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『夏の終わりにはじまった 』
光月・羽澄1282)&葛城・伊織(1779)


 満月と梟が見ていた。
 彼らこそが仲介人である。

 月はいつも通りにただ見下ろすばかりの傍観を決めこみ、梟は獲物には大きすぎると踏んでまばたきしただけだ。東京から――いや、それどころか、人里そのものから――遠く離れた夜の山中に、よほどの物好きか、ふたりの人間が分け入っていたのだ。太陽は沈んで久しいが、盆暮れの熱気は、夜空を歪ませるほどにきびしい。ふたりの男女は、じっとりと肌に絡みつく熱や汗、蚊と戦いながら、互いの存在を知らずに、ひとつの共通の目的地に向かって歩いていた。

 ひとりは光月羽澄――両親を事故で亡くしたばかりの高校生にして、いくつもの超常能力を駆る者だ。調達屋『胡弓堂』に住みこみで働くようになってから、こうして「変わった」仕事を引き受ける機会が増えていた。この山中にある日本家屋におもむき、何とかという骨董品の封印を何とかしてほしいという、常人ならば冗談だと思うような依頼だ。胡弓堂の店長ときたらいつでも多忙で、今回の仕事も羽澄に丸投げしてきたのである。気をつけていけ、とは一応言っていたが。
 ――ああ、やだやだ、もう。蚊だらけだし暗いし歩きづらいし、……店長ったら、面倒な仕事ばっかりまわしてくるんだから。
 羽澄はそう心中でぼやいてから、でも、と思い直す。
 ――ほっとくわけにもいかないか。困ってる人もいるんだし……。
 緑の目の中に飛び込もうとしたか、、羽澄の視界をふさいだ蚊がいた。羽澄はそれを、白い手で振り払った。

 もうひとりは葛城伊織――いにしえの忍の血をひく鍼灸師だった。ただの鍼灸師であると同時に、ただの鍼灸師ではなかった。この漆黒の闇の中で、彼はつまずきもぶつかりもせずに、すいすいと山道を進んでいくのだ。彼はその黒の瞳を、夜目のツボに自ら鍼をうち、闇を見通す梟の目に変えていた。彼には、得体の知れぬ怪異におののきながらも、獣たちと同じように闇に韜晦しようとしている森がはっきり見えている。
 たまたま気が向いてアトラス編集部に顔を出した伊織は、そこの主である鬼編集長から直々に依頼を受けたのだ。――この山中に現れ、アトラスの若い記者をひとり惨殺した存在の退治を。編集長は冷徹だが、時折怒りや憂いを見せることもある。彼女は仇討ちを依頼したつもりではなかろうが、この依頼は結果的に仇討ちになるのだろう。
 ――俺が万に一つ、しくじったりしなけりゃな。
 ツン、と伊織は鍼を振った。針の先で、ジリリ、と身体を貫かれた蚊が身悶えた。


 『奴』という存在は、夜行性であるらしい。光を嫌うのか、夜しか知らぬものなのか。木造の古ぼけた家屋は息を殺している。内に恐るべきヒトゴロシを孕みながら。


 家屋は、現在は好事家が集めた骨董品を保管する物置として使われているようだが、かつては大家族が住んでいたらしい。そこかしこに、残り香のごとくしがみつく、家族の想いがあったのだ。柱には丈比べの傷があった。
 足音を忍ばせて湿った古い廊下を歩けば、気配がちらりちらりと侵入者の様子を伺い、物陰へ消えていく。満月の光は気配の主を照らし出すには至らない。あまりにも物が多すぎたのだ。しかも、置かれているものは骨董品。人々の古い想いが詰まった、言わば思い出そのもの。ざわめきが、視線が、気配が、あふれている。
 まるで日が昇り始めたときのようなはっきりとしない熱気が、ふと、剃刀のような冷たさを帯びることもある。
 気と大気の振動はねじ曲がり、渦を巻いていた。
 ここは、よくない。
 多くのものが集まりすぎて、眠っていたものは叩き起こされ、安らぎはベクトルを書き換えられる。このまま放っておけば、ここに入った人間が間違いなくその『気』を乱され、狂い、挙句に命を奪われる。
 か、か、か、
 音を立てて屋敷は動いているようだった。
 月が目をそむける。
 その横顔に、黒の雲のヴェールがかぶさった。
 そうして、辺りは、生温かい暗闇につつまれたのだ――。


 そこに動くのは、見えぬ気配!


 それまで羽澄が封じ込めていた鈴の音が爆発し、
 研ぎ澄ませた伊織の鍼が熱気を裂いた。
 音は鍼を震わせ、鍼が銀の結界のわずかな隙間を貫く。
 一瞬の交錯は甲高い振動を生み、家屋の中の古きものどもをひどく驚かせた。声にはならない叫び声が駆け抜け、屋根で羽根を休めていたカケスが、断末魔にも似た声を上げて逃げていった。

 一体なにが起きたのかと、月がそっと視線を屋敷に戻す。
 黒のヴェールをかき上げて。

「……なんだ、おまえ」
「……それ、こっちの台詞」
 それは、お互いに、黒い仕事着に身を包んだ能力者なのであった。
 羽澄の銀の鞭がとらえようとしていたのは、黒装束の若い男。
 伊織の鍼が突こうとしていた喉の急所は、銀の髪の少女のものだった。
 ふたりは残暑のために汗をかき、肩で息をついていた。この熱気のために、判断力が鈍ったのかもしれない。月の光に頼るまで、刃を向けたものが人間であったことに気づかなかったとは。
「……こんなところにそんな格好で来てるってことは……」
「お互い、涼みに来たわけじゃアないってことだな」
「なにが居るか、知ってる?」
「ヒトゴロシさ」
 伊織は笑うと、先に得物を引いた。
 月の光を浴びる少女は、月の女神か月の使者かと思えるほど、美しかった。彼はその美貌に見とれることはなかった――少なくとも、今このときは。
 さっ、と月の光をさえぎった気配に、ふたりは身構え、目で闇を追う。
「封印が解けた、って聞いたわ。私はその『器』を探す」
「ようし、合点だ。立ち回りは野郎の仕事、ってな」
 熱風をまとい、二人はそれぞれが思う方向へと走り出す。

