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『涼しい風は気まぐれに  』
カーディナル・スプランディド2728

 聖都エルザード。 暑いくらいの眩しい陽射しが跳ねる石畳の広場を、一人のリンクスが歩いていた。
 カーディナル・スプランディド、通称カーディ。15歳。成猫したばかりの明るい女の子である。
 カーディは、人で賑わう天使の広場を過ぎ、アルマ通りや魔法学院を横目に、聖都のはずれへと歩いていく。そして、小さな一軒家に着くと、「ただいま!」と元気よく扉を開けた。
 返事は返ってこない。なにせ、カーディはこの聖都に出てきて一人暮らしを始めたばかりなのだ。けれど、やっと手に入れた――といっても借り物だが――聖都の我が家、帰ってくれば挨拶の一つもしたくなるというものだ。
 上機嫌で部屋へと入ったカーディだったが、すぐに大きく息をつき、ぺたりと座り込んだ。どっとにじんだ額の汗を、手の甲でぬぐう。
「暑い……」
 思わず声が漏れ、しっぽはげんなりと垂れ下がる。
 やっと、家の中に入って外の熱い陽射しから逃れたというのに、今度は家中にこもった、湿った空気がむっとする。まるで身体の中に湯気が詰まっているかのような蒸し暑さだ。
 僻地と呼んでもよいような故郷をもつカーディには、この聖都の暑さは大きな誤算だった。
 何も知らない街の人には、「寒がりの猫さんにはちょうど良いでしょう?」なんて言われることもあるが、とんでもない。猫族たるリンクスには立派な毛皮があるのだ。そのおかげで、感じる暑さは倍増である。寒がりだからといって、暑さに強いわけでは全くないのだ。
「せっかく聖都に出てきたけど、本業はイマイチだし、とにかく暑いし……」
 ふう、と一つ溜息をつく。
 カーディの「本業」は魔石練師という、自分の魔力を凝縮させてさまざまな効果をもつ魔石を作り出す魔術師である。その魔石は、量産がきかないため高値で取引されることが多い。いわば、花形職業の一つと言っても良いだろう。
 とはいっても、魔石練師であれば誰でも優雅な生活ができるというわけではない。現に、成猫を機に師匠の元を離れたばかりで、未だ修行中の身であるカーディなどは、本業だけでは生活が成り立たない。今だって、アルバイトから帰ってきたところなのだ。経済的には苦しいながら生活は楽しいが、このままではいけない。カーディは魔石練師として聖都に出てきたのだから。
「……よしっ」
 カーディはおもむろにぴんと耳を立てると立ち上がった。そのまま、魔石練成用に使っている隣の部屋へと向かう。くさっていても仕方ない。要は魔石練師としての腕を上げ、人が欲しがるような魔石を作れば良いのだ。
「さてと、どんな魔石を作ろうかな」
 カーディは金色の目をくるりと回しながらひとりごちた。
 魔石を作れる数は限られている。それで確実に、そしてそこそこの収益が欲しい。どんなものでもとりあえず作れば良いというわけではないのだ。
 多くの人が欲しがるようなもので、多少高いお金を出しても良いと思わせるもの。となると。
「……ある程度贅沢で、生活に密着しているもの、かなぁ……。何があるだろう……」
カーディは腕組みをすると、小首をかしげて考えをめぐらせた。
 が。
「……暑いよ……」
 首筋に流れる汗に思考を遮られ、数分と経たぬうちにがっくりとうなだれる。こうも暑けりゃ、まとまる考えもまとまらない。
「もーう、どうしてこんなに暑いの! もっと涼しくなればいいのに! ……そっか、それだ!」
 天井に向かって思わずそう叫び、カーディは、ぽん、と手を叩いた。
 涼しくすれば良いのだ。この暑い聖都、部屋に冷気が充満するような魔石があれば、欲しがる人は多いに違いない。というより、カーディ自身が真っ先に欲しい。自分が欲しいものは人だって欲しいに決まっている。
「属性は、闇と水と風ってとこだね。名前は……『涼風』にしようっと」
 妙案が浮かべば、もともと楽天的なカーディのこと、すっかり気分は良くなって、考えは加速度的に都合の良い方向へと進んでいく。
 本来水属性は得意ではないカーディだが、それだって苦手の克服の良い機会だし、それで生活まで潤うなら一石二鳥、というやつだ。魔石の名前をあらかじめ決めておけば、イメージが固定されて次に作るのが楽になる。売り物にするのだから、また同じものを作れなければならない。一度成功してそれっきり、というのでは困るのだ。
「あたしって頭いいっ」
 すっかりテンションの上がったカーディは勢い良く立ち上がった。さっきまでうなだれていたのが嘘のように、しっぽも耳も一緒に、ぴんと元気よく跳ね上がる。
 アイディアは固まった、次の心配もいらない、あとは魔石を作るだけ、である。
「さてっと」
 気合いは十分、カーディは魔力を凝縮させるべく、目を閉じて精神を集中させた。全身の毛皮がざわざわと逆立つような感触が伝わってくる。
「……っ」
 魔力が凝縮した手応えを感じ、カーディはそっと目を開けた。手の中に現れた魔石はやや無骨な形をして、黒ずんでいる。
「闇が強すぎたか……。失敗だね」
 小さく溜息をついて魔石を解放させると、さあっと薄墨を流したような霧が広がり、そして消えた。魔石へと凝縮されていた魔力は、カーディ自身の元へと戻ってくる。
「さて、もう一回」
 一度失敗したくらいで諦めては猫がすたる。軽く息をつくと、カーディは再び精神を集中させた。ざわざわと毛並みを波立たせて魔力が集まってくる。
「……今度は風が強かったみたい」
 緑がかった色の魔石を見て、カーディは再び溜息をついた。
「やり直し」
 解放させれば、今度はごうっと音を立ててあふれた風がカーディの額の毛と耳を揺らした。涼しくないこともないが、カーディのイメージする『涼風』とは違う。
「さて、まだまだっ」
 三たび精神を集中させる。が、今回出来上がったのもやはりカーディの思うようなものではなかった。
「やっぱりうまく水を組み入れるのはちょっと難しいかなぁ……」
 ぱしゃり、と音をたてて床をぬらし、魔石は溶けて魔力に戻る。
 やはり水属性の苦手さがたたってか、なかなか3属性のバランスがとれない。単独なら水もそこそこ扱えるのだが、複合で、となると難しさも格段に上がるのだ。
「でも負けないもんっ」
 だからといってへこたれるわけにはいかない。一石二鳥は目の前なのだ。
 気合いを入れ直し、カーディは再び魔石練成に取りかかった。

