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『青の色彩 』
高天・透哉2669)&九重・蒼(2479)


 青の色彩に思い出す記憶はいつもただ一人に向かう。
 見上げた空を染める色彩が連れてくる記憶に九重蒼は思う。そこに特別な感情が介在しているわけではなかったが、絵というそれにリンクする青の色彩にまつわる記憶はひどく特別なものとして蒼の記憶のなかに焼きついている。何がそうさせているのかは定かではない。けれどいつか見た青が目に焼きついて離れないと同様に、それが引き連れてくるただ一人の影はいつも鮮明なものだ。
 初めてその人、高天透哉が絵を描いていることを知ったのはまだ高校に籍を置いていた頃のこと。あの頃の透哉は他の誰よりも付き合いが深かった蒼にさえも絵を描くことを隠していた。何が彼にそうさせていたのかは定かではない。けれど一人、自らが描く絵と向き合うことを望み、身近な誰かにそれの評価を求めることはおろか、絵を描くのだということさえもひた隠しにしていることだけは確かだった。透哉にとっては絵を描くこと、ただそれだけの一つの行為が特別な意味を持つのかもしれないと蒼は思うでもなしに思っている。決してひけらかされない才能は本名である高天透哉という名前を持たずとも、この頃は人の注目を集めるようになっている。才能は名前ではない。雑誌などでふと透哉の絵を見かける度に蒼は思う。目にしたからといって透哉自身にそれを告げることはせず、ただ一人そう思うことで友人を評価する。それはあまり評価されることを好まない、特に見知った存在であればあるほどに絵を描くことを隠そうとする透哉を知っていれば当然のことだった。
 初めて透哉が絵を描いている姿を見た時の反応は驚きというよりも拒絶に近いものだった。そう思うのは最も足を踏み入れられたくない場所に土足で踏み込んでしまったような気がしたからだろう。射抜くような視線と正面から向き合ったのはほんの僅かな時間。それはそこにあったことを不思議に思うほどの素早さで消え失せて絵を描くのかと問うた蒼に透哉は単なる遊びなのだと軽く答えた。透哉のそんな一連の変化は脆さと繊細さが漂うものだった。そして言葉がその場を取り繕うためのものでしかないということも明らかだった。
 絵筆を手に中途の絵に向かう透哉の目は周囲にある雑多なものを総て排除してしまっているかのような真剣さで、ただ自身の胸の内に浮かんだその映像を絵筆を駆使することで自身の目に見えるものとして表わそうと苦心していることが明らかだった。その時の目は歌を唄うその時の目に良く似ていた。それに気付けば透哉にとって何かを表わすことがひどく特別な意味を持つことがわかる。そして同時にそれが透哉にまとわりつくどこか脆く、繊細な空気を生み出しているのだということも蒼には自ずと理解できた。
 それからも透哉は絵を描くというそれだけはたとえ蒼の前であったとしても仄めかすさえしなかった。ふと蒼が絵を描いていることを口にしても、それが自分のことを云われているのだということに気付くとさりげなく不快感を見せる。滅多にそうした態度をあからさまにしない透哉であったから、自ずと蒼にもそれがどれだけ透哉にとって厭なものであるのかということがわかり、絵に関する話題は自ずと口にすることがなくなっていった。
 そんな風に頑なに絵に関することを話題にのぼらせることを拒んでいる透哉であったが一度だけ、自ら絵の話題を口にしたことがあった。音楽の才能を認められメジャーデビューを果たし、高校を辞める少し前のことだ。常なら一人占有する寮の部屋に誰かを招くことなどない透哉が珍しく蒼を自室へと招いた。未完成の絵の感想を聞かせてほしいという理由からだった。どんな心境の変化があったのかはわからない。けれどその頃の透哉は一人で抱えきれないようなものを必死になって自身の内で片付けようと苦心している気配が感じられた。蒼に相談するようなこともせず、ただ一人で昇華する術を模索していた。それに気付いていたからこそ蒼は無下に断るようなこともできず、そうすることで抱える何かを収まるべきに収めることができるならと透哉の部屋へと足を運んだのだった。
 初めて見る透哉の部屋。そこにあった絵はひどく青が印象的なものであった。自らそれについて説明する言葉を並べるでもなく、照れ隠しのようにして不必要に饒舌になるでもなくただ黙って蒼が絵を語る言葉を紡ぐのを待つ透哉は常よりも落ち着きがなく、居心地の悪さを感じているのが明らかだった。だがその理由が初めて人に絵を評価されるからだったのか、それとも別の何かが影響していたのかは蒼にはわからないことだ。畳み掛けるように問いを重ねるでもなく、透哉は忙しない雰囲気をまとって自室の片隅に立ち続けていた。
