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『戯事、もとい、飯事 』
四宮・灯火3041


 息を殺して耳を澄ませば、かすかに聞こえてくるのは列車がレールを渡ってゆく音だった。あるいは、車道を車が通ってゆく音でもあるだろう。
 それほど、この夕暮れの『神影』はしずまりかえっていた。ただでさえ繁盛するような店でもないうえに、いまは、店員の姿すら見当たらないのだから。
 誰の姿もなく、売り物なのか飾り物なのかわからないもので混沌としたテーブルや棚を見れば、人はここが骨董品屋だとは思わないかもしれない。蒐集家が建てた物置だと思う可能性すら、なきにしもあらず。
 ……しかし、そのとき、無人の店の中で動いたものがあったのだ。
 カウンターの奥の椅子に置かれていた日本人形が、ひとりでに動き、すとりと床に立ったのである。蒼い目と赤い振袖がひどく美しい、少女を模した人形だ。固められた表情のまま、人形は確かに動く。カウンターからとことこと歩み出た人形は、一見では、少女と見まがうような様相をも持ち合わせていた。不気味というよりはしかし、不思議なのであった。
 彼女は、カウンターに貼りつけられた女の字によるメモに従って動いているのだ。

『 灯火へ

  午前中は商品の埃おとしをしてね。
  手が届く場所にあるものだけでいいから。
  午後4時になったら明かりをつけること。
  東向きの店だからすぐ暗くなるんだよ。
  午後10時になったらさっさと閉めてしまいなさい。
  ひとりの店番になるけど、どうせ客なんか来やしないから大丈夫だよね。
  私の帰りは午後11時くらいになると思うから、
  先に奥で休んでていいよ。
  もし緊急事態になったら狼男を呼んでいいからね。
  店番よろしく。
                              店主より 』

 動く日本人形、それこそがメモの呼ぶ灯火であった。まるで生けるもののように動く、彼女こそが、四宮灯火。
 灯火はメモの言いつけ通り、時間通りに動いたが、逆に言えば、言いつけ以上のことはしなかった。べつに面倒臭がっているわけでも、気が利かないわけでもない。ただ彼女はその身体が無機質であるがゆえにか、さほど器用ではなかった。店に並んでいるものは(なかなかそうは見えなくとも)高価なものばかりであったから、落として壊したり、変にひねって壊したりする事態を、灯火は自ら避けたのである。
 店主自身がメモでうそぶいている通り、午後4時を過ぎた段階で、その日の客数は0であった。
 椅子と箒の柄を駆使して店の明かりのスイッチを入れた灯火は、無言のまま再びカウンターに戻り、それまで座っていた椅子に腰かけた。

 まばたきの音すらない時間が、確実に流れていった。

 と、

 ク、と灯火の蒼い目が動いた。
 彼女は黙って、店の奥の倉庫を見つめる。
 倉庫の中で音がしたのだ。倉庫の出入口は店側にしかなく、窓もない。何者かが侵入したわけではないはずだ。倉庫の中は店以上に混沌としている。店に出せないような曰くがついた代物や、くすんでしまった真鍮や銀でできたもの、店主が価格設定に苦しむものが、「とりあえず」突っ込んであるのだ。
 もしかすると、何か落ちたのかもしれない。
 灯火は――それが、気になった。
 人形が何かを気にするということが、どれほど特別な事象であることか。しかし当の灯火は、それを自覚していない。する必要もないことだ。彼女はただ物音が気になったから、カウンターを出て、倉庫に入ったのである。


 ぱちり、と灯火はまばたきをした。
 ことりことりと、物音が続く。
 ことりことりと、動いているものがある。
 灯火は音の出所のかたわらで屈みこんだ。音は、古い木箱から発せられている。木箱はことりことりと震えていて、蓋が時折浮き上がっていた。
 灯火はやはり無言で、臆することもなく、そっとその木箱の蓋を開けた。
 ふっ、とこどもたちの匂いが飛び出し、消える。灯火は中に入っていたもののひとつを手に取り、小首をかしげて、しげしげと見つめた。
 彼女がいま手に取っているのは、古い、ブリキの茶碗だった。木箱の震えはやんでいた。その木箱の中にきちんとしまわれているのは、ブリキの茶碗と鍋、箸、包丁を模したもの、まな板。昭和が始まった頃につくられたとおぼしき、ままごと道具だ。
 音を立て、灯火を呼んでいたのは、この道具たちにちがいない。
(あそぼ)
(あそぼ)
(あそぼうよ)
(あそんでよう)
 灯火に、茶碗たちはそう囁きかけてきていたのだから。