「疲れたー。暑いー」
 魔石を練成しては解放し、を何度繰り返した頃だろうか。カーディは思わずそうもらすと、練成を中断してごろりと床に転がった。
 魔石を解放する度、魔力は戻ってくるのだが、体力は消耗したままだ。しかも、ずっと精神を集中させているので、気づけば全身汗だくになっている。転がった瞬間はひんやりと感じた石の床も、すぐにカーディの体温を吸ってぬるくなってしまった。
「ああ、難しいなぁ……。それにしても暑い……」
 疲れきったカーディに、徐々に睡魔が訪れてくる。ふと、半分眠りかけたカーディの頭に、一つの光景が鮮やかによぎる。
 静まり返った薄闇の中、風が渡る澄んだ音が時に音色を変えながらさらさらとかすかに響く。じっと目をこらせば、幾本もの太い氷柱がわずかな光を反射して、透き通ったその姿を現す。
 ああ、これは修行のために、と師匠に連れて行かれた氷室の洞窟だ、とぼんやりとした頭でカーディは考えた。
 とても神秘的だし、綺麗な場所だが、何しろ一年中氷が溶けないのだから、とにかく話にならないくらいに寒かった。猫の行く場所ではないとさえその時は思った。
 けれど、今はその寒ささえ懐かしい。というよりはむしろ、切実に恋しい。
「ああ、あのつららの先っちょ、ちょっとだけ、ちょっとだけでもいいからなめたいなぁ……」
 重たくなってきたまぶたをこすりながら、カーディは呟いた。訴えるようだったその声も、次第に空気に溶けるようにはっきりしないものへと変わっていく。疲れのせいか、いつしか意識と共に暑さも遠のいて、カーディはとろとろとした眠りへと引きずり込まれていった。

 その傍らで、透き通った淡い水色の魔石が結晶し、キラキラと輝きながら心地よい冷気を放って溶けていく。が、すやすやと心地よい寝息を立てるカーディは、いまだそれに気づいてはいなかった。
 



 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
沙月亜衣 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年05月09日

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