 そんな透哉を傍に蒼はただ目の前にある未完成の一枚の絵を見つめていた。絵の分野においてそれほど造詣が深いわけではない蒼であるから、特別な言葉など並べようがなく、専門的な評価などを与えられるわけがなかった。けれど透哉が蒼の言葉だけを、蒼が紡ぐ言葉を待ってそこに立っていることを強く感じ、何か言葉に変えなければと必死になっていた。
 けれど必死になればなるほどに言葉は姿を現すその前に拡散し、目の前の絵の与える影響は計り知れないことを知らしめられるばかりだった。網膜に焼きつく青色は鮮やかに意識に影響する。決して特別な絵ではない。いくつもの青の濃淡を重ねたそれは空のようにも、深い海の底の風景のようにも見えた。とりとめがなくもつれていく何かを見せ付けられるような気もしたが、それが果たしてなんであるのかは定かではない。何を描いたものなのかと問うことを許さない力を持つその絵を前にこれが才能なのかと思いながら、そこらにありふれた上手だとかそんな安い言葉ではこの絵を語ることはできないのだと蒼は思った。
「どう……?」
 どこか自信がないとでもいうように問う透哉に蒼は何も答えない。そんな蒼を傍に透哉もまた言葉を重ねられなくなる。絵を見せるということは透哉にとって総てを見透かされるのではないかという恐れを抱くと同じことだった。けれどそれは蒼に隠していること。抱える家との確執、我知らず胸の内に腰を落ち着けた蒼への想い、筆先はそうしたものを見事に表わしているような気がした。特に画面を埋める青というただ一色の色彩は紛れもなく蒼をイメージして重ねた色であったから尚更に、感想を求めておきながら隠すそれを知られることを恐れていた。
 だからどうしても強く感想を求めることができない。傍にいて見る蒼の横顔はとらえどころがないもので、何を考えているのかも判然としないものであったから余計に透哉は総てを知られてしまったのではないかという不安と恐れを強く感じていた。
 どれだけの間、二人でそれぞれに沈黙にその身を浸していたかはわからない。
「いい青だな」
 ぽつり云った蒼の言葉を発端に消えた沈黙に透哉は安堵したように笑った。
 結局透哉から絵の話を持ちかけてきたのも、絵を見せてもらったのもそれが最初で最後だった。
 その後、透哉は高校を中退し、残された蒼は無事に卒業、大学進学を果たして今は別々の道を歩みながらも友人としての関係は続いている。それでもあの頃と同様に別の名前でもって透哉が絵を描き続けているということが話題にのぼることは決してない。時折雑誌などでその絵を見て、今も描き続けているのかと確認すること以外に蒼が透哉の絵を知る術はなかった。
 遠いあの日とは違う色をまとう空の下で、あの日自分が告げた言葉が透哉に何がしかの影響を与えたことだけは確かだと蒼は思う。数年が過ぎた今でも透哉の絵にはあの青がある。揺らぐことのないその青が持つイメージは揺らぎながらも鮮やかさを増して、一つの完成されたものへ向かおうとしている。目にする度に今もあの頃と変わらず挫折することなく何か一つを求めて透哉が突き進もうとしていることがわかるそれは蒼をひどく嬉しくさせるものだった。
 誰かが何かにひたむきに努力する様は決して見ていて不快なものではない。不快どころか快いものであった。それが親しくする友人であれば殊更に、まるで自分のことのように嬉しく思うのも当然のことだろう。
 きっと透哉は今も自分のなかにある青というその一色を求めて絵筆を手にしている。それはたとえ描かれるものがどんなものであったとしても、青というその色が画面のどこかに存在すればあの日の青色の絵に繋がっていく。総ての発端があの日見たあの絵にあると思うのは驕りかもしれない。そう思えども蒼はあの日、自分が告げた言葉が今も尚、透哉に影響していればいいと思う。そんな関係でありたいと思う。どんなものであれ一つ一つがそれぞれの過去に刻み込まれ、これから先、どこにあるとも知れない未来に影響することができるものを残す。そんな関係を築くことができたなら、きっとこれからも変わることなく友人としてその関係を続けていくことができるだろう。
 見上げた空には青がある。
 それは刻々と色を変えていく。
 まるで透哉の描く青だと思って、いつか透哉が描く青が本当になるその日が来たらそれは世界にある人の手によって作られたどの青よりも本当に近いものだと告げようと蒼は思った。透哉が描く青はとどまることなく移り変わり、そうした力強さは世界を彩るために存在する自然の青が持つ強さによく似ていた。
 初めて透哉の絵を見たその時に思ったそれは今も変わることがない鮮烈なものだった。


PCシチュエーションノベル(ツイン) -
沓澤佳純 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月10日

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