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『■+ 青いバカンス +■ 』
シオン・レ・ハイ3356)&CASLL・TO(3453)

 「……お腹が減りましたね」
 既に屍十秒前と言った声音で、やつれていなければ紳士然とした男がぼそりと言う。やつれている割には、彼が跨っている魚体は、ぴちぴちのぷりぷりの体型だが。
 「……止めて下さい。そんなことを言うと、私が狙われるじゃないですか」
 そう心細げに言うもう一人の男の顔は、強面と言う表現が、まるで嘘物の様に聞こえる程、強烈なまでに怖かった。
 心細いのは、あくまでも『心』だ。表情に至っては、凶悪犯が一万人ばかりひれ伏す勢いの迫力がある。
 尤も、凶悪顔の彼が、そう言うのには訳があった。
 「……そんなモノに乗ってるから、魚だって寄りつかないんです。しかも、その言葉を受けて、それ、私をまるで、餌みたいに見るんですから……」
 よよと泣き崩れそうな心と裏腹に、顔は一層怖くなって行くから、全く以て、本人は不本意だ。
 「何を言ってるんですか! シャーク三号くんは、私達が海の迷子にならない様にと、良かれと思って着いて来てくれてるんです。そんなことを言うなんて、あんまりですぅ……」
 おいおいと泣き始める魚体上の彼に、首だけ水面に出している強面の彼は、もう既に迷子だよとばかりに沈痛な溜息を吐いていた。
 そう。
 彼らは現在、大海原にいる。
 周りにあるのは、ただただ海。
 海しか見えないところに、二人と巨大鮫一頭は漂っているのだ。
 別に漂いたくて漂っている訳では、断じてない。そうなる事態に陥ったのは、ホンの少しばかり、運命の神様が悪戯したからである。
 もう少し、あの島で大人しく救援を待っていれば良かったのかもしれないが、島が見えなくなった途端、土砂降りの雨が上がると言う怪現象を引き起こす様なところには、到底いたくはないと思うが。
 再度彼が大きく溜息を吐いた時、魚体上の彼が、わなわなと震えているのが解った。
 「……どうしました?」
 「し、しろ……、いえ、あの、船がっ!!!」
 「え?! 船ですか?!」
 その視線の先を追って行くと、確かに何か、影が見える。
 「ええ、見えましたよっ! 船です」
 鮫に乗りつつ、彼は嬉々として言う。
 「おーーい! 助けて下さーーーい!!」
 彼は『見えました』しか言わない相棒を尻目に、声も枯れよとばかりに叫ぶ。目には嬉し涙を浮かべつつ。
 「助けて下さーーーい! お腹も減りましたーーーー!」
 その声に、漸く叫ぶことに気が付いた、鮫の上の彼も叫ぶ。
 「そうだ。鮫さん、飛び上がって気を引いて下さい」
 飛び上がったら落ちるだろうと言う間もなく、鮫は高く高く飛び上がった──。



 海の中にぽっかりと浮かぶ白亜の城。
 それがブラジル船籍の豪華客船、『ロイヤル・ブルー』号だ。
 全長270M、全幅32M、総トン数12万6011G/T、総デッキ数15、乗客定員3750名、乗組員1000名と言う、堂々たる規模の船である。
 ちなみに航路は、横浜を出発点として、目的地は何故か南太平洋はボラボラ島となっていた。
 そして船の名を聞いた時、思わず自分の青い瞳と同じなのだと思ったのは、シオン・レ・ハイである。彼は『リッチなバイト、してみませんか? 三食豪華な食事付き、休憩は青い海の上で!』と言う煽り文句を見て即座に応募し、この『ロイヤル・ブルー』号のメインダイニングにて、ウエイターのバイトしているのだ。
 既に船上では七日と言う時が流れている。
 ドレスコードのあるレストランであった為、そのウェイターもきっちりぱりっとした服装が求められる。清潔感のある白いシャツ、黒のベスト、タイ、スラックス。ジュエリーには、アルバイトであっても本物の石を使っていると言うことだから、何ともまあ、豪華な制服であった。
 質屋に売れば、どれほど食いつなげるだろうと、真剣に考えてしまったことは内緒の話だ。
 元々の容姿も相まって、シオンは何処から見ても、立派なジェントルマンである。