 ふと、灯火はまばたきをした。聞いたことがある、見たことがある。以前にもこんなことがあった。この店では始めて見る道具であるはずなのに、灯火は奇妙な違和感を感じた。
 それをひとはデジャ=ヴュと呼ぶ。


『さあ、さあ、ゆうげよ、とうかさん。たんとたべてね。きょうは、おかあさまがいっしょうけんめい、じっくりにこんだおにくですよ。はい、あーん』
 小さな小さな空の鍋から、そこにはあるはずもない煮込みを取り出し、ブリキの茶碗に盛りつける。空っぽの茶碗が、無言の灯火の前に差し出される。
 灯火を愛でる小さな持ち主は、たどたどしい持ち方の箸で、空の茶碗から上手に空想の煮込みを一口ぶん取ると、開きはしない灯火の口元に持っていくのだ。
『あらあら、とうかさん。おにくのにこみはきらいだったかしら。おにくをたべなければおおきくなれませんよ。さあ、ちゃんとたべてくださいね。……そう、そう。おいしい?』


(あそぼうよ。おままごとしよう)
「……はい」
(わあい)
 かつては開かなかった灯火の唇が動き、小さく返事をした。
 ブリキの鍋が動く。茶碗が動く。灯火は静かに箸を取る。
「夕餉ですよ……。皆さん、今日は、お肉の煮込みですよ。たくさん食べて……大きくなって下さいね」
 灯火は鍋の蓋を取る。中身は空っぽだ。わずかに砂粒がこびりついていたが。
 このままごと道具のかつての持ち主は、砂をあらゆる馳走に見立てたか。小さな急須に水をいれ、子供には飲ませてもらえない茶を模したか。
「……おとうさま、お茶をお淹れしましょう。……あら、あなたはまだいけません。こんな時間にお茶を飲んだら、眠れなくなってしまいますからね……。お茶は、おとなになってからにしましょうね……。お肉をたくさん食べて、大きくなるのですよ……」


『とうかさん。ごじぶんのしょっきは、ごじぶんでさげましょうね。おかあさまがあらいますからね』
『夕餉の支度が整いましたよ。いらっしゃい』
『はあい。……とうかさん、おままごとのつづきはあしたにしましょう』


 東向きに建っている『神影』は、すでに黄昏の暗闇に包まれていた。明かりがついた店内はともかく、窓もなく、出入り口がひとつだけの倉庫は、真っ暗だった。
(わあい、ひがくれた)
(ごはんのじかんだ)
(もう、おかたづけしなくっちゃ)
(おもしろかったあ。またねぇ)
 灯火は、かすかなかすかな、ぱたぱたという足音を聞いた気がした。
 古いままごと道具たちは沈黙している。それが当然であり、自然であることを思い出したかのように――かれらは、ぴくりとも動かず、一言も囁くことはなかった。
 しん、と倉庫はしずまりかえる。
「……」
 灯火はしずかに、ままごと道具を木箱にしまい始めた。
 やがて手を止め、彼女はクと横に目をやる。古い化粧台の鏡が、ままごと道具を片付ける灯火の姿を映し出していた。赤い振袖の、黒髪の少女が、ままごと道具を片付ける――その光景に、灯火はまたしてもデジャ=ヴュを抱き、小首を傾げるのであった。
「……また、あした……」
 彼女は呟き、ことり、と木箱に蓋をした。

 いかに息を殺そうが、どれほど耳を澄まそうが、『神影』の中に音はない。
 彼女の息吹は、もちろん、無い。

 けれど灯火の意識の奥では、囁き声と持ち主の声が、輪舞曲を奏でているのだった。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月06日

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