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『さくらひとひら 』
初瀬・日和3524)&羽角・悠宇(3525)



 視線の先で、赤い色が揺れていた。
 
 一瞬諦めかけて視線を下にやると、途端にうるんだ瞳にぶつかる。男の子は今にも泣きそうな目で自分を見上げていて、「ごめんね」と口にするのが少しだけためらわれた。
 よし、と小さく小さく呟いて、日和はもう一度上を見上げる。
 桜の枝に引っかかった赤い風船は、風が吹くたびゆらゆらと揺れる。それを空に逃す前になんとかつかもうと日和は一生懸命つま先立ちになるが、あと数センチ、指先が届かない。
 あとちょっと、もうちょっと。そう念じながら、震える腕を必死で伸ばしていく。
 ――お願い、届いて。
 
 その時。
「日和」
 誰だかすぐに分かる、それは日和が世界で一番頼りにしている声。
振り向かないまま日和の背後から腕がにゅっと伸びて、その骨ばった大きな手はなんなく赤い風船をつかみ取った。
 さりげなく肩に置かれた彼の手が温かい。
「……ほらよ。お前、もう風船飛ばすんじゃないぞ?」
「うん。お兄ちゃん、お姉ちゃんありがとう!」
 赤い風船を手渡された男の子は、風船を手にするや否やニッコリ笑い、そしてぎこちなく頭を下げてからぱたぱたと去っていった。
 見れば、あちらで母親らしく若い女性が男の子を手招きしている。日和が頭を下げると、あちらも恐縮しきった様子で何度も頭を下げていた。

 
 去っていく親子連れをなんとなく見送っていた日和は、名を呼ぶ声に我に返った。
「日和? どうした、ぼうっとして」
「ううん。……悠宇くん、ありがとう。私じゃ背が低くて、背が届かなくて」
「別にあんなのは大したことじゃないけどさ。それにしても、俺がジュース買いに行ってたのホントに少しの間なのに、相変わらずなんだなお前は」
 背中から抱きかかえられるようにして、日和は悠宇と身を寄せ合っている。
からかうような口調に、ごめんね? と上目遣いで見上げると、いや、お前らしいと思ってさと呟いて悠宇はにやりと笑う。
 彼から手渡された炭酸飲料は、日和の好みに合わせた甘いものだった。



 ――桜咲く、春の季節。
 二人は近所にある、市内でも大きな公園にやって来ていた。桜の名所と名高いここは沿道にぎっしりと出店が並び、半ば祭のようだ。
 咲き競う桜の木の根元は午後を少し回ったばかりの時間だと言うのに、レジャーシートとその上に胡坐をかく人々によってほとんど占領されている。ビール片手に盛り上がっている皆が花を見上げている様子はほとんどなく、「花より団子」という言葉は本当なのね、などと日和はこっそり笑う。

「あ、日和」
 ん? と小さく返事をすると、悠宇は日和の髪にそっと手をやる。
「ほら。……髪に桜の花びらがついてた」
身を離し、日和の正面に立った悠宇は、ほら、と手の中を開いて見せる。
 ――薄紅色の小さなひとひらが、その中にあった。日和がそっと指を伸ばそうとすると、途端に吹いた風にさらわれる。

 あ、と漏らした日和のつぶやきすら、かき消されそうだった。
 ざあ、と吹いた風が桜並木を揺らしていった。ピンク色が一斉に空に舞い上がり、空色に溶けていく。
どよめきが起こり、宴会中だった花見客も一瞬だけ動きを止め空を見上げていた。春の嵐は瞬時に吹き抜け、人々の心の中をかき乱す。


 すごいな、と一緒に日和と共に空を見上げていた悠宇が、ふと「ごめんな」と小さく呟いた。
「日和と二人で静かに桜が見たかっただけなんだけどさ。やっぱりシーズン真っ只中だと賑やかすぎるな」
 困り果てたように頭をかく悠宇に、日和は笑う。
「気にしないで。……あのね、悠宇くん」
 少しだけかがんでくれる? と手を招くように動かすと、悠宇は一瞬だけ戸惑った表情を浮かべてから、膝を曲げてくれる。その肩につかまりながら、それでも爪先立ちになりつつ日和は彼の耳に顔を寄せ、小さくささやいた。
「私ね、悠宇くんと一緒ならどこでもいいの」
「……俺もだ」
 日和の言葉に、悠宇は小さく笑った。
 
