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『一応美術館〜シャガールとピカソは禁句 』
宇奈月・慎一郎2322

 ここはニューヨーク、閉館後のメトロポリタンミュージアム。白い巨大な建造物は、名画や名作をその内に孕んだまま建物ごと深い眠りについているかと思われがちだが、実はそんな事はない。
 確かに展示室などは明かりも消えて静まり返っているが、逆に裏方ではこれからが忙しい盛りである。来客がいては出来ない修理、配管工事など。展示品の修繕、管理、またそれら全てに関わる人々の為の、料理人や掃除人などなど。
 そし深夜のこの時間帯に、明かりの消えた展示室内を見回っている、この二人の警備員も、そんな働き者達の一端である。
 「…いやしかし、今日はいつにも増して疲れたよ」
 二人のうちの、初老の男が自分の肩を自分で揉みながら溜息交じりの言葉を漏らす。
 「あれ、今日はでも午後からの出勤じゃなかったですか?」
 もうひとりの警備員はまだ年若い、ようやっと少年の域を脱出したばかりのような若者である。
 「それとも、今日は特に人手が多かったんですかね。いい季節になって、出掛ける人も多いみたいですし」
 「それも勿論あったが…何だかね、妙な客がいてね」
 「妙な客?」
 若者が繰り返す。深く頷いて初老の男がまたも溜息を零した。


 それは今日の昼頃の事、君は遅番だったから知らなかっただろうが、一時、館内は大忙しだったんだよ。
 さっき君が言ったように、確かに来観客数も多かったよ。海外からの見学者も多かったし。多分あの男も、海外からの旅行者の一人なのだと思う。
 「海外からの…って外国人ですか?」
 ああ、アジア系の…あれは多分、日本人だよ。黒髪が艶やかで細面の男前だった。一見すると、学者か芸術家風の容貌なのだが…それがまた曲者でね。何気ない顔で素知らぬ振りをしていろいろ仕出かしてくれるもんだから、我々警備員も彼を追って、この広い館内を右往左往する羽目になったんだ。
 しかも不思議な事に、彼はさっきあっちの三階フロアに居たかと思うと、次の瞬間には何故か一階の正面玄関に居たりする。私など、廊下の端で彼を見掛けたものだから、慌てて後を追って。彼が扉を潜った直後に、そこに飛び込んだのだが、既に彼の姿は無く、階下で同僚の叫び声がしたんだ。『出た―――ッ!』…てね。
 「………」
 まるで煙か幽霊のようだろう?神出鬼没と言うのはこの事を言うのだろう。日本人はみなニンジャだとの噂を聞いた事があるが、満更嘘でもないような気がしたよ。
 「…いや、その噂は十中八九、ガセでしょう」
 …そう言えば一度、妙な光を見たな。彼は小脇にノートパソコンを抱えていたのだが、そのパソコンを開いて何やら操作をすると、ディスプレイが眩い光が溢れ出し、その中になんか見た事もないような生き物の姿が透けて見えた。等と思っている隙に、彼の姿は掻き消え、違う場所に登場する、と言う訳だ。
 で、その日本人だが…そうやって姿を消したり現われたりするぐらいならまだ良かったんだが…
 「何か、作品に傷をつけたりとか?まさか、盗み出そうとしたとか…」
 そう言う、あからさまな犯罪行為なら、私たちも大手を振って彼を捕らえる事が出来たよ。…だが、彼のした事と言えば、
 (そう言って初老の男は前方のとある作品を、手にした懐中電灯で照らした。丸い光源の中に浮かび上がるのは、青銅製の像である。ギリシャ神話の若者を、躍動感溢れるタッチで生き生きと表現したものだ。腰に薄絹を纏っただけの、隆起する筋肉が美しい造形だが、注目すべきところはそこではないらしい。男のライトが、ずずっと下がってその銅像の足元を照らし出すと)
 「…あれは、…まさか…靴?」
 そう、靴。前からあったか、だって?ある訳ないだろう。サンダルとかならまだしも、あの時代にタッセル付きの革靴なんか存在する訳ないだろう?例えあったとしても、何故、靴だけ本物なんだと不思議に思わないか?
 …さっきの日本人が、「裸足では可哀想ですし」とか何とか言って、自分が履いてた靴を貸し出したんだ。
 「………」
 で、彼は裸足で歩いて帰ったのかと言うと…そうではないんだな。さっき言った、妙な生物の背中に徐に跨って、のっしのっしとフロアを歩いていったよ。余りに堂々としていたから、他の客も、何かのパフォーマンスかと思ったらしく、大した騒動にならなかった事は幸いしたがね。
 (そして初老の男は照らしてたライトを降ろす。当然、先程の銅像は再び暗闇の中に埋もれてしまったのだが、光の円形が消える瞬間、銅像の背後に、黒尽くめの女の姿があった事には二人とも気付いていなかったようだ)