 ──黙って立っていれば。
 そしてそのお陰か、ホールを歩いていても、何故か『ちょっと』と声を掛けられることが多く、たまーにチップなどを挟んでくれるおばさまなどもいる。
 が。
 直後に阿鼻叫喚となってしまうのは、所望された品を聞き違えたり、トレイに乗せたアルコールやソフトドリンクを、振り向き様に落っことしてしまうからであった。
 その様子を見て日に日に窶れて行くこのメインダイニングの長は、溜息混じりにシオンに言う。
 「君、もう休憩に入って良いよ……」
 「え? でも、休憩時間までは、まだ間があります。そんなに私、働いてないんですけど……」
 良いのか? それで良いのか? と、シオンはSサイズの彼に合わせ、背を屈めつつ上目遣いに見るが、大きく深く、そして溜息と共に頷かれると、首を傾げつつも休憩時間へと入ったのだ。
 休憩中であることを示す様に、ネームプレートを裏返し、取り敢えずは食事であると、シオンはクルー専用のダイニングへと足を運ぶ。
 シオンがマイお箸を片手に選んだのは、スモークサーモンのマリネサラダ、スイートバジルのスパゲッティ、オマール海老のマヨネーズ添え、牛フィレ肉のステーキなどなどである。当然、一度で済む訳もなく、二度三度と往復するつもりだ。ちなみにデザートは別腹である。
 とまれ、満足する程に食事をし、デザートも平らげ、休憩終了までにはまだ時間があると解ったシオンは、ふらふら上へ上へと、探検宜しく上がって行った。
 客室になると、一挙に廊下を彷徨く人が少なくなるが、シオンは初めて見る船の豪華さに目を奪われ、そんなことに余り気が付かなかった。
 だからやたらと豪奢な赤い絨毯の引いてあるデッキへと上がっても、物珍しげに周囲を見ているだけである。
 そのデッキは、今まで歩いて来たどのデッキよりも美しかった。贅の限りを尽くした回廊には、有名な絵画が飾ってあり、まるでミュージアムを思わせる。
 足音すら吸い込む絨毯に、おっかなびっくり歩いていると、知った顔を見つけた。
 「あれ? 麗香さんと……」
 麗香さんとは、アトラス編集部の女帝・碇麗香のことである。
 彼女は巨漢と共にいる。巨漢もシオンの知り合いだ。
 しかしシオンは、何故あの取り合わせであるのか、さっぱり見当がつかなかった。



 船のロケは何回かこなし、また船での移動も何度かあったものの、今回乗船することになった『ロイヤル・ブルー』号以上の船には、今まで乗ったことがなかった。
 当初は色々と戸惑い+ハプニングが多々あったが、七日目ともなると、やはり慣れて来るものだ。
 元々、ハプニングの殆どが、彼にとって日常の延長線上にあるものだから、当たり前と言ってしまえば当たり前なのだが。
 曰く、乗船の際、シージャック犯と間違えられて出航が一時間遅れてしまったり、曰く、ステートで取ってもらっていた部屋のある階層は、人がそれなりに出入りすると言うことから、何故かデラックスを超えた、この船に一室しかないと言うロイヤルスイートへと変更──一デッキが、この部屋の住人専用と言う、バカみたいな話の部屋である──になったり、曰く、食事をしにダイニングへと降りようと思ったら『お部屋に当社のスペシャルディナーをお届け致します』と、笑顔で以て遮られたり……。
 どれもこれも、この凶悪顔が原因だった。
 ノミの心臓を持ちつつ、見た目はシチリアマフィアも土下座する勢いの強面は、CASLL・TO(キャスル・テイオウ)と言う。
 赤い髪は、地獄の閻魔さまの風呂を湧かす炎を連想させ、銀色の瞳は、彼の心根に反して、冥王星の氷壁よりも鋭く冷ややかに光っていた。
 「知った顔があって、本当に良かったです…」
 彼はこの部屋へと訪れた、たった一人の客を見つつ呟いた。
 その客は、CASLLがこの一デッキを占領しているロイヤルスイートに泊まっていると知り、是非ともお邪魔させてくれと言ったのだ。勿論、彼に否やはない。その申し出を、喜んで承諾した。
 「それにしても、本当に贅沢よねぇ。こんな場所を独り占めなんて」
