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『エンドレス・ゲーム 』
モーリス・ラジアル2318)&セレスティ・カーニンガム(1883)

 危険。警戒。
 石楠花(しゃくなげ)の、花言葉である。

 といっても、モーリス・ラジアルがこの季節の庭園に石楠花を多くあしらっているのは、その優雅で柔らかな花弁が、緑滴る葉桜となったソメイヨシノと好対照に映えるからであって。
 ――決して、あるじへの当てつけではない。
 たとえ先日、リンスター財閥のコネの限りを尽くして集められたとおぼしき、山のような希少本の修復を言いつけられたことがあったとしても。
 そしてそれは、お茶の時間を敬遠して外出しがちなモーリスを足止めするためだったとしても。
 さらに、やはり凡人を超越した手段で入手した極上のフォンダン・ショコラ――しかしモーリスにとっては苦手なスイーツを相伴する結果になったとしても、だ。
 だが、あるじセレスティ・カーニンガムに言わせると、
『そうでもしなければ、モーリスと甘いものを食べる機会はありませんから。私は、美味しいものは一緒にいただきたいのですよ』
 ……なのだそうである。
 セレスティの気持ちは、良くわかる。
 決して、モーリスを苛めるために言っているのでは(たぶん)ないと思う(思いたい)。
 お茶会を遠慮するのは、モーリスも心が痛むのである。
 敬愛してやまぬあるじの望みならば、どんなことでも叶えたい。
 いかなる不可能にも挑戦しよう。地の果てまでも行こう。出来る限りの力を使おう。
 そう思いもする。が。
 やはり甘いものは、見ているだけで胸いっぱいなのだ。
 そんなわけで、今日も今日とて、甘い香りの満ちあふれるティータイムが近づくと、やれアトラス編集部から呼び出しが、神聖都学園で不可解な事件がと、理由をつけては逃亡する庭師であった。
 
 〜**〜**〜

「庭の石楠花は、お客人に評判がよろしいようですよ。皆さん、いかにも庭師どのらしいと仰ってお帰りになりました」
「……まだ、こちらにいらっしゃったんですか」
 外出から戻ったモーリスは、回廊を渡りかけて唖然とした。中庭に置かれた大理石のテーブルの前に、セレスティがひとりで腰掛けているのである。
 ティータイムはとうに過ぎ去り、日差しは西に傾いていた。
 テーブルを囲むように咲く白いムスカリの花が、夕陽を受けてオレンジ色に見える。セレスティの銀の髪も紅い陽を反射して煌めき、庭先をそよぐ微風に散っていた。
「4月も終わりとはいえ、夕方は冷え込みます。早くお部屋に」
 走り寄ったモーリスにすぐには答えず、セレスティはつと右手を伸ばし、足もとの花房に触れた。
「このムスカリも良い香りですね。お茶の席を華やいだものにしてくれます。たとえ花言葉が『失望』であろうとも」
「私がそれを意識して、ムスカリをここに植えたとでも仰いますか?」
「おや、違うんですか?」
「いくら何でも、そんな嫌味なことはしませんよ。ムスカリの花言葉には『寛大な愛』というのもあるんですから」
 モーリスは膝をついてあるじの右手を取り、そっと立ち上がらせた。
「またお風邪でもお召しになったらどうするんです。屋敷中の皆を睡眠不足になさるおつもりですか」
 左手をテーブルにつき、セレスティは笑みを見せる。
「モーリスがなかなか戻ってこないので、心配しながら待ってました。冷えた外気が良くないのはわかってましたが、ここで庭園の花々の香りに包まれていれば、少しは安心できるものですから」
「……申し訳ありません」
 ステッキ代わりにあるじの腕を支えながら、モーリスは帰りが遅くなり過ぎたことを悔いた。
 アトラスからの呼び出しというのは口実だったので、実際に出向いたのは草間興信所であったのだが、そこで思いのほか興味を惹かれる依頼に遭遇した。そのため調査に時間を取られ、予定よりも帰還が押してしまったのだ。
 セレスティが本当にモーリスを心配して屋外で待っていたのかどうかは、この際、問題ではない。
 大切なあるじを待たせてしまったことが、痛恨の事態なのである。
 ――だから。
「モーリスは、明日もどこかへ出かけますか?」
「いいえ、どこにも。ずっとセレスティ様のおそばにおります」
「良かった。それでは明日の午後は、一緒にお茶が出来そうですね」
「…………はい」