 
 
 
 ――こんなに身長の差があるんだ。
 さっきだって、風船をなんなく取ってしまった。かがんでくれてる今だって、自分は爪先立ちしなければ届かない。くるくる変わる彼の瞳は、そういえばいつだって見上げるほど上にあって、……もしかしたら、私よりずっとずっと世界が広々と見えてるのかもしれない。そんなことを日和は思う。

「それにしても……この人出、どうにかならねぇかなあ」
 日和が今こんなことを考えているなんて、露ほども思っていないのだろう。名残惜しそうにもう一度だけ日和の髪に軽く触れた後、悠宇は背を再び伸ばして周囲をぐるり見回す。
「どっかに静かに桜見られるとことかないかな……おい」
 悠宇は胸のポケットから銀のピルケースを取り出した。中からこっそり顔を覗かせたのは彼の飼うイヅナ、白露。
「お前、ちょっと探して来い。……なあ日和、こいつってそういうこと出来るよな?」
後のセリフは日和に向けたものだ。いたずらっぽい彼の表情に、日和は苦笑する。
「でも、白露にこの広い公園を探させるなんてちょっとかわいそうじゃない?」
「じゃあ末葉にも手伝わせようぜ。ほらほら」
「う、うん。……ごめんね、末葉も出てきてくれる?」
 肩からかけていた鞄の中から日和も銀のピルケースを取り出す。その蓋を開けると、末葉は首だけを外に出して、ん? とばかりに日和を見あげた。
「やっぱり末葉はかわいいな。……おいこら白露。お前もこういう風に……ってイテテテ、指を噛むなよ!」


 もしかして本当に怒っているのかもしれないが、小さな白露に向かって生真面目にセリフをぶつけている悠宇はじゃれているようにしか見えない。
くす、と日和がつい笑いを漏らした時だった。

「……あ! こら、白露! どこ行くんだ!!」
「あ、あれ? 末葉、どうしたの? どこ行くの!」
 するり、と二人の手を抜け出した管狐たちはぴゅう、と疾風のように彼方に向かって一目散に駆けていく。
ちらり顔を見合わせてから、日和と悠宇は慌ててその後を追いかけ始めた。



 込み合う人ごみをすり抜けて駆け出すのは、それだけで一苦労だった。おまけに、悠宇は日和よりもずっと歩幅が広く、彼が2歩かけるところを日和は一生懸命走った上での3歩。
ともすれば見失いそうになる銀色のみつ編みを、日和は懸命に追いかける。
 黒いリボンで結われたそれは、彼の肩のあたりで踊っているようにひょこひょこ揺れている。広い背中は日和のものとは明らかに違って――飛びつきたい、って言ったら悠宇くん驚くかな。

「日和?」
 まるでその呟きが聞こえたように、悠宇がいきなり振り向く。驚きに思わず足がもつれてしまった日和に向け、悠宇は可笑しそうに右手を差し出した。
「相変わらずそそっかしいな、日和は」
「……相変わらずじゃ、ないもん」
 ほんの少しだけ、頬を膨らませて彼を見上げたら、ゴメンゴメン、と笑って彼は頭をかいた。
 こんな風に笑うしぐさが見たくて、いつもちょっとだけ怒ってみせてるの、と言ったら――悠宇くん、驚くかな。
「ほら、行こうぜ? あいつら見失う前に」
「うん」

 手を握ると、彼はそれ以上の力で握り返してくれる。日和の前をいく背中はもう振り向かないけれど……でももう、日和は足をもつらせることも、息を切らせることもない。
 前を行くひとは先程よりゆっくりと、それでいて体の弱い日和なりのせいいっぱいの早さで人ごみをすりぬけていく。
 ――私のこと見ないでいても、分かっててくれるんだ。