 そう言ってソファーで足を組むのは、アトラス編集部の女王碇麗香、その人である。
 彼女こそがこの部屋の主であると言われても、皆が納得する程に、見事までに馴染んでいた。思わずCASLLも、部屋の交換を申し出そうになってしまう。
 「ねえ、ここって、海も独り占めなのよね?」
 「そのようです」
 「ちょっと出て見ても良いかしら?」
 「勿論ですとも」
 CASLLの足下にいた白い子犬も、わんとばかりに同意を示した。
 マンションのオーナールームに似た作りである部屋は、窓からデッキへと繋がってもいる。勿論、プライベートの部分と、回廊になる部分とは区切られているが。デッキの向こう側は、完全なる大海原が広がっている。
 まるで美女と野獣に見える二人は、上機嫌でそこへと出た。
 広がるのは、南国の青い海だけ……。
 ──だったのは、ホンの十分程度である。



 「麗香さーーーん! CASLLさーーーん!!」
 シオンは、二人を目にすると、思わずそう声を上げ駆けだしていた。
 回廊を抜けると、上には青空、下には大海原が広がっている。海上からは、目が回る程の高さがあるのだが、シオンは全く以て気にもとめない。
 「シオンさん。どうしてここに?」
 目を丸くした麗香にそう聞かれ、シオンは元気良く答えた。
 「はい! 私、ここでアルバイトしているんです!」
 「アルバイト?」
 次いでCASLLが首を傾げる。
 「レストランの、ウエイターさんです」
 えっへんと胸を張りつつそう言うと、ああ成程とばかりに二人が頷いた。
 ちなみに、CASLL、麗香と、シオンの間には、腰の高さの柵がある。プライベートと通路を、それで区切っているのだ。ちなみに、長身の二人(麗香以外の)だから腰までしかないが、通常の人間なら、胸くらいまではある高さだった。
 「へぇ、じゃあ、私がダイニングに行ったら、何かサービスしてもらおうかしら」
 抜け目なく笑う麗香に、シオンが喜んでとばかりに頷いた。
 「でもお二人は、どうしてここに?」
 「私は、映画のロケで、ボラボラ島に行くんです」
 シオンは、ボラボラ島の様な長閑な島で、ホラー映画でも撮るのだろうかと、なかなかに失礼な感想を心の中で呟いている。
 「私は……。ちょっと、ね」
 何処か含みのある色を乗せた麗香に、シオンだけでなく、CASLLまでが何だろうと疑問の視線を見せている。ついでに、二人の足下にいた白い子犬も小首を傾げた。
 「も、もしかして、取材ですか!」
 第六感に、ビビッと電波を受信したシオンは、けれど笑みでスルーを決め込まれた。
 「取り敢えず、うちの役立たずでは間に合わない話よ。……さて、そろそろ、私は行くわ。またね、CASLLさん。シオンさん、サービスの話、宜しくね」
 そう言うと、麗香はこれ以上突っ込まれない様にだろうか、二人が止める間もなく身を翻す。
 「……行っちゃいましたね」
 「……そうですねぇ…」
 子犬がくぅんと、二人に同意。
 「それにしても、CASLLさんは、ここを独り占めですか?」
 「ええ、まあ……」
 視線を海に移したCASLLは、何故か寂しそうに見える。いや、普通の人間なら、失神しそうな程、恐ろしい表情なのだが。CASLLにつられ、身を乗り出す様にして海を見るシオンは、その海面までの高さに目眩がした。
 「シオンさんっ?!」
 「え?」
 わんわんわんと、白い犬が吼え立てている。
 何故吼えるのだろうとぼんやりシオンが思っていると、更に視界がぐらりと揺れた。
 『お、お、落ちるんですかっ?!』
 漸くその可能性に気が付いたシオンは、咄嗟にCASLLの胸ぐらを掴んでいた。
 「ええっ!!」
 CASLLの顔が驚愕に歪み、彼の顔に慣れている筈のシオンも、思わず手を離しそうになるが、このままでは落ちてしまうことは必須だと、根性を入れ直した後に、力もまた入れ直す。
 子犬が凄まじい勢いで、吼え続けた。
 「お、おち、落ちるーーーーーーーっ」
 「落ちますーーーーっ!」
 既に足は、デッキを離れている。ちなみに身体は、二人して半分以上、あちら側だ。