 次に彼が現われたのは古代エジプトの秘宝を集めた特別展だった。やっぱり、のっしのっしと例の生物の背中に跨った彼がやってきたかと思うと、ミイラの傍で跨ったまま、手元で何かを弄っている。私は彼の逃亡を阻止しようと扉の傍に居たのだが、背後からそっと近付いた警備員のひとりが、彼の手元を覗き込んだ瞬間。
      ジリリリリリリリリリ―――!!
 …と、けたたましいベル音が鳴り響いた。彼がその手に持っていたのは…クラシックな手巻きの目覚まし時計だったんだ。「やっぱり誰しも朝寝坊したくなるものですからね…でもいい加減起きないと、脳味噌腐って耳から垂れ流れてきますからね」とか言いつつ、ミイラの枕元にそれを置こうとしていたらしいんだな。…脳味噌腐る云々以前に、ミイラだから中身は空っぽだろ、って話もあるが。
 その他にも、アンティークもののアクセサリのウィンドゥで、丸いルビーと四角いエメラルド、三角のサファイアを縦に並べて悦に入ってたりとか…あの形状には何か意味があるのかねぇ。何やら怪しげな術を使うようだから、それに関する呪いのアイテムとか…
 「考え過ぎでしょ。幾ら、不思議の国、ジパングの人だからって」
 あとは、花畑の油絵に、「花には矢張り蝶がいないと」ってんで何故かサイコロを巻いたりとか。私は訳が分からなかったが、そのあと彼は、チョウが出るか、ハンが出るか…などと呟いていたらしいよ。
 とまぁ、作品自体に何か危害が及ぶ訳ではないのだが、何か意味不明な事を仕出かしてくれていてね、そんな彼に振り回されていた、と言う訳さ。


 そこまで言うと、初老の男は、ほっとしたように息を吐く。別段、関係者以外には秘密にしなければならないような話でもなかったが、何しろ全てが意味不明なことだらけなので、とにかく誰かに打ち明けたかったのだろう。男の思惑通り、謎を共有した二人は、お互い顔を見合わせて肩を落とし、溜息を零した。
 と、その時。そんな二人のすぐ横を、ひとりの女性が通り過ぎる。こんな真夜中、しかも閉館後の館内、見るからに部外者である存在なのだからどう考えても怪し過ぎる、だが、その人並外れた美貌の所為か、警備員の二人は、半ば夢心地で、彼女の背中を呆然と見送るだけだった。黒一色の妖艶なドレス、長い黒髪、その腕に抱いた黒い猫。コツコツとヒールの音をさせながら彼女は歩き、そのまま何事も無かったかのように、その黒尽くめの姿は、展示室の向こうの暗闇へと吸い込まれていった。
 「………」
 「………」
 男二人は顔を見合わせ、同時に逆の向きに首を傾げる。まぁいいかと安直に結論付け、定期巡回の続きを行う事にした。
 「そう言えばさっきの日本人ですが。見るからにアヤしい感じだったとか?」
 「いや、見た目は普通の男性だったよ。黒髪をちょっと長く伸ばしてな、白皙の美青年と言うのだろうか」
 「へえ…あんな風に?」
 若者が、通り掛かった壁に掛けられた一枚の絵を指差す。釣られてそっちを見た初老の男が、大きく何度も頷く。
 「そうそう、まさにそんな感じの……って、ええ!?」
 初老の男の驚きに、若者も驚いて、改めてその絵を見遣る。イタリア・ルネッサンス時代に華開いた肖像画の一枚で、気品溢れる上流階級の淑女の全身が描かれた傑作だ。
 …が、何故か、そんな彼女の背後に、時代考証まるっきし無視で現代風の格好をした、ひとりの日本人青年の姿も描かれていたのだ。
 彼は、絵に描かれた貴婦人に、何か問い質して詰め寄っているように見える。困り果てた貴婦人の、羽根扇子ツッコミが見事に彼の眉間に炸裂する。クリティカルヒットを食らった彼は仰け反り、しゃがみ込んでシクシク泣き真似をし始め、それに焦った貴婦人が慌てて慰めようと…って。
 「…動いてますよ、これ……」
 「…ああ、動いてるな……」
 呆然と見詰める警備員二人の目の前で、日本人青年と貴婦人の攻防戦は、延々と繰り広げられていた。

 そんな額縁の下には、一台のノートパソコンが、起動されたままぽつんと置き去りにされていた。そのディスプレイに浮かんでいたのは。

【あまりオイタをしちゃダメよ♪  沙耶】

 勿論、名前の後ろにキスマークの署名付きである。


おわり。


☆ライターより
 説明しないと分からないようなダジャレは止めときなさい、と自分でも思うのですが(笑)
 高峰女史にとって『皺がある』と『でべそ』は、触れてはならない禁忌なので、慎一郎氏は、真理の向こう側を見させられた…らしいです(何)
 今回は、本文中に慎一郎氏のしの字も出てきませんでしたが、少なくともメットでは暫くの間、話題の人だったようです(笑)
 ではでは、またお会いできる日をお待ちしています!(と言うか次は草間興信所ですね…・笑)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月09日

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