 彼がかきわけてくれる人垣を潜り抜けながら、日和はまた、こっそりその背中を見つめ続けていた。




 イヅナを追い駆けて公園を抜け、気がつくと二人は公園に隣接した小学校にたどり着いていた。
 今は入学式前の春休み。校舎や校庭は静まり返っていて遊具で遊ぶ子供たちの姿も無い。 

 その広い校庭をぐるり取り囲むようにして、桜の木が満開の花を咲き競わせていた。
 風に揺れる白い枝はまるで薫る霞のよう。はらはらと宙にはなびらを漂わせながら、それは静かに春の時を刻んでいる。
 そしてその校庭の中央。小高い丘になっているその上に、ひときわ大きい桜の木が枝いっぱいの花を身にまとっていた。


「……おいこら、白露に末葉!」
 その桜の根元に、ちょこんと白露と末葉が身を寄せ合っていた。悠宇が声をかけると、なあに? と言った風情でそろいの方向に首をかしげる。
「お前らなぁ、いきなり逃げ出すなんて」
「悠宇くん、悠宇くん」
と、日和がふとあることに気付いて、そっと悠宇を呼ぶ。
「あのね。……ね? 白露も末葉も、私たちをここに連れてきてくれたのよね」

 言葉の半ばからは2匹のあやかしに向けたもの。
 もちろん返事が言葉で返って来ることはなかったけれど、その代わりか2匹は小さく鳴き、日和の右肩と左肩にそれぞれ駆け上がって首にじゃれついた。
「あ、こら! ずるいぞ白露!」
その片方のイヅナを悠宇はとっさにつかもうとして、するりと逃げられる。
「あ、待て、待てってば!」


 足元でちょろちょろ逃げ回る白露を、悠宇は半ばかがんで追い駆け始める。
丘を上に下に、まるでもう一匹のあやかしのように駆け回る彼。声をかけようとした日和は――ふと、彼のつむじの辺りに桜の花びらがひとひら乗っかっているの見た。
 揺れる黒いリボンと春の陽にきらめく銀色の髪。それははらはら散る桜吹雪の中、踊っているようで、また跳ね回ってもいるようで――

「……悠宇くん?」
「ん? どうした日和」
「……ごめん、なんでもないわ」
言いかけて口を閉ざした日和を少しだけ不思議そうに見上げた悠宇だったが、すぐに笑う。
「どうした、日和?」
「え?」
「お前、なんだか嬉しそうな顔してる」


 ――背中を追い駆けてばかりの人。
 彼が見ている世界など自分には決して垣間見れないと思っていたけれど、こんな風に背中を追い駆け、そして見つめ続けていなかったら、この桜ひとひらに気付かなかったかもしれない。そう思ったらなんだか嬉しくなってしまい……そして確かに、慌てて頬に手をやったら自分は知れず笑っていた。
 ――でも、悠宇くんには私がなんで嬉しいのか分からないんだろうな。
 そんなことを思う日和。
 そして実際口に出して見れば、案の定彼は首をかしげるばかりだった。
「そんなことで、なんでそこまで喜ぶんだか」
「いいの。だって嬉しいんだから」
「そうなのか?」
「そうなの」

 
 悠宇をそっと手招きした日和は、彼の前にそっと立つ。丘の上にいるおかげで、彼が身をかがめていない今でも日和の方がちょっとだけ背が高い。
「悠宇くん、花びらとってあげる」
 と、今度は悠宇が嬉しそうに笑う。
「どうしたの?」
「ん? ホラ、さっきと立場が逆転したな、と思ってさ」




 彼女が手のひらにそっと乗せた花びらは、再び沸き起こった風に空へと舞い上がっていった。
 二人きり、喧騒も届かぬ静かな校庭で沸き起こった小さな小さな春の嵐は、周囲の桜をも巻き込み日和と悠宇をそっと花びらで囲んでしまうかのようだった。




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2005年04月28日

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