 「誰か、助けて下さいぃぃーーーー」
 声を限りに、シオンは叫んだ。
 「誰もいませんけど、助けて下さいーーーーーーっ」
 CASLLも、半ばパニック状態で叫ぶ。
 「「たーすーけーーてぇーーーーーーー」」
 号泣しつつ叫んでいる二人は、仲良く海へとまっしぐら……ではなく、真っ逆さま。
 助けは来ない。ここは専用デッキ。
 二人の叫び声と、子犬の悲壮な鳴き声だけが、ただただ、青い空と青い海に響いて行った。



 デッキから落ち、一時ショックで気を失っていた二人は、流されている内、何時の間にか目の前に見えていた島へと上陸を果たしていた。
 その後、島内を探索し、ここが無人島であると言う結論を下す。
 部屋にあった海図を見ていたCASLLは、少なくともここが、航路の一部でないことを知っている。何故なら、海図には、航路付近でこう言った島があることを確認できていなかったからだ。
 現在二人は、日が暮れ始める前にと、食料の確保を行っている。
 「大丈夫ですっ! この木の実は食べれます。私の第六感がそう言ってるのですっ」
 第六感て何ですかと言いたい気持ちをぐっとこらえ、CASLLが口に出したのは、別の一言だった。
 「それは良かったです。では、これを食事にしましょうか」
 シオンは、何故か生き生き…と言うより野生化していた。
 まずは水だと、彼は真水の確保を主張する。
 確かに一理。
 人は塩水では生きていけないのだから。
 次いで食事の確保。
 元が食欲旺盛万年腹ぺこ状態であるからと言う事情はさておき、飢え死にすることは、CASLLであっても勘弁かの字の状態であったので、こちらにも素直に頷いた。
 更に寝場所の確保。
 少なくとも今夜一晩は、何とか凌がなければならない。これにもCASLLは文句がなかった。
 ともかく、文明の利器は勿論、人気すらない島にたどり着いた時のショックからは、何とか回復している。
 しかし、何故かCASLLは不安であった。言葉では言い表せない何か、胸の奥で渦巻く何かが、彼に早くこの島を出た方が良いと忠告をしている。
 けれど、溌剌としているシオンを見て、CASLLはそれを言い出すことが出来ずにいた。
 「どうしました? お腹が痛いのですか?」
 不思議そうに聞くシオンに向かって、何でもないと、彼は首を振る。
 鬱々とした顔は、シオンでなければパーソナルスペース三メートル以上のものを作っていたかもしれない。いや、海目がけて走り出していたかもしれない。そう考えて、ちょっとへこんだ。
 「いいえ何でもありません。さあ、そろそろ夕食にしましょう。そして、どうにかして船に戻る方法を考えなければ…」
 CASLLにはロケがある、そしてシオンにはアルバイトがある。共に二人は、船に戻らなければならないのだ。
 それを聞き、シオンはしんみりと考えていた様だが、唐突に、まるで頭に電球が灯ったかの様な顔をした。
 「良い方法があります!」
 「本当ですかっ?!」
 妙案なら、是非とも実行したかった。
 「鮫さんを呼ぶのです!」
 「……は?」
 「鮫さんを呼んで、乗せて貰えば良いのですよ!」
 シオンは自信満々であった。確保した食料をCASLLに預け、彼は一直線に海へと駆けた。百メートルもない場所だが。
 呆然としたCASLLは、暫くの後、シオンを追って海へと出てみると、何やら彼が、奇妙な踊りを踊っている。
 「………」
 益々不安が募るも、先程とは別種のものだ。何だか『頭痛が痛いの』と言いたくなって来たCASLLだが、日が落ちかけた海面から、刃の様なものが突き出ているのを確認し、大きく瞳を見開いた。
 「まさか……」
 「来てくれましたよ! 私の昔のお友達、シャーク一号くんの孫、シャーク三号くんですっ」
 『何時付けたその名前、しかも孫って何?』と言うのはさておき、本当に鮫が来てしまった。凶悪面に、何となく親しみを覚えもしたが、その凶悪面はCASLLに向けてのみ向けられるもので、シオンに向かっては、まるで子猫の様に愛らしい笑みを浮かべている。これを見ると、孫発言は強ち間違っていなかったのかもと思ってしまう。いや、鮫が愛らしい笑みを浮かべるかどうかは可成り疑問だが、少なくともCASLLにはそう見えた。