 だから、まあ。
 一本取られたとは、思わないことにした。

 〜**〜**〜

 晴天である。
 風も爽やかで、気温は寒からず暑からず。
 もともと快適な状態に保たれている中庭では、どこからか飛んできたメジロが石楠花の蜜を吸っている。
 つまりは、お茶会日和だ。
「ようこそ。今日のお客人はモーリスだけですよ」
 セレスティは、これ以上はないくらいに上機嫌でモーリスを迎えた。
 テーブルの上にはアイルランドのベリーク製のカップ&ソーサーが並べられ、何人ものメイドが紅茶を注ぐために待機している。
 ほのかに漂うのは、ブランデーとラズベリーの香り。料理長の本日のスイーツ、タルトモンブランとクレームダンジェも今か今かと出番を待っているようだ。
 だがしかし。
 うっとりするような微笑を向けたあるじに、モーリスはささやかな抵抗を試みたのである。
 先日のリベンジ――とまでは言わないにせよ、やはり負けっぱなしでは面白くない。
「セレスティ様。せっかくの機会ですから、ゲームをしませんか?」
 そっとカップを寄せてから、持参した緑色の盤をテーブルに広げる。
 その横に積んだのは、白と黒の石。
「オセロ、ですか。珍しいですね」
 紅茶をひとくち飲み、石を手のひらに乗せ、セレスティは目を見張った。
 ゲームの選択が、意表を突いていたのである。
「構いませんが――私は、オセロをするのは初めてで」
 セレスティは、いささか困惑気味だ。それはモーリスの予想どおりである。
 あるじは、あらゆるゲームに強い。いや、勝負ごと全般に強い星の下に生まれた、と言った方が正しかろう。
 カードゲームからチェスに至るまで、セレスティが負けているのを一度も見たことがないほどだ。
 それでもまだこの世には、セレスティがマスターしていないゲームも存在する。
 茨城県水戸市の長谷川五郎によって考案されたオセロも、そのひとつである。
「私も、オセロはしたことがありません。ですから、ちょうどいいですよ」
 モーリスがオセロ初心者なのは本当である。だが、遊んだことはなくとも、定石は覚えているし、勝つためのポイントたる偶数理論も心得ている。
 したがって、あるじよりは有利なゲーム展開が出来るだろうという、いささかずるい目論見があったのだが……。

 オセロのルールは簡単だ。
 開始時には、黒白の石を2個ずつクロスさせて中央に置く。
 黒が左手前になるように配置して、ゲーム開始。
 先手は黒。後手は白。
 交互に打ち続け、石がなくなったら終了。

「ほんの少し、チェスに似てますね。あれも白黒交互に一手づつ指すゲームですから……。違うのは、敵のキングをチェックメイトしなくていいところでしょうか」
 セレスティは快調に黒の石を打っていた。まるで得意なチェスでもしているように。
 そして、今の状況はモーリスに圧倒的に不利だった。
 気づいたときには自分の白い石の配置が、「ウイング」という、あまり宜しくない形に追い込まれていたのである。
「あの……。セレスティ様」
「何でしょうか?」
「オセロは、初めてなんですよね?」
「そうですよ」
「ですが、早々に隅を取られたところといい、石を打たれるご様子が……その、手慣れてらっしゃるというか」
「ああ」
 最後の石を持ち上げて、セレスティは何でもないことのように言った。
「定石やゲーム運びのポイントは、オセロ名人が記した書物で読んだことがありますから」
「そんなこと、仰らなかったじゃないですか!」
「あえて云わないのも勝負のうちですよ。モーリスだってそうでしょう?」
 
 〜**〜**〜
 
 囲碁半年、将棋3ヶ月、麻雀2週間、オセロ5分。
 それは人がそのゲームを覚え、面白さを理解できるようになるまでの平均的時間を言うらしい。
 セレスティのことだ、その気になれば麻雀さえ、ものの5分でマスター出来るに違いない。
 はたしてあるじが麻雀をすることがあるかどうかは、激しく謎だが。
 放心しつつ、モーリスがそんなことを思ったのは、手つかずのスイーツをにこやかに勧められ、あまつさえ、
「今日のモーリスは優しいですね。この前のリベンジもしたかったでしょうに、外出を控えてまで私と遊んでくださったのですから」
 と、微笑まれたときであった。

 完敗、である。
 
 あるじと自分のシーソーゲームは、永遠に続くだろう。
 そしてただひとつ、わかっているのは。
 自分は絶対に勝てないと言うことだ。

 ――だが、願わくば。

「どうか、お手柔らかにお願いします」

 何のことでしょう、と、セレスティは首を傾げる。
 紅い石楠花の花弁が、オセロの盤の上にぽとんと落ちた。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年05月06日

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