 そうだ、名前を聞いていなかった。
 こんばんは、の挨拶もしていない――。

 ぴウっ、
 鋭い音のように、伊織の鍼は飛んだ。
 飛んで、障子紙がすっかり破れ落ちた障子の格子の間を縫って、動く気配に突き立った。すさまじい咆哮を上げ、ヒトよりも大きな図体の存在が、障子の向こうでどうと倒れる。
 しゅん、と新たな鍼を懐から取り出し、かちりとくわえて、伊織は湿った畳を蹴った。梁を蹴り、障子を蹴り飛ばし、自らが転ばせたものを見定める。
 それは、虎だった。
 日本に、虎。
 野生の虎など、いるはずもない。
 まして、白と黒の白虎など!
 脚に鍼をうたれた虎は身をよじり、この世のものとは思えない、怒りの咆哮を上げた。

「――あった! これね!」
 無数の骨董品の中で、特に異彩を放っているものを、羽澄は見出した。近くでどたんばたんと争う音がしている。咆哮も聞こえる。獅子か虎か、とにかく、猛獣の声だ。男の悲鳴や気合は聞こえない。苦戦はしていないのだろう。
 羽澄は壁にかかっていた掛け軸を掴み取った。
 古い、湿った掛け軸には――薄墨で、月が描かれているだけだった。月下には不自然な空白があり、草がまばらに生えていた。
 この掛け軸からは、なにも感じられない。
 この、思い出ばかりが渦巻く物品たちの中で、何の魂も持っていないのだ。それは恐らく、肝心の想いが、掛け軸の外に飛び出してしまったから。
 羽澄はかの一休のエピソードを思い出しながらも、からっぽの掛け軸を抱えて、戦地に走った。


 白と黒の白虎の牙は、奇妙なほど薄っぺらいものだった――いや、この虎のすべてが、薄いのだ。まるで紙に描かれたもののようだった。
 毛並みは毛筆で引かれた美しい弧そのもの。瞳のするどさは紙の白。黒ぐろとした爪は、墨であるか。
 ぴシぃ、と鍼が爪を裂いた。ツボを突こうとしても、手応えがない。それに引き換え、虎の爪は確実に物体を壊し、伊織を引き裂こうとする。
「不公平だ」
 伊織はトンボを切って爪を避け、思わず呻いた。
 足音が駆け寄ってくる。銀髪の少女が、掛け軸を広げた。
「その虎、ここに戻すのよ!」
「逆『一休』か! 封印はおまえさんの仕事だな!」
 かちりと鍼をくわえ、笑って、とんと伊織は畳を蹴った。
 ぱぱぱ、と畳に血が降った。

 羽澄が声を上げようとしたときには、忍者の動きの男は虎の『裏側』に着地し、当て身を食らわせていた。薄い虎は奇妙なほど鈍い音を立てて吹き飛ぶ。
 羽澄は掛け軸をかざした。墨汁の固まりが紙にぶつかる音がした。彼女は息を吸い込む――
 月が聞いた。
 人間ではないものの声を。

 ――とどまれ!!――

 白虎は水墨画の掛け軸に戻った。
 が、そのポージングが以前のものと同じであるかどうかは定かではない。その顔は正面から目をそむけ、涎と血を吐いていた。


 満月はなおも見下ろしている。
 ざわめく家屋の縁側で、腰を下ろしている男女の姿を。
 男は腕に傷をこさえていた。虎の墨の爪を避けそこねたのだ。女がその傷の手当てをしていた。
「変わった封印だったな。流派はなんだ?」
「我流」
「ほお」
「手裏剣じゃなくて鍼投げる忍者っていうのも珍しいと思うけど」
「俺は、葛城流だ」
「……ひょっとして、葛城衆?」
「なに、知ってるのか!」
「名前、聞いたことあるだけ。私、これでも、いろいろ知ってるのよ」
「そうか、ばれちゃあ仕方がない」
「……消すの? 私を」
「そんな物騒な一族じゃねエやい、葛城は。名乗ろうってンだよ。忍の名前聞けるなんて、ちょっとは有り難がってもらわないとな、ってことさ」
「そう、それは光栄。私、光月羽澄」
「先に名乗りやがったな!」
「で、きみは誰?」
「『きみ』ときたか! ………………葛城、伊織だ」
 互いの名前をようやく知って、ふたりは、月光の下で微笑みあった。
 月が沈み、太陽が昇って、ざわめきが落ち着くまで――梟の視線が消えるまで、ふたりは古びた『物置』にとどまっていた。
 朝になれば、ひどく爽やかな風が吹いていった。

 もう二度と会うこともないだろうが、またばったりと出くわすことがあるかもしれない。
 ふたりはそんな矛盾した想いを育んで山から降り、東京に消えた。

「なあ、手当て、ありがとな」
「気にしないで。こっちも助かったもの」
「じゃ」
「ええ」

 ふたりが再会するのは、2日後だ。
 月は見ていたのである。
 アトラス編集部の窓越しに、そっと、だまって、微笑みながら。




<了>
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2005年05月09日

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