 鮫と戯れているシオンに、恐る恐る近寄って行く。するとシオンの脇から頭を出した鮫にぎろりと睨まれ、思わず足が竦んでしまった。
 「どうしました?」
 不思議そうに鮫とCASLLを交互に見るが、シオンの視線を受けた途端、鮫は彼にすりすり媚びを売る。
 「……。あの、本当に大丈夫なんでしょうか?」
 本気で怖いのですけれど…と言外に滲ませるも、シオンは鮫、もとい、シャーク三号に全幅の信頼を置いている様だ。
 「……取り敢えず、明日、島を出ましょう」
 諦めて彼がそう言うと、シオンは鮫に頬摺りをしつつ元気に答えた。



 だが世の中、得てして上手くは行かぬもの。
 朝目覚めると、大雨であった。まるで二人を島から出すまいとしているかの様に。
 「この雨では、流石に出発出来ませんね」
 CASLLが憂鬱そうに呟くが、シオンにしてみれば、何故そんなに憂鬱なのか解らない。
 現在二人は、ねぐらを探していた時に見つけた洞窟の中にいる。お誂え向きに……と言うより『ここにお出で』とばかり口を開けていたそれに、シオンは探検が出来ると大喜びしたのだ。
 「じゃあ出発までに、この洞窟を探検しましょう!」
 嬉々として言うシオンに、CASLLの顔は凶悪度合いが五割り増しだ。勿論これは、得体の知れぬ何かに怯えているのだが、それが解る者はこの地上にどれだけ存在するのだろうか。
 とまれ、シオンの決意は固い。観念したかの様なCASLLが頷くと、シオンは喜び勇んで洞窟の奥へと入って行った。
 ぽたりぽちゃんと、水音がしているのはお約束だ。
 一歩奥へと足を踏み入れる度、シオンは何故か、背筋に寒気が走るのを感じた。
 「寒くはありませんか?」
 そう相棒に振り向くと、彼は日頃の数十倍もの凶相を浮かべていた。どうやら歯の根があっていない様だ。励ます様に、彼は言う。
 「こう言うところには、きっと海賊の宝物があったりするんですよねぇ。もしも見つけたら、きっと毎日ステーキ食べ放題ですね。頑張って探しましょうね」
 しかしCASLLは、歯の根をがちがち言わせて首を振る。
 「え? いらないんですか?」
 「ちちちちち違います」
 取り敢えずそれだけは言えても、その後が続かない。シオンは小首を傾げつつ、更に先へと足を運ぶ。道々、奇妙な色を帯びた鍾乳石や、何やら妖しげな仏像紛いな自然の神秘がちらほら見えた。都度シオンは感嘆し、CASLLは悲鳴を上げ続ける。それがどれほど続いただろうか。
 前方に光が見える。
 「何だか、明るいですよ」
 しかし空気は、これ以上なく冷たかった。
 「帰りましょう! 戻りましょう!」
 必死の形相のCASLLは、シオンであっても怖かった。きっとこの先に怖いものがあるとしても、今のCASLLの顔よりはマシであろう。思わずシオンが、光の元へと駆けて出した。
 「ダメですーーーーっ! 戻って下さいっ!」
 悲鳴の様な声を背後に聞きつつ、シオンは勢いづいた競走馬の様にスピードを上げる。
 「うわっ!」
 大きく視界が開けた。眩い光のを浴びた彼の目が、徐々に光度に慣れてくる。
 「すすす凄いですっ! お金持ちですっ! ほら、CASLLさんも来て下さい!!」
 振り返って言うが、微かに見えるCASLLは、腰が抜けて動けない様だ。ぶるぶると首を振っている。
 「こんなに凄いのに……」
 シオンが見たのは、唸る程の水晶の山だった。何処からか差し込む光に依って、それは大層幻想的な風景である。透き通るそれに、シオンの顔が幾つも映った。中にはルチルやファントムとも呼ばれる水晶も見え、それはそれは、圧巻と言うより他はない。
 「綺麗ですねぇ……。あ、そうだ。お土産にちょっとだけ……」
 シオンが小さな水晶を手にした時。
 『おいてけぇぇぇぇ』
 「……え?」
