工房に篭って新作のラフを描くが、スケッチブックもどこかに行った。いや本当何処に。
 別に困らない、実家へと様子を見に行った時だって、そう告げた。まだ記憶の戻らない弟は、どこか心配そうにしながら自分を見上げていたような気がする。心配されるほどのズボラではないし、小言を言われなくなって快適に暮らしている。暮らしているんだったら、暮らしている。

 ……本当に?
 世話を焼かれないのは、少し、不便で寂しくて。
 ほんの少し、不安と恐怖がある。
 勿論、部屋が臭いことへではなく。

「燎、いるだろう、開けろ! 腐臭が、腐臭が流れてくる!」

 げしッ、とスチールのドアが蹴られる。
 チャイムの煩かった玄関から響いたのは、弟の声だった。

■□■□■

「お、まえと言う奴は……」
「――――――」
「前装備で耳を塞ぐな、この軟弱者がッ!」

 ずがしゃーんッ! と投げ付けられたのはたぬきの置物だった。
 ぷるぷると怒りに肩を上下させる姿は、よく馴染んだいつもの姿である。

 記憶の一時的な混乱は確かにあったらしいが、それは本当に一時的なもので、病院から退院する頃には完全に戻っていたらしい。しかしそこで悪戯心と策の同居、結果、事態の延長――そして、この状態。

「つーか何テメェもアホなことやってんだよ、こっちだってちったあ心配したんだぞ!?」
「お前が意地を張って平気だ平気だと言うから手並み拝見としただけだろうが――なんだこの部屋は、ここが日本の一角だと言う事すら冗談としか思えない! 見ろ、家具がゴミのようだ!」
「あーまったくだ! 所で役場から謎の電話が激しくうるせぇ!」
「……一ヶ月前に渡した書類、ちゃんと提出したか?」
「なにそれ」
「……………………」

 もぎゃああああ!

 悲鳴か怒声か、それがどちらのものかは知れない。
 ただ、それを聞きながら、燎は笑っていた。
 取り敢えずは、この日常が馴染むらしいと。

「ま、取り敢えずぱんつ探してくれ」
「褌でも締めていろ!!」
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月18日

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