 『おいてけぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
 「………っ?!」
 シオンが叫ぼうとした、刹那。
 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 水晶窟の外で絶叫が。
 続いてシオンも。
 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
 持っていた水晶を放り出し、一目散に駆けだした。目の前には、漸く腰が立ったCASLLがいる。
 シオンの形相が凄まじかったのか、彼もまた回れ右で駆けだした。
 「光って綺麗でしたのにっ!」
 「外が雨なのに、光があるのは可笑しいじゃないですかっ!」
 「でもっ!」
 「それに、水晶ははんこの山ですよっ!」
 「でもっ!」
 滂沱の涙を垂れ流しつつ、二人は後ろを振り向かずに走っている。声はもう聞こえなかったが。
 走って走って、漸くじゃじゃ振りの外へと出ても、彼らの足は止まらない。そのまま海へと走って行くと、シャーク三号が、雨にもかかわらず立ち泳ぎでカモーンとばかりに二人を迎えた。
 「シャ、シャーク三号くん! 私達を、早く連れて逃げて下さい」
 かくして、イルカに乗った少年ならぬ、鮫に乗ったおっさんずが出来上がる。
 そして、冒頭の漂流へと続いたのだ。



 「それにしても、本当に良かったわねぇ。CASLLさんの子犬が、私のところに来た時には、一体何事かと思ったわよ」
 麗香が面白そうに、そう言った。
 どうやら船から落ちた二人を何とか助けてもらおうと、果敢にも子犬が麗香の元へと走ったらしい。ひたすら何かを訴えるかの様に吼えまくった挙げ句、ボディーランゲージまで行う子犬に根負けした彼女が、再びデッキまで行き、そこに残ったシオンのネームプレートを発見したのだ。
 漂流二日で無事に助けられた二人は、ロイヤルスイートの一室で、麗香と子犬に再び出会うことが出来た。
 げっそりとし、更に凶悪具合を増した顔のCASLLと、しこたま燃料補給を行い、元気溌剌のシオンとは、まるで対照的である。
 「ご心配をおかけしました……」
 ぼそぼそと言うCASLLを心配した子犬は、彼にすりすりと身体をこすりつけて慰めている。
 「でも、楽しかったですー! 怖い目にも遭いましたが、もうちょっとあの島にいたかったですねぇ。でも、やっぱりオトナですから、仕事を途中で放り出す訳にはいきませんね」
 えっへんと言うシオンに、麗香の表情が微妙に変わったことを、しかしCASLLは見逃さなかった。
 「あの……、麗香さん? 何か?」
 「え? 何かって何?」
 胡散臭さ爆発の微笑みだ。彼女の下僕が見れば、戦き這い蹲るその笑みは、けれどこの二人の疑問を煽ることにしかならなかった。
 「楽しそうに、お見受けしますけど……」
 「聞きたい?」
 にんまりと笑う麗香に、CASLLの腰は引けている。
 結構ですと言いたい気がする彼だが、こう言う時には驚くべく素早さを発揮するシオンに勝てなかった。
 「はい。聞きたいですっ」
 「私が何しに来たか、シオンさんは聞いたわよね?」
 「はい」
 「ちょっとした噂話を確かめに来たの」
 CASLLの背筋が、ぞわぞわし始める。
 「この航路にね、実は幽霊島が出るって噂なのよねぇ」
 ちろりと見る視線に、二人は同時に固まった。
 「ま、ま、まさかっ!」
 オイテケボリの恐怖が、二人の脳裏に蘇った。
 シオンの顔が、青褪める。
 CASLLの顔が、凄みを増す。
 ……恐ろしさに固まっていたのだが。
 「体験談、聞かせてくれたら、原稿料出すわよ?」
 青褪めたシオンの顔が、みるみる赤みを取り戻す中、CASLLは、心底『眼帯外さなくて良かった……』と思ったのである。



Ende

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月11日

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